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 鎌倉市大船にある甘糟家は玉縄北条氏に仕えた一族で、玉縄の首塚の当事者としても登場してくる。<br /> 大船には大船と大船1~6があるが、丁目が若いと大船駅寄りになるのだが、柏尾川とも近くなる。明治20年(1887年)に東海道線の大船駅が開業し、さらに明治22年(1889年)に横須賀線の大船駅~横須賀駅間が開業した当時は柏尾川の氾濫原に駅があるといった光景であったであろうか?<br /> ここ大船は、常楽寺と甘糟家の間に鎌倉街道が通り、甘糟家と縁が強い熊野神社と多聞院の裏山の尾根には大船切通が、南には高野の切通があって六国見山に通じており、交通の要所だったことが分かる。<br /> 甘糟家の広い家屋敷には平地が多く残り、戦前までは幾棟もの蔵が建っていたのだろう。綱島・飯島家も明治には蔵で囲まれていた家屋敷も現在では長屋門と母屋だけが残されており、家人は居住してはいない。この甘糟家には代々、家人が居住している。<br />(表紙写真は甘糟家の長屋門)

大船甘糟家-2017年秋

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2017/10/08 - 2017/10/08

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 鎌倉市大船にある甘糟家は玉縄北条氏に仕えた一族で、玉縄の首塚の当事者としても登場してくる。
 大船には大船と大船1~6があるが、丁目が若いと大船駅寄りになるのだが、柏尾川とも近くなる。明治20年(1887年)に東海道線の大船駅が開業し、さらに明治22年(1889年)に横須賀線の大船駅~横須賀駅間が開業した当時は柏尾川の氾濫原に駅があるといった光景であったであろうか?
 ここ大船は、常楽寺と甘糟家の間に鎌倉街道が通り、甘糟家と縁が強い熊野神社と多聞院の裏山の尾根には大船切通が、南には高野の切通があって六国見山に通じており、交通の要所だったことが分かる。
 甘糟家の広い家屋敷には平地が多く残り、戦前までは幾棟もの蔵が建っていたのだろう。綱島・飯島家も明治には蔵で囲まれていた家屋敷も現在では長屋門と母屋だけが残されており、家人は居住してはいない。この甘糟家には代々、家人が居住している。
(表紙写真は甘糟家の長屋門)

  • 甘糟家の家屋敷(熊野神社・多聞院側)。

    甘糟家の家屋敷(熊野神社・多聞院側)。

  • 甘糟家の長屋門。

    甘糟家の長屋門。

  • 甘糟家の母屋。

    甘糟家の母屋。

  • 甘糟家の母屋(高野の切通側)。

    甘糟家の母屋(高野の切通側)。

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