2017/07/09 - 2017/07/09
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SUOMITAさん
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最終日は最初の日に閉まっていた首里城と沖縄県立博物館へ.首里城はずいぶん整備され,城らしくなった.ブログを作り始めてから3回目かな.都合6回目の登城.
沖縄職員旅行5-首里城公園,花咲酒家てぃーだ
https://4travel.jp/travelogue/10940610
に詳細な記録
そのあと昼食がよい食堂がなく,チェーンの大戸屋へ.残念
その後沖縄県立博物館へ.ここは大好きな博物館なので2時間かけて詳しく説明した.
ここの記録も沖縄那覇旅行4-高良食堂,福州園,那覇市歴史博物館,沖縄県立博物館
https://4travel.jp/travelogue/10851955
宮古島・沖縄旅行19終-沖縄県立博物館 帰京
https://4travel.jp/travelogue/11008470
などにも掲載している.
NH478便 2035発で帰京 ホテルに二人をおくっていったのは24時ちかかった.
まあフィンランド人との沖縄旅行.とても暑くて,日本人でも閉口.彼らがよく耐えたと思う.この季節海はとてもきれいだった.その美しさは見せることができたと思う.しかしゆっくりしているので観光としては日数の割には少ない.ツアーなら二日分,私のまわり方でも二日半分だろう.通訳や説明に忙しく,写真は本当に少ない旅行だったので,ブログも短い.まあそれでもゆっくりのんびりできたのは良かったなと思う旅行だった.
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 2.5
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- レンタカー ANAグループ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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1143 首里 真堀交差点
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1158 満車の看板があったので他の駐車場も見たが,どこも満車か,入れにくいため,やはり最初の首里城公園駐車場に すんなり入れた.
まずここでアク君が好きなソフトクリームを食べる
本当は龍潭や首里城の周りの方が美しいので見せたいが,残念時間がない
通訳しなければならないので時間がかかる -
イチオシ
守礼門
首里城 名所・史跡
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1527~55年(第二尚氏4代目尚清王(しょうせいおう)代)にはじめて建立され、1933年(昭和8)に国宝に指定されたが沖縄戦で破壊された。現在の門は1958年(昭和33)に復元されたもので、その後今日まで沖縄を象徴する観光施設として利用されている。http://oki-park.jp/shurijo/guide/52#a01
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園比屋武御嶽石門 琉球石灰岩で造られた建造物で、国王が外出するときに安全祈願をした礼拝所である。形は門になっているが人が通る門ではなく、いわば神への「礼拝の門」ともいうべき場所である。門の上部に掛けられている扁額(へんがく)の内容から1519年(尚真王(しょうしんおう)代)に建てられたことが判明している。http://oki-park.jp/shurijo/guide/52#a01
重文 世界遺産 時々お祈りしている地元の人を見る -
重文 世界遺産 時々お祈りしている地元の人を見る
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イチオシ
歓会門へ登っていく
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首里城の城郭(じょうかく)内へ入る第一の正門で、「歓会(かんかい)」とは歓迎するという意味である。往時、首里城へは中国皇帝の使者「冊封使(さっぽうし)」が招かれたが、こうした人々を歓迎するという意味でこの名が付けられた。
首里城は外郭(外側城郭)と内郭(内側城郭)により二重に囲まれているが、ここは外郭の最初の門で、別名「あまえ御門(あまえうじょう)」ともいう。「あまえ」とは琉球の古語で、「喜ばしいこと」を意味する。創建は1477~1500年頃(尚真王代)で、沖縄戦で焼失したが、1974年(昭和49)に復元された.
以下の案内もともに,http://oki-park.jp/shurijo/guide/52#a01 -
復元された石垣が素晴らしい
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シーサーが守る
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下に龍樋
龍の口から湧水が湧き出していることからそのように名付けられた。この水は王宮の飲料水として使われていた。また、中国皇帝の使者・冊封使(さっぽうし)が琉球を訪れたとき、那覇港近くにあった「天使館(てんしかん)」という宿舎まで、毎日ここから水を運んだといわれている。龍の彫刻は1523年に中国からもたらされたもので、約500年前のものである。 -
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「冊封七碑」とは、龍樋(りゅうひ)の周辺に設置されている七つの石碑のことである。
中国皇帝の使者として琉球国王の即位を宣言するために遣わされた歴代の「冊封使(さっぽうし)」たちは、龍樋の水の清らかさを讃え、漢詩を詠んだり題字を残した。それらの碑は沖縄戦で破壊され、ほとんど現存しないが、1984年(昭和59年)発掘調査の際に「飛泉(ひせん)」という割れた石碑が発見され、沖縄県立博物館に保存されていた「漱玉(そうぎょく)」という石碑の残り半分であることが判明し当時話題になった。「飛泉漱玉(ひせんそうぎょく)」とは清らかな泉が玉のように飛び散っているという意味である。現在ある七碑は拓本をもとに復元され
左が中山第一 泉の水量は、水質は琉球第一の泉 1719年
右 活潑潑地 魚がはねるように水の勢いが極めて活発な泉である 1808年 -
真ん中 飛泉漱玉 清らかな泉があたかも玉のように飛び散っている などなどの石碑
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ここからの眺望 沖縄県立芸術大学
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那覇浦添
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海が見える
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瑞泉門
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「漏刻(ろうこく)」とは中国語で「水時計」という意味である。ここは第三の門で、別名「かご居せ御門(うじょう)」ともいう。当時、身分の高い役人は駕籠(かご)にのって首里城へ登城したが、高官でも国王に敬意を表し、この場所で駕籠から下りたということからそのように呼ばれている。創建は15世紀頃である。門の上の櫓(やぐら)に水槽を設置し、水が漏れる量で時間を計ったといわれている。時刻を測定すると係の役人がここで太鼓を叩き、それを聞いた別の役人が東(あがり)のアザナと西(いり)のアザナおよび右掖門(うえきもん)で同時に大鐘(おおがね)を打ち鳴らし、城内および城外に時刻を知らせた。この「漏刻」の制度については、1456年の朝鮮の記録に「(琉球のそれは)我が国のものと何らかわりない」と記されている。
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イチオシ
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「漏刻門(ろうこくもん)」の正面に置かれているのが「日影台(にちえいだい)」という日時計である。往時もこの場所におかれ、水時計の補助的な道具として使われた。1739年、従来の漏刻は不完全であるとして、はじめて日影器(にちえいき)を製作し設置したと伝えられる。以後、この時間制度は1879年(明治12)廃藩置県(はいはんちけん)まで続いた。
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万国津梁の鐘
この鐘は歴史資料では1458年に首里城正殿に掛けられていたと記録されているが、具体的な設置場所が不明であるため、当面ここに設置している。沖縄県立博物館に収蔵されている「万国津梁の鐘」のレプリカである。鐘には「琉球国は南海の美しい国であり、朝鮮、中国、日本との間にあって、船を万国の架け橋とし、貿易によって栄える国である。」という主旨の銘文が刻まれており、往時の海洋王国としての誇らしい心意気が示されている。 -
日影台から本殿を見る
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イチオシ
「広福(こうふく)」とは、「福を行き渡らせる」という意味である。「広福門(こうふくもん)」は別名「長御門(ながうじょう)」といい、第四の門である。建物そのものが門の機能をもっており、この形式も首里城の城門の特徴である。
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広福門の裏側 券売所で入場券820円を買う.
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券売所で入場券820円を買う.奉神門「神をうやまう門」という意味で、首里城正殿のある「御庭(うなー)」へ入る最後の門である。1562年には石造欄干(せきぞうらんかん)が完成したという記録があることから創建はそれ以前である。その後1754年に中国の制に倣い改修した。建物は明治末期頃に撤去されたが、1992年(平成4)に外観が復元された。現在は公園管理のための施設として利用されている。
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「御庭(うなー)」は首里城の中心部である。
正面が「正殿」、向かって右(南側)が「南殿・番所(なんでん・ばんどころ)」、左(北側)が「北殿(ほくでん)」で、これらに囲まれた中庭広場の空間を「御庭」という。 -
正殿(せいでん)は言うまでもなく首里城で最も中心的な建物である。
「御庭(うなー)」は首里城の中心部である。
木造の三階建で、一階は「下庫理(しちゃぐい)」と呼ばれ、主に国王自ら政治や儀式を執り行う場、二階は「大庫理(うふぐい)」と呼ばれ、国王と親族・女官らが儀式を行う場であった。三階は通気を目的とした屋根裏部屋である。
創建年は、復元に先立って実施された発掘調査から14世紀末頃と見られている。その後ほぼ同位置で数度の焼失・再建を繰り返してきた。現在の建物は18世紀初めに再建され、沖縄戦で焼失するまで残っていた正殿をモデルに1992年(平成4)に復元したものである。正殿の建築は、中国の宮廷建築と日本の建築様式を基本にしながら琉球独特の意匠(いしょう)にまとめられている。正面の石階段の両脇に龍の彫刻があるが、これを「大龍柱(だいりゅうちゅう)」と言い、手すりの奥にはもう一対「小龍柱(しょうりゅうちゅう)」がある。その他柱や梁(はり)等にも龍の彫刻が多数施されている。龍は国王の象徴であり、たくさんの龍が首里城には棲んでいる。 -
北殿はかつては北の御殿(にしのうどぅん)、議政殿(ぎせいでん)とも呼ばれていた。
創建は1506~1521年頃とされ、記録によると1709年の首里城の大火で他の建物とともに焼失し、1712年頃再建された。通常は王府の行政施設として機能し、表15人衆(大臣)や筆者、里之子(さとぅぬし)と呼ばれる役人等が働いていた。
北殿は南殿・番所同様、鉄筋コンクリート造として外観を木造で復元している。 -
「南殿(なんでん)」「番所」は、通常は首里城へ登城してきた人々の取次を行った所であり、「南殿」は日本風の儀式が行われた所である。
いずれも塗装を施したという記録がなく、また元々日本的な建築であるため着色はしていない。創建は1621~27年 -
庭から向かって右側が「番所(ばんどころ)」
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庭園は、書院・鎖之間と一体をなす重要なもので、城内で唯一の本格的な庭園である。書院に招かれた冊封使たちは、この庭園の魅力を讃える詩を詠んだ。その様子を「わだかまった松と蘇鉄とを、奇怪な格好をした石の間に、互い違いに植えている」と伝えている。
沖縄県内のグスクの中で、庭園があったことが分かっているのは首里城だけで、琉球石灰岩をたくみに利用した造りになっている。 -
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奥書院は国王が執務の合間に休息した場所である。
建物の規模は3間×3間半(5.46m×6.37m)で、国王の部屋の他に奥書院奉行の控え場所があった。建物の創建年は不明だが、1715年頃に再建したという記録がある。 -
鎖之間は王子などの控え所であり、また諸役の者達を招き懇談する、御鎖之間(おさすのま)と言われる広間がある建物である。
また、奥には裏御座(うらござ)と言われる茶室があり、御鎖之間(おさすのま)の裏座にあたり、お茶を点てて客人に振る舞っていた。 -
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御差床(うさすか)
国王が座る玉座。御差床背後の障子戸を開くと、奥に国王専用の階段(おちょくい)がある。国王はその階段を使って2階から御差床に出御した。御差床左右の柱には龍が描かれ、そのまわりには雲が配色されている。
なお、国王の椅子については、1477年~1526年まで在位した尚真王の御後絵(肖像画)をもとに再現したものである。 -
正殿1階は「下庫理(しちゃぐい)」と呼ばれ、主に国王自ら政治や儀式を執り行う場であった。中央の華麗な部分が「御差床(うさすか)」と呼ばれ、政治や儀式の際に国王が出御(しゅつぎょ)する玉座である。左右には国王の子や孫が着座した「平御差床(ひらうさすか)」がある。裏側には二階に通じる階段があり、国王はこの階段を降りて御差床についた。
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イチオシ
正殿2階から見た風景 石垣がすごい
正殿二階は正殿2階は、日常的には王妃や身分の高い女官たちが使用した空間であり「大庫理(うふぐい)」と呼ばれていた。2階の「御差床」は国王の玉座として様々な儀式や祝宴が行われたところである -
正殿の出口で記念撮影
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正殿出口から奉神門をみる.
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北殿の中はショップ
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「系図座(けいずざ)」と「用物座(ようもつざ)」という役所があった建物である。「系図座」は士族の家系図を管理していた役所、「用物座」は場内で使用する物品、資材等の管理を行った役所である。2000年に復元され、現在は休憩所と情報案内所として使用されている。http://oki-park.jp/shurijo/guide/53
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1339 出口
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この後県立博物館に向かう 周りでレストランを探すが全くない.やむを得ず,大戸屋真嘉比店で昼食.全員で5780円と安い.当然写真を撮っても仕方ないのでやめる 1535出発 1540博物館へ
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入場料は首里城公園に行ってきたので,割引 330円だった.写真撮影禁止のところも多く,何度も紹介してきたので,写真は撮影しなかった.ここでも沖縄史や文化史を一所懸命説明
沖縄県立博物館 美術館 美術館・博物館
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ノロについても話す.
沖縄那覇旅行4-高良食堂,福州園,那覇市歴史博物館,沖縄県立博物館
https://4travel.jp/travelogue/10851955
宮古島・沖縄旅行19終-沖縄県立博物館 帰京
https://4travel.jp/travelogue/11008470
などにも掲載している
2時間みっちり見学 1730に外へ,そのまま移転したニッポンレンタカー那覇空港営業所に車を返却 -
バスで波の上道路(沖縄西道路)を空港へ 波上宮が見える
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お土産を買い,ラウンジで休み,NH478便 2035発で帰京 ホテルに二人をおくっていったのは24時ちかかった.
まあフィンランド人との沖縄旅行.とても暑くて,日本人でも閉口.彼らがよく耐えたと思う.この季節海はとてもきれいだった.その美しさは見せることができたと思う.しかしゆっくりしているので観光としては日数の割には少ない.ツアーなら二日分,私のまわり方でも二日半分だろう.通訳や説明に忙しく,写真は本当に少ない旅行だったので,ブログも短い.まあそれでもゆっくりのんびりできたのは良かったと思う旅行だった -
首里城公園のパンフ 案内所においてあったもの 中国語,韓国語もそろっている.
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入場の際のもの どちらも詳しい
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入場券
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うら
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県立博物館の英語パンフ
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