2017/05/15 - 2017/05/15
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ドクターキムルさん
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鎌倉歴史文化交流館が開館するということで開館時間に間に合うように出掛けた。この場所は旺文社の創設者・赤尾好夫氏(明治40年(1907年)~昭和60年(1985年))の邸宅跡である。私が受験生であった45年前にはもう「試験に出る英単語」(出る単)になっていたが、それ以前は「赤尾の豆単」(1942年初版)が受験生の必携アイテムであった。
この場所に平成16年(2004年)に英国の著名な建築家ノーマン・フォスター氏が設計を手掛けた建物に建て替えられ、それを平成25年(2013年)に鎌倉市が購入した。鎌倉歴史文化交流館の建物はその建物を利用して展示スペースに変更されたものである。館内のトイレは白黒の一松模様で、さすがに安普請ではある。しかし、赤坂迎賓館や駒場・前田本邸の大理石を見た後ではさすがに見劣りはするが、建物の外壁や内壁の大理石はそれなりのものかも知れない。
数年前にここを通った時には隙間から石鳥居ややぐらが見えたが、この石鳥居は撤去され、神社(合鎚稲荷社)は葛原岡神社にお祭りしてもらったのだ(平成25年(2013年)に遷座した)そうだ。また、やぐらに見えた横穴は赤尾氏が掘らせたもので、上がかまぼこ型のやぐらなど鎌倉周辺には存在しない。それが4穴もあった。他には鎌倉時代のやぐらが多く残っていた。元々、この場所は無量寺谷と呼ばれ、鎌倉時代には無量壽院があった場所で、この奥には手掘りのトンネルが2つもあり、塔頭があったようだ。「新編鎌倉志」(貞享2年(1685年)に刊行)には昔は無量寺があり、泉涌寺の末寺であったと伝えられているとあり、すでに江戸時代には廃寺になっていた。
また、建物の端に朱塗りの建物があり、屋根の棟に鴟尾(しび)と鬼瓦が載っていて驚いた。これは茶室なのだという。わびさびからおよそかけ離れた茶室にいびつな鴟尾(しび)と鬼瓦。興覚めした。
赤尾氏は意外とげてもの好きだったのかとも思った。
とりあえず、武家の古都・鎌倉が落選してもう二度と世界遺産になれることなど決してなくなってしまってから、初めての市の施設である。それが鎌倉市の施設ではこじゃれた建物なので安堵もした。この坂の下には古我邸(レストラン)があり、平日でも大賑わいである。100年前に建てられた鎌倉随一の別荘と21世紀になってから建てられた鎌倉歴史文化交流館の建物を巡ることができるようになったのだが、果たしてレストラン古我邸のように賑わうのか、それとも鎌倉国宝館のように静寂が保たれるのか、興味のあるところだ。
(表紙写真は鎌倉歴史文化交流館)
注。日曜・休日は休館。
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鎌倉歴史文化交流館に入る道。
「鎌倉の旧宅」(https://taiss-you.sakura.ne.jp/myHPkamaq/myHPkamaq.html)には、
「因みに、鎌倉の世界遺産登録は最早あり得ない情勢であるにもかかわらず、鎌倉市には「歴史まちづくり担当」という部並みの組織において、未だに世界遺産再登録を所掌業務としているのには驚愕せざるを得ない。」
と正論が述べられている。
しかし、「再推薦しても鎌倉の世界遺産登録はあり得ない」というのは私が再三再四述べて来たことで真実により近いであろう。 -
鎌倉歴史文化交流館に入る道。
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鎌倉歴史文化交流館に入る道。
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駐輪場。
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駐輪場。
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やぐら。
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やぐら。
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やぐら。
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駐車場。
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駐車場。
この辺りの空き地は鎌倉博物館の予定地のようだ。 -
鎌倉歴史文化交流館。
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鎌倉歴史文化交流館。
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合鎚稲荷社の石鳥居は撤去されている。ただし、写真中央には合鎚稲荷社の石段が見える。合鎚稲荷社は相州刀鍛冶の正宗の子孫が小田原の後北条氏第2代当主・北条氏綱から与えられた無量寺ヶ谷の屋敷跡に鎮座していたとされ、ここがその屋敷跡だったようだ。
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鎌倉歴史文化交流館。
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「鎌倉歴史文化交流館」。
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鎌倉歴史文化交流館敷地内の横穴。
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穴?
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敷地内の横穴。
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赤尾氏が掘らせた横穴。
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やぐら。
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赤尾氏が掘らせた横穴。
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赤尾氏が掘らせた横穴。
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やぐら。
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天井部分が落ちたやぐら。
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やぐら。
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鎌倉歴史文化交流館。
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鎌倉歴史文化交流館の配置図。
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鎌倉歴史文化交流館(新館)。
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鎌倉歴史文化交流館。
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展示されている刀。
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「刀剣」。この地は正宗の子孫が北条氏綱から拝領した無量寺ヶ谷の屋敷跡で、その後、正宗の子孫とされる刀鍛冶の山村氏は「氏綱」から1字を賜り、代々「綱廣」を世襲している。
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同じレプリカを飾るのならば、御嶽神社(畠山重忠所用)の甲冑ではなく、日御碕神社の甲冑(伝源頼朝奉納)の方が相応しいのでは?
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「赤糸縅大兜(畠山重忠所用大兜模写)」。
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廊下。
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安普請のトイレ。
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やぐら。
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やぐらがある敷地内の崖。
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やぐらがある敷地内の崖。
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やぐら。
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丸軒瓦片。
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壺。
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2階への階段。
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「命のバトン-杉原千畝の「命のビザ」を繋いだ人々-」。
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杉原千畝。
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「杉原千畝年鑑」。
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やぐら。
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石橋。
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枝垂れ桜。
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茶室。
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片方には鴟尾(しび)。もう片方には鬼瓦。
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境内のやぐらのある崖の上の木立。
「鎌倉の旧宅」(https://taiss-you.sakura.ne.jp/myHPkamaq/myHPkamaq.html)には、
「当館は、当初鎌倉の世界遺産登録時のガイダンス施設とすべく取得したものの、世界遺産登録が不調に終わったため、急遽計画を変更し、"博物館ではない博物施設"として開館したものである。」、
「現状は、建物が驚くほど立派なのに比べて展示内容の印象は希薄である。むしろ、アンバランスである感は否定しがたい。建物を取得した以上、無理をして開館を急いだ結果ではないか。今後どれだけ内容を充実したものにできるか、言い換えればこの立派な建物が、市民にとって、本当に必要な施設だ、と感じられる運営内容にできるかが、問われていると言えよう。
一方、入場料だけでこの施設の運営費用を賄えるとは到底考えられず、市としては公共施設の整理を目指す中で赤字施設を抱えることになるわけである。市民が許容し得る赤字幅に収めるとともに、立派なハコモノだけが目立つということにならない、質の高い運営が求められる。」
ともある。あるいは、
「来館者は殆どいなかった。一方、受付カウンターには、教育委員会文化財課が配置した職員が3名も座っていた。来館者より職員の方が多い状況である。職員も"土曜日は一番来館者が多い日(のはず)なのに"と言っていた。話題になる展示を行わない限り、このような状況になるかもしれない、との予測はしていたが、想定を超える状況といえ、このような状態が続くようであれば今後の在り方が問題になろう。」
ともあり、厳しい見方が示されている。
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