守山・名東旅行記(ブログ) 一覧に戻る
生誕の地の上社城址を始めとする、柴田勝家所縁の地巡りです。勝家は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将で、大名です。信長に重臣として仕え、信長死後に秀吉に敗れ、北ノ庄城で信長の妹のお市の方と共に自害し、生涯を終えました。

2016梅雨、柴田勝家所縁の地(1/9):貴船神社と神蔵寺(1):貴船神社、高石垣、本殿

31いいね!

2016/06/14 - 2016/06/14

32位(同エリア285件中)

旅行記グループ 2016梅雨、柴田勝家所縁の地

0

30

旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

生誕の地の上社城址を始めとする、柴田勝家所縁の地巡りです。勝家は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将で、大名です。信長に重臣として仕え、信長死後に秀吉に敗れ、北ノ庄城で信長の妹のお市の方と共に自害し、生涯を終えました。

PR

  • 名古屋市名東区で作成された、地元で生まれた柴田勝家ゆかりの地を記した『史蹟散策路・柴田勝家コース』のルート図を参照しながらの散策でした。勝家が生まれたとされる『下社城址』の見学の前に、地下鉄一社駅からの順路になる貴船神社と神藏寺に立ち寄りました。

    名古屋市名東区で作成された、地元で生まれた柴田勝家ゆかりの地を記した『史蹟散策路・柴田勝家コース』のルート図を参照しながらの散策でした。勝家が生まれたとされる『下社城址』の見学の前に、地下鉄一社駅からの順路になる貴船神社と神藏寺に立ち寄りました。

  • お城の石垣を連想させる規模を持つ、貴船神社(きふねじんじゃ)の高石垣光景です。『たかふねじんじゃ』とも呼ばれるようです。地下鉄の一社駅から、歩いて10分とはかからない距離でした。

    お城の石垣を連想させる規模を持つ、貴船神社(きふねじんじゃ)の高石垣光景です。『たかふねじんじゃ』とも呼ばれるようです。地下鉄の一社駅から、歩いて10分とはかからない距離でした。

  • 貴船神社の石段光景です。右手に手摺りがなければ、上の方ではすくんでしまいそうな高さでした。前方に境内の緑の樹が見えてきました。

    貴船神社の石段光景です。右手に手摺りがなければ、上の方ではすくんでしまいそうな高さでした。前方に境内の緑の樹が見えてきました。

  • 二段になっていた境内の下の段の光景です。本殿と拝殿は、上の段に見えていました。名東区作成の『柴田勝家コース』の案内には、『正式には貴船社、雨の神を祀っています』、と紹介されていました。

    二段になっていた境内の下の段の光景です。本殿と拝殿は、上の段に見えていました。名東区作成の『柴田勝家コース』の案内には、『正式には貴船社、雨の神を祀っています』、と紹介されていました。

  • 下の段に祀られていた、小さな社の光景です。その社の中に、更に小さな社城が三つ並んでいました。5段ほどの石段の高さの基壇の上に設けられた社でした。向かって左から順に、役行者石像、御嶽社、天王社、山ノ神社、金刀比羅宮と並んでいます。<br />

    下の段に祀られていた、小さな社の光景です。その社の中に、更に小さな社城が三つ並んでいました。5段ほどの石段の高さの基壇の上に設けられた社でした。向かって左から順に、役行者石像、御嶽社、天王社、山ノ神社、金刀比羅宮と並んでいます。

  • ここからは、上の段の境内に登っての参拝です。『貴船神社』の銅葺屋根の拝殿光景です。祭神は、罔象女神(みつはのめのかみ)です。高●神(たかおかみのかみ/龍神)とともに、日本における代表的な水の神です。

    イチオシ

    ここからは、上の段の境内に登っての参拝です。『貴船神社』の銅葺屋根の拝殿光景です。祭神は、罔象女神(みつはのめのかみ)です。高●神(たかおかみのかみ/龍神)とともに、日本における代表的な水の神です。

  • 拝殿に向かって右手にあった、唐風の造りの玄関光景です。ここにも注連縄が張られていました。本殿は、型通りに拝殿の背後にあります。先ほど、下の段から確認できました。

    拝殿に向かって右手にあった、唐風の造りの玄関光景です。ここにも注連縄が張られていました。本殿は、型通りに拝殿の背後にあります。先ほど、下の段から確認できました。

  • 鎮守の杜の光景になっていた、貴船神社の境内光景です。『猪高村誌』に俗伝として、『柴田勝家の領地の川には橋がなく、勝家の定めによって造られたられた舟橋で通行していた。舟橋というのは、川に舟を並べて繋ぎ、その上に板を渡した仮の橋を言う。その貴い舟を神の名にしたというのが、貴船の名の由来』、と紹介されているようです。<br /><br />

    鎮守の杜の光景になっていた、貴船神社の境内光景です。『猪高村誌』に俗伝として、『柴田勝家の領地の川には橋がなく、勝家の定めによって造られたられた舟橋で通行していた。舟橋というのは、川に舟を並べて繋ぎ、その上に板を渡した仮の橋を言う。その貴い舟を神の名にしたというのが、貴船の名の由来』、と紹介されているようです。

  • 手水舎の光景です。銅葺屋根に、薄いクリーム色の柱がよく似合うお洒落な造りでした。鉄筋コンクリート製ではなく、ちゃんとした木造の手水舎でした。

    手水舎の光景です。銅葺屋根に、薄いクリーム色の柱がよく似合うお洒落な造りでした。鉄筋コンクリート製ではなく、ちゃんとした木造の手水舎でした。

  • 手水舎の水盤のズームアップ光景です。自然石をくり抜いた、建物に相応しい水盤でした。足元の水捌けにも気が遣われていました。

    手水舎の水盤のズームアップ光景です。自然石をくり抜いた、建物に相応しい水盤でした。足元の水捌けにも気が遣われていました。

  • 水盤の右端にあった水口です。ブロンズ製の凝った造りの龍でした。開けた口には白い歯が見え、大きな角と前足も造られていました。

    水盤の右端にあった水口です。ブロンズ製の凝った造りの龍でした。開けた口には白い歯が見え、大きな角と前足も造られていました。

  • 氏子総代の名前で表示されていた、『手水舎の手順』のタイトルの説明パネルです。漫画も添えた分かり易い説明書きでした。『てみずしゃ』の振り仮名がありましたが、『てみずや』をはじめ、いくつかの読み方があります。

    氏子総代の名前で表示されていた、『手水舎の手順』のタイトルの説明パネルです。漫画も添えた分かり易い説明書きでした。『てみずしゃ』の振り仮名がありましたが、『てみずや』をはじめ、いくつかの読み方があります。

  • 拝殿に向かって、右手にあった銅葺の建物光景です。表示はありませんでしたが、社務所のようです。ガラス窓の上に、お札、お御籤などの値段表がありました。

    拝殿に向かって、右手にあった銅葺の建物光景です。表示はありませんでしたが、社務所のようです。ガラス窓の上に、お札、お御籤などの値段表がありました。

  • 貴船神社の境内から見下ろした、東南方面の光景です。こちらに神社の表参道の石段がありました。この場所からは境内の樹木で視界が遮られていますが、見晴らしの良い境内です。

    貴船神社の境内から見下ろした、東南方面の光景です。こちらに神社の表参道の石段がありました。この場所からは境内の樹木で視界が遮られていますが、見晴らしの良い境内です。

  • 境内の衝立のような役割の石造りの建造物です。『蕃塀(ばんべい)』と呼ばれる施設は、正殿を直視できないようにするとか、不浄なものの侵入を防ぐために設けられるようです。<br />(追記)蕃塀マニアと自称される方の調査では、『昭和42年(1967年)に製作されたが、作者は不明』、と紹介されていました。また、『屋根の構造など一部を除き、上社日吉神社の蕃塀と類似している。特に、羽目板部の獅子紋と欄間部の双龍紋の作風はよく似ており、両蕃塀の作者は同一である可能性が高い』、とも紹介されていました。

    境内の衝立のような役割の石造りの建造物です。『蕃塀(ばんべい)』と呼ばれる施設は、正殿を直視できないようにするとか、不浄なものの侵入を防ぐために設けられるようです。
    (追記)蕃塀マニアと自称される方の調査では、『昭和42年(1967年)に製作されたが、作者は不明』、と紹介されていました。また、『屋根の構造など一部を除き、上社日吉神社の蕃塀と類似している。特に、羽目板部の獅子紋と欄間部の双龍紋の作風はよく似ており、両蕃塀の作者は同一である可能性が高い』、とも紹介されていました。

  • 境内を守る狛犬の紹介です。本殿に向かって右側の雄獅子です。左足の下に玉を抑えた、口を開けた阿形の姿です。

    境内を守る狛犬の紹介です。本殿に向かって右側の雄獅子です。左足の下に玉を抑えた、口を開けた阿形の姿です。

  • 本殿に向かって左側の狛犬の雌獅子です。口を閉じた吽形の姿です。頭を低くした子獅子が、右足の下にいました。

    本殿に向かって左側の狛犬の雌獅子です。口を閉じた吽形の姿です。頭を低くした子獅子が、右足の下にいました。

  • 境内から見下ろした、表参道の光景です。そのほとんどが石段でした。表参道は南側にある出入口です。石段の途中には、庭園が造られた平坦な部分もあります。

    イチオシ

    境内から見下ろした、表参道の光景です。そのほとんどが石段でした。表参道は南側にある出入口です。石段の途中には、庭園が造られた平坦な部分もあります。

  • 貴船神社の境内から見下ろした、東方面の光景です。隣接する場所に、『一色城址』と考えられている神蔵寺が見えました。『一色城址』は、柴田勝家の祖父、柴田勝重が築いたとされます。

    貴船神社の境内から見下ろした、東方面の光景です。隣接する場所に、『一色城址』と考えられている神蔵寺が見えました。『一色城址』は、柴田勝家の祖父、柴田勝重が築いたとされます。

  • 貴船神社の境内から見下ろした、南方面の光景です。名古屋市東部の市街光景が遠望できました。左手の坂道は、途中まで貴船神社と隣の神蔵寺と共用になっていました。

    貴船神社の境内から見下ろした、南方面の光景です。名古屋市東部の市街光景が遠望できました。左手の坂道は、途中まで貴船神社と隣の神蔵寺と共用になっていました。

  • 境内の南東端から眺めた拝殿の光景です。隣接する神蔵寺(しんぞうじ)は、文亀元年(1501年)に、一色城主の柴田源六源勝重が創建したとされ、貴船神社も同時代に創建されたものと思われています。

    境内の南東端から眺めた拝殿の光景です。隣接する神蔵寺(しんぞうじ)は、文亀元年(1501年)に、一色城主の柴田源六源勝重が創建したとされ、貴船神社も同時代に創建されたものと思われています。

  • 本殿の正面に掲げられた、『貴船神社』の扁額の光景です。京都府京都市左京区にある貴船神社が総本社とされます。全国に約450社あるようです。

    本殿の正面に掲げられた、『貴船神社』の扁額の光景です。京都府京都市左京区にある貴船神社が総本社とされます。全国に約450社あるようです。

  • 本殿より、一段下側にあった小さな社の紹介です。本殿がある上の段から眺めるのに丈いい高さでした。境内末社が集められていました。左端の役行者石像は、台座に『宝暦十一年辛巳年十一月一色村同行中』と彫られていますので、1761年のものです。一社橋西の旧道沿いに行者堂がありましたが、区画整理で壊され、石像のみが貴船神社に祀られました。その右は御嶽神社の社です。

    本殿より、一段下側にあった小さな社の紹介です。本殿がある上の段から眺めるのに丈いい高さでした。境内末社が集められていました。左端の役行者石像は、台座に『宝暦十一年辛巳年十一月一色村同行中』と彫られていますので、1761年のものです。一社橋西の旧道沿いに行者堂がありましたが、区画整理で壊され、石像のみが貴船神社に祀られました。その右は御嶽神社の社です。

  • 左が天王社、右が山ノ神の社です。その右にもう一つ、石で出来た金刀比羅宮(ことひらぐう)の社がありましたが、上からでは建物の陰になり、撮影できませんでした。山ノ神社は、神蔵寺南方にあったものが、ここに移設されました。

    左が天王社、右が山ノ神の社です。その右にもう一つ、石で出来た金刀比羅宮(ことひらぐう)の社がありましたが、上からでは建物の陰になり、撮影できませんでした。山ノ神社は、神蔵寺南方にあったものが、ここに移設されました。

  • 貴船神社の社殿光景です。水の神様を祀る貴船神社は、料理・調理業や水を取扱う商売の人々から篤い信仰を受けているようです。

    貴船神社の社殿光景です。水の神様を祀る貴船神社は、料理・調理業や水を取扱う商売の人々から篤い信仰を受けているようです。

  • 拝殿などの建物の隙間から覗き見た本殿の光景です。京都の総本社の社伝によれば、神武天皇の母である玉依姫命が、黄色い船に乗って淀川、鴨川、貴船川を遡って当地(現在の京都市左京区)に上陸し、水神を祭ったのに始まると伝えています。

    拝殿などの建物の隙間から覗き見た本殿の光景です。京都の総本社の社伝によれば、神武天皇の母である玉依姫命が、黄色い船に乗って淀川、鴨川、貴船川を遡って当地(現在の京都市左京区)に上陸し、水神を祭ったのに始まると伝えています。

  • 拝殿の東端の光景と、その脇の唐風の玄関光景です。全国に約450社あるとされる貴船神社ですが、中部地区でリストアップされた8社の内に、子の名東区にある貴船神社も含まれていました。愛知県では1社だけでした。

    拝殿の東端の光景と、その脇の唐風の玄関光景です。全国に約450社あるとされる貴船神社ですが、中部地区でリストアップされた8社の内に、子の名東区にある貴船神社も含まれていました。愛知県では1社だけでした。

  • 拝殿右脇の唐風の屋根のズームアップ光景です。補修工事で取替えられた真新しい木材の見分けが付きました。風雨に晒されやすいところが痛むようでした。

    拝殿右脇の唐風の屋根のズームアップ光景です。補修工事で取替えられた真新しい木材の見分けが付きました。風雨に晒されやすいところが痛むようでした。

  • 拝殿の前の境内光景です。右端に見えるのが手水舎、中央付近に横向きに見えるのが、衝立の様な造りの『蕃塀(ばんべい)』の横からの姿です。

    拝殿の前の境内光景です。右端に見えるのが手水舎、中央付近に横向きに見えるのが、衝立の様な造りの『蕃塀(ばんべい)』の横からの姿です。

  • 拝殿前の境内より、南側に一段下がった場所からの光景です。拝殿の左右に鎮守の杜の光景がありました。

    イチオシ

    拝殿前の境内より、南側に一段下がった場所からの光景です。拝殿の左右に鎮守の杜の光景がありました。

この旅行記のタグ

31いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP