2016/06/14 - 2016/06/14
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旅人のくまさんさん
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『一色城址』とされる、『龍華山・神蔵寺(りゅうげざん・じんぞうじ)紹介の続きです。境内に初代城主の柴田勝重のお墓がありました。地形的には、隣接する貴船神社の本殿辺りが城跡の中心地のようにも思えました。
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イチオシ
『神蔵寺』の文字が記された扁額と、その手前の板張りの天井の光景です。鉄筋コンクリート造りで昭和45年(1970年)に再建された本堂ですが、天上の意匠などに、木造建築の面影が残されていました。
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錫杖を持った地蔵尊のようです。なぜか黄色い塗料がまぶされていました。子持ち地蔵でしょうか、四人の子供が縋り付いていました。子供というより、赤ちゃんでした。
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蓮座の上の地蔵尊の光景です。比較的新しい造りの石像のようでした。台座に『お手引地蔵』らしい文字が刻まれていました。赤ちゃんを抱いた姿の地蔵さんです。
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『一色城主柴田源六源勝重公之墓』の文字が刻まれています。この墓碑は、かつて、お寺が高台の下にあり、道路整備の際に高台へ引っ越した時に、この場所に移されました。その時、本物の墓であったことが確認されました。
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イチオシ
斜め前から眺めた、一色城主の柴田源六源勝重公のお墓と、その前に置かれた石碑の光景です。お墓は五輪塔でした。
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無縫塔が並んだ、歴代住職のお墓です。中央奥の碑文には『当山開祖老和尚』、台座には『開山塔』の文字がありました。右手前の無縫塔が、『当山十七世大亀寿鑑大和尚』、左手前が『当山十八世重興太真正憲大和尚』のお墓でした。
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立派な五輪塔の新しいお墓です。柴田家の文字がありましたから、一色城主だった柴田源六源勝重公の子孫の方のお墓のようです。
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下側の二段の基礎が作り直されたような墓碑です。蓮座の上の像は、薬師如来か、観音菩薩のようでした。そのを宇の脇に女性の方の戒名が記してありました。花で飾られ、新しい卒塔婆が立ったお墓でした。
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発起人10名の名前が記された記念碑です。読み取りにくい文字でしたが、『墾地開昭碑』の五文字でしょうか、上の三文字は読み違えているかも知れません。
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古くなったお墓が整理され、墓碑が一カ所に集められているようでした。側面に文政(1818年から1830年)、文化(1804年から1818年)等の文字が見えましたから、江戸時代の墓碑が多いようでした。
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貴船神社の東側にある神蔵寺の墓地ですが、貴船神社の北側いっぱいに広がっていました。その背後が、貴船神社の北側に位置する鎮守の杜です。
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貴船神社の北側にある墓地から眺めた、貴船神社の本殿光景です。銅材で仕上げられた4本の千木(ちぎ)と、交差した鰹木(かつおぎ)が見えました。古墳時代からの工法で、埴輪にも残されています。
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貴船神社の東に位置する神蔵寺の墓地ですが、木立の手前に見える石垣が、区域境のようでした。墓地は貴船神社の北側まで広がっていましたが、神仏習合時代の名残のように見えました。
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同じく、貴船神社の北側にあった神蔵寺の墓地の光景です。古刹を思わせる、奥行きのある墓地の光景でした。
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貴船神社の北側にある墓地から眺めた、貴船神社の本殿光景です。真北になる位置からの撮影になったようです。
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神蔵寺の中興開山に功績があった、西枇杷島町字南問屋町初代横井善三郎の五輪塔です。諡は、教善院殿春山禅定大居士です。十五世・久遠実成(くおんじつじょう)和尚は、神蔵寺が廃仏毀釈で廃寺になろうとしている時、横井善三郎の招請で、神蔵寺の中興開山となりました。
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墓地から眺めた、『龍華山・神蔵寺』の本堂側面光景です。墓地の方から、本堂方面に戻る途中での撮影です。
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手前に線香立を入れた、本堂の正面光景です。線香立に記された金色の寺紋は、桔梗紋の1種のようでした。
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本堂中央の唐風の造りの建物光景です。格式高い入口門として使われることの多い様式です。緑青の色が鮮やかな、銅葺屋根でした。
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イチオシ
今は神社が鈴、お寺が鰐口が一般的ですが、神蔵寺は鰐口ではなく、鈴が使われていました。その胚芽に見えるのが。『枯木堂(こぼくどう)』の扁額です。薬師如来が祀られている、薬師堂です。
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薬師堂の建物の側面光景です。『東海四十九薬師霊場・二十七番札所』の大木は表札が懸かっていました。東海四十九薬師霊場は、三重県を振り出しに愛知県、岐阜県、静岡県の4県に広がる、薬師如来巡礼の霊場です。
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同じく、薬師堂の建物の側面光景です。東海四十九薬師霊場の特別札所が、奈良県の瑠璃宮・薬師寺と滋賀県の比叡山・延暦寺、一番札所が三重県の槙山・勝宝院 福成就寺、四十九番札所が愛知県東海市の法幢山・普済寺です。
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『龍華山・神蔵寺』の庫裏の光景です。その庫裏の後ろに、紅白の大型のクレーンの姿が見えました。
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『本堂再建之碑』の題字があった石碑の光景です。末尾に昭和46年(1971年)辛亥歳正月の日付がありました。古くは、天正12年(1584年)の長久手の戦いの折、築城の資材とするため、数百名により一夜で破壊されてしまった寺伝が紹介されていました。
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『龍華山・神蔵寺』の境内光景です。右端が本堂、中央付近が薬師堂、左端付近が、観音石像が並ぶ建物です。
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4つ並んだ石碑の光景です。縦長で角が尖った石で揃えてありました、石質も創建された年代も一緒のようでした。左側の三つが観音菩薩の石像です。
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全体が苔により緑色になった石碑のズームアップ光景です。『観世音石仏碑』の文字が刻まれていました。三体の観世音石仏とセットになった石碑でした。
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門の外の南東側から眺めた、『龍華山・神蔵寺』の山門光景です。先ほど紹介した四基の石碑が右手前にありました。
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松の大木の根元にあった『保存樹・クロマツ』の白い標識です。名古屋市の保存樹の標識でした。名古屋市の保存樹は、平成28年(2016年)4月現在、853本で、その内の23本が名東区にあります。
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名古屋市保存樹のクロマツ(黒松)の光景です。名東区にある23本の保存樹の内、一番多い8本が黒松です。ほかには、クスノキが5本、アベマキが4本、クロガネモチが3本などです。名古屋市全体で一番多いのがクスノキの353本です。
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