2016/06/14 - 2016/06/14
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貴船社は、江戸時代の初期に雨の神を祭ったのが起源とされます。この地域では、市指定無形民俗文化財の鷹羽検藤流棒の手と、市指定民俗文化財の豪華な大鳥毛馬標と馬道具が保存され、体育の日などに披露されているようです。
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『村社・貴船社』の石標の光景です。最初に紹介するのは、名東区の現在の上社、下社、一社などの地名の由来のことです。その故事は、ヤマトタケルの父親の景行天皇の時代(100年頃)に遡ります。伝説の名参謀・武内宿禰が全国各地を視察している途中、この地に立ち寄りました。その時、この地域は水不足に悩み、住民は作物が収穫できずに困り果てていました。その様子を見た武内宿禰は、白鷹の羽で作った矢を与え、水の神である罔象女神(みつはのめのかみ)を祀るように言いました。そこで住人がこの白い矢を御神体として祠を建てて祈ったところ、水不足は解消され、作物も穫れるようになりました』、という伝説です。その『矢白(やしろ)神社』が、『社(やしろ)』の地名になったとするものです。
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イチオシ
『貴船社』の参道入口の光景です。『矢白神社』が今の『貴船神社』や『貴船社』の前身のようですが、その経緯については、分かっていません。境内は樹木が生い茂り、約1.3ヘクターつが、名古屋市の『貴舩社緑地保全地区』に指定されています。
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貴船社の『由緒』が記された立看板です。水の神を祀った創建は、寛文2年(1622年)、昭和21年(1946年)に宗教法人となり、昭和53年(1978年)に氏子の奉賛により、建物が新改築されたと紹介されていました。
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『貴船社』の表参道の鳥居の光景です。石造の扁額の文字は、『貴舩社』でした。祀られているのは、水の神である罔象女神(みつはのめのかみ)です。日本神話の女神、イザナミ(伊邪那美など)が産んだ神とされます。
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注連縄が張られた、手水舎の光景です。水の神を祀る貴船社にとっては、殊に大切な施設の一つのようです。
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『貴船社』の石段の表参道光景です。拝殿に向かって、まっすぐ伸びていました。その入り口や途中に、石灯篭や狛犬が置かれていました。
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イチオシ
『貴船社』の拝殿を護る狛犬の光景です。拝殿に向かって右手の阿形の雄獅子です。開けた口や、全体の造作など、迫力ある姿の石像でした。因みに、『阿吽(あうん)』は、仏教の呪文の一つであり、神道とは無関係とも言われます。
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同じく、『貴船社』の拝殿を護る狛犬の光景です。拝殿に向かって左手の吽形の雌獅子です。全身に力が漲った姿の石像です。
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『貴船社』の本殿光景です。石段の表参道の中心線上にありました。社伝では、創建が寛文2年(1662年)とされます。
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『貴船社』の本殿の彫刻のズームアップ光景です。上段が左右対称の波浪、下段が龍の彫り物でした。龍の方は、雲龍か波間の龍か判断が付きませんでしたが、上に波浪が彫られていますから、波間から顔を出した龍の姿のようです。
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お洒落な長髪のたてがみを持った狛犬の光景です。拝殿に向かって右手に置かれていた阿形の雄獅子です。昭和3年(1928年)に奉納されました。
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こちらも、お洒落な長髪のたてがみを持った狛犬の光景です。拝殿に向かって左手に置かれていた吽形の雌獅子です。
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6社が祀られた、『貴船社』の境内末社の光景です。左から秋葉社、津島社、富士浅間社、皇大神宮、山神社、山神社の六社です。なぜか、山神社が2社祀られています。
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稲荷神社の入口の赤鳥居の光景です。建替えられたのでしょうか、まだ新しい朱塗りの鳥居でした。
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稲荷神社の拝殿光景です。『稲荷社』の素朴な木製の扁額がありました。小さな狐さんが、拝殿の中に祀られていました。
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建替えられたのか、あるいは塗り替えられたのか、まだ新しく見えた朱の鳥居のズームアップ光景です。振り返って眺めた入口の鳥居には、注連縄が張ってありました。
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自然林のように見えた、『貴舩社』の鎮守の杜の光景です。落ち葉が厚く積もった雑木林のようにも見えました。
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塀で囲われているのは、本殿域のようです。その塀の上から、銅葺屋根の本殿の屋根が見えていました。本殿の周りの塀は『玉垣(たまかき)』と呼ばれているようです。
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社務所のように見えましたが、表札がなく、戸口も閉まっていました。その入口左右に貼られた紙には、『奉納者御芳名』のタイトルがありました。
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イチオシ
石段の上から見下ろした表参道の光景です。高さを実感させてくれる場所からの眺めになりました。
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不要になったお札や廃材を処理する場所のようです。お札と授与品以外は入れないよう、立札の注意書きがありました。
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『貴船社』の境内光景です。中央奥に境内末社が、右手に本殿などがあるエリアが見える場所です。本殿エリアは石垣が積まれ、石の柵が設けてありました。
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石垣で一段高くなった場所にあった、二つ並んだ大きな石碑の光景です。左の石碑には、『殉国之碑』、右の石碑には、『忠烈碑』の文字がありました。
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赤い鳥居の光景です。主柱を4本の稚児柱で支える両部鳥居(りょうぶとりい)と呼ばれる、明神鳥居の1種のようです。ただし、笠木の下に島木があって反りがある特徴は備えていますが、柱は地面に対して少し傾斜(転び)を付けたタイプではなく、直膣のように見えました。
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『村社・貴舩社』の文字が刻まれた石標です。表参道の入口にあった石標よりも古い石標のようでした。
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振り返って眺めた、先ほど紹介した赤鳥居と『貴舩社』の石標方面の光景です。左手には、『殉国之碑』と『忠烈碑』も見えました。
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西側の出入口に向かう舗装道路の参道の光景です。参道脇は鬱蒼とした鎮守の杜が続いていました。この辺りでは、植林された杉の木が多いようでした。
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西側の出入口に向かう舗装道路の参道の光景が続きます。この辺りも、まだ大木には育っていない杉木立が目立ちました。
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見学を終えて、外から眺めた『貴船社』の鎮守の杜の光景です。道路に面した部分には、石垣が積まれていました。土地区画整理に合わせた土地境界のようでした、
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同じく、外から眺めた『貴船社』の鎮守の杜の光景です。この後向かったのは、この場所からは北方面にある、日吉神社です。『柴田勝家コース』の観音寺をパスした5か所巡りとなりました。観音寺は、1667年に創建された臨済宗のお寺ですが、本堂の西脇に鎌倉時代の建久3年(1191年)の創建といわれる観音堂があります。上社城址ですから、次の機会に紹介する予定です。
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