2016/03/19 - 2016/03/21
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satoshiさん
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2016年3月に山口県に旅行に行った時の旅行記です。作成途中で放置していたものをようやくまとめました。
3月の三連休に以前から行ってみたいと思っていた萩に行くことにしました。2015年に「明治日本の産業革命遺産」として萩市の文化財が世界遺産の構成資産に選ばれたこともあり、そこを中心に廻りました。当初は土日の2連休で計画していたのですが、3連休取れることになり折角山口県に行くので秋吉洞と山口市の瑠璃光寺に行くことにしました。
旅程
3月19日 新幹線で新山口駅、新山口駅からバスで秋吉洞へ。秋吉洞見学後瑠璃光寺へ移動。瑠璃光寺見学。その後湯田温泉に入浴後、この日は新山口駅前のホテルに宿泊。
3月20日 朝いちばんのバスで新山口からバスで萩に移動。到着後レンタルサイクルを借りて旧城下町を観光。この日は萩駅前のホテルに宿泊。
3月21日 朝一番でレンタカーを借りて大板山たたら製鉄遺跡、恵美須ヶ鼻造船所跡、萩反射炉、大照院を見学。レンタカー返却後松下村塾から東光寺を見学。夕方バスで新山口。新山口から新幹線を乗り継ぎ名古屋まで戻りました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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6:20頃の新山口始発のバスで萩に向かいます。道中車窓から高杉晋作の功山寺挙兵の時のゆかりの地を示す看板を各所に見かけました。8:00頃東萩到着。
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東萩駅です。萩には東萩駅と萩駅がありますが、萩駅は列車の発着が少なく、観光の中心は東萩駅となっているようです。
東萩駅 駅
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8:00に東萩駅前のレンタルサイクル屋さんのオープン時に自転車を借りました。荷物を預けたいとお願いしたら了承していただきました。
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駅から西に進み川を渡り前原一誠旧宅到着。門しか見学できません。前原一誠は松下村塾出身の幕末の長州藩士で功山寺挙兵の時、高杉晋作や伊藤博文と共に挙兵した人です。明治維新後参議にもなりますが政府と対立。萩に戻り萩の乱をおこし、敗北。斬首されました。維新十傑の一人とされているそうです。
前原一誠旧宅 名所・史跡
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西に進み野山獄に到着。野山獄は幕末の上級武士の牢獄だったそうで、海外渡航に失敗した吉田松陰も入牢したそうです。
野山獄 岩倉獄跡 名所・史跡
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野山獄の道を挟んで反対側の岩倉獄跡。こちらは庶民を入牢させていたそうです。吉田松陰と共に海外渡航しようとした金子重之輔が入牢しここで病死されたとの事。
野山獄 岩倉獄跡 名所・史跡
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少し南に進み常念寺表門を見学。京都にあった聚楽第の裏門を豊臣秀吉から毛利輝元が授かったそうです。重要文化財。
常念寺表門 寺・神社・教会
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城下町を進みます。
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楫取素彦生誕地の解説文がお堀近くにありました。実際は300mほど離れているそうですが。楫取素彦は幕末の長州藩士で大河ドラマ「花燃ゆ」の主人公の杉文(のちに美和)の2番目の夫です。訪れたときが花燃ゆの終わった翌3月の為、クローズアップされているのでしょうか?
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堀内と城下町を隔てるお堀です。このお堀の内側の堀内のエリアは世界遺産の構成資産の一つ萩城下町のエリアの内の一つになります。
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少し南に下り、北の総門前に到着。
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北の総門です。平成16年に復元されたそうです。
北の総門 名所・史跡
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北の総門を潜り西に進み突き当りを右折すると旧益田家物見矢倉に出ます。北の総門を見張る矢倉の働きがあったそうです。
旧益田家物見矢倉 名所・史跡
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旧益田家物見矢倉の斜め前の旧繁沢家長屋門です。
旧繁沢家長屋門 名所・史跡
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さらに西に進むと旧周布家長屋門に出ます。
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ほかの建物は外観だけの見学が多いいですが、旧周布家長屋門は室内を覗くことができます。
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通り一本南に移動して堀内の西寄りに移動。天樹院墓所です。萩に来てからの最初の実質上の藩主(正式な藩主は息子の秀就)、毛利輝元の墓です。ここは明治以前は毛利輝元の菩提寺があり天樹院といったそうですが廃寺になったそうです。毛利輝元は毛利元就の孫で関ケ原の戦いの西軍の総大将でした。関ケ原には出兵せず、敗戦後中国地方のほとんどを領地としていた毛利家は長州藩だけに削られ交通の便の悪い萩を藩庁に置くよう徳川に強要されたそうです。まあ、その借りを200年後に返したわけですが。
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通り一本南に移動して旧福原家萩屋敷門です。門だけが残っています。
旧福原家萩屋敷門 名所・史跡
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ホテル北門屋敷の門の前に世界遺産の記念碑がありました。オフィシャルなものかは分かりませんが。
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通りの東角から西方向と北方向に間田益田氏旧宅土塀が伸びてます。総延長230mあるそうです。よくぞ残ってくれましたと思います。
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南に進み萩高校東門越に萩学校教員室の建物を覗きます。明治時代の萩学校の建物だそうです。外から覗くだけにします。
萩学校教員室 名所・史跡
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そのまま南に進み通りを2つ進むと右手に旧祖武家長屋があります。
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東に進み旧梨羽家書院の前に来ます。肝心の書院は非公開の様で見えませんが門の前に碑と説明板がありました。
旧梨羽家書院 名所・史跡
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更に東に進み春日神社を訪れました。
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春日神社見学後、西に戻り旧児玉家長屋門に行きました。
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旧児玉家長屋門の敷地内です。こちらは中が見学できます。
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旧児玉家長屋門を出て南に進むと平安古の総門跡の碑があります。
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ちょい南に行き新堀川まで出ます。川越しに平安橋が架かってます。
平安橋 名所・史跡
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平安橋から西に進み旧明倫館跡の碑。1849年に移転するまでここが藩校だったそうです。吉田松陰はここで兵学師範をしているようです。高杉晋作は移転後の入校でここには来てないようです。
旧明倫館跡 名所・史跡
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西に進み堀内の鍵曲に出ます。城下町で見かけるクランクした道です。塀も綺麗に残ってます。
堀内の鍵曲 名所・史跡
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堀内の鍵曲をさらに進むと口羽家住宅の門にでます。ここは数少ない住宅と門が残っているところで中も見学できます。国の重要文化財です。
口羽家住宅 名所・史跡
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門で入場料を払って中に入ります。
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建物内も上って見学できます。前年の大河ドラマの「花燃ゆ」のパネルが展示してました。
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住宅内の様子です。
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大河ドラマ「花燃ゆ」主演の井上真央さんと主人公の姉役の優香さんのサインと御当主との記念写真が展示してありました。
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お庭からの橋本川の眺めが素晴らしい。
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口羽家住宅を出て一本北の通りに行き旧ニ宮家長屋門を見ます。
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旧ニ宮家長屋門の扉を潜って内側からの眺め。
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旧ニ宮家長屋門から西に進み江風山月楼址を見ます。萩藩邸の別邸だったそうです。
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10時頃堀内の見学を一旦終え萩城跡へ向かいます。指月小橋の上から萩八景遊覧船乗り場が見えます。今回は予定してませんが次回訪れることがあれば遊覧船に乗ってみたいですね。
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萩城の駐車場前に自転車を駐輪。すぐ目の前の旧厚狭毛利家萩屋敷長屋を見学します。入口で萩城と共通の入場券を購入して入ります。
旧厚狭毛利家萩屋敷長屋 名所・史跡
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内側からの眺め。
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建物内には鎧や萩城の模型が展示してありました。
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萩城跡に向かいます。南門を進んだ跡に毛利輝元像がありました。この道とこの辺から萩城エリアが堀内と同じく世界遺産の構成資産、萩城城下町のエリアの一つです。
萩城跡指月公園 名所・史跡
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萩焼の釜元が並んでました。
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萩城跡の内堀からの萩城跡の眺めです。
萩城跡指月公園 名所・史跡
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説明板にある写真に在りし日の萩城の天守の写真を見ることができます。
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天守台跡です。天守は明治7年に取り壊されたそうです。
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天守台跡に登ってみます。天守台からの指月山の眺めです。
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城内にある花江茶亭です。堀内の江風山月楼址に毛利敬親が建てたものを明治時代に移設してきたそうです。
萩城跡指月公園 名所・史跡
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隣にある梨羽家茶亭です。
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指月山への登り道です。10:35頃登り始めます。
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登道の様子です。意外とキツイ。
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15分程で頂上に出ました。頂上に萩城詰丸跡の碑がありました。
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萩城詰丸跡の本丸跡への階段です。
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石切り場跡の様です。ノミの跡が残ってます。
指月山 自然・景勝地
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指月山を下りてきて志都岐山神社に向かう途中、左手に福原家書院がありました。
萩城跡指月公園 名所・史跡
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志都岐山神社です。明治11年に毛利家ゆかりの人たちによって建てられたそうです。
志都岐山神社 寺・神社・教会
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神社前の太鼓橋は明倫館の万歳橋を移設したものだそうです。
萩城跡指月公園 名所・史跡
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志都岐山神社の拝殿です。
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神社の前から東に廻り東園に行きます。二の丸に作られた庭園です。
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萩城を出るとき海岸側を通りました。石垣が続き海が見えないのですがところどころ浜へ出るところがあり菊ヶ浜を眺めることができます。
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石垣の切れ目です。
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菊ヶ浜から萩城方向の眺め。
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萩城駐車場に戻り萩史料館を見学します。あまり時間がなかったのであっさり見学。展示内容の記憶がありません。
萩史料館 美術館・博物館
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時間がないと言いつつ腹は減る。駐車場にある花の江という食堂でソバを食べます。12:00頃
花の江 グルメ・レストラン
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お蕎麦です。
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食事後、再び自転車に乗って堀内地区を横断。萩博物館に向かいます。途中にある旧毛利家別邸表門を見学。
旧毛利家別邸表門 名所・史跡
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萩博物館前の広場にある田中義一像。第26代総理大臣だそうです。
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萩博物館到着。中に入ります。
萩博物館 美術館・博物館
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展示室の様子。
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博物館を出て東に進み萩城下町エリアに行きます。写真は菊屋家住宅です。
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旧久保田家住宅です。江戸時代の呉服商の建物だそうです。
旧久保田家住宅 名所・史跡
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旧久保田家住宅の入口。入場料を払って中に入ります。
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3月だからでしょうか、ひな人形の展示がされてました。
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向かいの菊屋家住宅です。江戸時代初期に建てられたそうです。
菊屋家住宅 名所・史跡
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中に入ります。玄関を潜ったところです。
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庭の眺め。
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菊屋家住宅を出て路地を南に進みます。
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菊屋家住宅の南側に田中義一誕生地の碑がありました。
田中義一誕生地 名所・史跡
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更に南に進むと高杉晋作旧宅に出ます。高杉晋作は吉田松陰の弟子の弟子の一人で久坂玄瑞と共に松下村塾の双璧を呼ばれていたそうです。明治維新の後半の主役の一人。蛤御門の変、第一次長州征伐が迫る中長州内は親幕派が幅を利かせる中、功山寺挙兵を起こし長州の藩政を一気に倒幕に持っていきました。倒幕前に結核で病死しました。
高杉晋作誕生地 名所・史跡
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高杉晋作旧宅です。中には入れませんが外から建物内が覗けます。
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中の様子。
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高杉晋作に関わる展示がしてありました。
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高杉晋作宅から南に少し進み晋作広場に行きました。高杉晋作の銅像があります。
高杉晋作立志像 名所・史跡
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広場を越えて北に少し進すんで小野田伊之助(楫取素彦)旧住宅跡です。
小野田楫取素彦が養子になった小野田家の跡です。 -
旧野田家住宅です。中には入れません。
旧野田家住宅 名所・史跡
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円政寺です。中に入ります。
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境内の様子。高杉晋作や伊藤博文が子供の頃この境内でよく遊んでいたそうです。
円政寺 寺・神社・教会
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円政寺の本堂です。
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円成寺境内にある金毘羅堂です。
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金毘羅堂に天狗のお面が掛けられてます。高杉晋作の母親が物怖じしないようにしつける為、晋作をよくここに連れてきてこの天狗の面を見せていたそうです。
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伊藤博文のゆかりの物として背負子や硯が展示されてました。
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円政寺を出て北に進み青木周弼旧宅があります。幕末の蘭学者だそうです。このときは中に入れなかったですが後日拝観できるようになるとの事でした。
青木周弼旧宅 名所・史跡
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円政寺や青木周弼旧宅の前の路地です。江戸屋横丁というそうです。
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更に北に進み旧佐伯丹下家屋敷です。門だけ見学。
旧佐伯丹下家屋敷 名所・史跡
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北に進み木戸孝允旧宅に行きます。
木戸孝允旧宅 名所・史跡
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木戸孝允旧宅の中を見学。木戸孝允は第二次長州征伐以前は桂小五郎を名乗っていました。桂小五郎の方が通りが良いかもしれませんね。薩摩の西郷隆盛、大久保利通とならんで明治維新の三傑とされています。
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木戸孝允旧宅の外観
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城下町エリアから東に進み明倫館跡に向かいます。期間限定で旧明倫小学校体育館で萩世界遺産ビジターセンター学び舎という催しがされていて、長州ファイブといった維新の関係の展示がなされてました。世界遺産登録と大河ドラマで盛り上がっているようです。
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市役所前の通りに出て明倫館址の南門を見学。
旧萩藩校明倫館 名所・史跡
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南門です。
旧萩藩校明倫館 名所・史跡
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体育館の北に廻りこみ聖賢堂と水練池を見学。
旧萩藩校明倫館 名所・史跡
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聖賢堂です。
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水練池です。昔のプールです。
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水練池から眺める旧明倫小学校校舎4棟。中には入れません。
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敷地の南東門の観徳門です。
観徳門 (旧萩藩校明倫館) 名所・史跡
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観徳門横の入口。このときは藩校明倫館を改修中でした。平成30年現在は見学できるようです。
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観徳門を潜り有備館を見学します。
旧萩藩校明倫館 名所・史跡
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有備館の中ではボランティアガイドさんが見えて説明をしてくれます。写真は北半分の板の間部です。剣道場だったとの事。坂本龍馬も訪れて試合をしたことがあるそうです。因みに坂本龍馬が北辰一刀流の免許を持っているのは有名ですが現在残っている目録では槍の免許だそうで、そう考えると剣と槍どちらで試合したか興味が湧きます。
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こちらは南半分の土間の槍道場です。
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槍道場の西半分は藩主の間で藩主の見学の場だったそうです。
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明倫館跡から平安古に向かいます。まず村田清風別宅址を見学。外観のみ。村田清風は幕末の萩藩の藩政改革をした人だそうです。
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久坂玄瑞生誕地を訪れました。久坂玄瑞は幕末の志士で吉田松陰の松下村塾で高杉晋作と共に松下村塾の双璧と呼ばれてたとの事。長州の尊王攘夷運動の前半戦の主役の一人で吉田松陰の刑死後、長州の尊像上位運動を実現化した人の代表ともいえる人だと思います。長州が京都に攻め上った蛤御門の変でクーデターに失敗後、自決しました。
久坂玄瑞誕生地 名所・史跡
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南に進み平安古の鍵曲に出ます。午前中見学した堀内の鍵曲と同様のクランクした道です。
平安古の鍵曲 名所・史跡
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平安古の鍵曲
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坪井久右衛門旧宅です。ここも門だけ見学。
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少し南に行き、旧田中別邸見学。この別邸の旧主は第26第総理大臣田中義一です。元陸軍軍人で満州事変の頃の総理大臣だそうです。
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建物内に軍服が展示してありました。田中義一元総理は満州事変の際、昭和天皇に叱責されて辞職。これで明治時代から続いた長州閥が終焉したそうです。
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中の様子。
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外観です。
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旧田中別邸を出て山県有朋生誕地へ向かう途中、渡辺蒿蔵旧宅を見かける。ガイドブックに載ってないのでノーマークだったのですが貴重な建物の内部が見学できる施設。覗いてみる事に。
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建物の外観です。渡辺蒿蔵は幕末の志士で松下村塾の門弟。奇兵隊に参加、維新後は官営長崎造船局の局長になった人だそうです。
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建物の中の様子。
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庭の様子です。
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東に進み山県有朋生誕地到着。山県有朋は松下村塾の門弟の一人で維新の頃は山県狂介と名乗ってました。功山寺挙兵の時に奇兵隊の軍監で、高杉晋作と合流後、討幕運動で活躍しました。第3代と第9代総理大臣を務めるも根っからの軍人の様で第3代と第9代の間で元首相でありながら日清戦争で陸軍の前線司令官を務めたそうです。
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ラストスパートです。更に東に進み善福寺を訪れます。
善福寺 寺・神社・教会
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善福寺の境内。臨済宗のお寺だそうで元々は指月山の麓になったそうですが萩城築城の時に移転してきたそうです。
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織部燈籠です。茶人古田織部が考案した燈籠だそうです。
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東萩駅への帰路の途中、小川家長屋門見学。
小川家長屋門 名所・史跡
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レンタルサイクルを返却してこの日のお宿、萩ロイヤルインテリジェントホテルにチェックイン
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部屋の様子。駅前には食事が出来るところが見当たらない。仕方ないので駅の一番近くのコンビニまで行ってお弁当を購入。近くといっても歩いて15分位かかる。結構不便ですね。萩2日目に続きます。
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