2015/01/04 - 2015/01/15
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motogenさん
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朝から遺跡巡りをします。
機動性のあるバイクまたは自転車がいいのですが、バイク恐怖症がいまだ直らず、自転車も乗れそうになく、歩くことにしました。
観光ツアーなどは、はなっから頭にありません。
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 徒歩
-
遺跡の集まる西方を目指すと、『おじいさんとおばあさんのうち・GUEST HOUSE』の看板を見つけました。
面白そうな名前に興味を持って訪ねてみると、おしゃれなゲストハウスでしたが料金が高く、すごすごと退散しました。 -
アユタヤの一番人気『ワット、マハタート』が、遺跡巡りの第一歩です。
入場料を払って入ります。ワット マハータート 史跡・遺跡
-
二度目の来訪ですが、ガイドブックで書かれているくらいの内容しか知りません。
それも内容をよく理解できたわけでなく、読みにくい王様の名前や地名が多くて、頭が混乱しています。
クメール様式とかビルマ様式、タイ様式などの説明には、ほう、これがそうか・・・などと悦に入りますが、実はどこがそうなのか、よく分かっていないのです。 -
ただ、この雰囲気には圧倒されます。
遠い遠い過去の、この地で起きた出来事や、その後のはるかな時の流れが染み込んだ遺跡の姿が、日常世界から別世界に私を飛ばします。
妄想が湧き起こってきます。 -
6年前の、最初にアユタヤにやって来た時のことでした。
マハタート園内をぐるりと一回りし、入り口近くに戻って来ると、日本人の団体がぞろぞろと入ってきました。
ガイドが付いています。
タイ人のおばさんですが、上手な日本語で説明を開始しました。
私はひっそりと集団に紛れ込み、耳を傾けていると、次第にその話に夢中になったのです。 -
「全盛期には西はビルマ、東はクメール、北はスコータイを併合してチェンマイに至るまで領土を広げたアンコール王朝でした。
しかし度重なるビルマ軍の侵攻より、しだいにアンコール王朝は衰退していき、ついにこのチャオプラヤ川を利用した水堀の中に、篭城することになってしまったのです。」
この話は知っていましたが、おばさんの話しぶりは活動写真の弁士さらながの雄弁さで、その情景が生き生きと目に映るようでした。 -
「ビルマ軍のとった作戦は兵糧攻めでした。
そして堀の外から大筒を打ってきたのです。
高くそびえる巨大なワットや王宮が大筒の目標でした。」
大筒?
そうか、時代は関が原の合戦、夏の陣、冬の陣の頃なのだ。
この地にも大筒があったのか・・・
目が覚める思いです。
兵糧攻め・・・これも初耳です。
秀吉や官兵衛の戦法さながらだ。 -
「ついにアンコール王朝は陥落し、王族、貴族は処刑され、この地の露と消えていったのです。」
美しい王妃や皇女の姿が浮かんできて、胸が痛みます。
「ビルマ軍は奪略の限りを尽くし、仏像や寺院に使ってあった金を火で溶かし、持ち帰ってしまいました。」
「ここにある遺跡の至る所は、そのため焼け焦げているのです。」
「その後、ピサヌロークにいたナレースエン大王によってビルマ軍は追い払われ、アユタヤは栄光を取り戻しましたが、ビルマと戦いは継続され、ナレースエン大王が復活させた王朝も次第に衰退していったのです。」 -
「その後、ものずごい風が吹き荒れ、塔の上半分は崩壊してしまいました。
それが今ここにあるパゴダの姿です。」
「アユタヤは廃れ、樹木が茂り、ジャングルになってしまいました。」
へ〜、そうなのか・・・ここは一時ジャングルだったのか・・
ぞくぞくするような楽しい気分になってきました。
「近代になってアユタヤは遺跡として発見されました。
しかし次に起こった悲劇は、仏像泥棒でした。
ヨーロッパの金持ちたちは置物として仏像を欲しがったのです。
泥棒たちは仏像の頭を切り落として、ヨーロッパに売ったのです。」
えっ、それで頭がないのか・・・
ビルマ軍が壊したのではなかったのか・・・
そういえば、首の跡は壊されたのではなく、鋭利な刃物で営利な切り取られています。
「頭を切り落とした時に、ミスで地面に落とし、一部が欠けてしまった頭がありました。
その頭は地面に放って置かれたのですが、その場所から菩提樹の芽が生え、頭を包み込んで育ち、今このような姿になっているのです。」
横を見ると、写真で見た仏像の頭部があります。
この話を聞きながら見る頭部は、写真のものとは比べようもなく、また先ほど眺めた姿とも違って、ズドンと胸に響く歴史そのものに見えてきました。 -
ガイドのこの話を聞かなかったなら、「ああ、これがそうね。意外と小さいんだ・・」と、さっと写真を撮るだけだったでしょう。
その場の風景も変わって見えてきました。
ビルマ軍の攻撃はどんなふうに行われたんだろう?
遥かビルマから、どんな方法で軍隊がやって来たんだろう?
兵糧や武器弾薬はどうしたんだろう?
道路はあったのか? それとも川を利用したのか?
大筒で逃げ惑うアユタヤの人々と伽藍が崩壊していく光景、飢えて苦しむ人々、苦悩する王族会議・・・私の妄想は尽きることなく湧き上がってきました。
遺跡をみる目ががらりと変わり、私はとっぷりと歴史物語の中に入っていました。 -
何年に建立され、作ったのは誰々で、様式はどうのこうの・・・、それだけでは私の好奇心は舞い上がりません。
その時代に生きた人間が登場して、その人物たちがリアルに動き出す物語が大好きなのです。
このおばさんガイドさんの話は、とてつもなく強烈なインパクトを私に与えてくれたのでした。 -
目の前のこの場所に大筒から発射された鉄のかたまりが唸りを上げて落ちてきて、伽藍が崩れ、壁が破壊され、人々が逃げまどう・・・
そんな光景が映画のシーンのように頭の中に浮かびます。
女房にガイドさんから聞いた話を伝えます。
私の話が下手のなか、それとも女房の感受性が弱いのか、女房は「ああ、そうなの・・」といった顔をしています。 -
おじさんのガイドが日本人団体客を連れてやってきました。
再びわくわくするような話を聞けるんではないか。
そう期待して、そっと団体客にまぎれ込みました。
しかしこのガイドの話は、ガイドブックに書かれている程度の、浅はかで薄っぺらなもので、日本語の使い方もおかしく、発音も聞きとりにくく、がっかりでした。
次にやってきたガイドもそうでした。
あのおばさんガイドさんは、貴重なアユタヤの宝だったのです。 -
寺院の壁や柱や、パゴダと呼ばれる仏塔はレンガで作られています。
土を焼いて作ったレンガを積み上げ、その表面に漆喰を塗ってあります。
現在残っている遺跡は、その崩れかかった柱や壁の残骸です。
屋根の部分は木材で作られていたのでしょう。
燃えてしまったのか、腐ってしまったのか、残っていません。 -
人工の石、レンガは耐久性が劣るようです。
アユタヤ王朝が誕生したのは1350年、およそ650年前のことです。
遺跡として残っているワットが建立されたのはもっと後のことで、500年くらい前でしょうか。
それだけの年月で、早崩れかかり、傾いているのです。
自然石で作られたエジプトのピラミッドや、日本の城の石垣は、はるかに耐久性に優れています。 -
熱帯雨林という気候や、ビルマ軍の侵攻があったとはいえ、レンガ造りの建築技術はそれほどのものではなかったということでしょうか。
スコータイでもチェンセンでも、ピマーイでも同じです。 -
基礎工事もいい加減なのか、地面と接する基礎部分から傾いてしまっている遺跡もあります。
地盤が軟弱なのです。 -
でもこの崩壊途中の無残な姿が魅力的なのかも知れません。
國破れて 山河在り
城春にして 草木深し
・・・・・・・
この漢詩を愛する私たち日本人の感性には、このうらびれた遺跡がマッチするのです。
団塊世代の私のような爺さん婆さんに限るかも知れませんが。 -
アユタヤには大筒の弾が無数に撃ち込まれたのですが、当時鉄はとてつもない貴重品です。
ビルマ軍はアユタヤを打ち破りましたが、武器弾薬、兵糧等の莫大な戦費によって、王朝は衰退していきます。
利を得たのは武器商人で、ポルトガルやスペイン等の欧州海運国でした。
戦争の構図は、昔も今も変わりません。 -
ワット・マハタートの中をずいぶん歩き回りました。
道路一つ隔てた隣のワット・ラーチャブラナに向かいます。 -
ここには登れる巨大な塔があります。
その仏塔(?)に登ってみます。ワット ラーチャブラナ (アユタヤ) 寺院・教会
-
高所からの眺めは「さすが」というものがあります。
遺跡の外にはビルが見えますが、昔の町並みどうだったのでしょうか。 -
塔の下部にもぐりこんでいく通路があって、その先は遺体安置所になっていたようです。
仏教壁画が見られるということで、狭い階段を降りてみます。
かび臭い通路でした。
宝石や美術品、金なども発見されたという穴の突き当りには、確かに壁画がありました。
私の目にはつまらない線画にしか見えませんが、歴史研究者には重要文化財なんでしょう。 -
塔にある数々のレリーフもしかり。
製作者たちの苦労や努力、技術力には敬服させられますが、感性の磨かれていない私には猫に小判です。
職人がどのようにして石を刻んだのか、どのようにして上まで持ち上げたのか、どのようにして組み立てたのか、それが分かればすごく感動するのですが。 -
私の関心は、この時代の人たちが何を考え、どんな人生観で生き、この世をどう捉えていたのか、ということにたどり着きます。
平成時代に生きる私たちとは、人間の根本そのものが違っていたはずです。
価値観も、対人関係も、常識も感性も、社会そのものも違っていたはずです。
そんな違う世界を知りたい。
今の世の中とは別の世界を見てみたいのです。 -
時代劇や大河ドラマには大いに不満です。
それらのドラマに登場するのは、昔の衣装を身に着けてはいても、中身は平成の.若者気質そのままです。
『仕置き人・・』の藤田まことは大好きでしたが、冷静に見れば、ものの考え方も感性も、夢も生きがいも、現代人そのものです。
娯楽番組なのだ、イケメンやキュートな女優が出演し、かっこよく演技すれば視聴者は満足するんだ、と言ってしまえばそれまでですが、でも私はその時代の人間を見たいのです。
私が想像すらできない、別世界を知りたいのです。 -
遺跡を見ていると、『敦煌』が頭の中をよぎりました。
近代になって莫高窟から発見された敦煌文書から、井上靖の想像によって作られた『敦煌』の物語です。
フィクションなのですが、敦煌文書が壁の中に埋蔵された時代や人々の姿が、生き生きと描かれています。
井上靖の想像力、時代や人間の捉え方、すごいものです。
このワット・ラーチャブラナで何があったのか、井上靖のように想像してみたいと思うのですが、凡人の私にはできるものではありません。 -
遺跡で結婚写真を撮っている新婚さんがいました。
美男美女。
だから遺跡に似合っているのです。
私たち夫婦がこんなことをしたら、滑稽でしょう。 -
王宮跡を目指して歩いていると、日本語のある食堂を発見しました。
この女性、日本人ではありませんが、日本語が通じます。 -
日本人のお客さんがインターネットでこの店を紹介してくれたため、日本人がたくさん来てくれるようになったと喜んでいます。
ネット画面が印刷されて飾ってありました。 -
女房が注文したのみ焼きそば。
-
私はカレーライスでした。
日本食が恋しくなってしまった弱虫のようで、恥じ入ります。
二人で120バーツでした。 -
朝からかなり歩きました。
日陰で休憩です。
腰の方は大丈夫なのかと、たえず気になります。 -
疲れをおして頑張って、ワット・プラシーサンペットまでやって来ました。
3基の仏塔が並んでいて、それぞれにトライローカナート王とその王子たちの遺骨が納められているそうです。ワット プラ シー サンペット 寺院・教会
-
巨大な塔が3基も並んだ姿には、私も圧倒されます。
寺院は破壊されていますが、パゴダは無傷なようです。
なぜ?
こういったことが分かれば俄然面白くなるのですが。 -
象に乗ったお金持ちがいました。
こんな観光客もいるんだ・・・ -
ワット・プラシーサンペットの隣には、遺跡ではなく現代の新しいワットが建てられています。
プラ・モンコン・ボピット。
タイ人の参拝客で混雑しています。ヴィハーン プラ モンコン ボピット 寺院・教会
-
興味はありませんが、ついでにちょっとだけ覗いてみました。
すごい人でした。 -
仏様も拝見させてもらいました。
金色できれいですが、日本の仏像と比べれば、幼稚な造りに思えてなりません。
足なんてただの棒です。 -
すぐに出てきて、そこで売っていたアイスクリームを食べました。
ご飯まで入っているアイスクリームだけど、意外といけます。 -
最後は巨大寝釈迦像ワット・ロカヤスターを訪ねました。
すぐ西はチャオプラヤー川です。
腰痛をかかえてよくぞ歩いたと自己満足におちいります。
疲れました。
疲れたけど、歩いた価値はありました。
トクトクをやっと見つけて、それに乗って帰りました。
ミゼット型トクトクです。
60バーツでした。ワット ローカヤースッター 史跡・遺跡
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この旅行記へのコメント (1)
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- trat baldさん 2016/01/14 10:51:21
- 迷案!奥さんが運転、万一でも一緒に死ねる(^o^)
- あまりに観光地化してしまってけど、つぶさに観るには時間(日にち)が必要な大きさですね。
本当はレンタルサムローが有れば便利だけどバイク以上は車になっちゃうしね、第一アユタヤにレンタカーが有るかしら?
長期の旅は節約無しには語れない、必要には惜しまずしかし無駄を極力排除しないと大臣旅行になっちゃう、、、、
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