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南北朝時代から室町将軍と対峙してきた足利一族の鎌倉公方の歴代足利氏は成氏(しげうじ、1434~1497)の代に至り自らの御料所(直轄地)である下河辺庄の古河を新たな本拠地として君臨、以降巷では古河公方(こがくぼう)と称されます。<br /><br />この対立により従来の鎌倉公方の奉公衆であった関東の豪族は幕府方と公方方に分かれて対決姿勢を深め、古河公方を支える豪族は幕府の後ろ盾を得た関東管領上杉氏と対抗するため下河辺庄に集中して配され、奉公衆の一員である簗田氏も長禄元年(1457)水海の地から関宿に移住して古河公方を支える勢力となり実相寺も簗田氏に従い関宿に移り現在に至ります。<br /><br />簗田氏は持助(みちすけ、1422~1482)の頃、勢力劣勢の古河公方を支える有力家臣に躍進し、筆頭家老の立場として北進する小田原北条氏との対抗に頭を痛め、三度に亘る死闘を繰り広げますが頼みとする上杉謙信の援軍なくついに小田原北条氏の軍門に下り関宿城は同氏の北関東進出の重要拠点となります。<br /><br />天正18年(1590)小田原戦役によって北条氏は没落、北条氏旧領は徳川家康に与えられ、関宿は家康異父弟である松平康元(まつだいら・やすもと)が支配することになり、以降関宿藩は譜代大名が交互に支配する中、寛文9年(1669)久世広之(くぜ・ひろゆき)は5万石で入封、その後久世氏は備中庭瀬(5万石)・丹波亀山(5万石)・三河吉田(5万石)を経て宝永2年(1705)再び関宿城主として戻り以降廃藩置県に至るまで10代に亘り支配が続きます。<br /><br /><br />実相寺境内に掲示されている説明板には次の通り記されています。<br /><br />「実相寺<br />当山は、宝樹山本足院実相寺と称し、日蓮宗のお寺です。創建は神亀元年(724年)行基により、法相寺として茨城県総和町水海の地に開山したといわれています。<br /><br />その後、真言宗に改宗しましたが、応永16年(1409年)、日蓮宗の高僧の一人と言われる妙親院日英上人により、日蓮宗に再度改宗され現在に至っております。<br /><br />長禄元年(1475年)の頃、古河公方足利成氏の重臣であった簗田氏が関宿城に入場した時、当山は水海より関宿の地に移されました。<br /><br />境内には、中雀門と呼ばれる唐破風形式の山門、大きな袴をはいた鐘楼堂、そして明治4年(1871年)に関宿城本丸の一部の建物{宝歴6年(1709年)に建造}を移築した現在の客殿(千葉県では本丸の建物が現存するのはここだけです)があります。また、本山は江戸中期以後、明治まで関宿城主であった久世家の香華院(菩提寺)であったため、久世家歴代の城主と奥方の位牌が安置されています。<br /><br />墓地内には関宿藩の家老職を勤めた富田家・奥原家・亀井家など久世家関係の家臣を始め、終戦内閣総理大臣を勤めた、鈴木貫太郎翁(元海軍大将・元侍従長)夫妻、弟の鈴木孝雄翁(元陸軍大将・元靖国神社宮司)夫妻など鈴木家の墓もあります。 野田市教育委員会」

下総野田関宿 古河公方足利氏を支えた宿老簗田氏と共に移転し古河公方の拠点となり家康入部後は譜代大名久世氏の菩提寺となった『実相寺』散歩

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2015/10/18 - 2015/10/18

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滝山氏照

滝山氏照さん

南北朝時代から室町将軍と対峙してきた足利一族の鎌倉公方の歴代足利氏は成氏(しげうじ、1434~1497)の代に至り自らの御料所(直轄地)である下河辺庄の古河を新たな本拠地として君臨、以降巷では古河公方(こがくぼう)と称されます。

この対立により従来の鎌倉公方の奉公衆であった関東の豪族は幕府方と公方方に分かれて対決姿勢を深め、古河公方を支える豪族は幕府の後ろ盾を得た関東管領上杉氏と対抗するため下河辺庄に集中して配され、奉公衆の一員である簗田氏も長禄元年(1457)水海の地から関宿に移住して古河公方を支える勢力となり実相寺も簗田氏に従い関宿に移り現在に至ります。

簗田氏は持助(みちすけ、1422~1482)の頃、勢力劣勢の古河公方を支える有力家臣に躍進し、筆頭家老の立場として北進する小田原北条氏との対抗に頭を痛め、三度に亘る死闘を繰り広げますが頼みとする上杉謙信の援軍なくついに小田原北条氏の軍門に下り関宿城は同氏の北関東進出の重要拠点となります。

天正18年(1590)小田原戦役によって北条氏は没落、北条氏旧領は徳川家康に与えられ、関宿は家康異父弟である松平康元(まつだいら・やすもと)が支配することになり、以降関宿藩は譜代大名が交互に支配する中、寛文9年(1669)久世広之(くぜ・ひろゆき)は5万石で入封、その後久世氏は備中庭瀬(5万石)・丹波亀山(5万石)・三河吉田(5万石)を経て宝永2年(1705)再び関宿城主として戻り以降廃藩置県に至るまで10代に亘り支配が続きます。


実相寺境内に掲示されている説明板には次の通り記されています。

「実相寺
当山は、宝樹山本足院実相寺と称し、日蓮宗のお寺です。創建は神亀元年(724年)行基により、法相寺として茨城県総和町水海の地に開山したといわれています。

その後、真言宗に改宗しましたが、応永16年(1409年)、日蓮宗の高僧の一人と言われる妙親院日英上人により、日蓮宗に再度改宗され現在に至っております。

長禄元年(1475年)の頃、古河公方足利成氏の重臣であった簗田氏が関宿城に入場した時、当山は水海より関宿の地に移されました。

境内には、中雀門と呼ばれる唐破風形式の山門、大きな袴をはいた鐘楼堂、そして明治4年(1871年)に関宿城本丸の一部の建物{宝歴6年(1709年)に建造}を移築した現在の客殿(千葉県では本丸の建物が現存するのはここだけです)があります。また、本山は江戸中期以後、明治まで関宿城主であった久世家の香華院(菩提寺)であったため、久世家歴代の城主と奥方の位牌が安置されています。

墓地内には関宿藩の家老職を勤めた富田家・奥原家・亀井家など久世家関係の家臣を始め、終戦内閣総理大臣を勤めた、鈴木貫太郎翁(元海軍大将・元侍従長)夫妻、弟の鈴木孝雄翁(元陸軍大将・元靖国神社宮司)夫妻など鈴木家の墓もあります。 野田市教育委員会」

旅行の満足度
3.5
交通手段
高速・路線バス JRローカル 私鉄

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  • 実相寺・寺門

    実相寺・寺門

  • 実相寺・看板<br /><br />関宿藩主久世氏の菩提寺として、また総理大臣を務めた鈴木貫太郎の菩提寺と記されています。

    実相寺・看板

    関宿藩主久世氏の菩提寺として、また総理大臣を務めた鈴木貫太郎の菩提寺と記されています。

  • 実相寺・石門<br /><br />海軍大将でもあった鈴木貫太郎氏による「實相寺」の揮毫として刻されています。

    実相寺・石門

    海軍大将でもあった鈴木貫太郎氏による「實相寺」の揮毫として刻されています。

  • 実相寺近隣紹介<br /><br />鈴木貫太郎記念館を素通りしてしまったことが悔やまれます。

    実相寺近隣紹介

    鈴木貫太郎記念館を素通りしてしまったことが悔やまれます。

  • 実相寺・参道

    実相寺・参道

  • 実相寺・山門(中雀門)<br /><br />中雀門と呼ばれる唐破風形式の山門となっています。

    実相寺・山門(中雀門)

    中雀門と呼ばれる唐破風形式の山門となっています。

  • 実相寺・案内板

    実相寺・案内板

  • 実相寺・鐘楼堂<br /><br />大きな袴をはいた鐘楼堂も見応えがあります。

    実相寺・鐘楼堂

    大きな袴をはいた鐘楼堂も見応えがあります。

  • 実相寺・本堂<br /><br />宝暦6年(1709)建造された関宿城本丸の客殿の一部が明治4年(1871)に当寺に移築されており、千葉県で本丸の一部が現存するのは当該寺だけで、川越城本丸御殿に次ぐ貴重な現存建物と言えます。

    イチオシ

    実相寺・本堂

    宝暦6年(1709)建造された関宿城本丸の客殿の一部が明治4年(1871)に当寺に移築されており、千葉県で本丸の一部が現存するのは当該寺だけで、川越城本丸御殿に次ぐ貴重な現存建物と言えます。

  • 実相寺本堂・扁額<br /><br />「寶樹山」と描かれた山号が本堂上部に掲げてあります。

    実相寺本堂・扁額

    「寶樹山」と描かれた山号が本堂上部に掲げてあります。

  • 実相寺本堂・鬼瓦

    実相寺本堂・鬼瓦

  • 実相寺・境内<br /><br />例によって本堂から山門を一望します。

    実相寺・境内

    例によって本堂から山門を一望します。

  • 鈴木貫太郎墓所・案内板

    鈴木貫太郎墓所・案内板

  • 鈴木貫太郎墓所全景

    鈴木貫太郎墓所全景

  • 鈴木貫太郎墓石

    鈴木貫太郎墓石

  • 鈴木貫太郎墓石(近景)

    鈴木貫太郎墓石(近景)

  • 鈴木貫太郎略歴<br /><br />当寺の近くに「鈴木貫太郎記念館」がありますが自分は寺院訪問を優先させ記念館をパスしました。

    鈴木貫太郎略歴

    当寺の近くに「鈴木貫太郎記念館」がありますが自分は寺院訪問を優先させ記念館をパスしました。

  • 鈴木孝雄墓石<br /><br />鈴木貫太郎の弟である鈴木孝雄(陸軍大将)の墓石が見えます。

    鈴木孝雄墓石

    鈴木貫太郎の弟である鈴木孝雄(陸軍大将)の墓石が見えます。

  • 鈴木孝雄墓石(近景)

    鈴木孝雄墓石(近景)

  • 鈴木孝雄家墓誌

    鈴木孝雄家墓誌

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