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清龍山・昌福寺(しょうふくじ、千葉県野田市関宿台町)は天長5年(829)、茨城県猿島郡水海村に創建された古刹ですが古河に拠点を定めた公方足利成氏を支えるため国人領主簗田氏の移転に従って当地に移築されたものです。<br /><br />沿革説明板によれば当寺の住職は「下河邉」姓である事から、平安時代から鎌倉時代初期にかけて下総国葛飾郡下河辺荘と呼ばれていた界隈を開発した地域豪族である下河辺氏の子孫と考えられているそうです。<br /><br />下河辺氏と言えば下野国の有力武士小山氏を遠祖とし、伊豆国蛭ヶ島配流の源頼朝が挙兵以来の御家人である下河辺行平(しもこうべ・ゆきひら、生誕死没不詳)は武芸に優れ特に弓の名人であったことから頼朝より嫡男頼家の弓の師匠に任命されるほどの信頼を得て、一時は源氏一門に準ずる待遇を受けこれを背景に有力御家人として幕府の位置をしめることになります。<br /><br />然しながら頼朝没後はその後ろ盾を失い次第に存在感を失っていくなかで、行平の子孫たちは持ち前の弓馬に優れている武士ということで流鏑馬などの行事ではかろうじて面目を保つのが精いっぱいであり、やがて執権北条氏の勢力伸長により自らの所領を奪われやがて北条氏に組み込まれていくことになります。<br /><br /><br />境内に掲示されている当該寺院の沿革には次の記載があります。<br /><br />「昌福寺 (真言宗・豊山派)<br /><br />正式には清龍山薬王院昌福寺と称し、その創建は天長五年(829)と伝えられています。<br /><br />創建当時は、茨城県猿島郡水海村(現古河市)にありましたが、長禄元年(1457)頃に簗田氏が関宿城に入城した時、関宿に移築されたと言われています。<br /><br />中世の動乱の時期を過ぎて、江戸時代に入ると、寺領として十五石・末寺十七ケ寺を有する名刹として繁栄し、また明治に入ると本堂などが旧関宿町の町役場として利用されておりました。惜しむらくは、明治26年に火災にあったため、創建当時の姿とはちがっており、また寺宝等の多くのものが焼失してしまいましたが、現在もなお名宝を遺しています。<br /><br />弘法大師が巡礼の折り使用したと伝えられる「松虫の鈴」(鎌倉時代)や「八十八ケ所大師札所絵図」(江戸時代)・「銀泥観音経」(江戸時代)などがあります。<br /><br />境内にある不動堂は、もともと江戸町の不動院にあったものですが、不動院が廃寺になったことで(昭和30年に)昌福寺に移されたものです。不動堂の製作年代はよく分かっておりません。お堂の周囲の彫刻は素晴らしいもので、他にはあまり類を見ません。関宿城主の祈祷所として使用されたと伝えられています。<br /><br />尚、昌福寺の住職の名は下河邉であり、下河邉の荘の司・下河邉行平の流れをくむ子孫と考えられています。<br /><br />                  野田市教育委員会」<br /><br /><br />2023年1月19日追記<br /><br />当該寺のホームページには下記の通り紹介されています。<br /><br />『 昌福寺のご案内<br /><br />昌福寺は、清龍山薬王院昌福寺と称し、真言宗豊山派に属するお寺で、本尊は大日如来です。<br /><br />寺伝によれば、天長5年(828)僧空海が水海村(現・総和町)に創建し、長禄年間(1457~1459)に関宿城主簗田持助によって現在地にうつされたと伝えられています。<br /><br />元、境内地は1,016坪、御朱印15石末寺で17ケ寺を有する大寺院でした。<br /><br />明治時代には、台町小学校として、また関宿町役場(当初江戸町・不動院)として使われていましたが、明治26年7月の火災により大伽藍も灰じんに帰してしまいました。<br /><br />その後、無住の時代が長く続きましたが、昭和34年に江戸町の不動院との合併により不動堂、石造物なども移築され現況のようになりました。<br /><br />現在は檀家寺として、真言宗の教えを伝え、仏様のご供養、地域のみなさまのご祈祷・ご祈願の場所として親しまれております。 』

下総野田関宿 鎌倉御家人下河辺氏本貫地であった関宿へ移転した古河公方宿老簗田氏に従い移築し江戸期には歴代関宿藩主祈願所となった『昌福寺』散歩

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2015/10/18 - 2015/10/18

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8

滝山氏照

滝山氏照さん

清龍山・昌福寺(しょうふくじ、千葉県野田市関宿台町)は天長5年(829)、茨城県猿島郡水海村に創建された古刹ですが古河に拠点を定めた公方足利成氏を支えるため国人領主簗田氏の移転に従って当地に移築されたものです。

沿革説明板によれば当寺の住職は「下河邉」姓である事から、平安時代から鎌倉時代初期にかけて下総国葛飾郡下河辺荘と呼ばれていた界隈を開発した地域豪族である下河辺氏の子孫と考えられているそうです。

下河辺氏と言えば下野国の有力武士小山氏を遠祖とし、伊豆国蛭ヶ島配流の源頼朝が挙兵以来の御家人である下河辺行平(しもこうべ・ゆきひら、生誕死没不詳)は武芸に優れ特に弓の名人であったことから頼朝より嫡男頼家の弓の師匠に任命されるほどの信頼を得て、一時は源氏一門に準ずる待遇を受けこれを背景に有力御家人として幕府の位置をしめることになります。

然しながら頼朝没後はその後ろ盾を失い次第に存在感を失っていくなかで、行平の子孫たちは持ち前の弓馬に優れている武士ということで流鏑馬などの行事ではかろうじて面目を保つのが精いっぱいであり、やがて執権北条氏の勢力伸長により自らの所領を奪われやがて北条氏に組み込まれていくことになります。


境内に掲示されている当該寺院の沿革には次の記載があります。

「昌福寺 (真言宗・豊山派)

正式には清龍山薬王院昌福寺と称し、その創建は天長五年(829)と伝えられています。

創建当時は、茨城県猿島郡水海村(現古河市)にありましたが、長禄元年(1457)頃に簗田氏が関宿城に入城した時、関宿に移築されたと言われています。

中世の動乱の時期を過ぎて、江戸時代に入ると、寺領として十五石・末寺十七ケ寺を有する名刹として繁栄し、また明治に入ると本堂などが旧関宿町の町役場として利用されておりました。惜しむらくは、明治26年に火災にあったため、創建当時の姿とはちがっており、また寺宝等の多くのものが焼失してしまいましたが、現在もなお名宝を遺しています。

弘法大師が巡礼の折り使用したと伝えられる「松虫の鈴」(鎌倉時代)や「八十八ケ所大師札所絵図」(江戸時代)・「銀泥観音経」(江戸時代)などがあります。

境内にある不動堂は、もともと江戸町の不動院にあったものですが、不動院が廃寺になったことで(昭和30年に)昌福寺に移されたものです。不動堂の製作年代はよく分かっておりません。お堂の周囲の彫刻は素晴らしいもので、他にはあまり類を見ません。関宿城主の祈祷所として使用されたと伝えられています。

尚、昌福寺の住職の名は下河邉であり、下河邉の荘の司・下河邉行平の流れをくむ子孫と考えられています。

                  野田市教育委員会」


2023年1月19日追記

当該寺のホームページには下記の通り紹介されています。

『 昌福寺のご案内

昌福寺は、清龍山薬王院昌福寺と称し、真言宗豊山派に属するお寺で、本尊は大日如来です。

寺伝によれば、天長5年(828)僧空海が水海村(現・総和町)に創建し、長禄年間(1457~1459)に関宿城主簗田持助によって現在地にうつされたと伝えられています。

元、境内地は1,016坪、御朱印15石末寺で17ケ寺を有する大寺院でした。

明治時代には、台町小学校として、また関宿町役場(当初江戸町・不動院)として使われていましたが、明治26年7月の火災により大伽藍も灰じんに帰してしまいました。

その後、無住の時代が長く続きましたが、昭和34年に江戸町の不動院との合併により不動堂、石造物なども移築され現況のようになりました。

現在は檀家寺として、真言宗の教えを伝え、仏様のご供養、地域のみなさまのご祈祷・ご祈願の場所として親しまれております。 』

旅行の満足度
3.5
交通手段
高速・路線バス JRローカル 私鉄 徒歩

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  • 昌福寺・寺門

    昌福寺・寺門

  • 昌福寺・山門

    昌福寺・山門

  • 昌福寺・本堂<br /><br />正式には清龍山昌福寺と称する真言宗豊山派の寺院です。

    昌福寺・本堂

    正式には清龍山昌福寺と称する真言宗豊山派の寺院です。

  • 昌福寺・境内<br /><br />本堂から山門を眺めます。

    昌福寺・境内

    本堂から山門を眺めます。

  • 昌福寺・説明板

    昌福寺・説明板

  • 歴代住職墓

    歴代住職墓

  • 昌福寺・不動堂<br /><br />もともと江戸町の不動院にありましたが廃寺となったため当該寺院に移築されてとのことです。

    昌福寺・不動堂

    もともと江戸町の不動院にありましたが廃寺となったため当該寺院に移築されてとのことです。

  • 弘法大師立像

    弘法大師立像

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