2015/10/18 - 2015/10/18
73位(同エリア209件中)
滝山氏照さん
東は茨城県西は埼玉県に接する利根川と江戸川に挟まれた東葛地方最北端に在る関宿城(せきやどじょう、千葉県野田市関宿三軒家)は古河公方足利成氏(あしかが・しげうじ)の宿老である簗田満助(やなだ・みつすけ)が築城したと言われ、周辺の豪族とともに古河公方を支える勢力の拠点として役割を果たしてきました。
一方相模から武蔵に領国を拡大した小田原北条氏は関宿城を常陸・下野攻略の足掛かりには欠かせない戦略的基地と認識のもと、永禄8年(1565)から天正2年(1574)にかけて3度に亘り攻撃をかけ、3度目の戦いで簗田氏は降伏し関宿城を明け渡し自らは支城の水海城に退き小田原北条氏に臣従、関宿城は遂に小田原北条氏の支配するところとなり、同時に家臣らを失った古河公方足利氏は小田原北条氏に取り込まれ象徴的存在に成り下がります。
天正18年(1590)豊臣秀吉との小田原合戦で北条氏は没落、替わりに関東移封となった徳川家康はこの地に異父弟である松平(久松)元康(まつだいら・もとやす)を入城させて関宿藩を新設、以降譜代大名が入封を繰り返し宝永2年(1705)に久世氏が入城して明治維新を迎えるまで8代続くことになります。
関宿城跡に立てられた説明板には次の通り記載されています。
「 関 宿 城 の 歴 史
関宿城の歴史はおよそ長禄元年(1457年)簗田満助(やなだ・みつすけ)の手によって、茨城県総和町水海より現在の地に築城されたのが始まりと云われている。当時は城といっても平屋の建物が配置されているだけであったようです。
簗田氏の支配は満助から持助まで六代続いていたが、やがて関宿も戦国の動乱に巻込まれ、北条氏との激しい戦いののちに、ついに北条氏の手に落ちてしまう。その後すぐ豊臣・徳川連合軍の関東攻めにあい、北条が守る関宿城は連合軍の手に落ち、天正18年(1590年)徳川家康関東入封の折り、家康の実弟である松平康元が関宿城に2万石にて入城する。以後城主は、松平、小笠原、北条、牧野、板倉、久世、牧野、久世と城主が交代したが宝永2年(1705年)久世重之以後明治に至るまで関宿は代々久世氏の治める領地となった。
明治2年(1869年)版籍奉還後、関宿城の所管は明治政府の手に移り、同5年にはその所管が政府から陸軍省へ移され廃城と決定され、同8年また城の所管が陸軍省から再び政府に移動したのをきっかけに、親藩・譜代七家23人の大名を輩出した関宿城は同年末までに全て破却されるに至った。
現在城跡として残っているのは全体の一部で、約3分の2は、明治以降何回となく繰り返されてきた河川改修により、堤防の下に埋もれてしまっているが、当時の城の大きさは本丸、二の丸、三の丸部分だけでも約6000坪あったといわれている。
野田市教育委員会 」
- 旅行の満足度
- 4.5
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 私鉄
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関宿城博物館遠景
東武動物公園から朝日バス境営業所行所要時間約30分、最寄りバス停新町付近から関宿城博物館を捉えます。江戸時代の関宿城を模した模擬三階櫓が迎えてくれます。 -
模擬関宿城
新町バス停から徒歩約15分で博物館を兼ねた関宿城に到着します。辺りはグループで到着したサイクリング愛好者たちが休憩しています。 -
新町方向
高台にある関宿城博物館から今まで歩いて来た新町バス停からの道路方向を一望します。 -
関宿城周辺地図
利根川と江戸川に挟まれた南北に長い関宿周辺を記した地図があり、関宿城跡のほか関連する社寺が幾つか紹介されています。 -
周辺案内図
本来の関宿城跡は模擬関宿城から南に下ったサイクリングロードとなっている江戸川堤防沿いに在ると紹介されています。その他鈴木貫太郎(海軍大将・後に内閣総理大臣就任)記念館、実相寺や雪国寺の案内があります。 -
「関宿城下を歩こう総合高札案内板」
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関宿城縄張
江戸時代後期における関宿城縄張の紹介があります。城郭は西側に逆川・江戸川に囲まれ、物流・交通の要地として地理的に重要な位置を占めており、北進を続けて常陸・下野に領国を拡大したい小田原北条氏としては是非とも掌握したい城であったのは当然でした。 -
関宿城博物館案内板
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関宿城入場門
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関宿城入口
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関宿城模擬三階櫓展望
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関宿城模擬三階櫓展望
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関宿城模擬三階櫓展望
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中の島公園入口
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江戸川堤防
幾度となく改修された江戸川堤防は現在ではサイクリングロードとして愛用されています。 -
浚渫船展示
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「川底を浚う(浚渫)」説明板
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江戸川堤防・サイクリングロード
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イチオシ
模擬関宿城博物館
江戸川堤防から博物館を兼ねた模擬関宿城を一望します。 -
イチオシ
関宿城跡
江戸川堤防から木立で囲まれた関宿城跡を捉えます。 -
関宿城跡
ほとんどの城域が河川改修により川と堤防の下に埋没し、今では当本丸曲輪が唯一の遺跡として残っています。 -
イチオシ
関宿城跡
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関宿城趾石碑
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「関宿城の歴史」説明板
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関宿城跡
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関宿城跡
城跡の東側は現在では水田地帯ですが当時は沼地だったと思われます。 -
「関宿城の曲輪」説明板
関宿城跡の周辺にはいくつか説明板が立ち、その中で江戸時代後期における関宿城の縄張が掲載されています。絵図によれば当時は利根川は江戸湾に流れていたことがわかります。 -
「武家屋敷の区割りと教倫館」説明板
武家屋敷の配置としては外堀の内外に90余名の家臣が居住しており、城郭周辺には城代や家老などの要職舎が居住、大手門付近には高職家臣が配置されていました。また久世氏が藩主の頃の文政6年(1823)人材育成のために教倫館と称する藩校が設立されています。
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