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宗英寺(そうえいじ、千葉県野田市関宿台町)は天正18年(1590)小田原北条氏没落後江戸に入城した徳川家康により2万石をもって関宿藩主に封じられた異父弟松平康元(まつだいら・やすもと、1552~1603)が慶長元年(1596)に創建した漕洞宗の寺院です。<br /><br />山門入って左手に立っている宗英寺と題する説明板には次のような記載があります。<br /><br />「宗英寺<br /><br />当山は観照山花林院宗英寺と称し慶長元年(1596)創建の禅宗のお寺です。山門の柱の葉彫は貴重なもので、創建当時のままです。境内は、足利晴氏の墓・船橋随庵の墓・松平康元の墓や御位牌等も残されています。<br /><br />足利晴氏(中世古河公方)<br />永正5年(1508)宇都宮で生まれ、元服の時12代将軍の「晴」を賜り晴氏と名のります。<br /><br />戦国時代末期の公方であったがために、家督争いや関東制覇をもくろむ北条氏との戦いに明け暮れる毎日でしたが、直接の家臣団を多く持っていないため、戦に敗れることが多く、天文14年(1545)家督を子の義氏に譲りその後関宿に隠居し、永禄3年(1560)5月27日享年52才で死去します。<br /><br />舟橋随庵(関宿藩士・経済・土木学者)<br />寛政7年(1795)関宿に生まれる。本名は船橋穀信と称し、隠居後随庵と名のります。<br />壮年の時より藩の用人となり、嘉永元年(1848)中老となります。同年今でも随庵堀と呼ばれる堀(水路)の大治水工事(関宿?野田間)を始め、数年の歳月をかけて完成させます。この治水工事により水害がほとんどなくなり作物の収穫も飛躍的に上がったそうです。明治5年4月15日享年78才で死去します。<br /><br />松平康元(初代関宿藩主)<br />天文21年(1552)尾張国で久松勝俊の長男として生まれる。康元の母はお大の方(伝通院)徳川家康の母でもあり、家康・康元は異父兄弟ということになります。<br /><br />若い頃は兄家康とともに戦いに明け暮れる毎日でしたが、天正18年(1590)徳川家の江戸入城の時2万石にて関宿城を賜り13年間城主を務め慶長8年(1603)享年52才で死去します。 野田市教育委員会」<br /><br />

下総野田関宿 江戸入城の異父兄家康より2万石で要衝の地である関宿を与えられた松平康元が創建の『宗英寺』散歩

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2015/10/18 - 2015/10/18

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滝山氏照

滝山氏照さん

宗英寺(そうえいじ、千葉県野田市関宿台町)は天正18年(1590)小田原北条氏没落後江戸に入城した徳川家康により2万石をもって関宿藩主に封じられた異父弟松平康元(まつだいら・やすもと、1552~1603)が慶長元年(1596)に創建した漕洞宗の寺院です。

山門入って左手に立っている宗英寺と題する説明板には次のような記載があります。

「宗英寺

当山は観照山花林院宗英寺と称し慶長元年(1596)創建の禅宗のお寺です。山門の柱の葉彫は貴重なもので、創建当時のままです。境内は、足利晴氏の墓・船橋随庵の墓・松平康元の墓や御位牌等も残されています。

足利晴氏(中世古河公方)
永正5年(1508)宇都宮で生まれ、元服の時12代将軍の「晴」を賜り晴氏と名のります。

戦国時代末期の公方であったがために、家督争いや関東制覇をもくろむ北条氏との戦いに明け暮れる毎日でしたが、直接の家臣団を多く持っていないため、戦に敗れることが多く、天文14年(1545)家督を子の義氏に譲りその後関宿に隠居し、永禄3年(1560)5月27日享年52才で死去します。

舟橋随庵(関宿藩士・経済・土木学者)
寛政7年(1795)関宿に生まれる。本名は船橋穀信と称し、隠居後随庵と名のります。
壮年の時より藩の用人となり、嘉永元年(1848)中老となります。同年今でも随庵堀と呼ばれる堀(水路)の大治水工事(関宿?野田間)を始め、数年の歳月をかけて完成させます。この治水工事により水害がほとんどなくなり作物の収穫も飛躍的に上がったそうです。明治5年4月15日享年78才で死去します。

松平康元(初代関宿藩主)
天文21年(1552)尾張国で久松勝俊の長男として生まれる。康元の母はお大の方(伝通院)徳川家康の母でもあり、家康・康元は異父兄弟ということになります。

若い頃は兄家康とともに戦いに明け暮れる毎日でしたが、天正18年(1590)徳川家の江戸入城の時2万石にて関宿城を賜り13年間城主を務め慶長8年(1603)享年52才で死去します。 野田市教育委員会」

旅行の満足度
3.5
交通手段
高速・路線バス JRローカル 私鉄

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  • 宗英寺・寺門<br /><br />県道17号線から分かれ関宿台町交差点に向かう途中に宗英寺の石門が現れます。

    宗英寺・寺門

    県道17号線から分かれ関宿台町交差点に向かう途中に宗英寺の石門が現れます。

  • 宗英寺・山門<br /><br />石門から長い参道を歩きますと大きな瓦屋根を乗せた山門が控えています。

    宗英寺・山門

    石門から長い参道を歩きますと大きな瓦屋根を乗せた山門が控えています。

  • 宗英寺・説明板<br /><br />山門を潜ると右側には第4代古河公方足利晴氏・治水工事で活躍した船橋随庵・当寺開基の松平康元について説明板が立っています。

    宗英寺・説明板

    山門を潜ると右側には第4代古河公方足利晴氏・治水工事で活躍した船橋随庵・当寺開基の松平康元について説明板が立っています。

  • 足利晴氏・五輪塔<br /><br />鎌倉から古河に拠点を移した足利成氏(あしかが・しげうじ)以降は古河公方と称されますが、新興勢力の小田原北条氏に抗すること叶わず不運な生涯を終えた第4代の晴氏の五輪塔が寂しく佇んでいます。(墓の所在は当寺の家人より教示を受けました)

    イチオシ

    足利晴氏・五輪塔

    鎌倉から古河に拠点を移した足利成氏(あしかが・しげうじ)以降は古河公方と称されますが、新興勢力の小田原北条氏に抗すること叶わず不運な生涯を終えた第4代の晴氏の五輪塔が寂しく佇んでいます。(墓の所在は当寺の家人より教示を受けました)

  • 足利晴氏五輪塔一部<br /><br />五輪塔正面石材は年月を経ている為刻まれた文字はすり減って全く判読できません。

    足利晴氏五輪塔一部

    五輪塔正面石材は年月を経ている為刻まれた文字はすり減って全く判読できません。

  • 宗英寺本堂<br /><br />山門と本堂の間には綺麗に刈られた巨木が左右に聳えています。

    宗英寺本堂

    山門と本堂の間には綺麗に刈られた巨木が左右に聳えています。

  • 宗英寺本堂<br /><br />正式には勧照山花林院宗英寺と称する漕洞宗の寺院で、慶長元年(1596)関宿城主である家康異父弟松平(久松)康元によって創建されています。

    宗英寺本堂

    正式には勧照山花林院宗英寺と称する漕洞宗の寺院で、慶長元年(1596)関宿城主である家康異父弟松平(久松)康元によって創建されています。

  • 宗英寺・境内<br /><br />本堂から山門方向を一望、丸く刈り取られた樹木が大きく立っています。

    宗英寺・境内

    本堂から山門方向を一望、丸く刈り取られた樹木が大きく立っています。

  • 宗英寺・山門内側<br /><br />境内から山門を捉えます。

    宗英寺・山門内側

    境内から山門を捉えます。

  • 宗英寺・鐘楼

    宗英寺・鐘楼

  • 松平元康・墓所<br /><br />墓地の中央部には石柱で囲まれた廟があり、徳川家康異父弟で初代関宿藩主に封ぜられた松平康元(まつだいら・やすもと)の墓所となっています。

    松平元康・墓所

    墓地の中央部には石柱で囲まれた廟があり、徳川家康異父弟で初代関宿藩主に封ぜられた松平康元(まつだいら・やすもと)の墓所となっています。

  • 松平康元・墓石<br /><br />墓石の表には康元の法号「大興院殿前因州太守傑傳宗英大居士」が刻され、寺号である「宗英寺」はこの法号から採られたことが判ります。<br /><br />

    松平康元・墓石

    墓石の表には康元の法号「大興院殿前因州太守傑傳宗英大居士」が刻され、寺号である「宗英寺」はこの法号から採られたことが判ります。

  • 松平康元墓石<br /><br />墓石の裏面には「従四位中将 松平氏源康元墓 行年五拾二歳」と刻されています。

    松平康元墓石

    墓石の裏面には「従四位中将 松平氏源康元墓 行年五拾二歳」と刻されています。

  • 松平康元墓石標

    松平康元墓石標

  • 松平康元墓所

    松平康元墓所

  • 宗英寺歴代住職墓

    宗英寺歴代住職墓

  • 大悲院大龍寺<br /><br />宗英寺を離れ隣接する大龍寺を訪れます。猿島坂東第二札所でもあります。

    大悲院大龍寺

    宗英寺を離れ隣接する大龍寺を訪れます。猿島坂東第二札所でもあります。

  • 大龍寺石門

    大龍寺石門

  • 大龍寺・寺門(近景)<br /><br />「亀見山大悲院大龍寺」と刻された真新しい石門が見えます。

    大龍寺・寺門(近景)

    「亀見山大悲院大龍寺」と刻された真新しい石門が見えます。

  • 大龍寺・山門<br /><br />味気ない鉄筋造りの山門上部には「亀見山」と書かれた山額が掲載されています。

    大龍寺・山門

    味気ない鉄筋造りの山門上部には「亀見山」と書かれた山額が掲載されています。

  • 大龍寺・本堂<br /><br />正式には「亀見山大龍寺」と称する浄土宗の寺院です。

    大龍寺・本堂

    正式には「亀見山大龍寺」と称する浄土宗の寺院です。

  • 子育て延命地蔵尊

    子育て延命地蔵尊

  • 大龍寺・鐘楼堂<br /><br />鉄筋コンクリート製の鐘楼堂では見学の気分が削がれてしまいます。

    大龍寺・鐘楼堂

    鉄筋コンクリート製の鐘楼堂では見学の気分が削がれてしまいます。

  • 大龍寺・本堂落慶記念石碑

    大龍寺・本堂落慶記念石碑

  • 歴代諸上人墓

    歴代諸上人墓

  • 大龍寺・境景<br /><br />鉄筋コンクリートの山門は珍しい風景です。

    大龍寺・境景

    鉄筋コンクリートの山門は珍しい風景です。

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