2015/09/30 - 2015/09/30
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ドクターキムルさん
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大磯町にある地福寺は詩人、小説家の島崎藤村(明治5年(1872年)〜昭和18年(1943年))の墓があることで知られている。実際には傍らに島崎藤村の妻・静子夫人(明治29年(1896年)〜昭和48年(1973年))の墓もあり、夫婦(めおと)墓となっている。しかし、墓域は藤村の墓の方が広く、それでいて藤村の墓石と静子夫人の墓石は同じ大きさだ。盛岡で原敬首相夫妻の墓(http://4travel.jp/travelogue/10398633)を参拝したことがあるので、同じ大きさの墓域ではないことを不思議に思い、寺の寺務所で尋ねてみた。お祖母さんが出て来て対応してくれた。
藤村は戦時中の昭和18年に大磯にあった藤村邸で亡くなり、クリスチャンであったが、寺への埋葬を望んでおり、気に入っていたここ地福寺に埋葬されたのだという。地福寺の境内には墓は営まないことが決まりであったが、藤村は境内に埋葬されたのだという。しかし、現実には山門を入ると大磯宿本陣の小島家の墓が並んでいるから、一般の人(小島家以外の檀家)は境内には埋葬されず、寺の墓地に埋葬されたということだろう。戦後になっても太平洋戦争での戦死者の墓も境内には営まれなかった。
7年後に棺を掘り出すと昨日に埋葬したように真新しい白木の棺であったという。私が、「高野槙のお棺だったのでは?」と言うと、「明日の今日でそうした高野槙の棺が間に合うものでしょうか?」とお祖母さんが言う。「戦前は大磯は大金持ちや政治家の別荘が多くある特別な場所だったのですから、町に何軒もない葬儀屋でも高野槙のお棺ぐらいは取り揃えてあったはずですよ。」
30年後に静子未亡人の墓も地福寺境内の藤村の横に埋葬されたのだという。墓石も藤村の墓石に似せて設計されているという。しかし、墓域は設計時点で格段に縮小されたようだ。夫婦で同じ墓に埋葬されることが多くなった戦後になって、同じ大きさの墓石であるのに墓域がまるで異なる夫婦(めおと)墓はむしろ珍しいのではないだろうか?
(表紙写真は島崎藤村の墓)
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