2015/01/03 - 2015/01/04
33位(同エリア1037件中)
エンリケさん
年末年始のラオス旅行8日目後半。
今回の旅の実質最終日、午前中をヴィエンチャン郊外の“ブッダパーク”ことワット・シェンクワンにて、奇妙奇天烈な仏像群に驚かされ(笑わされ?)ながら過ごした後は、ヴィエンチャンに戻って最後の観光を楽しみます。
市内中心部のレストランでラオス料理に舌鼓を打った後、歴史を刻む国立博物館、“勝利の門”パトゥーサイ、そして、ラオスの象徴とも言える黄金の仏塔タート・ルアンを訪れ、大好きになったラオスの街を心ゆくまで観賞。
夕暮れ時はたくさんの市民が集まるメコン河畔にて、その平和でゆったりとした雰囲気に癒されますが、ついに帰国の時が・・・。
ひょんなことから訪問した東南アジアの田舎の国ラオス・・・マチュピチュやタージマハル、サグラダファミリアのような卓越した建造物や、ウユニ塩湖やイグアスの滝、モニュメントバレーのような類稀なる自然の大絶景があるわけではありませんが、昔の日本を感じさせるようなノスタルジーあふれる景色や街の雰囲気、穏やかな人々、そして美味しい料理の数々に、これまで訪れたどの国よりも“居心地の良さ”を感じた旅となりました。
<旅程表>
2014年〜2015年
12月27日(土) 成田→バンコク
12月28日(日) バンコク→ルアンパバン
12月29日(月) ルアンパバン
12月30日(火) ルアンパバン→パクセ→チャムパーサック(ワット・プー)→パクセ
12月31日(水) パクセ→シーパンドン(デット島&コーン島)
1月 1日(木) シーパンドン(デット島)→パクセ
1月 2日(金) パクセ→ヴィエンチャン
○ 1月 3日(土) ヴィエンチャン→バンコク
○ 1月 4日(日) バンコク→成田
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- タイ国際航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
1月3日(土)
11時50分、ヴィエンチャン郊外のブッダパークから路線バスでヴィエンチャンの中心部に戻ってきました。
行きは50分程度でしたが、帰りはラオス・タイ国境の友好橋入口でしばらく停車したため、1時間ちょっとかかって無事到着。
ヴィエンチャンの街なかは、土曜の昼間だと言うのに歩いている人が少ないです。
夕方のメコン川沿いはあんなに人でいっぱいになるのに・・・昼間は暑いから車やバイクで移動して、歩く習慣がないのでしょうかねえ。 -
12時15分、最終日はもう一度美味いラープを食べようと、“地球の歩き方”を頼りに、タートダム(黒塔)の脇の袋小路の道を入ったところにあるラオス料理(LAO FOOD)の店、スックヴィマーン(SOUKVEMARN)へ。
入口の看板が木の陰になっていて分かりづらく、危うく見逃してしまうところでした。 -
早速中に入ってみると、小さく見える外観に比べ、意外に内部は奥行きがあって広々。
ただ、昼時なのに客が誰もおらず、また“地球の歩き方”につぶれた店を紹介されたかと思っていたら、奥から女性の店員が顔を出し、笑顔でメニューを持ってきてくれました。
ただ、この後も客は外国人の男性が一人入ってきただけで、そのうちつぶれてしまうんじゃないかと不安に・・・。 -
さて、気を取り直して注文を。
外国人向けに英語で解説がされているラオス料理のメニューは、緑のものが多くて何だか健康的(笑)。 -
最初に注文したはもちろんビール。
しかも、ラオスに来て初めて見つけたビアラオのゴールド(13,000kip=約200円)。
さすがに普通のビアラオよりもコクがあって一味違う感じで美味しかったです。 -
そしてお目当てのチキンのラープが出てきました(35,000kip、別にもち米(Sticky Rice)7,000kipをつけて合計42,000kip=約640円)。
見ているだけでよだれが出てくる感じですが、食べてみるとこれがピリ辛で美味いのなんの。
もち米との相性も抜群で、食がどんどん進みます。
やはりラープは美味い!
ビアラオのゴールドの味も手伝って、これまでラオスで食べてきた中でいちばん美味しいラープでした。
ラオス料理の店スックヴィマーン、ヴィエンチャンの経済発展に伴い伝統的な味を好む客が減ってきているのかもしれませんが、このハーブの効いた独特のピリ辛の味、いつかラオスを再訪するときにも存続していてほしいものですね。 -
昼食後は観光を再開。
まずは13時15分、スックヴィマーンのすぐ近くにある国立博物館へ。
入口付近には緑の庭園が配置されていますが、この時期は乾季で節水のためなのか、噴水が出ていなくてちょっと寂しい感じ。 -
博物館の建物の入口には、ラオスの国旗と共産主義のシンボル、農民と労働者の団結を表す“鎌と槌”をあしらった赤旗が掲げられています。
そしてその中央には、ラオスの象徴たる仏塔タート・ルアンを稲穂で囲んだラオスの国章が。
この国章は“鎌と槌”の赤旗と同じく、かつてのソ連の国章を模したもので、現在ラオスは経済開放が進んでASEANの一員になっているとはいえ、いまだに社会主義国家なんだということを認識させられますね。 -
入場料(10,000kip=約150円、撮影料は別に10,000kip)を払って早速見学開始。
展示方法は時代順で、最初はポツンと恐竜の化石があったりします。
見学者はやはり外国人が多いですが、時折オレンジ色の袈裟を着た僧侶も見かけます。 -
こちらは古代遺跡のコーナーにある、ラオス北部のシェンクワン県で発見された石壺(Jar)。
上部には穴が開いており、明らかに人の手によるものですが、誰がいつ何のために造ったかは、様々な説があっていまだ特定されていないそうです。 -
シェンクワン県には上記のような石壺がごろごろ転がっているエリアがあり、その辺り一帯はジャール平原(Plain of Jar)と呼ばれています。
この石壺の中に遺骨を葬ったという石棺説が有力なようですが、こんなにもたくさんの石壺をどこからどうやって調達したのか、いまだ謎は尽きません。
まさに古代史のミステリーですね。 -
こちらは北部山岳地帯でミャンマーとの国境に近いルアンナムター県で発見された“Hin tang”と呼ばれる巨石。
左の小さい方の石には楕円形の線や太陽のような図柄が刻まれており、山頂部にいわゆるストーンサークルの形状で配置されていたそうですが、造られた年代も目的も解明されていないとのこと。
ラオス古代史は民族の不連続性(現在国民の多数を占めているラオ族はもともと中国の発祥で、タイを経由してラオスの地に達するのは10世紀以降)もあって、分からないことだらけのようです。 -
次のクメール・仏教遺跡の部屋からはお馴染みのものが登場。
写真はいずれもラオスがクメール人のアンコール王朝の影響下にあった時代に造られたヒンドゥー教の神々の彫刻。
左は12世紀、砂岩で造られた世界の維持神ヴィシュヌの頭部。
アンコール・トムのバイヨン顔をしており、クメール美術の影響を受けていることが一目で分かります。
右は7世紀、やはり砂岩で造られた、シヴァ神の息子でゾウの顔を持つガネーシャの像。
シーパンドンのコーング島出土とのことです。 -
こちらは時代がかなり下って、ルアンパバン王国で1850年頃製作されたというチーク製の仏陀の座像。
バンコクのジャンクストアで売りに出されていたのを400ドルで買い取ったとのことで、大した修復もされずに展示されていますが、もともとは金箔が貼られていたとか。 -
こちらはお馴染みのリンガ(右)とヨニ(左)。
男女の性器をかたどったエネルギーの象徴ですね。
やはり砂岩製で、リンガは11世紀、ヨニは9〜14世紀に造られたものとのこと。 -
2階に上がるとまずは少数民族の写真や民具の展示。
こちらは白モン族の女性たち。
ラオス国民の多数を占めるラオ族が主に平地に居住していることから“低地ラオス人”と分類されるのに対して、モン族は主に山間部に居住していることから“高地ラオス人”と分類されるのだそうです。 -
こちらは臼を挽くルアンナムター県のカム族の女性。
言語系統はカンボジアと同じクメール語系で、山がちな北部のルアンパバン県などではラオ族よりも多数派の民族となっています
そう言われてみるとこの女性、アンコール・トムのバイヨン顔に見えるかも。 -
続いてはいよいよラオ族の時代。
部屋を入ったところに展示されているのは、“百万頭の象の国”という意味のラオ族によるラオス初の統一王朝、“ラーンサーン王国”の創始者ファーグム王(King Fa Ngum)の像。
このラオス人にとっての偉大な王については日本語での文献がほとんどありませんが、博物館の解説によると、ラオ族の有力家系に生まれたファーグムは、当時ラオスを支配していたアンコール王朝(カンボジア)のアンコール・トムに留学。
そこでアンコール王朝の王女と結婚した彼は、アユタヤ朝の建国など、当時勢力を伸ばしていたタイ族に対抗するためと称して兵を借ります。
そして1353年、アンコール王朝の北部に兵を進めたファーグムは、ルアンパバンの地で自立、ラーンサーン王国を打ち立てることとなりました。 -
そしてこちらがファーグム王時代のラーンサーン王国の領域(黄色の部分)。
ファーグムはメコン川の南にも転戦したとのことで、現在のタイ領も制圧していますね。 -
こちらはかなり時代が下って、19世紀後半、中国(清)の雲南から侵攻してきたホー族に破壊され、中にあった宝物を持ち去られた後のタートルアンの写真。
ラオスの象徴だけに、よほどショッキングな出来事だったのでしょう・・・。 -
次の部屋からは、ラオスの近現代史が始まります。
中央に見える白い胸像はホーチミンでしょうか。
社会主義国同士、ベトナムとの結びつきの強さをうかがわせますね。 -
こちらはフランス植民地(保護国)時代(1893-1949年)の展示。
大きな絵画は、“ムチ打つフランス人”というまさに絵に描いたような植民地時代の構図です。 -
その次はフランスからの独立後の内戦時代(1953-75年)の展示。
ここからは写真、しかも社会主義国らしくプロパガンダの類のものが圧倒的に多くなっていきます。 -
こちらの胸像はパクセのチャムパーサック県歴史博物館にもあった、ラオスの紙幣にもその肖像画が描かれている現ラオス人民民主共和国(1975年〜)の初代首相、カイソン・ポムヴィハン(Kaysone Phomvihane、1920-92年)の胸像。
社会主義国の元祖のソ連や中国、北朝鮮、ベトナムに比べると、自国に社会主義を打ち立てた初めての指導者だというのに、その神格化の度合いはかなりささやかですね。 -
かなりの社会主義っぽさを感じさせる兵士の像の周りには、ラオス内戦におけるパテート・ラオ(共産主義勢力の戦闘組織)の活躍を記した、たくさんのプロパガンダ写真が。
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屯田兵の役割も果たしていたのでしょうか、笑顔で農作物を収穫している兵士の写真もありますね。
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内戦時に使われていた武器の展示も。
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笑顔の子どもたちを戦車に乗せ、ラオス南部の交通の要衝の地、サワンナケートへと進軍するパテート・ラオ。
ラオス人民の多大な支持を得ていることをアピールしたプロパガンダ写真ですね。 -
こちらは共産主義勢力を支援するため、ヴィエンチャンに応援に駆け付ける女性兵士たちの乗る車両。
女性の活躍もところどころ大きく取り上げられています。 -
そしてこちらはラオス内戦に勝利した共産主義勢力の政治組織、ラオス人民革命党の重鎮たち。
右上にはカイソン・ポムヴィハンの写真も見えます。
・・・パテート・ラオの活躍により1970年代に入って軍事的に優勢となった彼らは、まず1974年に右派とも共同して連立政権を樹立。
1975年4月30日に南ベトナムのサイゴン(現ホーチミン)が陥落し、共産主義の北ベトナムの勝利が決定的になると、ラオス国内の共産主義勢力も勢いを強め、右派は政権から離脱。
こうして、同年12月、共産主義勢力は王政を廃止し、現在へとつながる社会主義のラオス人民民主共和国が成立することとなったのです。 -
・・・以上でラオスの歴史コーナーの展示は終わり、後は1階に降りてきて政府の広報コーナーの展示が最後まで続きます。
こちらは様々な分野で活躍する女性の組織を記した写真の数々。
社会主義国らしく、男女平等だという観点からの展示でしょうかね。 -
そしてこちらは、今もラオスの地中に数多く残っている不発弾と、命懸けでその除去を行っている人々を捉えた写真の数々。
この不発弾、ベトナム戦争時に密かにラオス内戦にも介入した米軍の落し物と言われています。
【海外投資の歩き方〜ラオス「歴史上、人口1人当たりの爆撃が最も“重い国”」(2012年12月18日)】
http://diamond.jp/articles/-/29534 -
掘り起こされた不発弾そのもの(当然処理済)の展示も。
この不発弾の処理には、落とした張本人の米国だけでなく、我が国も資金協力しているようですね。
【外務省HP〜ラオスの不発弾除去に関する日米協力の実施(2014年12月19日)】
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_001594.html
あのノスタルジーを感じさせるラオスの美しい国土に、まだまだ数えきれないほどの不発弾が眠っているなんて・・・。
この不発弾処理の活動がより多くの国々に広まって、一日も早くラオスの国土から完全処理されることを願うのみです。 -
政府広報コーナーの最後は、ASEAN加盟国の展示。
政治体制が異なるとはいえ、ラオスにはこれからも平和と国際協調の道に進んで行ってもらいたいですね。
・・・さて、時計を見ると15時。
国立博物館は興味深い展示ばかりで、たっぷり2時間近くも過ごしてしまいました。 -
次はラオスの象徴である黄金の仏塔、タート・ルアンを目指して、ラーンサーン通りを北東に進んで行きます。
“地球の歩き方”によるとタート・ルアンの開館時間は16時までとのこと。
閉館になる前に到着すべく、いそいそと歩いて15時15分、中間地点である前日も訪れた勝利の門、パトゥーサイへとやってきました。パトゥーサイ 建造物
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ここでちょっと寄り道してパトゥーサイの上へ。
パトゥーサイの4つの足のうち2つは内部に階段が設置されていて、昇り降りできるようになっています。
途中にあった土産物屋を通り抜けて屋上に出てみると、ラーンサーン通りを見降ろすこんな景色が。 -
順光の反対側は噴水を眼下に臨むこんな景色。
欧州と違い、陰になっている部分にみんな集まっているのが熱帯の国らしいところです(笑)。
この季節はそんなに暑くないのですが、習慣なのでしょう。 -
さて、タート・ルアンの閉館時間まであと30分ほどなので先を急ぎます。
パトゥーサイの先の二股に分かれる道路を右側の方に歩いていくと・・・遥か向こうに金色に光り輝く巨大な塔が見えてきました。 -
パトゥーサイから先は意外に遠く、歩きに歩いて15時40分、ようやく黄金の仏塔の全容が見渡せる駐車場のようなところに。
それにしてもだだっ広いところだな・・・。
後で調べてみると、この広場、毎年11月に開催される、その名も“タート・ルアン祭り”の会場になるところらしく、多くの屋台やラオス全土から集まった僧侶などでたいへんな賑わいになるとか。
【タートルアン祭りが盛大に開催=1年で最大の行事(2014年11月8日GLOBAL NEWS ASIA)】
http://www.globalnewsasia.com/article.php?id=1177&&country=5&&p=2タート ルアン (ビエンチャン) 寺院・教会
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さらに歩いてタート・ルアンのすぐ近くまでやってきました。
まぶしくて直視し続けるのが難しいほどキラキラに光り輝いています。
さすがはラオス一の仏塔。 -
そしてこのタート・ルアンの手前には、玉座にどっしりと腰を下ろし、王者のポーズで前方を見つめるある人物の像が。
そう、16世紀半ばにシェントーン(ルアンパバン)からヴィエンチャンに遷都し、このタート・ルアンを建立したことで知られるラーンサーン王国の王、セーターティラート(在位:1548-71年)です。
うーん、メコン河畔のアヌウォン王像といい、ルアンパバンのシーサワンウォン王像といい、ラオスの社会主義勢力は王様好きですね。セーターティラート王像 モニュメント・記念碑
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セーターティラート王像の向かって左側には、こんな宮殿のような豪勢な建物が。
“ワット・タートルアン・ヌア”(Wat Thatluang Neua)と呼ばれる寺院で、ラオス仏教界最高位の僧侶が居住しているのだそうです。
これまで素朴なラオスの風景を見続けてきた目からはかなりの違和感がありますが、仏教界のトップともなると、これくらいの権威付けが必要なのでしょうね。 -
ワット・タートルアン・ヌアがちょっと気になったので、タート・ルアン本体よりも先に入ってみます。
すでに閉館時間近くなっていて見学しているのは2、3人しかいませんでしたが、内部も外観と同じく、天井が高くてこれまでに見たどの寺院よりも豪勢な感じ。 -
仏陀の生涯を描いた仏画も、ラオスの他の多くの寺院同様、天井の端に掲げられていました。
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ワット・タートルアン・ヌアを見学していたら15時50分。
閉館時間まであと10分しかない・・・。
急いでタート・ルアンの入口に戻ると、扉が閉められている状況。
もう閉められてしまったかと諦めかけていたら、扉が開いて中から出てくる観光客が。
この隙に入り込んだところ、扉の脇で控えていた係員が特に何も言わずに入場券(5,000kip=約80円)を切ってくれました・・・。 -
正面入口を入ってすぐのところには、黄金に輝く仏塔の手前に設けられた礼拝堂に上がって祈りを捧げる熱心な信者の姿が。
さすがにタート・ルアンは外国人観光客だけでなく、自国の信者の参拝も多い印象です。 -
一方、黄金の仏塔を取り囲む四方の壁の手前にある回廊には、こんなしっかりした仏像が一体あるだけで、ほかは造りかけの状態のような奇妙なかたちの石柱が。
こちらの方は、参拝客はほとんど見向きもしません。
ラオス仏教界で最高位の聖地のはずなのに、前日見たワット・シーサケートの回廊よりもみすぼらしい感じがするのはなぜなのでしょう・・・。
【ラオス紀行(11) ヴィエンチャンのワット・シーサケートの回廊】
http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=39636248 -
回廊の隅からタート・ルアンの全体像をパチリ。
傾いた日に照らされて黄金に燃え上がるようなその姿は、さすがにラオス一の仏塔というだけのことはあります。
日に照らされていないとちょっとちゃちく見えてしまうところもありますが・・・。 -
反対側の回廊には首がとれるなどして壊れた状態の仏像がズラリ。
うーむ、何かを象徴しているのでしょうか・・・。 -
そうこうしているうちに、閉館時間の16時に。
係員に促され、他の観光客たちと一緒にいそいそと出口に向かいます。
タート・ルアン、ラオス一の仏塔と言われていますが、これまで見てきたものと比べ、それほどの感動はなかったかも。
やはりラオスの人々の信仰への思いと外国人観光客の興味とでは、大きな隔たりがあるのでしょうね。 -
タート・ルアンの扉は、今度こそ完全に閉じられてしまいました。
これでヴィエンチャンで見たいと思っていたものは全部見たかな・・・。
なんだか心にぽっかり穴が開いてしまった気分。 -
しかし、せっかくここまで来たので、タート・ルアンの周りを見学してみることにします。
まずはタート・ルアンの左隣にある、ちょっぴりノッポな感じの礼拝堂へ。
建物本体もそうですが、左右に建ち並ぶ仏像の姿がかなりスマートです(笑)。 -
内部はこんな感じで静かできれいな空間。
・・・タート・ルアンは本体の仏塔そのものよりも、周りの建物が豪華できれいな印象ですね。 -
礼拝堂からタート・ルアンを挟んで反対側には、沙羅双樹の間で静かに横たわる黄金の涅槃仏が。
日本のように隙間から高層ビルも見えないし、静かで落ち着く景色です。 -
16時30分、セーターティラート像の前には閉館時間を過ぎてもなお地元の人々や観光客がたくさん集まってきていますが、ここらでタート・ルアンを後にすることにします。
-
帰りはトゥクトゥクを使おうかとも思いましたが、もうすぐラオスを去るのに街の景色をショートカットするのはなんだかもったいなく思えてきて、行きと同様に歩いて戻ることに。
今度は時間の制約もないのでのんびり歩き、汗をかき始めた頃17時近くなってパトゥーサイへ。
・・・日はかなり傾いてきています。 -
最後にもう一度、このヴィエンチャンの街並みを見たくなって、また昇ってしまいました(笑)。
もうすぐ旅も終りだな・・・。 -
ちなみにパトゥーサイの上から街並みを眺める観光客の姿はこんな感じ。
空いているところにいたのはもちろんわたし。
みんな等間隔に並んで、何だかシュールです(笑)。 -
17時10分、夕日でオレンジ色に染まったこのパトゥーサイも後にします。
旅行記を書いている今でも何だか切なくなりますね・・・。 -
ラーンサーン通りの小学校の手前にあるバス停にはこんな落書きが。
古今東西、小学生のやることは皆同じですね(笑)。 -
さらにラーンサーン通りを下っていくと、午前中も見た、ラオス最大級のショッピングセンター、タラート・サオが。
ヴィエンチャン一の大通りであるラーンサーン通りの周辺には、ラオスの経済成長とともに、タラート・サオのような現代的な建物が整備されつつあります。
ただ、道路にはまだバイクが多い感じ。
首都にしてはのんびりした雰囲気のヴィエンチャンも、ASEAN経済共同体の発足により、数年後にはより近代的な都市に変貌を遂げているのでしょうか。タラートサオ 市場
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17時30分、最後はやっぱり夕日を見に、メコン河畔へ。
思い返してみれば、今回の旅は初日のルアンパバンから最終日のこのヴィエンチャンまで、毎日大自然の中の夕日を観賞できた旅だったなあ・・・。チャオ アヌウォン公園 広場・公園
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歩行者天国になったメコン川沿いの道路から、メコン川の向こう、タイの地に落ちゆく夕日を眺めます。
・・・日本にいても当たり前のように沈んで行く夕日ですが、普段の仕事や生活に追われ、こんなにゆったりとした気分で夕日を見ることなんてほとんどないですよね。
こんな当たり前のことが当たり前にできるのが、ディープなアジア旅の魅力。
このラオス旅行記を書いている最中にふと訪れた図書館で、荒木左地男氏の“人生を変える「大人」のアジアひとり旅”(2014年11月双葉文庫)という本に出会い、夕日を見にメコン諸国に行くというくだりを読んで、まさに自分がこの旅行記で言いたかったことはこれだと、目からウロコが落ちる気分になりました・・・。 -
前日は日がすっかり落ちてから訪れたアヌウォン像(*)にも行ってみます。
相変わらず彼の足もとには献花をする人々が絶えません。
*1827年、当時ラオス三王国を属国化していたタイに反旗を翻そうとして捕らえられ、バンコクで非業の死を遂げたヴィエンチャン王国最後の国王。アヌウォン王像 モニュメント・記念碑
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ひざまずいてアヌウォン王に献花する3人の若い親子。
右手を振り上げバンコクの方向を指し示す亡国の王の像に、ヴィエンチャンの人々は何を想うのか・・・。 -
そして17時40分、メコン川の向こうにこの旅最後の夕日が沈んで行きます。
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ふと気付くと、昼間はどこにいたんだと思うくらいたくさんの人々が、メコン川沿いの歩行者天国になった道路を、あちらこちらへと散策。
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道路の下のチャオ・アヌウォン公園も、バドミントンやジョギング、ウォーキングを楽しむ人々でいっぱいです。
・・・本当に見ていて平和になる風景ですね。 -
こんな平和な風景をぼーっと眺めて穏やかな思いに浸り続けていたいところですが、時間にも限りが。
上流、下流そして中流と、ラオスにいる間中、様々な姿を楽しんだこのメコン川にも、そろそろ別れを告げることにします・・・。 -
ナイトマーケットの屋台が建ち並び、賑やかになったチャン・アヌウォン公園を通り抜けて・・・。
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ホテルで荷物をピックアップし、そのまま空港に向かおうとしましたが、まだ18時。
他の国だったら真っ直ぐに空港に向かうところ、なぜだか名残り惜しさが募ってきて、最後にホテル近くのカフェ(CoCo Cafe)で、ぎりぎりまでゆっくり過ごすことにしました。
やっぱり安くて美味しいラオスの味が忘れられないんだな・・・。
ということで、まずはこの旅でゴールドと並んで美味しかったビアラオのダークをいただきます(13,000kip=約200円)。 -
ルアンパバンで食べて美味しかったフー(Pho)も、もう一度食べたくなって注文(25,000kip=約380円)。
これこれ、この味よ!
デット島で食べたのがあまり美味くなかっただけに、一層美味しく感じますね(笑)。 -
最後に味わうラオス料理の美味しさに、つい調子に乗ってしまって、普段は頼まないマンゴーシェイクも注文(10,000kip=約150円)。
少しストローで飲んだ途端、“氷”が入っていることに気付きましたが、最終日だからいいやと、かまわず飲み干してしまいました(笑)。
・・・案の定、この後お腹がゆるくなりましたが、氷のせいではなく、単に水っぽいものを食べすぎたせいだった模様。
帰国してからはすっかり元の胃に戻りました。 -
ラオスでの最後の食事を心置きなく楽しみ、19時、バンコクへの便の出発まで3時間を切っていたので、近くで客待ちしていたトゥクトゥクを捕まえ空港へ。
ちなみに運賃は、交渉しても“値段下げるなんてお前バカじゃないの〜”みたいな態度で全然値下げに応じてくれなかったので、公定料金と思って50,000kip(約760円)の言い値で妥結。
空港から市内までのタクシーが57,000kip(約870円)だったので、まあこんなものかもしれません。 -
荷物とともにトゥクトゥクの荷台に乗り込み、遠ざかっていくヴィエンチャンの街なかの風景を見ていたらなんだか涙が・・・。
子どもの頃に乗ったトラックの荷台の思い出がよみがえってきたのか、それとも日本に帰ったらもうこんな風景は味わえないことへの喪失感か・・・。 -
郷愁を感じさせるトゥクトゥクの荷台の乗り心地を噛み締めていたら、15分ほどでワッタイ国際空港に到着。
何だかもうちょっと乗っていたかったなあ・・・。ワットタイ国際空港 (VTE) 空港
-
チェックインと余ったキープの両替を済ませた後は空港内をぶらぶら。
ちなみに、マイナーな通貨を両替し直す時、円よりも紙幣の単位が少ないドルに両替した方が無駄が少ないことに今回初めて気付きました・・・遅すぎ?
ラオスの空港は他国に比べて民芸品やDVDなどの価格が驚くほど安く、非常に良心的なのですが、いかんせん欲しいものがなくて・・・。
さて、2階を歩いていると、2010年に日本が贈与したという空港内太陽光発電システムの説明が。
目立たない場所とはいえ、日本からの援助をしっかりとこのようなかたちで表現してくれるのは、本当にありがたいことですね。
【国際協力機構(JICA)HP〜太陽光を活用したクリーンエネルギー導入計画】
http://www.jica.go.jp/oda/project/0962100/index.html -
出発時間の21時40分近くなったので、出国審査を済ませ、搭乗ゲート付近の椅子に座って搭乗が始まるのを待ちますが、いつまで経ってもゲートが開く気配がありません。
どうやら悪天候でバンコクからの到着便が遅れているようですが、ヴィエンチャン−バンコク便は乗客が少ないので、説明もおざなりな様子・・・。
そんな中待ち続けていたら、ゲート近くでどうやら急性の下痢をきたして係員に介抱されているアジア系の乗客の姿が。
その様子を見て、他のアジア系の乗客たちは自分の座っている席を離れずに見守っていたのに、欧米人の乗客たちは一斉に声を上げながら遠くの方に離れていったのが何とも印象的でした・・・。
欧米人の多くは、表面上はラオスなど異文化のアジア諸国を旅行するのが好きと言いつつも、心の底では異人種に対する厳然とした差別感情があるのかなと。
(現在のハンガリーでのシリア難民に対する暴行事件や食事の提供の仕方を見てもそう思わざるを得ませんね・・・。)
旅の最後に、ちょっぴり悲しくなった出来事でした・・・。
ちなみに写真は搭乗ゲート付近のテレビで放映されていた歌番組の映像。
ほかのテレビは外国のニュースやタイのムエタイなどを放映しているのに、これだけ乗客に注目されずに浮いている感があります(笑)。
独自路線でラオスのおおらかさを感じさせるこの歌手、パクセのタラート・ダオファンで見つけたDVDジャケットのおじさんの若い頃の姿でしょうかね(笑)。
【ラオス紀行(9) パクセのタラート・ダオファンのDVDショップ】
http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=39371966 -
そんなこんなで、結局搭乗が始まったのは22時を回ってから。
半分ほどの乗客を乗せたタイ国際航空TG575便は、定刻より40分遅れの22時20分、ヴィエンチャンのワッタイ国際航空を離陸。
バンコクまでは1時間ほどの空の旅です。
そんな短い飛行時間なので、安定飛行に入るとすぐに食事のサービスが。
先ほど美味しいラオス料理で締めてきたばかりなのに。
しかも冷たいシャーベットを飲んだおかげでお腹がゴロゴロ。
結局ほとんど食べられずに残してしまいました・・・。 -
バンコクに近づくに連れ、ラオスと違って夜も明るいタイの街が眼下に広がっていきます。
そして23時30分、無事にバンコクのスワンナプーム国際空港に到着。
行きと同じく、1泊2,400円ほどのトランジット客メインのホテル、“トンタリゾートスワンナプーム”(Thong Ta Resort Suvarnabhumi)に送迎をお願いしていたので、4番ゲートで待ち合わせてホテルまで送っていってもらい、この日は終了。
事前に連絡なくバンコク到着が遅れても問題なくピックアップしてくれる、廉価でたいへんいい宿でした。
しかし、たかだか数時間のホテルステイだけでパスポートに出入国のスタンプが押されるなんて、ページが残り少なくなってくると余白がもったいない気分になります・・・。 -
1月4日(日)
最後の帰国日です。
成田への便は8時出発。
前日にヴィエンチャン−バンコク便と一緒にチェックインの手続きは終了していたのですが、万が一を考え、余裕を持って5時30分に空港に着くようホテルに送ってもらいます。
出国審査を済ませ、搭乗ゲート近くで朝日を眺めながら悠々待っていると、なんと、フランクフルトからの機材の到着が遅れて、この日も出発が遅れるとか・・・。
連続で出発が大幅に遅れるなんて、自分の旅行の中ではなかなか珍しい経験です・・・。
結局、定刻の2時間遅れの10時になってようやく出発。
ラオス滞在中はほとんどトラブルらしいトラブルはなかったけれども、最後にきてちょっとしたドタバタがあった旅となりました。 -
バンコク、スワンナプーム国際空港を離陸したタイ国際航空TG676便は、成田を目指してインドシナ半島を斜めに横切っていきます。
11時、南ラオス上空に差しかかると、眼下には蛇行して流れるメコン川と、輝くような赤土の大地が。
実質7日間に及んだ今回のラオスの旅。
洗練された世界遺産の町ルアンパバン、ノスタルジーあふれる景色が広がる南ラオス、そして、過去の歴史を伝え将来に向かって発展を続ける首都ヴィエンチャン。
いずれも魅力的な地域ばかりでしたが、あえて言えば、旅行前の期待が低かっただけに、パクセやチャムパーサック、シーパンドンといった南ラオスの街や島々が、いちばん心に残ったスポットとなりました。
自分も社会人になって、がむしゃらに働き続けていたら、いつの間にか疲れてノスタルジーを求める年齢になってしまったのかな・・・。
いずれにしてもラオスは、ノスタルジーを感じさせる風土の素晴らしさ、人々の穏やかさ、食べ物の安さ、美味しさから、再訪したい国ベスト3のひとつとなりました(ほかは台湾、スペイン??)。
最後にパクセでも聴いたカーペンターズのこの曲を思い浮かべながら、今回の旅行記を終わりにしたいと思います。
・・・
Those were such happy times
And not so long ago
How I wondered where they'd gone
But they're back again
Just like a long lost friend
All the songs I loved so well
・・・
All my best memories
Come back clearly to me
Some can even make me cry
Just like before
It's yesterday once more...
(ラオス紀行〜終わり〜)
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この旅行記へのコメント (2)
-
- 川岸 町子さん 2015/09/23 17:13:26
- 余白
- エンリケさん、こんにちは!
何だかじ〜んときました・・・。
今まで世界各国を旅されたエンリケさんが、心に強く残る国なのですね!(^^)!
その国のイメージやテレビなどの映像なんて、ほんの一部なんだなと改めて思います。
旅に出られ、行く前には思わなかった事が次々と、あふれて来たのですね。
きっとエンリケさんが、心の中に余白(余裕)を持って旅をされるからだと思います。
なので、すぅ〜っと心に響いてくるのでしょうね(@⌒ー⌒@)
今まで旅をなさった国々との比較も、とっても自然体で好感をもたれ、さすがです!
とかく同じようなジャンルの国を旅することが多いですが、今までとはタイプの異なる国を旅し、何かに気付く体験をしてみたいと思いました。
ふふふ、小学生の落書きには笑っちゃいました。
そのままにしているところが、微笑ましいですねぇ(笑)
以前テレビでラオスの象祭りを見た時に、興味を持ちましたが、今回ご紹介されていた11月のヴィエンチャンのお祭りも良さそう〜。
計画に入れちゃおう(笑)!
ゆるやかなメコンの流れが包んでいるかのような旅行記でした(^^♪
見せて頂き、ありがとうございました!
拝見している間、ちょうどNHKやBSでラオスの番組を放映していたので、ますますラオスの良さが伝わってきました。
いつか再訪できるといいですね(*^-^*)
町子
- エンリケさん からの返信 2015/09/23 20:08:47
- 写真や映像だけでは分からないことばかりですよね。
- 川岸 町子さん
こんばんは。ラオス旅行記、最後まで読んでいただきありがとうございます!
思い入れが強かっただけに、全13回と、これまででいちばん長い旅行記になってしまいました(笑)。
> その国のイメージやテレビなどの映像なんて、ほんの一部なんだなと改めて思います。
まさに、その場に立ってその土地の人と触れ合ってみないと、その国の本当の良さは分からないものですよね。
数年前は、“ラオスなんて金ピカの寺院がいくつかあるくらいでほかは何もないからおもしろくなさそう”くらいにしか思ってませんでしたから。
逆に、エジプトなんて、ピラミッドとかカルナック神殿とか今は絶滅してしまった異世界の人間が造った神秘的な遺跡はあるけれども、観光に携わっている人々の態度は常にチップを要求していることが見え見えで最悪だし、料理も美味しくないしで、行く前の期待に比べ、満足度は低いものでしたね。
> きっとエンリケさんが、心の中に余白(余裕)を持って旅をされるからだと思います。
“心の中の余白”とはうまい表現ですね!今度使わせてもらいます(笑)。
> とかく同じようなジャンルの国を旅することが多いですが、今までとはタイプの異なる国を旅し、何かに気付く体験をしてみたいと思いました。
わたしもマンネリ旅行に陥らず、次の段階へ幅を広げていきたいですね。
> 以前テレビでラオスの象祭りを見た時に、興味を持ちましたが、今回ご紹介されていた11月のヴィエンチャンのお祭りも良さそう〜。
> 計画に入れちゃおう(笑)!
タート・ルアン祭り、行かれますか?
あのおとなしいラオスの人々が祭りのときどんな表情をするのか、見てみたいですね!
町子さんがいつかラオスに行かれること、期待してます!
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