2007/04/08 - 2007/04/23
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元カニ族さん
私がワシントンD.C.を訪れた時には、ポトマック河畔の桜(ソメイヨシノ)はすでに散っていましたが、ホワイトハウスやアーリントン墓地で、数本の遅咲きの桜見ることが出来ました。ワシントンにある桜は明治時代に日本から送ったものがルーツですが、その歴史的背景について紹介します。表紙写真はホワイトハウスと桜です。
日本から最初にワシントンに桜の苗木を贈ったのは1909年です。しかしこの苗木には害虫が発生し、全量焼却処分となりました。この結果を受けて害虫に強い苗木を育成し再度ワシントンやニューヨークに贈ったのが1912年で、2012年は丁度100周年にあたりました。
毎年3月末から4月の始めのシーズンには、盛大な「桜まつり」が開催されていますが、2012年には100周年を記念してワシントンやニューヨークで記念行事が行われました。各地で記念の植樹やパレード、桜にちなんだコンサートなどの文化交流が行われ、日本政府も東日本大震災後のアメリカの支援活動に対する感謝を込め、日米友好を象徴する桜を通じた交流に協力しました。
下は英語ですが、ワシントD.C.の桜まつりとその歴史的な経緯の解説です。
Cherry Blossom Festival Washington DC
Finleyholidayさん 2009/02/04 にアップロード
https://www.youtube.com/watch?v=Eh9AzRfDg4c#t=33
ここでは、旅行記に関連する事項として、ワシントンの桜をめぐる日米の歴史について紹介します。
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明治の終わり頃、ワシントンでは来日経験のある学者や作家たちの間で、日本の桜を讃える声が相次いでいました。「アメリカの人たちにあの美しい桜を見せたい。」当時のタフト大統領夫人(写真)もこれに賛同し、動き出しました。
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この動きを知った尾崎行雄東京市長(後に総理大臣に就任、「憲政の神様」、「議会政治の父」と呼ばれます)は「日本から桜を贈ることは、日露戦争終結のため、1905年のポーツマス条約の仲介をしてくれたアメリカへの謝意を表するチャンス」と考え、早速準備にかかり、1909年桜の苗木2000本をワシントンに贈りました。しかし到着したこの苗木には害虫が発生し全量焼却処分となってしまいました。
写真は憲政記念会館前にある尾崎行雄(咢堂)の銅像です。 -
時を同じくして、ニューヨークに住んで「ニューヨークに桜並木つくろう」と呼びかけていた日本人が居ました。世界的に有名な化学者高峰譲吉博士(写真、タカジャスターゼやアドレナリンの発見者)で、彼はワシントンの動きにあわせ尾崎行雄東京市長に働きかけました。
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尾崎行雄東京市長は、再び計画をすすめるため、農商務省の古在農学博士に、害虫に強い桜の苗木の準備を依頼しました。博士は静岡県の興津園芸試験場で、接ぎ木により丈夫な苗木を育てる計画を打ち出しました。
ここで、理解を深めるため、接ぎ木のメリット、方法について説明します。
接ぎ木のメリット:
もし花が美しくても成長が遅かったり病害虫に弱い品種があったとします。そこで、生育が旺盛で病害虫に強い品種を台木として、そこに前述の花が美しい品種のものを穂木として接ぎ木をします。そうすると両方の性質を引き継いで、生育が旺盛で病虫害に強く花が美しい品種ができます。
接ぎ木の方法:上写真のように、
①まず穂木を調整します。
②次に台木を地上一定の高さに切り、切り込みを入れ、穂木を挿入します。
③接ぎ木テープで接ぎ木部分を巻いて仕上げです。
上の写真を見ながら、実際に行われた苗木づくりを説明します。
①の接ぎ木に必要な穂木は「五色桜」で有名な東京荒川堤の桜並木から取ることになりました。
②の病気や害虫に強い台木の育成は伊丹の東野村に委託されました。
③そして穂木と台木は興津園芸試験場に運ばれて、接ぎ木され、1912年苗木6,040本が横浜港から出荷されました。
半分はワシントンのポトマック河畔植樹用に、残りの半分はニューヨークハドソン川開発300年記念式に贈られました。アメリカに無事着いた苗木には病虫害の苗木は一本もなく、検査官は感嘆の声をあげたといわれています。 -
ワシントンに贈られた3020本の桜苗木の明細分類は以下の通りです。
ソメイヨシノ1,800本、有明100本、フゲンゾウ120本、福禄寿50本、ギョウイコウ20本(ギョイコウはすべてホワイトハウス敷地に植えられました。)、イチヨウ160本、ジョニオイ80本、カンザン350本、ミクルマガエシ20本、シラユキ130本、スルガダイニオイ50本、タキニオイ140本
合 計 3,020本 -
ここで、日本で広く植えられ、アメリカにも最も多く贈られたソメイヨシノ(上写真)について補足します。
ソメイヨシノは、江戸末期から明治初期に、江戸の染井村に集落を作っていた造園師や植木職人達によって育成されたといわれています。日本原産種のエドヒガン系の桜とオオシマザクラの交配で生まれたと考えられています。日本では明治の中頃より、サクラの中で圧倒的に多く植えられた品種であり、今日では、「桜」といえばこのソメイヨシノをさすほどになっています。
読者のみなさまには、ソメイヨシノ以外に日本には古来いろいろの桜があることを知っていだきたいと思います。 -
エドヒガンです。
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オオシマザクラです。
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そして 1912年3月27日にポトマック公園で植樹式が行われました。当時のヘレン・タフト大統領夫人と珍田日本大使夫人によってそれぞれまず最初のソメイヨシノ種1本が植えられました。
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記念すべき最初の植樹2本の場所に今も記念のプレートがあります。
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(碑文)
The first Japanese cherry trees presented to the city of Washington as a gesture of friendship and goodwill by the city of Tokyo were planted on this site.
March 27, 1912
東京市から友好と親善の印としてワシントン市へ贈られた最初の日本の桜はこの地に植えられました。
1912年3月27 -
ニューヨークに着いた桜は、ハドソン河畔、クレモント公園、セントラルパーク等に植えられました。写真は現在のハドソン河畔の桜です(大きさから見て、おそらく後に植えられたものと思われます)。
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ワシントン桜事件
1937年、フランクリン・ルーズベルト大統領は、ワシントンにジェファーソン記念堂を建立することにし、ポトマック河畔が理想の場所と考えました。それには900本の桜の木を撤去しなければなりません。発表と同時に、ワシントン住民から抗議の声が上がりました。
工事が始まると発表されると、150人の女性が河畔に集まって、桜の木に体を鎖で繋いで反対しました(写真)。この写真をワシントン・ポストは全米に流しました。 -
ルーズベルトは折れて、記念堂を現在の位置に建設することにしました。さらに、「日本の桜を植樹する」と声明を出しました。民衆(女性)が勝ち、ポトマック河畔の桜は守られました。
トーマス ジェファソン記念館 博物館・美術館・ギャラリー
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私が訪れた2007年4月19日のポトマック河畔です。桜はすでに散って若葉が出ていました。
ワシントンDC桜祭り 祭り・イベント
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ポトマック河畔です。河向うにワシントン記念塔が見えます。
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ポトマック河畔にはベンチも備えられていました。
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2007年4月19日ホワイトハウスのサクラです。
ホワイトハウス 現代・近代建築
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2007年4月19日ホワイトハウスの緑色のサクラ! 日本から贈られたギョウコウ(御衣黄)と思われます。
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2007年4月19日アーリントン墓地の桜です。
アーリントン国立墓地 史跡・遺跡
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2007年4月19日同じくアーリントン墓地の桜です。
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荒川堤のポトマック河畔から里帰りした桜達
荒川堤は明治から大正にかけて東京の桜の名所として名高かった所で、現在の足立区の荒川堤にありました。ここは江戸時代に育成された多くの里桜が植えられて、さまざまな桜がなびくように見えたことから「五色桜」ともいわれました。その後、河川の改修工事等の影響で、ここの桜は散逸してしまいました。
戦後、荒川堤では官民一体となってポトマック河畔から桜を里帰りさせて、「五色桜」を復活させようとする運動が起こりました。この運動はなかなかうまく行かなかったようですが、育った桜が荒川堤の「五色桜公園」にあります。最寄駅は日暮里・舎人ライナーの扇大橋駅です。
この運動の様子は、たくさんの綺麗な桜の写真とともに下の「ふるやのもりさん」のブログに載っています。
http://blog.goo.ne.jp/huruyanomori/e/46ab7588e06b6aa67bdba39dcab012da
http://blog.goo.ne.jp/huruyanomori/e/30660b0219f0a0071d1e11a9eb7eec17 -
荒川堤のポトマック河畔から里帰りした桜達です。
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台木を育てた伊丹市の「瑞ケ池公園」にも、ポトマック河畔の桜が里帰りしています。写真、里帰りした日米友好の桜です。
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アメリカから返礼として贈られた花ミズキ
アメリカから感謝のしるしとして1915年ハナミズキが日本に贈られて来ました。日比谷公園など都内の公園や植物園に植えられましたが、太平洋戦争を境に「敵国の贈り物」はその所在が、不明になってしまいました。現在、小石川植物園、都立園芸高校、興津果樹試験場で、生き残りとおもわれる老木が確認されています。
写真は日比谷公園のハナミズキの説明板です。 -
今、都立園芸高等学校に残っていた原木から育成されたハナミズキが日比谷公園に植えられ、小さなハナミズキの林を作っています。
私に旅行記「新春の日比谷公園」
http://4travel.jp/travelogue/10770713
に書いてあります。 -
日比谷公園のハナミズキ林です。
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終わりに
日米の友好を深めるために交換された桜とハナミズキの物語。ネットで調べてみると、これにまつわるお話は次々とたくさん出てきます。
本稿はそれらをまとめ、私の撮った写真とともに、あらすじのみを書きました。このお話に興味をもって頂ければ幸いです。
参考HP
http://aranishi.hobby-web.net/3web_ara/sakura.htm#top
http://aranishi.hobby-web.net/3web_ara/sakura_2.htm
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この旅行記へのコメント (2)
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- 風 魔さん 2015/09/18 18:48:28
- ポトマック河畔の桜の原種は、わが故郷「興津果樹研究所」と「清水船越堤公園」にあります!
- 旅行記「冬の富士山とパンダガモの群れ:2012年 1月投稿」から。
桜の原種 … 薄寒桜。
かって1912年当時の東京市から親善のシンボルとして、ワシントンDCに送られた桜(苗木・3000本)は、清水区・興津にある「農業・食品産業技術研究機構・果樹研究所のカンキツ研究興津拠点」で、薄寒桜として育成栽培されたもので、毎年2月には、一般公開されます。
(毎年春には、ポトマック河畔にて桜が満開します)
今年は、桜の寄贈から100周年を迎え、3月1日ニューヨーク・タイムズスクエアでは、桜一色の映像による「ジャパン・ウィーク」が開催され、「東日本大震災」に対する支援の感謝の表明と日本訪問の観光誘致イベントが行なわれました。
☆ 今年のテーマ ⇒ Japan is Blossoming Again
- 元カニ族さん からの返信 2015/09/18 19:43:19
- RE: ポトマック河畔の桜の原種は、わが故郷「興津果樹研究所」と「清水船越堤公園」にあります!
風 魔さん
たびたびのご訪問ありがとうございま。
私の調べでは、アメリカに贈ったサクラの苗木は
?接ぎ木に必要な穂木は「五色桜」で有名な東京荒川堤の桜並木から取った。
?病気や害虫に強い台木の育成は伊丹の東野村に委託された。
?穂木と台木は興津園芸試験場に運ばれて、接ぎ木され、育成されて1912年苗木6,040本が横浜港から出荷された。
というように、東京荒川堤、伊丹の東野村、興津園芸試験場の三者の協力で実現したようです。
興津には、アメリカから返礼として贈られてきた「ハナミズキ」もあるようですね。
貴重な情報ありがとうございました。
これからも、よろしくお願いします。
実は、この旅行記は、旅行に直接関係ないといって4トラから削除を命じられないか、ヒヤヒヤものでした。お目に留まって幸いでした。
実際に、アメリカ旅行記のうち、自由の女神誕生物語、南北戦争、アメリカ合衆国誕生物語は、削除させられました。
これだけが、今のところ生き残っています。
元カニ族
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