恩納・読谷旅行記(ブログ) 一覧に戻る
≪2015.Jun≫あみんちゅ歴史に触れる旅沖縄その壹之②~戦後70年沖縄全戦没者追悼式参列:2日目編~<br /><br />《戦後70年沖縄全戦没者追悼式前夜際のライトアップのひとコマ》<br /><br />なにも考えずにただ南の島へとやって来て、ぼ~っと時間を過ごすことに始まった沖縄の旅ですが、いつの間にか11回目になりました。中でも一昨年9月に〝初石垣〟を経験してからは実に1年9ヶ月の間に7回目になります。<br /><br />いつもは〝日にち重視パターン〟というより〝値段重視〟なので、LCCのバーゲンを見つけては手配した後に休みを取るパターンでした。しかし今回は初めて〝日にち重視〟でまず〝宿手配〟から始まった沖縄の旅、目的はかねてより一度来てみたいと思っていた6月23日の〝沖縄慰霊の日〟に沖縄県営平和祈念公園で執り行われる〝戦没者追悼式典〟への参列と、〝沖縄の最も長い一日〟に触れることにありました。<br /><br />今回はいつもの〝沖縄時間〟を過ごすこととは目的が異なり、〝日にち重視〟であれば旅行会社のフリープランを使うことも考えていました。しかしたまたま1月にJet Starのバーゲンにて〝この日〟を含む日程でチケットが手配できたため、結局プラン二ングの段階では従来となんら変わらないものにはなっています。ただ内容がかなり〝違った〟ものになるため、展開を変えています。<br /><br />この章〝≪2015.Jun≫あみんちゅ歴史に触れる旅沖縄その壹之②~戦後70年沖縄全戦没者追悼式参列:2日目編~〟では、2日目に立ち寄った場所について書いています。なお立寄地のうち〝対馬丸記念館〟〝チビチリガマ〟については別途記述しておりますので、ここでは〝概略〟のみの紹介になっています。<br /><br />【2015年6月22日月曜日:2日目】<br />糸満市小波蔵 11:17<br />対馬丸記念館 12:40 24.8km<br />       13:45<br />読谷村役場 15:03 52.8km<br />      15:45<br />チビチリガマ 16:12 65.3km<br />       16:39<br />座喜味城 16:58 70.9km<br />     17:30<br />糸満市大度 20:06// 124.8km【ADD:182.5km】<br /><br />2日目の朝を迎え、8:00頃起床します。最近の旅行パターンでは結構〝時間的余裕のなさ〟が目に付きますが、それは仕方がありません。朝に起きて何をするかというとまずは今日の〝行程〟の見直し、そして〝適当〟に詰め込んだ〝荷物の整理〟をします。6月22日は、沖縄県の条例で定まっている〝沖縄慰霊の日〟の前日であり、場所によっては〝この日〟に慰霊式典をされるところもあるとは聞いていましたが、事前にわからないものが多かったため〝現地入り〟して…と考えていたものもあるのですが…考えが甘かったようです。しかし時間は待ってくれないので、今まで行けなかったところを列挙して目的地にすることにします。<br /><br />時間通り10:00にチェックアウトしましたが、距離と所要時間を計算していると時間はあっという間に過ぎて行きます。そしてやっと11:00過ぎに出発します。決めた先は沖縄島中部の読谷村、沖縄きっての〝リゾート地〟でもあるこの地をなぜ〝リゾート嫌い〟の私が行くかというと、これもまた戦跡です。〝チビチリガマ〟という名前は知られているものではあるものの、どうも書かれていることがバラついているようにも思えるので実際に行ってみたいと思っていました。それを決行します。<br /><br />糸満を出て那覇市内の渋滞区間を走っていると、ふと〝対馬丸記念館〟の看板を見付けます。いつもならまず〝コンビニ駐車場〟に車を停めてナビを設定し直してから走り出すのですが、なかなかその場所すら見つけられません。なので〝行先表示板〟を頼りに走って行くと…、ありました。若狭という那覇市内でも〝繁華街〟にひとつであるエリアにあるこの〝対馬丸記念館〟ですが、〝専用駐車場〟がありません。後から調べると〝市営松山駐車場〟に停めることが出来るようですが、行き当たりばったりで行くと、近くの〝コインパーキング〟しか見当たりません。そのためそちらを利用しましたが、これは〝県公安委員会〟の設置、つまり時間の延長ができません。時間200円ですが、それ以上は駐禁扱いになってしまいます。その他の民営の駐車場はいくつかあったようですが、時間を有効利用したければ不要な行程を省きたいので、さっさとコインパーキングに停めて記念館へと向かいます。<br /><br />〝記念館〟を見学し、〝小桜の塔〟をはじめとした〝慰霊碑〟を巡り、波上宮を回ってくるととても時間が足りません。言い方は悪いですが、この〝パーキングメーター〟は悪く解釈すればそれまでのもので、私より先に停めた車がコインすら入れず〝路駐〟をしていることが当たり前と思われているならば改善の余地はないと思います。場所が場所ゆえ深く考えてしまった方が馬鹿を見るのであれば…。車を停めて58分で回ってきた結果、本当に後から思い返しても〝思い出せない〟ことが多かったことは、非常に残念に思いました。確かにビーチに泳ぎに行くのに路駐は多かったですが…。<br /><br />まあ言っても始まらないので先を急ぎます。再び街中を経由して58号線にはいり北上します。北谷や米軍嘉手納基地の脇を通り、着いた先は〝日本一人口の多い村読谷村〟です。とりあえず〝読谷村役場〟へと到着しますが、生憎の〝雨模様〟…。車を一番奥の駐車場に停め、〝読谷山飛行場滑走路跡〟へは行ってみました。後々は〝嘉手納バイパス〟に繋がる道ですが、一見するだけで〝不自然さ〟を感じる直線道路でした。そのまま進むと〝掩体壕〟等が残っている筈ですが、〝迷う時間〟を計算するといつものように〝回り切れない〟結果になるため、次回に繋げられるように〝地図〟の写真を撮って次の目的地へと向かいます。この読谷村エリアですが、平成16(2006)年12月31日に戦後米国に接収されていたものが国有地を経て返還されています。農地等への転用が主目的とされていたようですが現実的には、一次産業での拡張は如何なものだったのでしょうか…。平成9(1997)年4月に建てられた現読谷村役場庁舎が完成し、その後の活動でもって〝返還〟を勝ち得た読谷村ですが、畑の中に不用意にある〝真っ直ぐな道路〟などは、本当に〝必要だったのか〟とも思えます。勿論住人の方にとって〝住みやすい村〟に変えて頂くことは必要ではあると思いますが、あまり必要だとは思えない〝モノ〟を勢いで作ってしまって〝風情を壊す〟のもいかがなものかとも思います。一観光客がしゃしゃり出る場面ではありませんが…。<br /><br />そして次に向かったのは〝チビチリガマ〟です。県道を残波岬方向に進んで行くと、北上する道路があり、そこに〝チビチリガマ80m〟と小さく表示されています。〝赤屋根のトイレ〟が目印だと多くの方が書いておられますが正にその通りでした。<br /><br />沖縄島南部に残る〝ガマ〟とは違った感じの〝チビチリガマ〟所在地に戸惑いも覚えましたが、手を合わせて次へと進みます。〝チビチリガマ〟の悲劇に対し多くの避難民が助かった〝シムクガマ〟を目指しますが…、これがどうも場所がわかりません。米軍の通信施設の近くではあるようですが、道がない…。車を路肩に停めて歩けばわかるのかも知れませんが、住宅地に停めるのは迷惑以外何ものでもないので…残念ながら今回は諦めることにしました。とにかく〝わかる所〟を回ってみようとして着いた先が〝読谷村立歴史民俗資料館〟。しかしこちら本日月曜日は休館日のはずです。確認のため敷地内に入ると、やはりそうでした。それに加え翌日6月23日は〝臨時休館日〟とのこと。それはそれで仕方がないので次回に期待し、隣の〝座喜味城跡(ざきみぐすくあと)〟へと立ち寄ります。<br /><br />この座喜味城跡は、本土が室町幕府の時代にこの沖縄の地が〝三山時代〟と呼ばれていた頃、その三山を統一して〝琉球王国〟を確立させた第一次尚氏王統の尚巴志(しょうはし)王の側近で、北山征伐の功労者〝護佐丸(ごさまる)〟によって築城された城(グスク)です。元々曾祖父が北山の今帰仁城主であったこともあり、尚巴志の北山攻めには有力按司(あじ)の一人として同行し北山王国を滅ぼすと、その北山の血筋である〝護佐丸〟に尚巴志は、平定した北山の宣撫のため、北山守護職の要職を任じました。その際北山を監視する戦略上の要所でもあった座喜味城の築城を命じますが、この場所(今いる場所)は赤土の軟弱な台地にも拘らずに旧居城の山田城を崩して石材を運び、石積みの工夫によって強度と曲線美を備えた城壁を築き、築城家としての声価を高めることになります。また築城の際、北山守護職として影響力を拡大した奄美群島や慶良間諸島から、労働者を駆り出したとも伝えられています。築城から18年間〝護佐丸〟はこの座喜味城に居城しますが、彼の人生には不明なことが多い中で、意見が揃っていることがこの〝18年間の居城〟こそ〝護佐丸〟の人生の中で最も幸せだっただろうということです。<br /><br />その後尚巴志によって中城城(なかぐすくじょう)の築城を命じられ、完成とともに居城を移します。しかしその後第六代国王尚泰久王に謀反の疑いが掛けられ、居城である中城城を囲まれた際、追手が王府軍とわかった〝護佐丸〟は自害して果てることになります。<br /><br />この話は歴史記述を元にはしていますが、どこまでが本当なのかは正直わかりません。しかし〝名君〟であり〝築城の名手〟である〝護佐丸〟の一生を悪く言いたくはない〝判官贔屓〟的な発想はあるのかも知れません。〝昨日の友〟は〝今日の敵〟とまではいいませんが、この内容は輪廻転生するのかも…と思ってしまいました。<br /><br />その後〝謀反の疑い〟を乗り切った末裔が家の復興を遂げたことは、草場の陰から〝護佐丸〟も喜んでいるのかも知れません。沖縄戦前後では軍の砲台や、レーダー基地が置かれたため一部の城壁が破壊されたものの、その後城壁の復元が行われています。昭和47(1972)年5月15日の返還を機に〝国指定史跡〟に指定されるものの、基地として使われていた部分は返還後その部分を追加し、現状変更があった〝西側道路部分〟は後ほど指定を解除されています。しかし平成12(2000)年11月に〝琉球王国のグスク及び関連遺産群〟としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。登録名は座喜味城跡)。城跡がある以外〝なにもない〟場所ではありますが、天気の良い時なら〝残波岬〟他〝慶良間諸島〟まで見える場所、なんの目的もなく〝ぼ~っ〟とするのは凄い贅沢なことのように思いました。<br /><br />それなりの時間になってしまったので今日のアクティビティを終え、再び糸満へと向かうことにします。読谷村から糸満だと当たり前ですがナビは〝沖縄道〟を通るルートを示します。とはいえ国道58号から沖縄道沖縄南インターから入って西原ジャンクションで下りるルートを取るには、西側へと入って行く必要があります。このあたりが〝カーナビ〟と〝スマホナビ〟のどちらを信用するか?となりますが…表示している内容は、一般道で行くルートは昨日と同じのような…。という訳でしばらく走ったあとカーナビ案を採用して走って行きます。しか~し、田舎者ドライバーの悪い癖、見知らぬ道は〝右側〟を走りたくなります。そうこうしていくつかの〝左折〟の案内を〝すっ飛ばし〟て、国道58号線を走って行くと…、いつも間にか〝ナビ〟もうるさく言わなくなっていました。街中の渋滞を回避するべく迂回し続けた結果、いつの間にか見覚えのある〝モノレール首里駅〟の高架下へ来ていました。ここから糸満って…と迷っている暇もありません。とにかく〝スマホナビ〟&〝カーナビ〟とも行先を〝みん宿ヤポネシア〟にセットし、それらしい道を〝制限速度遵守〟で爆走します。そして見覚えのある八重瀬のファミリーマートに到着。ここからは〝間違いようのない道〟を確認して、再び爆走します。多分昨日と同じ看板だったと思いますが、〝沖縄県営平和祈念公園〟と〝ひめゆりの塔〟の案内看板を見つけます。そうなるとついつい気が大きくなってしまう〝ヘタレ〟は、宿に行く前に平和祈念公園に立ち寄ることを考えます。ほとんど〝行き当たりばったり〟の計画ですが、ふたつ事前に調べたことがあります。ひとつは6月23日のこと、もうひとつが6月22日の前夜祭のことについてです。<br /><br />この時間〝少なくはない〟観光客が来ているような感じのする平和祈念公園ですが、車を停めだいぶ暗くなった園内を歩きます。諸施設と電照を組み合わせた〝光のモニュメント〟、幻想的な感じを受けました。そもそも慰霊式典の規模すらテレビなどで見ること位しか知らない者にとって6月23日にこの〝沖縄県営平和祈念公園〟がどのような状態になるかなど想像すらできないことです。しかし〝人〟が写りこまないように写真を撮ることはできないこと位はわかりますので、取り敢えず慰霊式の祭壇等も写真に収めた後数分で、無事本日の宿〝みん宿ヤポネシア〟に到着しました。<br /><br />宿泊サイトを利用していないこの〝みん宿ヤポネシア〟ですが、内地の方が脱サラしてご夫婦で営んでおられます。〝ジョン万ビーチ〟の別名がある〝大度海岸〟近くにあり、ビーチ遊びも楽しめます。提供されているお食事は〝オーガニック〟に拘った〝沖縄料理〟、食事の時に〝これは~〟〝あれは~〟と説明して頂けるのは面白いかも知れません。ご夫婦+小学生と未就学のおチビちゃんがいます。その家族4名でやっているのを〝強み〟にしているようにも思えます。<br /><br />ちょうど私が宿泊した時は、北海道からのご夫婦と、辺野古近くの東村から〝魂魄之塔〟である慰霊式典に参加される〝お母さん+中学生の娘さん2人〟が同宿でした。この時期に〝糸満〟に来られる〝理由〟は似たようなものがあります。またそういう目的を持ってこられる場所がこの〝みん宿ヤポネシア〟のようにも思えます。確かに人の考えることなので〝全く一緒〟ではありませんが、この時期ならではの談義に花が咲いたのは〝事なかれ主義〟を憂うひとりとしては、貴重な体験ができたように思います。また〝追悼式〟参加のための情報も頂き、最初は〝豊見城市豊崎地区臨時駐車場〟まで行ってシャトルバスか…と思っていたことが、以外に近い〝沖縄晴明の丘公園〟と〝糸満観光農園〟からシャトルバスがあることを知りました。このことは当日の沖縄県のHPにも載っていなかったので大変助かりました♪<br /><br />今日1日で124.8km走りました。駐車場のないところで駐車場を探したり、丘を歩いたり、地図を見ながらナビの示す〝現在地〟を頼りに交差点ごとに停まって道を確認したりの連続だった2日目の行程は思いの外疲れました。明日はいよいよ追悼式の日。疲れを取らねば…zzz。<br /><br />【宿泊:直接手配】<br />みん宿ヤポネシア<br />〒901-0334 沖縄県糸満市大度309-42<br />Tel:098-997-2136・070-5581-5986<br />一泊二食付6,000円<br />http://www.yaponesia.com/<br /><br /><br />これにて〝≪2015.Jun≫あみんちゅ歴史に触れる旅沖縄その壹之②~戦後70年沖縄全戦没者追悼式参列:2日目編~〟は終わります。<br />

≪2015.Jun≫あみんちゅ歴史に触れる旅沖縄その壹之②~戦後70年沖縄全戦没者追悼式参列:2日目編~

35いいね!

2015/06/21 - 2015/06/24

984位(同エリア4183件中)

0

46

たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。

たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

≪2015.Jun≫あみんちゅ歴史に触れる旅沖縄その壹之②~戦後70年沖縄全戦没者追悼式参列:2日目編~

《戦後70年沖縄全戦没者追悼式前夜際のライトアップのひとコマ》

なにも考えずにただ南の島へとやって来て、ぼ~っと時間を過ごすことに始まった沖縄の旅ですが、いつの間にか11回目になりました。中でも一昨年9月に〝初石垣〟を経験してからは実に1年9ヶ月の間に7回目になります。

いつもは〝日にち重視パターン〟というより〝値段重視〟なので、LCCのバーゲンを見つけては手配した後に休みを取るパターンでした。しかし今回は初めて〝日にち重視〟でまず〝宿手配〟から始まった沖縄の旅、目的はかねてより一度来てみたいと思っていた6月23日の〝沖縄慰霊の日〟に沖縄県営平和祈念公園で執り行われる〝戦没者追悼式典〟への参列と、〝沖縄の最も長い一日〟に触れることにありました。

今回はいつもの〝沖縄時間〟を過ごすこととは目的が異なり、〝日にち重視〟であれば旅行会社のフリープランを使うことも考えていました。しかしたまたま1月にJet Starのバーゲンにて〝この日〟を含む日程でチケットが手配できたため、結局プラン二ングの段階では従来となんら変わらないものにはなっています。ただ内容がかなり〝違った〟ものになるため、展開を変えています。

この章〝≪2015.Jun≫あみんちゅ歴史に触れる旅沖縄その壹之②~戦後70年沖縄全戦没者追悼式参列:2日目編~〟では、2日目に立ち寄った場所について書いています。なお立寄地のうち〝対馬丸記念館〟〝チビチリガマ〟については別途記述しておりますので、ここでは〝概略〟のみの紹介になっています。

【2015年6月22日月曜日:2日目】
糸満市小波蔵 11:17
対馬丸記念館 12:40 24.8km
       13:45
読谷村役場 15:03 52.8km
      15:45
チビチリガマ 16:12 65.3km
       16:39
座喜味城 16:58 70.9km
     17:30
糸満市大度 20:06// 124.8km【ADD:182.5km】

2日目の朝を迎え、8:00頃起床します。最近の旅行パターンでは結構〝時間的余裕のなさ〟が目に付きますが、それは仕方がありません。朝に起きて何をするかというとまずは今日の〝行程〟の見直し、そして〝適当〟に詰め込んだ〝荷物の整理〟をします。6月22日は、沖縄県の条例で定まっている〝沖縄慰霊の日〟の前日であり、場所によっては〝この日〟に慰霊式典をされるところもあるとは聞いていましたが、事前にわからないものが多かったため〝現地入り〟して…と考えていたものもあるのですが…考えが甘かったようです。しかし時間は待ってくれないので、今まで行けなかったところを列挙して目的地にすることにします。

時間通り10:00にチェックアウトしましたが、距離と所要時間を計算していると時間はあっという間に過ぎて行きます。そしてやっと11:00過ぎに出発します。決めた先は沖縄島中部の読谷村、沖縄きっての〝リゾート地〟でもあるこの地をなぜ〝リゾート嫌い〟の私が行くかというと、これもまた戦跡です。〝チビチリガマ〟という名前は知られているものではあるものの、どうも書かれていることがバラついているようにも思えるので実際に行ってみたいと思っていました。それを決行します。

糸満を出て那覇市内の渋滞区間を走っていると、ふと〝対馬丸記念館〟の看板を見付けます。いつもならまず〝コンビニ駐車場〟に車を停めてナビを設定し直してから走り出すのですが、なかなかその場所すら見つけられません。なので〝行先表示板〟を頼りに走って行くと…、ありました。若狭という那覇市内でも〝繁華街〟にひとつであるエリアにあるこの〝対馬丸記念館〟ですが、〝専用駐車場〟がありません。後から調べると〝市営松山駐車場〟に停めることが出来るようですが、行き当たりばったりで行くと、近くの〝コインパーキング〟しか見当たりません。そのためそちらを利用しましたが、これは〝県公安委員会〟の設置、つまり時間の延長ができません。時間200円ですが、それ以上は駐禁扱いになってしまいます。その他の民営の駐車場はいくつかあったようですが、時間を有効利用したければ不要な行程を省きたいので、さっさとコインパーキングに停めて記念館へと向かいます。

〝記念館〟を見学し、〝小桜の塔〟をはじめとした〝慰霊碑〟を巡り、波上宮を回ってくるととても時間が足りません。言い方は悪いですが、この〝パーキングメーター〟は悪く解釈すればそれまでのもので、私より先に停めた車がコインすら入れず〝路駐〟をしていることが当たり前と思われているならば改善の余地はないと思います。場所が場所ゆえ深く考えてしまった方が馬鹿を見るのであれば…。車を停めて58分で回ってきた結果、本当に後から思い返しても〝思い出せない〟ことが多かったことは、非常に残念に思いました。確かにビーチに泳ぎに行くのに路駐は多かったですが…。

まあ言っても始まらないので先を急ぎます。再び街中を経由して58号線にはいり北上します。北谷や米軍嘉手納基地の脇を通り、着いた先は〝日本一人口の多い村読谷村〟です。とりあえず〝読谷村役場〟へと到着しますが、生憎の〝雨模様〟…。車を一番奥の駐車場に停め、〝読谷山飛行場滑走路跡〟へは行ってみました。後々は〝嘉手納バイパス〟に繋がる道ですが、一見するだけで〝不自然さ〟を感じる直線道路でした。そのまま進むと〝掩体壕〟等が残っている筈ですが、〝迷う時間〟を計算するといつものように〝回り切れない〟結果になるため、次回に繋げられるように〝地図〟の写真を撮って次の目的地へと向かいます。この読谷村エリアですが、平成16(2006)年12月31日に戦後米国に接収されていたものが国有地を経て返還されています。農地等への転用が主目的とされていたようですが現実的には、一次産業での拡張は如何なものだったのでしょうか…。平成9(1997)年4月に建てられた現読谷村役場庁舎が完成し、その後の活動でもって〝返還〟を勝ち得た読谷村ですが、畑の中に不用意にある〝真っ直ぐな道路〟などは、本当に〝必要だったのか〟とも思えます。勿論住人の方にとって〝住みやすい村〟に変えて頂くことは必要ではあると思いますが、あまり必要だとは思えない〝モノ〟を勢いで作ってしまって〝風情を壊す〟のもいかがなものかとも思います。一観光客がしゃしゃり出る場面ではありませんが…。

そして次に向かったのは〝チビチリガマ〟です。県道を残波岬方向に進んで行くと、北上する道路があり、そこに〝チビチリガマ80m〟と小さく表示されています。〝赤屋根のトイレ〟が目印だと多くの方が書いておられますが正にその通りでした。

沖縄島南部に残る〝ガマ〟とは違った感じの〝チビチリガマ〟所在地に戸惑いも覚えましたが、手を合わせて次へと進みます。〝チビチリガマ〟の悲劇に対し多くの避難民が助かった〝シムクガマ〟を目指しますが…、これがどうも場所がわかりません。米軍の通信施設の近くではあるようですが、道がない…。車を路肩に停めて歩けばわかるのかも知れませんが、住宅地に停めるのは迷惑以外何ものでもないので…残念ながら今回は諦めることにしました。とにかく〝わかる所〟を回ってみようとして着いた先が〝読谷村立歴史民俗資料館〟。しかしこちら本日月曜日は休館日のはずです。確認のため敷地内に入ると、やはりそうでした。それに加え翌日6月23日は〝臨時休館日〟とのこと。それはそれで仕方がないので次回に期待し、隣の〝座喜味城跡(ざきみぐすくあと)〟へと立ち寄ります。

この座喜味城跡は、本土が室町幕府の時代にこの沖縄の地が〝三山時代〟と呼ばれていた頃、その三山を統一して〝琉球王国〟を確立させた第一次尚氏王統の尚巴志(しょうはし)王の側近で、北山征伐の功労者〝護佐丸(ごさまる)〟によって築城された城(グスク)です。元々曾祖父が北山の今帰仁城主であったこともあり、尚巴志の北山攻めには有力按司(あじ)の一人として同行し北山王国を滅ぼすと、その北山の血筋である〝護佐丸〟に尚巴志は、平定した北山の宣撫のため、北山守護職の要職を任じました。その際北山を監視する戦略上の要所でもあった座喜味城の築城を命じますが、この場所(今いる場所)は赤土の軟弱な台地にも拘らずに旧居城の山田城を崩して石材を運び、石積みの工夫によって強度と曲線美を備えた城壁を築き、築城家としての声価を高めることになります。また築城の際、北山守護職として影響力を拡大した奄美群島や慶良間諸島から、労働者を駆り出したとも伝えられています。築城から18年間〝護佐丸〟はこの座喜味城に居城しますが、彼の人生には不明なことが多い中で、意見が揃っていることがこの〝18年間の居城〟こそ〝護佐丸〟の人生の中で最も幸せだっただろうということです。

その後尚巴志によって中城城(なかぐすくじょう)の築城を命じられ、完成とともに居城を移します。しかしその後第六代国王尚泰久王に謀反の疑いが掛けられ、居城である中城城を囲まれた際、追手が王府軍とわかった〝護佐丸〟は自害して果てることになります。

この話は歴史記述を元にはしていますが、どこまでが本当なのかは正直わかりません。しかし〝名君〟であり〝築城の名手〟である〝護佐丸〟の一生を悪く言いたくはない〝判官贔屓〟的な発想はあるのかも知れません。〝昨日の友〟は〝今日の敵〟とまではいいませんが、この内容は輪廻転生するのかも…と思ってしまいました。

その後〝謀反の疑い〟を乗り切った末裔が家の復興を遂げたことは、草場の陰から〝護佐丸〟も喜んでいるのかも知れません。沖縄戦前後では軍の砲台や、レーダー基地が置かれたため一部の城壁が破壊されたものの、その後城壁の復元が行われています。昭和47(1972)年5月15日の返還を機に〝国指定史跡〟に指定されるものの、基地として使われていた部分は返還後その部分を追加し、現状変更があった〝西側道路部分〟は後ほど指定を解除されています。しかし平成12(2000)年11月に〝琉球王国のグスク及び関連遺産群〟としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。登録名は座喜味城跡)。城跡がある以外〝なにもない〟場所ではありますが、天気の良い時なら〝残波岬〟他〝慶良間諸島〟まで見える場所、なんの目的もなく〝ぼ~っ〟とするのは凄い贅沢なことのように思いました。

それなりの時間になってしまったので今日のアクティビティを終え、再び糸満へと向かうことにします。読谷村から糸満だと当たり前ですがナビは〝沖縄道〟を通るルートを示します。とはいえ国道58号から沖縄道沖縄南インターから入って西原ジャンクションで下りるルートを取るには、西側へと入って行く必要があります。このあたりが〝カーナビ〟と〝スマホナビ〟のどちらを信用するか?となりますが…表示している内容は、一般道で行くルートは昨日と同じのような…。という訳でしばらく走ったあとカーナビ案を採用して走って行きます。しか~し、田舎者ドライバーの悪い癖、見知らぬ道は〝右側〟を走りたくなります。そうこうしていくつかの〝左折〟の案内を〝すっ飛ばし〟て、国道58号線を走って行くと…、いつも間にか〝ナビ〟もうるさく言わなくなっていました。街中の渋滞を回避するべく迂回し続けた結果、いつの間にか見覚えのある〝モノレール首里駅〟の高架下へ来ていました。ここから糸満って…と迷っている暇もありません。とにかく〝スマホナビ〟&〝カーナビ〟とも行先を〝みん宿ヤポネシア〟にセットし、それらしい道を〝制限速度遵守〟で爆走します。そして見覚えのある八重瀬のファミリーマートに到着。ここからは〝間違いようのない道〟を確認して、再び爆走します。多分昨日と同じ看板だったと思いますが、〝沖縄県営平和祈念公園〟と〝ひめゆりの塔〟の案内看板を見つけます。そうなるとついつい気が大きくなってしまう〝ヘタレ〟は、宿に行く前に平和祈念公園に立ち寄ることを考えます。ほとんど〝行き当たりばったり〟の計画ですが、ふたつ事前に調べたことがあります。ひとつは6月23日のこと、もうひとつが6月22日の前夜祭のことについてです。

この時間〝少なくはない〟観光客が来ているような感じのする平和祈念公園ですが、車を停めだいぶ暗くなった園内を歩きます。諸施設と電照を組み合わせた〝光のモニュメント〟、幻想的な感じを受けました。そもそも慰霊式典の規模すらテレビなどで見ること位しか知らない者にとって6月23日にこの〝沖縄県営平和祈念公園〟がどのような状態になるかなど想像すらできないことです。しかし〝人〟が写りこまないように写真を撮ることはできないこと位はわかりますので、取り敢えず慰霊式の祭壇等も写真に収めた後数分で、無事本日の宿〝みん宿ヤポネシア〟に到着しました。

宿泊サイトを利用していないこの〝みん宿ヤポネシア〟ですが、内地の方が脱サラしてご夫婦で営んでおられます。〝ジョン万ビーチ〟の別名がある〝大度海岸〟近くにあり、ビーチ遊びも楽しめます。提供されているお食事は〝オーガニック〟に拘った〝沖縄料理〟、食事の時に〝これは~〟〝あれは~〟と説明して頂けるのは面白いかも知れません。ご夫婦+小学生と未就学のおチビちゃんがいます。その家族4名でやっているのを〝強み〟にしているようにも思えます。

ちょうど私が宿泊した時は、北海道からのご夫婦と、辺野古近くの東村から〝魂魄之塔〟である慰霊式典に参加される〝お母さん+中学生の娘さん2人〟が同宿でした。この時期に〝糸満〟に来られる〝理由〟は似たようなものがあります。またそういう目的を持ってこられる場所がこの〝みん宿ヤポネシア〟のようにも思えます。確かに人の考えることなので〝全く一緒〟ではありませんが、この時期ならではの談義に花が咲いたのは〝事なかれ主義〟を憂うひとりとしては、貴重な体験ができたように思います。また〝追悼式〟参加のための情報も頂き、最初は〝豊見城市豊崎地区臨時駐車場〟まで行ってシャトルバスか…と思っていたことが、以外に近い〝沖縄晴明の丘公園〟と〝糸満観光農園〟からシャトルバスがあることを知りました。このことは当日の沖縄県のHPにも載っていなかったので大変助かりました♪

今日1日で124.8km走りました。駐車場のないところで駐車場を探したり、丘を歩いたり、地図を見ながらナビの示す〝現在地〟を頼りに交差点ごとに停まって道を確認したりの連続だった2日目の行程は思いの外疲れました。明日はいよいよ追悼式の日。疲れを取らねば…zzz。

【宿泊:直接手配】
みん宿ヤポネシア
〒901-0334 沖縄県糸満市大度309-42
Tel:098-997-2136・070-5581-5986
一泊二食付6,000円
http://www.yaponesia.com/


これにて〝≪2015.Jun≫あみんちゅ歴史に触れる旅沖縄その壹之②~戦後70年沖縄全戦没者追悼式参列:2日目編~〟は終わります。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
グルメ
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
高速・路線バス レンタカー JRローカル 自家用車 徒歩 ジェットスター
旅行の手配内容
個別手配

この旅行記のタグ

35いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったスポット

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

この旅行記の地図

拡大する

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP