2015/05/02 - 2015/05/02
111位(同エリア422件中)
susuさん
前回の旅行先が混沌のインド・パキスタンだったので、もう旅行中から「次は景色が綺麗でのんびり落ち着けそうな所に行こう」と思っていました。真剣に行き先を考え始めたのが年明けすぐで、それから3日もしないうちにルートを決めて航空券を手配しました。
13日間となかなか長めの日程ですが、あの国にも行きたいあの街にも行きたいと欲張った結果、いつもの通りのんびり出来なさそうな旅程が出来上がりました。
4/24(金) 成田→イスタンブール
4/25(土) イスタンブール→リュブリャナ
4/26(日) リュブリャナ→ブレッド湖→リュブリャナ
4/27(月) リュブリャナ→ザグレブ
4/28(火) ザグレブ→プリトヴィッツェ湖群国立公園→ザグレブ
4/29(水) ザグレブ→ドブロブニク
4/30(木) ドブロブニク→コトル→ドブロブニク
5/01(金) ドブロブニク
5/02(土) ドブロブニク→モスタル
5/03(日) モスタル→サラエボ
5/04(月) サラエボ→ベオグラード
5/05(火) ベオグラード→イスタンブール
5/06(水) イスタンブール→成田
成田→リュブリャナ、ベオグラード→成田(ターキッシュエアラインズ)…124,100円
移動時間を考慮して、ザグレブ→ドブロブニクとサラエボ→ベオグラードは飛行機で移動することにしました。それ以外のバス・列車は現地で手配します。
ザグレブ→ドブロブニク(クロアチア航空)…US$56.45(6,877円)
サラエボ→ベオグラード(エアセルビア)…106.23EUR(14,526円)
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
昨夜なかなか寝付けなかったので、早起きが辛い。久しぶりの移動日だというのに二度寝の誘惑に抗うのが大変でした。今日は8時発のバスでモスタルに向かいます。余裕を持って早めに出発するつもりでしたが、なんだかんだグズグズしてしまって部屋を出たのは7時10分過ぎでした。
3日前にこの宿に来た時に、チェックアウト時の鍵の返却をどうしたらいいかを尋ねたら、おじいさんは2階の住居スペースにいつもいるから大丈夫という返事でした。2階まで鍵を返しに来て良いという事なんでしょうが、朝早くに訪ねるのも申し訳なかったので、メモを添えてキッチンのテーブルの上に置いていくことに。
部屋を出ると、ドアの前にこの宿で飼われている猫がいました。警戒心が強くて私が近寄るとすぐ逃げてしまう猫です。庭の階段を下りて出て行こうとしたら、その猫が「奴が逃げる!逃げるぞー!!(バーノンおじさん)」とばかりに2階のバルコニーに向かってニャーニャー鳴きまくりました。なんて賢い猫だ!これまでも出掛けに出くわす事はあったのに、今回はいつもと違ってもう戻らないことが分かっているらしい。
果たして猫に呼ばれたおじいさんが顔を出したので、挨拶をして出てきました。
そんなこんなで、ピレ門前のバス停に着いたのが7:20。今日は小雨がパラつく天気だったので、コンズム側の屋根のあるバス停で待ちました。右側通行なので西へ向かう1A・1Bバスはこっち側のバス停に停まるはず…と思っていたら、反対車線のバス停に1Aのバスが停まり、Uターンして西へ走り去っていきました。 ?!! どういうこと?
歩き方の路線図を確認したところ、どうやら1A・1Bのバスはピレ門より東には行かないようです。つまりピレ門前で車体がどの方向を向いていようと、まっすぐ長距離バスターミナルに向かうということ。
しまった…!今のバスに乗れなかったのが致命的かもしれない。一気に血の気が引きながら反対車線へ移動。全く知りませんでしたがピレ門前には市内バス乗り場が中央分離帯も含めて3か所あり、それぞれ停まるバスの番号が分かれているのでした。時刻表の上部に停まるバス番号が書かれていますが、このバス停のその部分は破り取られていました。おいおいおいおいおいおい…ふざけんなよ。その情報は重要過ぎるだろ。
ここから長距離バスターミナルまでどのくらいかかるんだっけか…もうタクシーに乗らないと間に合わないかも…このまま1A・1Bのバスを待つか、タクシーに乗るか…。どっちを選んでも判断が遅れて8時に間に合わなかったら取り返しがつかないぞ。
究極の選択に頭を悩ませていたら、幸いにして間もなく1Bのバスがやって来ました。7:30にピレ門前を出発。他に旅行者が乗っていないようだったので、長距離バスターミナル前のバス停を見逃さずに降車ボタンを押すべく緊張して前方の景色に目を凝らしていたら、隣に座ったご婦人が「次がバスターミナルよ」と教えてくれました。ありがとうございます!こうして7:40には長距離バスターミナルに到着することが出来ました。ああよかった。 -
既にユーロラインズのバスが停車しており、乗客が荷物を積み込んでいました。私も預けます。10Kn(約180円)。
このバスの終点はサラエボでした。 -
ちょうどコインが余っていたので、バスターミナル内の有料トイレに入りました。入口が自動改札風になっており、3Kn(約54円)投入すると通れます。有料トイレに入ったのは、この旅でこの時だけでした。
これでクーナコインが小額リーパ(クーナの補助通貨)1枚残して綺麗になくなりました。もちろん、蒐集用のクーナコイン全種類は別にしてです。 -
車内に乗り込んでからチケットを購入する人が多く、出発が10分程遅れました。
出発直後、バスターミナル西の川沿いから大きく廻り込んで、高い位置にある橋の上にあがりました。ザグレブ→ドブロブニクの機内から見えた橋です。 -
1時間ほど走って国境。係員が乗り込んできてパスポートをパラパラ見て廻りましたが、スタンプは押されませんでした。
イミグレの建物、というか窓から見える範囲はクロアチア側もボスニア・ヘルツェゴビナ側も外観がそっくりでした。 -
ボスニア・ヘルツェゴビナ側に入って間もなく、トイレ休憩がありました。
看板によると、ここはネウムという町のようです。 -
と思っていたら、再出発して間もなくまたイミグレがあってクロアチアに入りました。なんだ?国境線が入り乱れてるんだな。
知らなかったというかこの時すっかり忘れていたんですが、ネウムはボスニア・ヘルツェゴビナ唯一の海に面した町だったのでした。ドブロブニクはネウムによってクロアチア本土から分断されている飛び地だったのです。
それからまた暫く走って10:30頃、またクロアチアのイミグレに着きました。また係員が乗り込んできて席を廻り、今度はスタンプを押してくれました。新しいページのど真ん中にボーンと押されたけど嬉しい。スタンプによるとMETKOVICという国境でした。
その後停車したまま、今度はバスの車掌の女性が席を廻ってパスポートを回収していき、外に持って行きました。10:50頃にパスポートが返って来ましたが、ボスニア・ヘルツェゴビナの入国スタンプは押されていませんでした。
兎にも角にも、ボスニア・ヘルツェゴビナ入国です。 -
クロアチアとの違いを発見するべく、車窓の景色に目を凝らします。うーん…国境付近だから建物は同じような感じだけど…若干質素で古ぼけてるかな?天気が良ければ印象が変わるかもしれませんが、しかしボスニア・ヘルツェゴビナにはどんよりとした空が似合っているような気がする。勝手極まりない意見ですが。
そして慰霊碑らしき十字架や墓地が目につくような気がしました。
国境とモスタルのちょうど中間辺りで、観光地らしい所を通りかかりました。国内から来ているらしい観光客が大勢、駐車場から坂を上っていきます。トルコ風のモスクがあって巡礼地のようでもありますが、山の上にあるのはお城?砦? -
ユーロラインズは国際移動のみに使えるものだと思っていましたが、ボスニア・ヘルツェゴビナに入ってからもバスターミナルに立ち寄って客を乗せていました。
モスタルのバスターミナルに着いたのは12時近く。歩き方にはドブロブニク~モスタル間は所要3時間とありますが、4時間近くかかりました。国境で結構待たされたからなあ。
雨が降っています。モスタルのバスターミナルは駅と直結していました。 -
鉄道駅の窓口に行って明日のサラエボ行きのチケットを購入しようとしたら、「チケット販売は11時半までだから」と窓を閉められてしまいました。えーっ?!ついさっきじゃん!
張り紙によると窓口が開いているのは6:30~19:30ですが、チケット販売は10:30~11:30と16:00~17:00に限定されているようです。なにそれ正気? -
時刻表によると、サラエボ行きの列車は朝と夜の2本あるようです。
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鉄道に乗りたかったけど16時にまた買いに来るのは面倒過ぎるので、サラエボへはバスで行くことにしました。
バスターミナルのチケット売り場、入口のガラスに大きく行き先ごとの時刻表が書いてあります。素晴らしい!サラエボ行きのバスは6:00発、7:00発、9:00発、11:00発、15:00発、18:15発の一日6本。素晴らしい!
明日(5/3)の9時発のチケットを購入しました。20KM=10.52EUR(約1,400円)、15ユーロ払って8コンベルティビルナ・マルカ(以下KM、略してマルカと呼んでいるようです)のお釣りを貰いました。一応クロアチアクーナで支払えないか聞いてみましたが、無理でした。ですよね。
駅周辺には両替所が見当たりませんでした。トイレは駅にもバスターミナルにもあるけど有料、1KM。 -
今旅一番の本降りの雨の中、予約した宿を目指して南進。バスターミナルとスターリ・モストは1km程離れており、宿は途中にあります。
凄い形の集合住宅。 -
肉屋に丸ごとの肉が吊るしてありました。ヨーロッパではあまり見ない、イスラム圏らしい風景。何の肉だろう?
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何の建物だろう?古代の壁画みたいなレリーフ。
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カラジョズ・ベゴヴァ・ジャミーヤらしきモスクが見えてきました。Booking.comの地図によると、宿は正面の道を挟んですぐ右にあるはず。
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と思ったら、そこは墓地でした。
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あれーおかしいな…周辺を歩いてもそれらしき宿が見当たりません。
カフェの前を通りかかったら、座っていたおじさんに「ニッポン?」と笑顔で声を掛けられました。ジャパンじゃなくてニッポンが出てくるなんて!おじさん只者じゃないな。
こんな感じで現地の人に笑顔で声を掛けられることが何度かありましたが、地図を片手にバックパックを背負って見るからに迷っている旅行者であるにもかかわらず、「どうしたの」とは一度も聞かれなかったのが印象的でした。 -
通りを行ったり来たりして探し回りましたが見つかりません。こういう場合って目的地に辿り着いてみて初めて、実は迷いたての頃にすぐ近くを通っていたことが分かったりするんだよなあ…。
通りにあったアイスクリーム屋さんでバウチャーの住所を見せて尋ねたところ、「これは…すぐそこだよ!」と斜向かいの建物を指してくれました。ええっ!ありがとうございます!
そこにあったのはPANSIONI GUMA。…私が予約してるのはGUESTHOUSE GUMAっていう名前なんだよなあ…。 -
とりあえずここで聞いてみようと扉を開けると、中はこんな感じでドアには鍵がかかっていました。 ええ…ここじゃないのかなあ?人の気配がない。
再び外に出て捜索。地図のポインタが示していた墓地の近くをうろうろしていたら、すぐ隣の民家の2階のテラスにいたおじいさんと娘さん?と目が合ったので、助けを求めるように近付いて行ったらおじいさんが階段を下りて来てくれました。
おじいさんが老眼鏡を掛けたり外しながら一生懸命地図と住所を見てくれ、「この住所はここじゃなくて、こっちだよ」と、ポインタから2ブロック離れた辺りを指してくれました。本当ですか!この場所はさっきの…ボールペンを渡して地図に印を付けて貰い、お礼を言って再出発。次第に小降りになっていた雨は、この頃には止んでいました。 -
PANSIONI GUMAの隣には同じGUMAという名前のカフェがあり、おじいさんもそこに行くようにと教えてくれたので、そこのセイン・カミュ似の店主に聞いたら「ここだよ!ようこそ!」と鍵を持って部屋に案内してくれました。
店主は1階の入口の鍵と部屋の鍵をくれて去って行きましたが、名前も聞かれず、パスポートを見せろとも言われませんでした。
ドアには部屋番号などが一切書かれていませんでしたが、中はとても綺麗。ベッドが3つもある!エアコンもテレビもある!テレビの上にパスワードが書かれた紙が貼ってあって、Wi-Fiが使えました。
Booking.comで予約して、朝食なし専用バスルーム付き1泊で12EUR(約1,596円)。2ユーロで朝食が付けられるようですが、あのカフェで食べるのかな。 -
荷物を置き、ホッとしてトイレに入ろうとしたら、こんな一瞬で部屋の鍵を無くすというミラクルを起こしました。10分くらい必死に探して自分のバッグの中に発見。もう駄目だ…。
カフェに戻っていった店主の所に行き、路上で宿代を支払いました。「12.50EURだよ。(バウチャーを見せる)あ、12EURだったね」という感じで領収書もなし(尤も今回泊まった宿でくれたのはリュブリャナとベオグラードだけでしたが)、結局パスポートの提示を求められませんでした。こんなの初めて。大丈夫なんだろうか?
と思ったら大丈夫じゃなかったようで、帰国した次の日にBooking.comからノ―ショー(無断キャンセル)の連絡が来ました。慌てて泊まったよ!写真もあるよ!宿代も払ったよ!キャンセル料請求しないで!とメールを返したら誤解が解けたような返事が来ましたが、未だ予約履歴のステータスはノ―ショーのままです。何なんだ…。サイトの写真を見ると確かにこの宿なので、間違えて別の宿に泊まったという訳でもありません。未だに宿の名前が違ってるけど、地図のポインタはいつの間にか正しい位置になっていました。 -
さっそく観光に出掛けました。旧市街は宿から南に歩いてすぐです。
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丸い石が敷き詰められた石畳の通り沿いに、土産物屋やカフェが並んでいます。
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トルコの国旗だ。トルコの家(っていう観光スポット)?…じゃないよなあ。
モスタルの町にはトルコらしいものが溢れていました。土産物も、料理も、モスクのデザインも、女性の服装も。予備知識が無かったので、初めはスカーフを被った女性達をトルコからの観光客かと思っていました。
13世紀から19世紀までオスマン帝国に支配されていた関係で、ボスニア・ヘルツェゴビナにはトルコ式のモスクがあったりイスラム教徒が多かったりする訳ですが、女性がスカーフを被るようになったのは、内戦を経てムスリム人(ボシュニャク人、オスマン帝国支配下でイスラム教に改宗した南スラブ人の末裔)の民族意識が高まったためらしいです。 -
大抵の土産物屋にはナザール・ボンジュウがあってトルコらしかったですが、なぜかこのお店にはマトリョーシカもありました。
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銅製のお盆や食器、素晴らしいデザイン。
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両替所を探しながら石畳の通り沿いに歩いていくと、スターリ・モストが見えてきました。
スターリ・モストはオスマン帝国時代の1557年から9年もの歳月をかけて造られました。当時どうやって造ったのか現在でも解明されていないくらい、高度な技術を駆使した建築物だったそうです。 -
イチオシ
橋の上は人でいっぱい。
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濡れて滑る石畳を上っていきます。
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脇道には階段も。
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出た!これぞボスニア・ヘルツェゴビナという土産物!薬莢を加工したボールペン。クロアチアも泥沼の紛争を経験していますが、このような土産物は見ませんでした。
購入しても空港の荷物検査で引っ掛かって持ち帰れないらしいし、実際に使われた銃弾という事実が恐ろしいので、興味はあるけど欲しくないです。 -
スターリ・モストの上は坂なので、滑り止めの石の出っ張りがあります。幅がちょうど良く、この上だけをヒョイヒョイ歩くといい感じ。
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橋の上から見るネレトヴァ川。『エメラルドグリーン』というよりまさに本物のエメラルドや琅玕のヒスイのような深い色で、何とも言えず美しい!
川の右側に見えるモスクはコスキ・メフメット・パシナ・ジャミーヤ。真っ白なモスクと深緑の川の対比がとても綺麗でした。
川を挟んで東側(右)がボシュニャク人(ムスリム人)、西側(左)がクロアチア人と住み分けがされているそうです。 -
凄い混雑で、なかなか向こう側に行けません。
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橋の南側。川は北から南に流れています。
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橋の再建と町の復興に資金援助した国と機関の一覧。
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橋の向こう側に行かずに引き返して、遂に両替所を発見。
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120Kn両替したら全部コインになりました。最高額コインの5マルカは約355円と結構高額で、直径は500円玉よりもだいぶ大きい。
日本円からも両替できます。
これで漸くご飯が食べられる。レストランを探して歩きます。 -
あ、DON'T FORGET。あの有名な石をまだ見てない。
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スターリ・モストの上から飛び降りるパフォーマンスでチップを稼いでいる若者達がいました。この人達のせいで渋滞が酷いんだよな。橋を通る度に見かけました。
このとき若者達が掲げていたのはスロベニア国旗。なんで? -
橋の西側のたもとに発見!
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これが見たかった。上に何か乗せられてるけど。写真で見た印象よりも大きかったです。
スターリ・モストは1993年11月9日午前3時に、クロアチア系のカトリック民兵によって破壊されました。再建工事が完了したのが2004年6月23日。今現在は再建から10年目なんだな。 -
橋の西側にあったSADRVANというレストランに入りました。
旅行記を書く際に初めて気が付きましたが、歩き方で紹介されていますね。シャドルヴァーンって読むのか。 -
観光客で賑わう店内。
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メニューにはユーロ表記もありました。うお、高級そうなお店だと思ったけど安い!
ローカル料理を注文する事は決定していますが、種類があって迷う。色々な料理が1皿に乗っていてしかも他のメニューと値段が同じという非常にナイスなHome-Mixedという料理を注文しました。8KM=4EUR(約568円)。
ドリンクはボスニアンコーヒー(2KM=1.10EUR≒142円)を。 -
初めに運ばれてきたボスニアンコーヒーを見て目が点になりました。どうやって飲めばいいんだ…?
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きびきびと厨房に戻っていって今度は料理を運んできた店員さんを慌てて捕まえ、飲み方を教えて貰いました。
「カップに入っているのはお菓子、普通に食べる。(中略…スプーンで泡を掬って何かしていたけど忘れた…)空いたカップにコーヒーを注ぎ、砂糖を入れてよく混ぜて飲む」と説明しながら、実際にコーヒーを注いでくれました。
ほおお~…面白い!聞けば簡単だけど聞かなきゃ分からないな。カップはお菓子用の器にしか見えていなかったので、コーヒーをピッチャーから直接飲んだり砂糖壺に注いだりしちゃいそう。
粉っぽくて濃いコーヒーでした。もしかして今夜も眠れなくなる?
爪楊枝が袋ごとブッ刺さっているお菓子は甘くてねっとりとしています。ロクムに近いものなのかな。 -
Home-Mixedは小ぶりのタジンのような鍋で、蓋がされた状態で運ばれてきました。
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左からボスニアンクッキー、パプリカの肉詰め、(メニューにはスモールソーセージとあったけど)角切り肉の煮込み。ピラフとサワークリームが添えられています。
牛肉の煮込みが激ウマ!柔らかい肉を久しぶりに食べて感動。パプリカの肉詰めも美味しい、ホッとする味。ボスニアンクッキーは肉汁が染み込んだ若干粉っぽいクッキーという感じで、あまり口に合いませんでした。サワークリームも付けない方が好きだな。
運ばれてきた時はそんなに量がないように見えましたが、意外にボリュームがあって食べ切れませんでした。満足!このお店はお勧めです。 -
足元にはおこぼれを狙う子猫。頑なに顔を上げようとしない子猫でした。
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食後はネレトヴァ川の西側を散策。
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川の上流に小さめの橋がありました。スターリ・モストそっくり!
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全体のフォルムは似てるけど、スターリ・モストとは全く違う石造り。
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周辺の建物も石造りでメルヘンチック。モスタル旧市街の建物は、屋根瓦が平たい石なのが特徴的でした。
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川は水量が多くて流れが力強い。流れの強さのために、角にゴミが溜まって抜け出せない様子。一網打尽で掬いやすそう。
後から知りましたが、この川はネレトヴァ川じゃなくてラドボリャ川でした。この先でネレトヴァ川に繋がっています。 -
橋の先から通りに出られました。
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土産物屋でポストカードを購入。1枚1KM(約71円)で買いましたが、別のお店で4枚2KMで売っているのを見てちょっとショック。
商品のランプに灯りがともっていて綺麗でした。 -
モスタルでもサラエボでも、アイスクリームはどこでも1スクープ1KM(約71円)で売っていました。安い!最高!
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イチオシ
名前がよく分かりませんが、ミルクアイスにチョコレートの欠片が混ざっているアイスを購入。もちろん美味しい。
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DON'T FORGET '93の石があるのは、内戦の展示をしているこの建物の前です。
ちなみにスターリ・モスト博物館は橋の反対側。 -
ぐあっ!こんな物を発見。薬莢で作った戦車や戦闘機!
ボスニア・ヘルツェゴビナの人々にとって内戦は辛い記憶以外の何物でもないと思いますが、兵器を利用して土産物を作るという発想は逞しいというか何というか、正直あまり理解できません。ブラックジョークというか悪ノリというか。使用済みの薬莢ということは、これが人を殺したかもしれないのに。
辛い事も笑い飛ばそうという気概の表れなのかもしれませんが。 -
ともあれモスタルには魅力的なお土産が溢れていました。品揃えが豊富で、どれもセンスが良いです。
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普通の建物の合間に急に表れる、銃弾の跡が残る廃墟。
旧市街が物凄く混雑してきたので、スーパーに寄ってから一旦宿に帰ろうと思いましたが、現在地が分からなくなってしまいました。
同じ所を何度も行ったり来たり。迷いすぎてMOSTARの綴りがMONSTERに見えてきました。 -
塔がめちゃくちゃひょろ長い教会がありました。後から知りましたが、Wikipedhiaのモスタルのページに写真が載っている教会でした。聖ペーター教会。
…あれ?教会の本体部分はどこへ?妙にひょろ長いと思ったら下に何もないじゃないか。Wikipedhiaの写真にはあるのに。 -
気持ち悪いくらい穴だらけの廃墟。これ全部銃弾の跡?どうしてこんなに撃つ必要があったんだろう…。
破片が落ちてくる可能性があるからか、脇の歩道は柵で仕切られて通れないようになっていました。車道にはみ出しながら先へ。 -
私がスマホに入れている地図アプリMAPS.MEはWi-Fi環境がないと現在地のポインタが動かないっぽいんですが、オフラインでもダウンロード済みの国の地図は見られます。私はネレトヴァ川の東(バスターミナルや宿がある方)にいるつもりでしたが、ポインタは川の西側の的外れな位置にありました。
やっぱりポインタの位置は合ってないんだと思い、通りすがりに発見したツーリストインフォメーションでスマホの地図を見せて現在地を教えて貰いました。職員の男性が「現在地は…まさにここだね!」と示してくれたのは、ポインタの位置。えーっ!!いつの間に西側にいたんだろう?!何度もスターリ・モストを渡って分からなくなったのか…いや、ラドボリャ川のスターリ・モストそっくりな橋を渡った時に、ネレトヴァ川を渡ったつもりになっていたんだ。それで迷ったのか。
どうやらMAPS.MEのポインタはネットに繋がっていなくても、Wi-FiをONにしてさえいればポインタが動く(時もある)ようです。まだ要検証だな。
とにかく旧市街に戻って来られました。 -
橋の反対側に行きたいのに、旧市街は芋を洗うような混雑。今回の旅でこんなに混んでいる観光地は他にありませんでした。東京ミレナリオくらい混んでるな。
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橋の入口もこの通り!橋の頂点にかけて混んでいて、皆てっぺんで留まるので下りは空いていました。
こんなに混んでたら観光どころじゃないな。日帰りの観光客が帰った後にするべきだ。やっぱり一旦宿に帰ろう。 -
何このおもちゃ楽しそう。
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大混雑の旧市街をやっとのことで抜け出しました。新市街は、旧市街の渋滞が嘘のように閑散としていました。
5つ星歯医者!!(笑) -
ボスニア・ヘルツェゴビナにもコンズムが沢山あります。
広めの店内はかなりガラガラでした。物凄い人口密度の偏りを体験してるなあ。 -
なんとキティちゃんのクッキーを発見!クロアチア製。無許可かと思ったらちゃんとサンリオのロゴがありました。ヨーロッパでのキティちゃん人気は本当凄い。
ロクムはアルバニア製でした。珍しいパック入りのジュースはボスニア・ヘルツェゴビナ製。
全部で4.25KM(約302円)。 -
夜景が見たいので宿で時間を潰し、夕方になってからまた出掛けました。6:20だけどまだまだ全然明るいな…。
宿の中庭(?)に出た所の粗大ごみの上にいた超イケメンの猫。なんだこれ…こんなイケメン猫見たことないレベルのイケメンでした。 -
昼間行った両替所にまた行きました。200Kn両替しようとしたら今度は大きい額の札(50KM≒3550円)しかないと言われ、逆に追加の小銭を要求されました。こんな高額紙幣、レストランくらいでしか使えないのでは…。お腹空かさないと。
橋を下から眺められるスポットを探しに行きました。
スターリ・モストを渡って階段を上った後に坂を下りたら川に出られました。 -
段差に座って日記を書いていたら、釣り人がやって来ました。
私は釣りのことはさっぱり分かりませんが、上流に向かって餌無しの針を投げ、流れに逆らわずに川に流した後で引き上げていました。
暫く見ていましたが、1匹も釣れなかったようです。
橋の上から例の若者が飛び込むのが見えました。頭からではなく足から。歓声が湧き起こりましたが、場所が場所なだけにバンザイ岬の白黒映像が頭をよぎって背筋が凍りました。 -
川底には藻が生えていました。これで緑色に見えているのかな。
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水量が豊かなネレトヴァ川を眺めていると、なんとも心が落ち着きます。
日が暮れて灯りがともるまでここにいようと思っていましたが、一向に暗くなる気配がない。待っていられないので諦めて去ることにしました。 -
戻る途中の民家の前にいた上品猫。今回の旅で会った殆どの猫はカメラ目線でポーズを決めてくれるな。それは嬉しいんですが、一定以上近付くと皆逃げてしまうので、撫でさせてくれた猫はほんの一部でした。
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途中の道から聖ペーター教会の塔が見えました。
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うわー紛争の時の品?
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イチオシ
少し青空が見えてきました。
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イチオシ
夕日は見えないけど夕焼けが少々。川面に映って綺麗でした。
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日が暮れるまで宿に帰ります。ついでに明日の朝食を買いにパン屋さんに寄りました。
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パンにクリームチーズを塗るのはそろそろ卒業しようと思い、ジャムが巻き込まれたパイのようなパンを購入しました。ハガキくらいのサイズでずっしり重いのに0.80KM(約57円)と激安。
見た目通り、非常に甘くてベタベタしていました。牛乳に合います。 -
8時過ぎにまた出掛けました。
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人通りはまばらになり、土産物店は店じまいを始めています。
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スターリ・モストもライトアップされていました。
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石畳がキラキラ光ってとても綺麗でした。
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橋の上からの眺めも良いねえ。
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石の上に乗っていた物も片付けられていました。
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既に閉まっているレストランも多かったです。川の西側にあるIRMA-TIMAというお店に入りました。
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串に刺さったシシケバブが食べたかったんですが、売り切れだそうで別のチキン料理を注文しました。
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注文したのはPileci batak bez kosti(8KM≒568円)。英語の解説文によると『骨なしチキンドラム、ミックスサラダ、伝統的なパン』。
ドリンクはピーチネクター(3KM≒213円)。常温ですが店員さんがグラスに注いでくれました。 -
ジューシーに焼かれたチキンが、ふわふわのナンのようなパンに乗っています。うまっ!チキンの安定感!チキンの上に乗っている黄色いのはニンニク。
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食事を終えたら完全に真っ暗になっていました。
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東側に戻ります。
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お店が全部閉まると印象が違いますね。こんなお揃いの扉だったんだなあ。
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真っ暗になってからのスターリ・モストも見られて満足。新市街に戻り、宿探しの時にお世話になったアイスクリーム屋さんに寄ってグリーンアップルアイスを購入しました。1KM(約71円)。色鮮やかな緑の、さっぱりしたシャーベット。
夜の新市街は賑やかで、旧市街と新市街の様子が昼間と完全に逆転していました。私の部屋にも外のカフェの音楽が聞こえてきてうるさかったですが、特に気にせずネットを利用して寛ぎます。
テレビをつけてザッピングしていたら、スターリ・モストが爆破される瞬間の映像を流しているチャンネルがありました。スターリ・モストは落される前から内戦で酷い損傷を負っていたようです。
暫くすると、外の音楽がピタリと止みました。やばい…これはバーが閉まるような時間まで夜更かししてしまったのでは。…時計を見たらやっぱり!早く寝よう。
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旧ユーゴスラビア5ヶ国周遊GW個人旅行 12(ベオグラード~成田)
2015/05/05~
ベオグラード
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