2014/10/29 - 2014/10/30
1062位(同エリア2715件中)
元カニ族さん
大学卒業50周年同期会を機に、私的に訪れたいところが2カ所ありました。それは三高寮歌に歌われている「吉田山」と、大学の2・3年生の2年間下宿した「南禅寺」でした。
「吉田山」の訪問記は次回とし、今回は「南禅寺」訪問を紹介します。南禅寺訪問は、同期会の宇治観光が予定より早く終了したので、同期生のS君と、宇治に近い「六地蔵」から、京都市営地下鉄で南禅寺に近い「蹴上(けあげ)」まで行くことで実現しました。
写真は私が下宿していた当時の南禅寺です。右の門が「中門」、左の門が「勅使門」、奥に聳えるのが「三門」です。
私が下宿していたのは「真乗院」で、「中門」の脇にありました(後述)。
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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地下鉄「蹴上」で下車し、参道を歩き「南禅寺」をめざしました。
南禅寺 寺・神社・教会
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私が下宿していた当時の「真乗院」の写真です。
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当時の本堂は、6室に区切られ、真中奥の1室に本尊がまつられ、その前は読経の部屋、その横は、庫裡に通じる部屋で、残る3室に3人の学生が下宿していました。私は、外側の2室に応援団の仲間と下宿していました。写真は私の部屋から外を見たところです。
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「あれ?!」「真乗院」があったと思われる場所に別の建物がありました。
良く見ると「観門亭」の看板があり、お土産を売っていました。 -
「真乗院」は楼なったのだろうか?と探すと、少しずれた所に写真のような現在の「真乗院」ありましたが、かなり形が変わっていました。
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失礼して、門の中を覗かせてもらったのが写真で、朱枠が私が下宿していた所に相当する部分です
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写真は、当時撮ったものですが、現在の建物は、明らかに昔と変わっていました。
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南禅寺を散策しました。下写真は石川五右衛門で有名な「南禅寺 三門」です。
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以下は、私が下宿していた時に撮った「南禅寺 三門」の写真です。
霧のかかった朝の南禅寺三門です。 -
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月夜の南禅寺三門です。
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写真は、その後方にある「法堂」です。
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「法堂」です。
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さて「蹴上」に戻って、地下鉄「蹴上駅」から地上に出ると、眼下に写真の「第二期蹴上発電所」が見えます。
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この発電所を動かしていたのは、「琵琶湖疏水」の水です。琵琶湖疏水は明治23(1890)年に5年の歳月をかけて完成しました。滋賀県大津市の取水地点から、京都市伏見区で一級河川濠川となる地点までの約20kmを流れています。疏水は次の3つからなっています。
第一疏水:運河としても利用された最初の疏水。
第二疏水:電力の需要増大に対応し、発電用として第一疏水とほぼ同じ取水地点から全線トンネルを流れ、蹴上付近で合流する疏水。
疏水分線:蹴上付近から分岐して北白川に至る疏水。「哲学の道」を流れる川は、この疏水分線の一部です。
明治2(1869)年、東京遷都が行われ千年続いた「都」の座を譲ることになった京都は意気消沈し、景気は衰退しました。このような状況の中、明治14(2881)年、京都の復興と近代化推進を目指して琵琶湖疏水工事が行われたのでした。
図は、説明板から抜粋した琵琶湖疏水の概略図です。琵琶湖疏水 名所・史跡
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蹴上発電所の近くに4枚の説明板があります。その内容をまとめると、蹴上発電所には次の第一期から第三期まであります。
第一期:明治23年〜明治30年かけて造られ、完成時には20基の水車と19基の発電機が備え付けられ、出力は1,760kw -
第二期:第二疏水建設とともには発電所が(現在の煉瓦造の建物)が明治45年に完成。
発電設備は発電機5台、水車5台、出力4,800kw -
第三期:昭和11年に完成した発電所で、現在も稼働。
発電機2台、水車2基 出力5,700kw
昭和54年に疏水の水が水道に多く使われるようになって出力4,500kwに減少。
以上から、第一期蹴上発電所は残っていない。現在ある煉瓦造の建物が第二期蹴上発電所、しかし現在稼働はしていない。第三期蹴上発電所のみが現在稼働している、ことになります。 -
第二期蹴上発電所の太いパイプです。こっれは現在の発電所へ行っていると思われます。
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写真は、南禅寺入口から見上げた「インクライン」跡です。
インクライン 名所・史跡
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写真は同じ場所の昭和15(1940)年頃の写真です。
インクラインは、琵琶湖疏水が舟運にも利用されましたので落差の大きい蹴上船溜りと南禅寺船溜りを結ぶ延長640メートルを台車に船を載せて上下させる施設でした。 -
写真は、南禅寺境内にある「南禅寺水路閣」です。
これは、琵琶湖疏水事業の一環として施工された水路橋です。延長93.17メートル、幅4.06メートル、水路幅2.42メートルで、煉瓦造、アーチ構造の優れたデザインを持つ、京都を代表する景観の一つです。
インクラインと並び、西洋技術が導入されて間もない時、日本人のみの手で、設計、施工されたもので、土木技術史上、極めて貴重なもの南禅寺 寺・神社・教会
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写真は「水路閣」の上を流れる「疏水分流」の流れです。
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水路閣の上流を見た写真です。
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南禅寺を見た後、南禅寺界隈の別荘地帯を歩きました。ここは明治新政府が召し上げた臨済宗南禅寺の敷地を開発した後に15邸の広大な別荘地帯が生まれました。
写真はその一つの「碧雲荘」です。ここは実業家二代目野村徳七が、大正時代から昭和時代にかけて増築した数寄屋造りの別邸です。2006年12月19日、国の重要文化財に指定されています。非公開ですが、同行のS君は「野村証券・京都支店」に勤めたこともあって、ここをよく知っていました。 -
「碧雲荘」です。
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「碧雲荘」です。
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写真は他の別荘です。表札が出ていないので、オーナーはわかりません。
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観光客を乗せた「人力車」が通り過ぎて行きました。
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この旅行記へのコメント (2)
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- 義臣さん 2015/04/11 17:56:42
- 初めまして
- 初めまして 50年前の南禅寺、想いで多い南禅寺さんです
始めて伺ったのが約60年前の事 岡部伊都子さんの
「観光バスの行かない」シリーズで興味をもち。
京都まで夜行列車で行ったのが最初でした。
砂利道の 南禅寺を思い出します
6年前には母校中学の生徒と修学旅行に、
班行動の集合地点が南禅寺ここから
三十三間堂まで歩いた日が有りました。
京都大学も重森さんの庭園美術館で出会った、筑波の中学生さんたちとであい
京都大学へ案内しようとしたら。 全員 志望校が筑波大ときき
私だけ食事に 学食へ、、
詰らない思い出話で 失礼しました
義臣
- 元カニ族さん からの返信 2015/04/12 20:22:21
- RE: 初めまして
- 義臣さま
コメント、および南禅寺の思い出をお書きいただきありがとうございました。
今にして思えば、南禅寺のお寺に下宿できたことは、本当に私の人生において貴重な経験でした。
冬は、お寺の本堂ですから、外界と隔てるのは障子と雨戸だけ、暖房もなく京都の底冷えに耐えました。しかし夏は、冷房も扇風機もありませんでしたが、天井が高い分、幾分涼しく過ごせました。若かったせいか、貧しい時代に育ったせいか、良く耐えたものです。
4トラの旅行記投稿は、はじめたばかりです。
今後ともよろしくお願いします。
元カニ族
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