下鴨・宝ヶ池・平安神宮旅行記(ブログ) 一覧に戻る
私は1960年、京都大学農学部農林経済学科に入学しました。「60年安保闘争」の年で、安保闘争の後、7月には岸内閣に代わって池田内閣が発足し「所得倍増計画」を打ち出しました。そして卒業したのは1964年、新幹線が開通し、東京オリンピックが開催され、まさに高度経済成長が始まる年でした。<br /><br />今年2014年は、大学を卒業して50周年になります。農林経済学科の同期生(入学31名、内4名他界)は2年ごとに同期会を行っていますが、今回は卒業50周年を記念した同期会で、私とY君が幹事に指名されていました。<br /><br />2014年10月29日、同期生19名が、農学部正門に集合しました。<br /><br />写真は、私の在学当時の農学部農学部総合館です。玄関の上には「京都帝国大學 農學部」の表札が掲げられていました。

大学卒業50周年同期会① 母校を訪問

23いいね!

2014/10/29 - 2014/10/30

823位(同エリア2715件中)

2

47

元カニ族

元カニ族さん

私は1960年、京都大学農学部農林経済学科に入学しました。「60年安保闘争」の年で、安保闘争の後、7月には岸内閣に代わって池田内閣が発足し「所得倍増計画」を打ち出しました。そして卒業したのは1964年、新幹線が開通し、東京オリンピックが開催され、まさに高度経済成長が始まる年でした。

今年2014年は、大学を卒業して50周年になります。農林経済学科の同期生(入学31名、内4名他界)は2年ごとに同期会を行っていますが、今回は卒業50周年を記念した同期会で、私とY君が幹事に指名されていました。

2014年10月29日、同期生19名が、農学部正門に集合しました。

写真は、私の在学当時の農学部農学部総合館です。玄関の上には「京都帝国大學 農學部」の表札が掲げられていました。

交通手段
新幹線 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

PR

  • 当時の京都大学農学部の正門に至る道路です。玉砂利が敷き詰められ、趣のある道路でした。

    当時の京都大学農学部の正門に至る道路です。玉砂利が敷き詰められ、趣のある道路でした。

  • 現在では、道路は中央で仕切られて、一方通行になっていました。

    現在では、道路は中央で仕切られて、一方通行になっていました。

  • 正門では、農林経済学科のOB組織である「洛友会」の事務局のSさんの歓迎を受けました。

    正門では、農林経済学科のOB組織である「洛友会」の事務局のSさんの歓迎を受けました。

  • 農学部総合館が5階建ての立派な建物になっているのに驚きました。

    農学部総合館が5階建ての立派な建物になっているのに驚きました。

  • 同じ場所から見た50年前の総合館です。

    同じ場所から見た50年前の総合館です。

  • 現在の総合館の正面玄関です。

    現在の総合館の正面玄関です。

  • 前掲と同じ、当時の総合館の正面玄関です。

    前掲と同じ、当時の総合館の正面玄関です。

  • 正面玄関から、中に入って行きました。

    正面玄関から、中に入って行きました。

  • 「生物資源経済学専攻(旧農林経済学科)事務室」前の廊下です。

    「生物資源経済学専攻(旧農林経済学科)事務室」前の廊下です。

  • 当時の総合館の廊下です。

    当時の総合館の廊下です。

  • 2階 E217第一会議室にて、専攻長I教授と懇談会を行いました。

    2階 E217第一会議室にて、専攻長I教授と懇談会を行いました。

  • 懇談会の後、事務局のSさんの案内で農学部構内を案内してもらいました。写真は総合館の中庭です。

    懇談会の後、事務局のSさんの案内で農学部構内を案内してもらいました。写真は総合館の中庭です。

  • 中庭に「四明」の碑がありました。

    中庭に「四明」の碑がありました。

  • 説明板があり、これは1981(昭和56)年に建立されたもので<br /><br />農学部は、京都帝国大学の七つ目の学部として1922(大正12)年に創設されました。授業は1924(大正13)年4月11日、第一期生69名を迎えて開始されました。同年9月、教官・学生及び卒業生の親睦をはかり、心身の修養することを目的として、「四明会」が設立されました。<br />会の名称は、学舎から比叡山頂の四明ケ嶽がよく見えることに由来しています。<br />「四明」の碑は昭和51年に総合館中庭に庭園を造成するという働きかけに応えた<br />卒業生らの寄付により建立されました。・・・・・<br /><br />と書かれています。

    説明板があり、これは1981(昭和56)年に建立されたもので

    農学部は、京都帝国大学の七つ目の学部として1922(大正12)年に創設されました。授業は1924(大正13)年4月11日、第一期生69名を迎えて開始されました。同年9月、教官・学生及び卒業生の親睦をはかり、心身の修養することを目的として、「四明会」が設立されました。
    会の名称は、学舎から比叡山頂の四明ケ嶽がよく見えることに由来しています。
    「四明」の碑は昭和51年に総合館中庭に庭園を造成するという働きかけに応えた
    卒業生らの寄付により建立されました。・・・・・

    と書かれています。

  • 写真は、日本最初のノーベル受賞者湯川秀樹博士の「湯川記念館」です。これは50年前にもありました。

    写真は、日本最初のノーベル受賞者湯川秀樹博士の「湯川記念館」です。これは50年前にもありました。

  • 写真の木造の美しい建物で、昭和6年に建設された旧演習林事務室です。私達の時代は農学部の事務所でした。

    写真の木造の美しい建物で、昭和6年に建設された旧演習林事務室です。私達の時代は農学部の事務所でした。

  • その内部で、今は全学で利用できる共用スペースになっているようです。

    その内部で、今は全学で利用できる共用スペースになっているようです。

  • 写真は、隣接する植物園(見本林)です。

    写真は、隣接する植物園(見本林)です。

  • 写真はノーベル賞受賞者の「益川記念館」です。<br />

    写真はノーベル賞受賞者の「益川記念館」です。

  • その前を歩く同期生たちです。<br />

    その前を歩く同期生たちです。

  • その先に「農学部グランド」がありました。50年前に比べすっかり整備され、背後に高層マンション、その先に比叡山が望めました。

    その先に「農学部グランド」がありました。50年前に比べすっかり整備され、背後に高層マンション、その先に比叡山が望めました。

  • 再び農学部総合館の前です。

    再び農学部総合館の前です。

  • 「農業簿記研究施設」です。農業計算学(農業簿記)や外書購読の授業を受けた懐かしい建物が昔のまま残っていました。

    「農業簿記研究施設」です。農業計算学(農業簿記)や外書購読の授業を受けた懐かしい建物が昔のまま残っていました。

  • その内部です。

    その内部です。

  • その後、農学部に隣接する「理学部」のキャンパスを歩きました。

    その後、農学部に隣接する「理学部」のキャンパスを歩きました。

  • 理学部キャンパスです。

    理学部キャンパスです。

  • 理学部の正門です。

    理学部の正門です。

  • そして京都大学の本部構内に移りました。ここには古いレンガ造りの建物が残っていました。

    そして京都大学の本部構内に移りました。ここには古いレンガ造りの建物が残っていました。

  • そして、京都大学のシンボル「時計台」に向かいました。

    そして、京都大学のシンボル「時計台」に向かいました。

  • 現在は「京都大学 百周年時計台記念館」になっていて、写真はその入口です。

    現在は「京都大学 百周年時計台記念館」になっていて、写真はその入口です。

  • 内部は歴史展示室、レストラン、カフェなどになっていました。写真は展示室にあった本部構内のジオラマです。

    内部は歴史展示室、レストラン、カフェなどになっていました。写真は展示室にあった本部構内のジオラマです。

  • 時計台の正面です。

    時計台の正面です。

  • 私が撮った、当時の時計台です。時計台の前は玉砂利でした。

    私が撮った、当時の時計台です。時計台の前は玉砂利でした。

  • 本部構内の正門です。正門は当時のまま残っています。

    本部構内の正門です。正門は当時のまま残っています。

  • 道路を挟んだその向かいには、私たちの時代の「吉田分校(教養課程)」の正門が当時のまま残っていました。

    道路を挟んだその向かいには、私たちの時代の「吉田分校(教養課程)」の正門が当時のまま残っていました。

  • 私たちは教養1年目は明日に見学に行く「宇治分校」で過ごし、ここ「吉田分校」では教養2年目を過ごしました。<br />現在ここは「総合人間学部」になっています。

    私たちは教養1年目は明日に見学に行く「宇治分校」で過ごし、ここ「吉田分校」では教養2年目を過ごしました。
    現在ここは「総合人間学部」になっています。

  • 現在の建物です。

    現在の建物です。

  • 上写真と同じ場所で撮った教養2年A3組の写真です。<br />このクラスは農学部の農林経済学科、林学科、農業工学科の学生を主体に構成されていました。

    上写真と同じ場所で撮った教養2年A3組の写真です。
    このクラスは農学部の農林経済学科、林学科、農業工学科の学生を主体に構成されていました。

  • この構内にある「吉田グランド」のバックネット裏の観覧席で、案内して頂いたSさんを囲んで記念撮影です。<br />上写真と比べ50年の経過を感じます。

    この構内にある「吉田グランド」のバックネット裏の観覧席で、案内して頂いたSさんを囲んで記念撮影です。
    上写真と比べ50年の経過を感じます。

  • この後、滋賀県のおごと温泉「雄山荘」に移動して懇親会を行いました。ここで3名が加わり、総勢22名になりました。

    この後、滋賀県のおごと温泉「雄山荘」に移動して懇親会を行いました。ここで3名が加わり、総勢22名になりました。

  • 出席者22名に集合写真です。農林経済学科の同期生は入学31名、内4名他界して、存命27名ですから、出席率は82%でした。<br /><br />明日は、ゴルフ組と、観光組に分かれ、観光組は教養時代を過ごした「宇治分校跡」と、宇治周辺の観光をします。

    出席者22名に集合写真です。農林経済学科の同期生は入学31名、内4名他界して、存命27名ですから、出席率は82%でした。

    明日は、ゴルフ組と、観光組に分かれ、観光組は教養時代を過ごした「宇治分校跡」と、宇治周辺の観光をします。

この旅行記のタグ

23いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

この旅行記へのコメント (2)

開く

閉じる

  • ももであさん 2015/04/06 21:33:15
    新旧カニ世代
    老カニ族さん こんばんは

    大学卒業50周年で出席率は82%とは、脅威的ですね。
    日本の高度経済成長を支えられたカニさんたち。
    今は、カニ道楽されていますか?

    大学入学当初は、ぼくもキスリングを背負っていました。
    あっという間にアタックザックに切り替わっていったので、
    カニ族最後の末裔かも知れません。

    高度経済成長はとっくに過ぎ去り、泡を吹くカニの
    ように、バブルがはじけたカニ世代です。

    ももであ

    元カニ族

    元カニ族さん からの返信 2015/04/07 10:51:19
    RE: 新旧カニ世代
    > ももであさま

    書き込みありがとうございました。

    私の長男も、学生時代は私と同じく、今でいう「バックパッカー」になって、日本および世界を旅行していました。

    私の学生時代は、海外旅行は夢のまた夢。
    海外に行きたくて、大学卒業後、貿易商社に就職しました。

    10年前に退職し、その後自由な海外旅行をしましたが、すべて4トラに登録以前です。
    今後、機会をみて、これら古い旅行の記録をアップしてみようかと思っています。

    こんごともよろしくお願いします。

    元カニ族

元カニ族さんのトラベラーページ

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったスポット

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

この旅行記の地図

拡大する

PAGE TOP