2014/12/07 - 2014/12/07
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たびたびさん
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枚方と聞けば、関西の人なら、多分、ほとんどの人はひらかたパークっていうイメージでしょう。そして、ひらかたパークといえば、菊人形ですよね。昔昔に行ったことがありますが、すごく規模が大きいし本格的なんですよね。
ただ、今回はちょっと変わって、歴史の視点から探訪してみることにしました。
枚方を通る街道は、京街道または大坂街道と言われ、大坂京橋と京都伏見を結ぶ街道です。元々は、豊臣秀吉が築かせた淀川左岸の堤防が街道として利用されるようになったものですが、一方では、京都を通らず、東海道から大坂に直接向かう街道としての意味もあって、伏見宿、淀宿、枚方宿、守口宿は、東海道57次としても位置付けられたのだとか。
特に枚方宿は京都と大坂の中間でもあり、淀川の中継港としても繁栄したということで、枚方市駅から枚方公園の間にはその宿跡が比較的きちんと残っています。歩くだけなら10~15分。とても手軽な観光が楽しめました。こんないいところが身近にあっても京都や伏見というすごい観光地があるので陰に隠れて知られていない。とても、もったいないことだと思いました。
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今日は、枚方を歩くんですが、途中、伏見を通るので、ちょこっと途中下車をして、気になる場所をチェックしておきましょう。
で、伏見稲荷駅から伏見稲荷に向かう途中に、100円均一のパン屋さんがあって、これがルナール。 -
朝飯代わりにここでパンを買いました。安いだけじゃなくて、ちゃんとおいしい。大きさは少し小さめのような気がしないではないですが、、品質は手抜きなしだと思います。
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JR稲荷駅の隣りにランプ小屋という小さな煉瓦の建物があります。旧国鉄最古の建物だそうですが、ちょこっと外観を見ようと思ったら、事前に予約をしないと内部は見れませんとのこと。というか、予約をすると内部が見れるんですね。駅員さんに言われて、逆にこっちがびっくりしてしまいました。
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伏見稲荷は、京都でも指折りの観光スポット。
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私は何でそうなのか、疑問に思わないことはないんですが、この鮮やかな朱色の分かりやすさも理由の一つかもしれません。
私の持論では、一流の観光スポットは、寺宝、建物、庭が一流じゃないといけません。しかし、それでも、例えば、寺宝が国宝ですとか、庭が名勝庭園ですだけでは超一流ではないんです。そこに物語がないと超一流ではない。物語の中でも、源氏物語とか平家物語にゆかりがあるなら文句なし。幕末の龍馬ゆかりとかもポイントは高いです。そして、物語があるんなら、逆に、寺宝、建物、庭の三つは揃わなくても超一流。大原の寂光院とかが典型です。まあ、それがどうしたというくらいのことではあるんですが、いかがでしょうか(笑) -
さて、稲荷にキツネは付き物なんですが、伏見稲荷大社境内のキツネって言っても、何か特別なことがあるのかなあ。稲荷神社にはキツネは付き物でしょとか思っていましたが、言われてみれば、バリエーションが多いことは多い。これは玉をくわえていますが、巻物をくわえたのもいるし、尻尾の先に何かを乗せたのもいます。
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それぞれ意味はあるんでしょうが、これ以上はよく分かりません。
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東丸神社は、伏見稲荷の境内にある神社ですが、独立した神社のようですね。ここは、江戸時代の国学者で、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤と並んで国学の四大人の一人とされる荷田春満が祀られている神社。学問の神様として信仰を集めているそうです。
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ぬりこべ地蔵は、伏見稲荷神社から石峰寺に向かう途中。お墓の隣りなんですが、明るい開けた場所なので、地蔵の前の腰掛には、ここで休憩をする団体さんがいたりして、なんか面白い。なお、地蔵さんは祠の奥に見えています。
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そして、石峰寺へ。
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こちらは、伊藤若冲ゆかりの寺です。
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つまり、若冲は晩年まで10年間をここで過ごし、
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お墓も
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ここにあるんです。
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ここから奥が見どころの五百羅漢。写真撮影が禁止なのでお見せできませんが、この五百羅漢も若冲が下絵を描き、彫らせたものなんだそうです。
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何年もかかって出来たようで、それなりに力を入れていたことがわかります。
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イチオシ
境内には、晩秋らしく、赤い木の実が実っていたり、
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手入れもよく行き届いていて、
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気持ちがいいお寺だと
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思いました。
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次の宝塔寺は、石峰寺から回りました。山門から参道が小高い山の上に続いて、名刹と言った雰囲気が漂います。
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ここは日蓮宗の寺ですが、前身は極楽寺と言って、平安時代、藤原基経が創建し、源氏物語にも言及されたという歴史。
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イチオシ
境内奥には、見事な多宝塔もあって、なかなかこれも見応えがあるでしょう。
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以上で伏見稲荷を後にして、樟葉に到着。
KUZUHA MALLは、樟葉駅の駅前に建つ巨大モール。 -
斬新なデザインも特徴的でいくつかの建物が組み合わさったような構造です。面白いのはそれぞれの入口も個性があって、何か違った商業施設を訪れたような感覚になること。これも飽きがこないように計算されたものなのか。いずれにしても面白い設計です。
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SANZEN-HIROBAは、くずはモールの南館。ちょっと外れの感じです。
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この日は、ダンスのコンテストが行われていまして、若いというか子供みたいな子も含めて、たくさんの人が集まっていました。明日のスターを夢見てかどうかは分かりませんが、審査員も真剣そのもの。写真を撮ろうとしたら、厳しく注意されてしまいました。申し訳ありません。
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くずは中央公園は、京阪樟葉駅から歩いて15分くらい。駅前のくずはモールを越えて行ったところです。道すがら寄っただけなのですが、まあ、普通の都市公園。池というか溜池のようなところがあって、周囲がフェンスで囲われていました。潤いがあるような、逆に危険が潜んでいるような。ちょっとミスマッチな光景でした。
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九十九堂は、樟葉中央公園をちょっと過ぎたところ。若いご主人がやっている和菓子屋さんです。
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いただいたのは、豆大福。で、何んとここの豆大福の豆は、ちょっと焼き味の香ばしさがあるんですね。こんなの初めてですねえ。間違いなく珍しいです。餡子も艶があるし、意外なうまさ。なかなかのレベルに感心しました。がんばっている和菓子屋さんだと思います。
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そして、これが気になっていた安養寺。ここまで来ると樟葉駅からはけっこうな距離です。
一見、何でもないような寺なんですが、開基はあの行基。 -
本堂の前に府の有形文化財に指定されたという石製露盤がありまして。これは、塔の宝輪の最下部にある方形の台のこと。石製の露盤はとても珍しいのだそうです。ただ、ちょっと微妙だったかなあ。。
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で、今度は牧野駅にやって来ました。
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これは、枚方市がやっているレンタサイクルが「ひらリン」。200円で午前6時〜午後9時って、民間でもこんなところはないでしょう。ものすごいです。ただ、牧野駅から少し離れているし、知らない人も多いでしょう。
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私も偶然見つけた次第。しかし、牧野車塚古墳とか御殿山駅までの間にある観光スポットは歩いて回るのはかなりしんどいと思ったていたので、このレンタサイクルにはかなり助かります。
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ということで、ここからはレンタサイクルです。
阪今池公園は、京阪牧野駅から川沿いに少し行ったところ。川から一段下がったところに整備された公園なのですが、周囲には涼しげな背の高い木が並んで生えていて、ちょっとおしゃれな雰囲気も。親子連れが遊んだりしてもいるし、なかなかいい公園です。 -
片埜神社は、野見宿禰が当麻蹴速との相撲に勝った恩賞として当地を拝領したのが始まり。
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野見宿禰は、出雲国の豪族であり、同じく出雲の神である素盞嗚尊を祀って、一族の鎮守としたそうです。
現在の本殿は国の重要文化財。豊臣秀頼によって造営されたもの。さほどの大きさではありませんが、境内も含めて、清々しい雰囲気があって、気持ちの良さが感じられました。 -
その北隣にある、この牧野公園も、元々は、片埜神社の境内だったそうです。桜の名所として知られるのですが、起伏があまりないので、変化という意味ではどうなんでしょうか。
ただ、交野ヶ原と呼ばれた枚方・交野は、平安時代から桜の名所として有名だったという歴史もあるので、そういった歴史が偲べる価値はあるのかもしれません。 -
公園内にある阿弖流為 母禮之塚は、アテルイ・モレ之塚。蝦夷のリーダーである2人のことですね。蝦夷は、大和朝廷に圧迫されて追い詰められ、坂上田村麻呂と戦います。坂上田村麻呂は、二人の命は守ると約束して都に連れ帰ったはずなのですが、それはかなわず。悲劇の結末となりました。罪を負ったわけでもないのに、やりきれない思いが残ります。
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宇山遺跡は、牧野公園のそば。公民館の敷地の中に古ぼっけた遺跡の説明板が建っていました。古墳時代の遺跡なんでしょうが、枚方の辺りは、仁徳天皇が大規模な土木工事をしたという地域。早くから開けていた場所であることを示すものだと思います。
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大阪歯科大学牧野学舎本館も枚方公園のお隣です。駅からは相当な距離なんですが、こんなところにあっても皆さん通学は大丈夫なんでしょうか。
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ちょっと、散歩させてもらいましたが、その分、大学内は公園みたいに静かな環境。勉学に集中できる条件は整っているようには思います。
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ミサキヤは、そばにある洋菓子屋さん。
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オレンジカステラをいただいたのですが、気が付くと、店内には喫茶スペースがあって、お客さんがちらほら。この辺りにはお店が少ないので入ってみたのですが、やはり、そういう憩いの場所だったんですね。きちんとした味わいのカステラにも納得の私でした。
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さて、ここからは別の目的地に向かいます。
みうらは、牧野本町の交差点角にある和菓子屋さん。小さなお店ですが、ちょっと老舗の匂いが漂います。 -
いただいたのは、いちご大福ですが、いちごの粒が大きいしきちんと甘いじゃないですか。こんなところで手を抜いていないことがお店のスタンスをちゃんと表しているように感じました。
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で、これが九頭神廃寺史跡東公園。まったくの住宅地の中ですね。
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塀がちょこっと復元されたり、説明板もないことはないのですが、小さな公園だし、それが何を意味するものなのかとかあまり気にしている人はいないかも。
とにかく、九頭神廃寺が飛鳥時代後期から奈良時代にかけて建立された古代寺院であることはわかりますが、やっぱり、それだけではイメージが広がらない。こういう史跡は、誰か有名人とか、事件とかが関わっていると関心が高まるんですが。。ちょっと微妙な公園です。 -
また少し移動して、杉ヶ本神社は、小さな集落の中にある、これもこじんまりとした神社。
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しかし、この神社は、ここで桓武天皇が天の神に祈りをささげた「柏原」の地ではないかという伝承がある由緒正しき神社です。桓武天皇は、平安京を造った天皇ですが、この祈りをささげるのは北京の天壇と同じ考え方。中国の風習を真似たものだろうと思いますが、平安京自体が中国の模倣だし、空海や最澄を唐に遣わしたのもこの頃。中国があこがれの地になっていた時代を想像したくなりました。
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牧野車塚古墳は、4世紀後半に作られたものと考えられる前方後円墳。
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変わっているのは、遊歩道のように石畳の歩道が古墳を縦走していること。
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その歩道を辿って、
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古墳を歩くと、
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イチオシ
いいあんばいに色づいた紅葉の林。
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古墳としての価値は当然あるんでしょうが、子供の遊び場みたいなワクワク感のあるこの面白さ。ちょっとありえない古墳でしょう。
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次に向かったのは粟倉神社。これはわかりにくいです。地図を持っていましたが、複雑な道の集落の中にあって、何度も迷いながらやっとたどり着きました。
ただ、小さな神社ですが、この辺りの産土神として、応神天皇を勧請して造られたのだとか。そして、この神社の流れから御殿山神社ができていて、それを考えると軽くない歴史だと思います。 -
小倉粟倉瓦窯跡は、粟倉神社から回りました。
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小高い場所に公園が整備されていて、その公園の片隅に説明板がありました。粟倉寺の屋根瓦をつくった瓦窯跡ではないかということで、小高い地形は、発掘後埋め戻したからのよう。この公園の下に窯跡が眠っています。
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そして、御殿山神社です。ここまで来ると、御殿山駅から近いのですが、けっこうな坂を上ったところ。
境内からは、淀川の向こうに山城、摂津の山々が見渡せるロケーションですから、自然とここに何かを造ろうという気持ちになったのはよく分かります。
神社は、応神天皇を祀りますが、御殿山の名前は、惟喬親王が渚院を別荘を設けるとともに、この山上に休憩所を造られたことからのようです。 -
その渚院跡は、御殿山駅の方から向かいましたが、途中途中に案内標識があって、迷うことはありませんでした。ただ、そんなに丁寧に案内されているので、すごいところかと期待したのですが、結局は石柱と案内板があるだけの粗末なところでした。
ちなみに、渚院とは、惟喬親王の別荘。惟喬親王は、文徳天皇の第一皇子でしたが、母方の後ろ盾が弱く、天皇にはなれなかったよう。しかし、勅撰歌人ともなった文化人であったことで、それなりの名を残したようです。 -
牧野駅の方に戻って来まして。この清伝寺は、江戸時代からの寺小屋だったこともあって、明治になってからは、小学校となったのだとか。多分、適当な場所が見つからないとか、予算がないとかの理由だったのでしょうが、明治8〜10年のこと。実際は各地で見られたことだったのかもしれません。
境内はきれいに手が行き届いて、今では普通のお寺です。
以上で、レンタサイクルはおしまいです。 -
今度は枚方市駅に移動しまして。
ひらかたサンプラザは、1号館から3号館まであるようですが、枚方市駅から直結している「さんぷら座」は、3号館のことのようですね。ネームが面白いし、駅からの近さもあってちょこっと立ち寄ってみました。 -
イチオシ
「さんぷら座」に入るとすぐにエリートという喫茶店がありました。なんか人の出入りも多そうで、つられて入った次第です。
いただいたのはお昼のおすすめランチ860円。海老フライにカツにハンバーグが付いて、どれもちゃんとしておいしいですね。これなら喫茶店と言うより洋食屋さんの感覚だと思いました。 -
ここから枚方市駅周辺を歩きます。
岡東中央公園は、特に看板とかも出ていないのですが、枚方市役所の敷地内に整備された公園です。別に見どころというほどのものはないのですが、一角に、タイムカプセルを埋めたという場所があって。ただ、これも珍しいというものではないでしょう。 -
ところで、枚方市には、天の川という川があって、七夕の天の川と同じだなあと思ったら、これがまさにその天の川なんですね。枚方や交野市の辺りは、平安時代、「交野が原」と呼ばれた場所で、桜も有名だし、なんと七夕伝説の発祥の地なんだそうです。
だから、桓武天皇もこの「交野が原」で北極星を祀り、国家の安泰を祈願したのですね。
ただ、川自体は別に特別なことはない。普通の川だと思います。 -
そして、やってきたのは百済寺跡公園。バス道路から、こんな石段を上がって行きます。
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で、出たところが百済王神社です。
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百済の最後の王である義慈王の子である善光を始祖とする百済王氏の祖霊を祭っており、現在の本殿は、春日大社の本殿を移築したものだとか。瓦ぶきの整った建物です。
ちなみに、百済寺の方は、8世紀に子孫の百済王敬福が建立したもの。敬福は陸奥守に任ぜられたりもしています。 -
百済寺跡公園は、 百済寺の史跡周辺を整備した公園。東塔、西塔、金堂跡などが意外にはっきりとした形で残っていて、当時の伽藍形式が十分に想像できました。
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その伽藍形式は新羅とよく似ていて、
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古代日本と朝鮮半島との交流関係を知る上で重要な遺跡だということです。
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帰りは、バスで枚方市駅まで。
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改めて、枚方市駅から枚方公園までの枚方宿を歩きます。
で、いきなり目についたのが、この黄金屋さん。枚方駅から関西医大の方に少し歩いたところです。ビルインの店舗ですが、老舗風の雰囲気が漂ってます。 -
店内は、昆布の製品がずらり。マツタケなんかも使った高級なのもあって、たぶん、これは大阪の店なんだろうなあと尋ねると本店は交野だそう。それは馴染がないですねえ。試しに「つぼづけ昆布」を買ってみましたが、これってかなりうまいじゃないですか。以来ご飯のお供に重宝しております。
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いったん、東に向かって、かささぎ橋経由で、旧枚方宿を東端から歩きます。
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ところで、枚方宿は、大坂京橋から京都伏見へ向かう京街道または大坂街道の宿。その枚方宿の東の端にあるのが東見附跡です。
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ここから街道の街並みに入って行くのですが、
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少し曲がったような道が、京街道の雰囲気をよく留めていると思います。
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宗佐の辻は、枚方宿の真ん中。枚方市駅からイオンを抜けてすぐのところです。
ちなみに、宗左というは、この辺りで製油業を営んでいた角野宗左のこと。この辻は京街道と四条畷の方に向かう磐船街道の分岐点となっていたのですが、今でもこの一角は通りがちょっと広くなっていて、それらしい雰囲気。方向を示す石柱も残っています。 -
イオン枚方店は、ロケーションが面白い。枚方市駅から枚方公園駅までは、京都街道の旧枚方宿があった場所なのですが、この店はその京都街道に面して旧枚方宿の玄関口と行った場所。大きなビルそのものが門のような感じで建っていて、意図したものではないと思いますが、さりげなく枚方のランドマークになっていると思いました。
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ここからさらに中心部に入って行きます。
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と、これは呼人堂。どら焼き専門店ですか。旧枚方宿は街並みもそれなりに雰囲気が残っていて、和菓子屋さんなんか何軒もあっておかしくないと思うのですが、京都街道沿いではここ一軒のように思います。
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シンプルなドラ焼きをいただきましたが、きめの細かいカステラ生地と粒々がきれいに残った餡子が印象的でした。ほか、金柑入りとか何種類もあって、目移りしてしまいました。
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枚方宿の中ほどには、
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常夜灯がありました。今だと街灯ということなんでしょうが、街中であるのは、というか街中の常夜灯で残っているのは珍しいかも。鞆の浦とか平戸とか港の灯りとしての常夜灯の方がよく目にするかもしれません。たぶん、この頃は油は高価なものだったはずですから、これを実際に使っていたとなると、それ相応の豊かさがないとできなかったものと思われます。
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途中、万年寺山にも寄ってみます。こちらは、枚方宿を見下ろす高台と言った感じの山。
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イチオシ
枚方宿の中ほどから脇に折れると、登り口があって、石段をちょこっと登れば頂上です。
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傍らの展望台からは、
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枚方宿から淀川の河川敷まで見渡せます。
ところで、かつては万年寺という寺があったようですが、今はなく、名前だけが残ったようです。 -
展望台は御茶屋御殿跡展望公園という名前が付いていましたが、御茶屋御殿というのは秀吉が建てたもの。そして、側室の乙御前を住まわせたのだとか。大阪から京都にかけてのエリアは秀吉にとっては天王山で明智光秀を討ったりして、縁起の良い場所。自在に采配を振るう秀吉の姿が思い浮かぶようです。
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意賀美神社は、展望台から一段奥に進んだところ。ここが万年寺山の頂上でしょう。
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こんもりした森の中のような場所にある神社。明治になってから、須加神社と日吉神社が合祀されて、今の形になったようです。
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くらわんかギャラリーは、旧枚方宿のなかほど。旧京都街道沿いにある町家を利用したお店です。暖簾をくぐって中に入ると、有田焼や布で作った小物などを置いています。一方で、重厚な建物の雰囲気がいいので、この家はどういう家ですかと尋ねたら、「うちの家ですけど」の答え。ご本人自らが企画されたお店のようです。
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枚方宿の中ほどにある本陣跡。三矢公園という公園になっていて、表には明治天皇がここに来たことを示す石柱が建っていました。宿場にしても、本陣にしても、ある意味で言えば徳川幕府の遺産。そんなことより、明治天皇がここに来たことこそ、大事なことなのであるといった明治政府の空威張りの跡のような気もしてきました。
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淀川資料館は、淀川の河川敷の方に出たところ。大通り沿いの立派な施設です。
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展示は、淀川の水運の中継地としても栄えた枚方宿の歴史や明治・大正期の洪水の被害の実態など。
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川は恵みの川であり、災害も伴うもの。
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ちょっと生々しい戦いの歴史にも触れたような気がしました。
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淀川資料館をさらに越えて、淀川の河川敷に出たところが、淀川河川公園 枚方地区。河川敷を利用して、広々とした運動公園のような公園が整備されていました。サッカーみたいなことをやっている人がいたり、それなりに人影が見えて、やはり、街に近い分、利用はしやすいということなんでしょう。
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淀川河川公園の三矢地区は、枚方地区の下流にあたるエリア。こうした区分があることはあるのですが、形としてはつながっているし、利用者にとっては区分に意味はあるのかなあという感じ。淀川の管理事務所の方で意味があるのかもしれません。
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願生坊は、枚方宿に戻って、線路を越えたところ。
塀に囲まれた立派な山門が目立っています。 -
枚方宿は、京街道の宿場町ではあるのですが、同時にこの願生坊の寺内町でもあったのだとか。浄土真宗の寺で、蓮如の息子が開基ということですが、その後、本願寺の勢力が衰えてしまうと寺内町も消滅しています。現在の願生坊は、その後再興されたもの。東本願寺派のお寺です。
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枚方宿は、かつては浄土真宗の寺、願生坊の寺内町だったのですが、本願寺の勢力が衰えると寺内町も消滅します。その後、願生坊が再興されたのですが、東本願寺派の寺は願生坊、西本願寺派は浄念寺の名前となったのだそうです。この寺も、もったいのある構えですが、そういう歴史があるならうなずけます。
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枚方宿ももう終盤のような。。
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枚方宿の京街道沿いには、かつての宿場町の情景を思い起こさせるような建物がいくつか残っていて、鍵屋に次いで知られるのが、この木南邸。母屋と4棟の蔵をもつという町家は、枚方宿でも最大規模。ただ、大名行列が通る街道でもあり、必要以上に目立つ外観はしていません。外から眺めるだけですが、むしろ街並みの中に自然に溶け込んでいる佇まいという方があっていると思います。
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そして、鍵屋資料館は、枚方宿では必見。ここを見ないと枚方宿の観光にはなりません。
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鍵屋は、平成9年までは料理旅館だったというのですが、江戸時代は宿屋であり、三十石船の「船待ち宿」でもあったということ。
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賑わった往時の雰囲気が建物のあちこちに感じられ、
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今でも現役のような匂いがします。
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展示は、枚方宿の歴史をたどるものでそれなりに見応えがありますが、とにかく建物の雰囲気自体がいい。しばらく時間を過ごしたくなる建物です。
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枚方宿西見附跡は、枚方宿の西端。今回は東見附から通しで歩いてみましたが、歩くだけなら20分もあれば大丈夫。やはり、歩くと宿場の規模感がよく分かると思います。
ちなみに、この間に四つの村があったようですが、いろんな賦役もあったことでしょう。宿場町はそういうことの上に成り立つ仕組みであったことにも思いを馳せました。 -
明治十八季淀川洪水碑は、枚方宿の西見附から淀川の堤防に出たところ。大きな石の碑で、すぐのそれと分かりました。洪水の記憶が風化しないようにという意味でしょうが、近くには淀川資料館もあって、堤防が決壊した場所を示す地図などもありました。
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郵便屋の渡し跡の碑は、淀川の堤防。明治十八季淀川洪水碑の並びにありました。枚方大橋ができるまでは、この渡しから郵便物を運んでいたというのですが、郵便物専用の渡しだったということでしょうか。そうであれば、珍しいことかもしれません。
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旧枚方宿を通る京都街道沿いには呼人堂しかお菓子屋さんがなくてさみしいなあと思っていたら、枚方公園駅のそばにこの博愛堂がありました。
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小さなお店ですが、商品の名前を店頭に張り出して、元気が感じられて、楽しくなりました。いただいたのは、田舎饅頭。ぼてっとした存在感のある餡子が小気味いい。店は小さくても、老舗の味だと思います。
以上で、枚方宿はおしまい。もう時間もないので、大阪空港に向かいましょう。 -
途中、ちらりとチェックしたのは萱島神社のくすのきです。京阪の萱島駅のホームを貫いて、ホームではくすのきの幹が透明なアクリル板で囲ってあります。神社の木で、ご神木ということなのかもしれませんが、かなりの特別対応。駅の名物みたいになっていて、知る人ぞ知るのくすのきです。
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門真は、ここで阪急線から大阪モノレールに乗り換える場所だし、パナソニックもあるのですが、駅の周辺にはこれといった商店街もなくて、とても寂しい場所ですねえ。唯一、このイズミヤがあるくらい。
貴重な存在となっています。 -
で、駅のすぐにあった力餅食堂でお稲荷さんを買いました。
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これを食べながら、モノレールで大阪空港に向かいます。
さて、以上で三日間の旅は終了です。お疲れ様でした。
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この旅行記へのコメント (2)
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- nakamasananiwaさん 2015/02/10 10:46:01
- ~♪
- おはようございます。
うわぁ懐かしい(?´`?)
おいら小3から中3まで香里園に住んでいた事がありまして、自転車小僧やったからくずはあたりまではナワバリでした。^^
新興住宅地のイメージしか無かったけど、そうですかえらい歴史があるとこやったんですね。
ほんまに懐かしくてアレコレ思い出しキモチがあったくなりました。おおきにです(*˙?˙*)☆*°
- たびたびさん からの返信 2015/03/04 18:41:01
- RE: ~♪
- 香里園というワードがあって、この後すぐにその辺りも回ってみていたので、ちょっとドキッとしてしまいました。投稿までしばらくかかるだろうなあと思ったので、返事が遅れましたが、そっちの方もアップしましたので、よろしくお願いします。
今度は、八尾とか藤井寺の方にも回ってみたいと思っているんですが、それはまだ先でしょう。最近、京都に冷たくしているので、もう少し原点回帰をしないといけないと思っています。
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