2014/10/02 - 2014/10/08
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さいたまさん
写真は、水田の中の鉄道の線路です。
タイをはじめとして、インドシナ半島の稲作と鉄道の関係には、深い繋がりがあります。
それぞれの国内の単なる食糧源として、流通の手段を持っていなかった米は、局地的な食べ物としての意味しかありませんでした。
鉄道の建設と稲作技術の進歩に加え、豊かな水と米作に適した土地及び温暖な気候に恵まれたインドシナ半島の米は、社会活動の発展とともに経済の重要な地位を得ました。
また、世界の食糧市場の発達により、米作が戦略的な産業としても成長しました。
その際に、鉄道の果たす役割が大きな意味を持ったのです。
その鉄道の発展の契機になったのが、戦争でした。
以下、タイ観光庁の公刊されている紹介資料等の図に、私が得た情報を書き加えた図を含めて、紹介します。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ラーマ5世チュラロンコーン国王は、タイの鉄道の開祖として尊敬を集めています。
写真は、タイ国有鉄道の100周年を記念する切手です。
チュラロンコーン国王は、日本の明治天皇とほぼ同じ時期に、国王としてタイを治めました。日本では、東京駅100周年を、2014年に迎えた時期と相い応じています。
チュラロンコーン国王が、鉄道の整備の必要性を痛感し、鉄道を建設したのは、タイの支配下にあったラオスにおける中国系のホー人の反乱が契機でした。
タイの防衛のため兵力を推進する、また兵站を確保するためには、鉄道が不可欠と学んだのでした。ドイツと日本の例を勘案したのです。
それがタイの鉄道の始まりでした。
当初、タイでは、レールの幅(軌間幅)が、北部方面は1,435mmで建設が始まりましたが、南部方面は、1,000mmとなり、南北の相互運行はできませんでした。
その後、タイ国内全土及びマレー半島の内の鉄道の軌間幅を、10年以上の年月をかけ1,000mmに統一した経緯があります。 -
1885年、太平天国の乱の残党の漢人がラオスに侵入し、盗賊行為を働いたため、ラオスを支配していたタイは、6700名の軍隊を派遣し鎮圧を図りました。しかし食糧を現地で調達できなかったため、バンコクから輸送することになりましたが、鉄道が無いため、図の青い線で示した区間の水上輸送の後、象や牛で輸送することとしました。
茶色で示した区間の陸上輸送では、象約180頭、牛500頭により米を724トン送り出したのですが、目的地に輸送できたのは、たったの8トンでした。
イギリスやフランスの侵略に晒されていたタイは、領土を守るためには、鉄道が不可欠であることを認識し、東北地方への鉄道敷設を計画しました。 -
平地部が主で、チャオプラヤー川やメコン川による水上交通が発達していたタイですが、東北地方のメコン川流域の平野部との間には、ペッチャブーン山脈とドンパヤーイェン山脈が南北に走っていて、二つの河川流域の平野部を別っています。
東北地方への鉄道建設に際しては、ドンパヤーイェン峠が障害になりました。 -
バンコクにタイの戦勝記念塔が建てられております。1941年、フランスに割譲させられた失地の回復を目指して、フランス領インドシナ連邦軍と戦った際、戦死したタイ軍将兵を慰霊する記念塔です。結果的には、日本の斡旋を背景に、フランスから失ったカンボジア北西部を取り戻すことが出来ました。
しかし、この戦争の後、タイは、第2次世界大戦末期、タイが1942年に発した米英仏等への宣戦布告を無効として、連合軍側につき、敗戦国の扱いを逃れました。
この際、米の供給余力の有ったタイは、食糧難の問題を抱えていた連合国から、米150万トンの供出を命ぜられましたが、タイ国内の鉄道車両不足という米輸送上の問題もあり、実行は困難な状況でした。
そこで、連合国は、日本の機関車及び列車等を賠償の名目でタイに提供したのです。このようにしてに、日本の機関車や鉄道車両を手にしたタイは、連合国の要求を全うすることができ、結果としてタイは、いち早く国連に加盟することが出来ました。 -
写真は、タイ観光庁の資料の写真です。
第2次世界大戦直後、日本からタイに賠償名目で移送された蒸気機関車です。
現在も、国室関連行事の折に、運行されているようです。
機関車前部右側には、タイ国国旗、左側には、国王の誕生色の黄色旗が掲揚されています。 -
写真は、タイ観光庁の資料にある日本製の蒸気機関車の写真です。
日本では見られなくなった貴重な日本製のSLが、現在も見られる、そして運行されているという意味で、人気があるそうです。 -
写真は、タイ観光庁の資料にある日本製の車両の写真です。
上から「宇都宮」「富士重工」「昭和52年」との表示があります。
現在も、タイ国鉄の現役車両とのことです。
その他、多数の日本製鉄道車両が、現役車両として活用されています。
しかし、老朽化の面もあり、タイにおける輸送の主役は、自動車輸送となっています。 -
タイの国有鉄道の路線図を示すタイ観光庁の資料の図です。
バンコクを中心にして、放射状に路線が伸びています。
北線は、チェンマイまで、東北線は、ラオスとの国境ノンカイからラオス領内まで、及びウドンターニまで続いています。
東線は、カンボジアとの国境のアランヤプラテートまで行っていますが、カンボジア国境で遮断されています。
南線は、マレーシアを経て、シンガポールの北端まで連接されています。 -
タイの国有鉄道の複線化率を示した図です。
図から解るように、タイの国鉄は殆ど単線です。したがって運行本数も制限され、故障や事故による影響が他に波及し、遅延に直結します。慢性的な赤字の原因です。
複線化による効率化が求められています。 -
歴代の政権は、国鉄の複線化を進めることを計画しています。
図は、従来の複線化の計画です。軍事政権は、2014末、更に複線化区間を増やした計画を決定しています。
しかし、歴代の政権が実現できなかった計画を、更に対象を増やした計画の実現性に疑問を持つ声が多いのも事実です。 -
タイ観光庁の資料に載っているバンコクの都市交通及び水上交通の図です。
チャオプラヤー川の水上タクシーの乗船ポイントが載っている図は、バンコクらしいものです。 -
バンコクの都市交通の一つの高架鉄道BTSです。
タイ観光庁の資料からとった写真です。
タイは、都市交通システムとしては、地下を計画していますが、既に着工されていたBTSは、高架方式のままとされ、その後のMRT計画は、地下鉄道方式とされ、現在の地下鉄MRTとなった経緯があります。
バンコクの都市交通システム(BTSと後に述べるMRTそしてARL)の軌間幅は、1,435mmとなっています。 -
バンコクの高架鉄道BTSに使われている磁気カード方式の乗車券の表面の写真です。
券売機に行き先を指定すると金額が表示されますので、その料金に応ずる硬貨を投入すると、写真の磁気カードが出てきます。
その磁気カードを改札口の投入口に通すと、ゲートが開きますので、カードを受け取りつつ、改札口を通ります。 -
写真は、磁気カードの裏面です。
スクゥインヴィット線とシーロム線の2系統があり、緑と青の2本の線で示されています。 -
写真は、バンコクの地下鉄MRTの各駅に掲げられている日本のODA予算により建設された地下鉄である旨の標示板です。
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タイ観光庁の資料からのエアポート・レール・リンク鉄道ARLの写真です。
特急のエキスプレスと各駅停車のシティーラインがあります。
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