2014/11/08 - 2014/11/09
69位(同エリア160件中)
entetsuさん
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旅行会社から送られてくるパンフレット誌を見ていると、富山県にある「船でしか行けない秘境の一軒宿」というのが目についた。
家内に話すと、以前TVで観たことがあるとか。
それじゃ、一度行ってみますか・・・。
飛行機は、貯まったANAのマイル。
「大牧温泉観光旅館」宿泊は、楽天トラベルで一泊朝・夕食付き二人で43,200円(税込)です。
移動はレンタカーです。
★2日目はあいにくの雨模様ですが、まず井波の「瑞泉寺」に行きます。
①高岡の「瑞龍寺」参拝
http://4travel.jp/travelogue/10948343
②「庄川水記念公園」~秘境の湯「大牧温泉」上陸
http://4travel.jp/travelogue/10948689
③秘境の湯「大牧温泉」を堪能
http://4travel.jp/travelogue/10948690
★④木彫りの里「井波」散策
⑤「城端」エリアを観光
⑥世界遺産「五箇山」観光
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 船 レンタカー ANAグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
さて、2日目の最初の観光地は「瑞泉寺」。
1泊2日ですので、この日に帰るのですが、最終便ですので時間はたっぷりあります。
去年も、ほぼ同じ時期に富山に来て観光しましたが、やっぱりここ「瑞泉寺」も外せません。
これは、「高岡門」。
昭和5年(1930)、高岡市周辺の同行衆の募財により石造りにされたといわれます。井波別院瑞泉寺 寺・神社・教会
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「瑞泉寺」。
正式名称「井波別院瑞泉寺」、浄土真宗の寺院です。
ここも凄いですよ。井波別院瑞泉寺 寺・神社・教会
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「井波別院瑞泉寺」は、明徳元年(1390年)本願寺5世「綽如(しゃくにょ)上人」によって開かれました。
明から送られてきた難解な国書を、綽如上人が解読し、返書の草稿も書いたといわれます。
時の天皇・後小松天皇は大変喜び、一寺寄進を申し出られたそうですが、綽如上人は、多数念仏信者の浄財による建立を希望され、天皇は勧進状を認める料紙を贈り、勅願所として当寺を建立することを許可します。
明徳元年(1390)越中へ帰った綽如上人は、直ちに「勧進状」(明治38年国宝に指定)を作り、広く加賀・能登・越中・越後・信濃・飛騨・6カ国の有縁の人々から浄財を募り、瑞泉寺が建立されました。
この寺は、北陸の浄土真宗信仰の中心として多くの信者を集め、又越中の一向一揆の重要拠点ともなった寺院となっていきます。井波別院瑞泉寺 寺・神社・教会
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ご住職の話によると、当時の瑞泉寺は今の場所とは異なったらしい。
越中の一向一揆の中心的寺院であった瑞泉寺も、天正9年(1581)、佐々成政の軍勢に攻められ、焼き払われてしまいます。
江戸時代に入り城端北野に移った後、寛永19年(1642)に再建され、宝暦12(1762)3月に再び火災に遭います。
その後、明治12年に再び大きな火災に遭い、伽藍は消失してしまいます。
都合4回の再建という数奇な運命を送るお寺ですが、この事が井波彫刻を産むことに繋がりますが、この話は後程書きたいと思います。
写真は、後小松天皇勅願所の碑です。井波別院瑞泉寺 寺・神社・教会
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イチオシ
「式台門」。
別名を「勅使門」「菊の門」とも呼ばれます。
これは後でゆっくり観るとして、早速境内に入ります。
後小松天皇の勅願所であるため、菊の御紋の使用が許されています。 -
「大門」(山門)。
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この「大門」は、左右に山廊を持つ禅宗様式を取り入れた二層二階の入母屋造本瓦葺きで総ケヤキ造りで、高さは、17.4?あります。
富山県指定文化財となっています。
宝暦12年(1762)の火災で大門を含め諸伽藍が焼失します。
その後、本堂は宝暦13年に再建開始、安永3年(1774)完成。この前後に、東本願寺の創建以来代々、本願寺大工惣棟梁をつとめた笠井若狭守が出向いたと思われます。
「大門」は天明5年(1785)に釿始めが行われ、本願寺本山の御用大工肝煎であった柴田新八郎が棟梁となって再建が開始されました。
しかし、柴田は本山が天明8年(1788)に焼失したために再建のために京都に帰ります。その後、本山は文政6年、安政5年、元治元年と次々と火災にあったと言われ、その都度、全国の門徒衆の大変な苦労によって再建されてきました。
一方「瑞泉寺」の再建では、柴田のあとを井波大工松井角平が棟梁として受け継ぎ、文化6年(1809)に上棟式を行うなど完成に導きます。
「大門」前面の唐戸上の龍は、文化2年京都の匠、前川三四郎によって彫られ、京都より船で送られてきたといわれます。
その他の彫刻は、岩倉理八、北村伊三次郎、田村七蔵、番匠屋佐助、番匠屋清兵衛、茶屋甚作といった井波の職人の手により制作されました。井波別院瑞泉寺 寺・神社・教会
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「大門」にある寺紋の飾り彫刻です。
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イチオシ
「大門」の瓦にはこの様な「瑞泉寺」の刻印付です。
井波別院瑞泉寺 寺・神社・教会
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折角再建なった「瑞泉寺」ですが、明治12年(1879年)3度目の火災に遭い、「大門」を除く全ての建物は焼失してしまいます。
この「大門」だけは、焼失を免れます。
これには言い伝えがあって、京都の彫刻師前川三四郎によって彫られた正面の梁の龍が、近くの井戸に入って水を吸い込み、傘松に登って水を吐いたので山門が焼け残ったというものです。
写真の、一番左の所に黒く煤けたようになっている所です。井波別院瑞泉寺 寺・神社・教会
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イチオシ
拝観料300円を払って入場しました。
正面に見えているのが「本堂」です。井波別院瑞泉寺 寺・神社・教会
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「瑞泉寺」は、浄土真宗を開いた親鸞聖人から数えて第5代綽如上人によって開基されて以降、地域的信心の拠点として発展してきました。
天正9年(1581)の織田信長の北陸攻めで佐々成政に焼き討ちを受けた後、寺基を西にややずらして慶長18年(1613)に仮御堂が再建されます。
寛永19年(1642)にいたり、御堂の本格的な再建が開始され、万治2年(1659)に14間の御堂が完成しました。
さらに元禄7年(1694)には大門も完成しますが、宝暦12年(1762)の火災により焼失します。
安永3年(1774)には17間の御堂が完成し、天明6年(1786)には台所門が完成し、大門・式台門へと整備の手が進められていきます。
ところが、明治12年(1879)三度目の火災に遭い 、大門・式台門・台所門・太鼓楼(司晨楼)を除いて多くの伽藍が焼失することとなりました。
本堂の再建は、明治18年(1885)10月になります。 -
親鸞聖人像。
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「本堂」。
宝暦12年(1762)の大火後、100年以上経過した明治18年(1886)に再建され、
間口46m、奥行43mの単層入母屋造、畳の数450畳といい、大きさは全国で4番目ともいわれます。
住職に寄れば、1番は東本願寺、2番が奈良の東大寺、3番が西本願寺の本堂だそうです。 -
靴を脱ぎ、本堂に参拝します。
撮影は禁止ですが、ご本尊は阿弥陀如来。
両脇壇には親鸞聖人の御影と先門主の御影があり、右余間壇には瑞泉寺建立を勅願された後小松天皇尊牌が安置されています。
なお、この寺の所有する重要文化財は、「後花園天皇宸翰消息」と「綽如上人勧進状」だそうですが、公開はされていません。井波別院瑞泉寺 寺・神社・教会
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イチオシ
井波の名工の手になる彫刻の数々が、ある意味雨ざらしで見ることができます。
両隅にあるのが、龍の彫刻。 -
鳳凰でしょうか。
この立体感!
述べてきたように「瑞泉寺」は、天正9年・宝暦12年・明治12年と3度大きな火災に遭い伽藍が焼失しました。
宝暦の火災で諸伽藍を焼失した際の再建では、本願寺大工惣棟梁をつとめた笠井若狭守が見聞に訪れ設計図面などを作成し、配下のお抱え肝煎大工のひとりであった柴田新八郎など多くの職人が直接の再建と指導のために派遣されたと思われます。
柴田新八郎は、10年あまり井波に住まいして本堂などの再建を進めます。
ところが天明8年(1788)京都の東本願寺が火災に遭ってしまい、その再建のために多くの職人達と共に井波を離れて京都に戻ります。
そのあと、瑞泉寺の再建を引き継いだのが、柴田清右衛門、番匠屋七左衛門、松井角平などの地元の大工達でした。
再建に当たっては、彫刻を得意とする多くの大工・職人が関わっており、彼らが技を競うが如くに彫刻を残しました。 -
唐獅子。
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イチオシ
これも別の位置にある鳳凰。
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本堂を横から見たところです。
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三角になっている所の下にあるのは、人の悪夢を食べるという伝説の動物「莫(ばく)」。
動物園などで見る、マレーバクとは別のものだそうです。 -
渡り廊下を伝い、太子堂に移ってきました。
太子堂は、弘化4年(1847)に創建されましたが、他と同じく明治12年(1879)の火災の折に焼失し、明治44年から再建を開始し、大正7年(1918)11月に完成しました。
井波建築、井波彫刻、井波塗師の優れた技を集めて再建されました。棟梁は松井角平恒信で、大工134人が建築にあたり、7年がかりの大工事でした。 -
従って、井波の彫刻がこれでもかという風にいたるところにあります。
龍が両隅にあるのは、本堂と同じです。 -
直径が80?を越える柱材は、もう今では確保出来ないかもしれません。
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ここには後小松天皇から下賜されたと伝わる聖徳太子像が安置されています。
7月21〜29日の太子伝会には、同じく後小松天皇から下賜されたと伝わる、8幅の太子絵伝をもとに太子の一生を絵で解説する全国でも珍しい絵解き説法が行われるそうです。 -
雲に龍。
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手挟み彫刻は龍です。
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竹に虎ですね。
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本堂から太子堂を望みます。
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この大きさ〜。
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寄進をした人の名前と年月が刻まれています。
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「鐘楼堂」。
鐘楼は5.1?×4.6?も一重入母屋造りで、昭和7年(1932)に落慶しました。
ここの周囲にも、井波の名工達の彫刻が飾られています。
大梵鐘は、昭和22年に高岡老子製作所で作られ、口径4.1尺(120cm)、目方900貫(3.372kg)で、北陸寺院の中でも随一の大きさだそうです。 -
最後にもう一度、本堂と太子堂を望み、大門をくぐり外に出ます。
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再び、「式台門(勅使門または菊の門)」です。
元々は、寛政4年(1792)に建てられていたものですが、2005年の蓮如上人500回御遠忌・浪化上人300回忌大法要で200年前の状態に復元されました。
扉の両脇には、前川三四郎の弟子で井波彫刻の祖・番匠屋七左衛門の代表作、「獅子の子落とし」が彫られています。井波別院瑞泉寺 寺・神社・教会
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イチオシ
こちらは、右側で獅子が子を滝に落としているところ。
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左側は、落とされた子が滝をよじ登っている図です。
井波彫刻の始祖「七左衛門」の代表作で、狩野派風な図柄で浮き彫りの技法が駆使され、日本彫刻史上の傑作とされています。 -
蟇股には人の悪夢を食べるという「莫(ばく)」の彫刻。
京都の彫物師であった前川三四郎に、井波の職人が習ったと言われています。
※蟇股(かえるまた)
梁や頭貫 (かしらぬき) 上にあって上の荷重を支える材。 -
虹梁上には「松に鶴」の彫刻等があります。
※虹梁(こうりょう)
虹形に上方にそり返った梁 。社寺建築で下から見えるところに使う。 -
イチオシ
瑞泉寺、凄かった。
金ピカしてないんですが、しっとりと重厚な感じがいいですね・・・。
残念ながら雨模様ですが、瑞泉寺通りとも呼ばれる「八日町通り」を少し散策しましょう。
ここは、門前町として発展した井波のシンボル的な通りで、石畳が敷かれ、古い家並みとともに落ちついた雰囲気を醸し出しています。
彫刻店、郷土玩具店、造酒屋、格子戸のある町家などがあって、趣あります。瑞泉寺門前町の町並み(八日町通り) 名所・史跡
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「田舎まんじゅう本舗よしむら」さん。
左側に見える看板みたいなものは、井波彫刻で出来たカラクリです。田舎まんじゅう本舗 よしむら 瑞泉寺前店 グルメ・レストラン
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井波木彫の工房兼売店です。
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「井波美術館」。
元々は、北陸銀行井波支店の建物で大正13年(1924年)の建築だそうです。
日本風の町並みのなかで、ここだけがギリシャ風?
井波で創作活動をする作家の発表場所になっている美術館で、彫刻、版画、漆芸、書など、約40名の作家の作品を展示しています。
作品は日展や工芸展などの入賞作品で、年2〜3回入れ替えを行っています。井波美術館 美術館・博物館
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井波美術館の斜め前にあるのが、「ギャラリー瑞庵」。
ダートコーヒーのマークが見えたので入ってみます。アートギャラリー瑞庵 専門店
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井波彫刻がお出迎えです。
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店内は、井波彫刻、陶器、ガラス細工などのギャラリーになっています。
ガラス、陶器などの小物のお土産品もありました。 -
石焼きブレンドコーヒー(@450円)をいただきました。
ギャラリーの奥さんが、注文を受けてから丁寧に煎れてくれたコーヒーは、いい香りがして、落ち着きました。
奥さんとはちょこちょこ四方山話をして、辞去しました。 -
その奥さんの話で、「2軒隣でイベントやってるんですが、そこでイベントやるとなると何時も雨なんですよ〜」。
その、イベント会場です。
南砺市商工会井波事務所で行なわれています。
ところで、富山県南砺市について。
南砺市は、2004年(平成16)11月1日、東礪波郡の福野町、城端町、平村、上平村、利賀村、井波町、井口村と西礪波郡の福光町が平成の大合併し誕生した市。
宿泊した「大牧温泉」は旧利賀村、この後行く世界遺産「五箇山」は旧平村、旧上平村、旧利賀村を合わせた地域を指します。
大合併して、総人口52,000人を越える市になりました。
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雨。
冬に近づくと、北陸ではめっきり雨が多くなり、冬に入ると一日中どんより曇った空になり、よく雪が降ります。
仕方ないんじゃないですかねぇ。
商工会のメンバーは苦笑してます。
この日だけが雨。
前日も前々日も晴れ、天気予報では、翌日も翌々日も晴れ・・・(笑)。池波正太郎ふれあい館 名所・史跡
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商工会の事務所の奥にあったのが、「池波正太郎ふれあい館」。
池波正太郎ふれあい館 名所・史跡
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イチオシ
「鬼平犯科帳」、「剣客商売」、「仕掛け人 藤枝梅安」などの人気時代小説を執筆した池波正太郎。
池波の父方の先祖は天保の頃、越中・井波から江戸へ出た宮大工であったということから、井波の歴史民俗資料館長の岩倉節郎氏が熱心に誘い、昭和56年10月、池波は58歳にして初めて井波を訪れます。
以後、池波は、何度と無く井波を訪れ、地元の人と広く触れ合います。
また、小説やエッセーにも度々「井波」が登場するようになります。
この、「池波正太郎ふれあい館」は、池波の作品や人柄、地元の人達との結びつきを知ることができる小さな博物館です。 -
愛用品(帽子)の展示。
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著書本。
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ボタンを押すと、池波正太郎と井波の人々とのふれあいの様子を写したビデオ(約15分)が流れます。
当時の池波氏をお世話した地元の方々(旅館の女将さんや元町長など)によるエピソードが見られました。 -
オリジナルの原稿。
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色紙。
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井波の人々に宛てた書簡。
交流の深さがうかがえますね。
こじんまりとはしていますが、なかなか楽しめました。 -
池波正太郎の功績に触れた後、再びイベント会場に。
弁当類の販売中。
写真左手には、岩魚の塩焼き入りのご当地手作り弁当。
買ってもいいかななんて思ったけど、1200円は少し高いわい。 -
餅つきイベント準備中。
あいにくの雨で、集客は捗っていませんが・・・。 -
岩魚の塩焼きセッティング中。
全部売れるのかなぁ?? -
野菜直売会場。
素晴らしい富山の野菜。
購入したのは、落花生3袋(@100円)、赤カブ酢漬け(@100円)、長ネギ(@100円)、天然ナメコ(@500円)。
合計1000円!
この長ネギが、帰路、大変目立ったことになるんですが・・・。
今回の旅行記、最終回でご覧ください。 -
「八日町通り」には、このような時代を感じるような建物が並んでいます。
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清都酒店とありますね。
瑞泉寺門前町の町並み(八日町通り) 名所・史跡
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「井波木彫工芸館」。
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「瑞泉寺」の所に戻ってきました。
高岡門まえの石垣(大楼壁)。
宝暦12年(1762)の大火の後、防火・暴風壁として築かれたといわれ、高さ約6.2?・正面約108?あり、文政4年(1821)に完成したとされます。
「池波正太郎ふれあい館」で観たビデオでは、池波がここで子供達と触れ合っていました。井波別院瑞泉寺 寺・神社・教会
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そのすぐ前にある純日本式の旅館は「東山荘」。
東山荘 宿・ホテル
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ここは、池波正太郎が井波に泊まった際の定宿でした。
ビデオでは、ここの女将も思い出話を話していました。東山荘 宿・ホテル
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蔵もありました。
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「瑞泉寺」から車で5分ほどの所にあるのが、「井波彫刻総合会館」。
井波彫刻総合会館 美術館・博物館
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イチオシ
ここには、井波彫刻伝統の木彫彫刻から現代彫刻、工芸作品まで多彩な作品が約200点展示されていて、販売もされています。
井波彫刻総合会館 美術館・博物館
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これは、十二支を井波彫刻で表したもの。
この立体感!! -
館内に入ります。
井波彫刻の起こりは、過去に幾度も焼失した「井波別院瑞泉寺」が、その都度再建されてきたことに深くかかわっていて、宝暦・安永年間(1763〜1774)の瑞泉寺再建の折、京都本願寺から御用彫刻師前川三四郎が派遣され、井波拝領地大工がこれに師事したのが井波彫刻の始まりとされています。
さぁ、ゆっくり観ましょう。 -
入館料は、一般500円ですが、「瑞泉寺」の拝観料を払って観賞した方は、そのパンフレットを提示すると、300円になります。
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残念ながら、館内は撮影禁止でしたが、たっぷり時間を掛けて見ることが出来ました。
井波の彫刻師は、全国各地の寺社・仏閣の彫刻を数多く手がけ、それと並行して一般住宅欄間・獅子頭・置物などにも力を注ぎました。
名工の子孫によって受け継がれ、培われてきた井波彫刻の高度な技術は、全国一の規模を誇るようになり、昭和50年5月、国の伝統的工芸品に指定されています。
約200点の展示物は、販売も目的としており、殆どの作品に値段が付されています。
さすがに全国に誇る伝統の技、凄い価格でした。 -
「井波彫刻総合会館」は、実は「道の駅・井波」を構成する施設の一部。
ここには、「井波彫刻」の彫刻家の実演を間近で見学できる「匠工房」、彫刻・クラフトにチャレンジできる「くりえーと工房」、木の香に包まれて入浴できる浴場「ゆら湯ら」などもあります。道の駅 井波 道の駅
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また、「いなみ木彫りの里 創遊館」には、「和風レストランきつつき倶楽部」やショップもあります。
団体客が食事会場に向かっていました。
さて、井波地区でもう一ヶ所回りたい所があります。いなみ木彫りの里 創遊館 名所・史跡
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車で3〜4分で到着したのは、「高瀬神社」です。
高瀬神社 寺・神社・教会
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「高瀬神社」の創建年代は不明ですが、「古事記」「日本書紀」に記される第12代天皇・景行天皇の御代とも伝わります。
律令制下に神階では越中国で最高位を占め、一宮であったとされます。
戦国時代には戦乱で荒廃しますが、江戸時代に加賀藩主・前田家の崇敬を受けて手厚く保護されました。 -
七五三、雨で可哀想です。
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主祭神は、大国主命です。
大国主命は、国造りの神、農業神、商業神、医療神などとして信仰されます。この神様が、出雲の国より越中の国にお渡りになり、悪神を平げ国土を開拓して、農耕医術の法をお授けになるなど、民生の安定に広大な御徳を残しになったと伝わります。
ところで、大国主命を祭神とする神社は全国に多くありますが、有名なものでは出雲大社(島根県)、大國魂神社(東京都府中市)、大前神社(栃木県真岡市)、大神神社(奈良県桜井市)などがありますね。
このなかでも、私はこれまで出雲大社に行ったことがなく、ようやく来年1月にツアーで行けることになり、今から楽しみにしています(嬉)。 -
手水舎。
ちょっと立派過ぎますが・・・。 -
実はこの建物は、昭和45年(1970)に伊勢神宮の外宮から移築されたものだそうです。
手水舎の中にある水鉢「水神石」は、新潟県只見川上流から運ばれたもので古くから近郷の人々が神石として崇敬していた自然石なんだとか。 -
紅葉、綺麗でした。
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延喜式に記載された越中一の宮。
初詣には20万人程の人が訪れるそうです。 -
「なでうさぎ」。
祭神の大国主命に因んだものと思われます。
「因幡の白うさぎ」の神話で有名ですね。
大国主命は、悪さを働き、仕返しをされ泣いていた兎の怪我の治療をし、改心させたことから、「医療医薬の神」と崇敬されています。
この「なでうさぎ」をなでると心身ともに健全となり、清々しく過ごせるといわれています。 -
イチオシ
しめ縄も凛々しい。
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絵馬は可愛らしい。
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「さざれ石」。
「君が代」の歌詞にあります。
歌詞中のさざれ石は、文字通り細かい石・小石の意であり、それらの小石が巌(いわお)となり、さらにその上に苔が生えるまでの過程が、非常に長い年月を表す比喩として歌われています。
鎌倉の「鶴岡八幡宮」で観たことあるなぁ。 -
ご神木です。
杉の木ですね。 -
「功霊殿」。
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功霊殿は、日清・日露戦争から大東亜戦争まで、砺波地区(南砺市・砺波市・小矢部市及び、高岡市一部)から出征された護国の英霊と、当地方開拓の功労者あわせて6,400余柱がお祀りされています。
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功霊殿は、元の本社で、井波彫刻の粋を凝らして1836年(天保7)に建造されたとされます。
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藤井秀直さんは、ここ「高瀬神社」の名誉宮司だった人だそうです。
平成14年(2002)死去。
以上、南砺市井波地区の観光でした。
このあとは、ここから程近い南砺市城端(じょうはな)地区に向かいます。
⑤に続きます。
http://4travel.jp/travelogue/10950441
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