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 神奈川県平塚市平塚1にある要法寺は日蓮宗のお寺で松雲山要法寺という。「新編相模国風土記稿」(天保12年(1842年)刊)には、この寺地は古くは平塚左衛門尉秦知入道松雲(寺伝に泰知は北条泰時の次男なりと云されど大系図等に所見なし)の宅地にて弘安5年(1282年)九月十六日宗祖日蓮、この宅に止宿し、説法せし奮蹟なり。松雲もとより当宗帰依の人なれば、宅地を日蓮に與へて当寺を起立せり、故に日蓮を開山とする。中興開山は日新(慈雲院と号す、文禄元年(1592年)寂)である。慶安2年(1649年)先規に因て寺領八石の御朱印を賜ふ。本尊は三寶諸尊である。なお、山門前の「松雲山要法寺縁起」碑には創建をこの日蓮聖人が1泊した日と定めている。<br /> 鐘楼の鐘は宝暦2年(1752年)に鋳造して、神宝とする由銘文を刻んでいる。境内社には、七面社、稲荷社、天神社、鬼子母神社がある。<br /> 七面社の邊に在高五尺許の塚があり、上に松樹二圍許、一株ある。土人の伝に、高見王の子・政子の塚にて地名の起る所是なりと云う。<br /> 平塚では鉄筋コンクリート造の本堂が多いが、ここ要法寺本堂も鉄筋コンクリート造の本堂である。ただし、瓦葺き屋根で木造を思わせるデザインの伽藍である。<br />(表紙写真は要法寺本堂)

要法寺(平塚宿)

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2014/09/26 - 2014/09/26

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 神奈川県平塚市平塚1にある要法寺は日蓮宗のお寺で松雲山要法寺という。「新編相模国風土記稿」(天保12年(1842年)刊)には、この寺地は古くは平塚左衛門尉秦知入道松雲(寺伝に泰知は北条泰時の次男なりと云されど大系図等に所見なし)の宅地にて弘安5年(1282年)九月十六日宗祖日蓮、この宅に止宿し、説法せし奮蹟なり。松雲もとより当宗帰依の人なれば、宅地を日蓮に與へて当寺を起立せり、故に日蓮を開山とする。中興開山は日新(慈雲院と号す、文禄元年(1592年)寂)である。慶安2年(1649年)先規に因て寺領八石の御朱印を賜ふ。本尊は三寶諸尊である。なお、山門前の「松雲山要法寺縁起」碑には創建をこの日蓮聖人が1泊した日と定めている。
 鐘楼の鐘は宝暦2年(1752年)に鋳造して、神宝とする由銘文を刻んでいる。境内社には、七面社、稲荷社、天神社、鬼子母神社がある。
 七面社の邊に在高五尺許の塚があり、上に松樹二圍許、一株ある。土人の伝に、高見王の子・政子の塚にて地名の起る所是なりと云う。
 平塚では鉄筋コンクリート造の本堂が多いが、ここ要法寺本堂も鉄筋コンクリート造の本堂である。ただし、瓦葺き屋根で木造を思わせるデザインの伽藍である。
(表紙写真は要法寺本堂)

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  • 要法寺山門。

    要法寺山門。

  • 要法寺山門に掛かる「松雲山」の扁額。

    要法寺山門に掛かる「松雲山」の扁額。

  • 「日蓮大聖人 御一泊霊場 要法寺」標石。

    「日蓮大聖人 御一泊霊場 要法寺」標石。

  • 「松雲山要法寺縁起」碑。<br /><br />「日蓮大聖人御一泊御説法霊場<br />  松雲山要法寺縁起<br /> 当山は鎌倉時代、幕府の執権北条泰時の次男、北条泰知の屋敷でありました。<br />泰知は日蓮大聖人に帰依し、平塚左衛門尉泰知と呼ばれ、人々に尊敬され、この地において地頭をしていました。弘安五年九月八日未明、泰知は夢枕に「日蓮聖人が十六日平塚にご来臨される」という七面天女のお告げを受け、平塚の主だった人々百六十余名と共に日蓮聖人を出迎え、この地にご宿泊をいただきました。<br />その夜日蓮聖人が法華経神力品「四句要法」の一節を御説法したところ、邸内になった平真砂子の塚(平塚の塚)にそびえ立つ老松に紫雲がたなびくという瑞相があらわれました。<br />それを見た一座の面々は、お題目を唱和し法華経の信者になったのでした。<br />わけても泰知は深く感動し、自らの館を献上して寺とし、日蓮大聖人より「紫雲の瑞相」にちなみ「松雲山」、一夜説法「四句要法」にちなみ「要法寺」との山号と寺号をいただき、当山は開山されました。<br />時に弘安五年(一二八二)九月十六日。<br />日蓮大聖人御入滅二十数日前の事でした。<br />開祖 日蓮大聖人<br />二祖 九老僧 形善院日澄上人<br />三世 開基 松雲院日慈上人(平塚左衛門泰知)」

    「松雲山要法寺縁起」碑。

    「日蓮大聖人御一泊御説法霊場
      松雲山要法寺縁起
     当山は鎌倉時代、幕府の執権北条泰時の次男、北条泰知の屋敷でありました。
    泰知は日蓮大聖人に帰依し、平塚左衛門尉泰知と呼ばれ、人々に尊敬され、この地において地頭をしていました。弘安五年九月八日未明、泰知は夢枕に「日蓮聖人が十六日平塚にご来臨される」という七面天女のお告げを受け、平塚の主だった人々百六十余名と共に日蓮聖人を出迎え、この地にご宿泊をいただきました。
    その夜日蓮聖人が法華経神力品「四句要法」の一節を御説法したところ、邸内になった平真砂子の塚(平塚の塚)にそびえ立つ老松に紫雲がたなびくという瑞相があらわれました。
    それを見た一座の面々は、お題目を唱和し法華経の信者になったのでした。
    わけても泰知は深く感動し、自らの館を献上して寺とし、日蓮大聖人より「紫雲の瑞相」にちなみ「松雲山」、一夜説法「四句要法」にちなみ「要法寺」との山号と寺号をいただき、当山は開山されました。
    時に弘安五年(一二八二)九月十六日。
    日蓮大聖人御入滅二十数日前の事でした。
    開祖 日蓮大聖人
    二祖 九老僧 形善院日澄上人
    三世 開基 松雲院日慈上人(平塚左衛門泰知)」

  • お堂。

    お堂。

  • 浄行菩薩。

    浄行菩薩。

  • 「浄行菩薩」看板。<br /><br />「浄行菩薩<br />浄行菩薩は法華経の教えを末法の人々に伝える役目をもった菩薩様です。この仏様の身体を洗い清めることにより、自分の身体の病いや痛みを取り除く事が出来ると言い伝えられています。御自身の身体の悪い所を洗ってください。<br /> 当山第十世日慶上人代(寛延年代 約二百六十年前)建立」

    「浄行菩薩」看板。

    「浄行菩薩
    浄行菩薩は法華経の教えを末法の人々に伝える役目をもった菩薩様です。この仏様の身体を洗い清めることにより、自分の身体の病いや痛みを取り除く事が出来ると言い伝えられています。御自身の身体の悪い所を洗ってください。
     当山第十世日慶上人代(寛延年代 約二百六十年前)建立」

  • 要法寺本堂。蓮の華の頃には鉢の蓮の華が咲き誇り見事であるという。

    要法寺本堂。蓮の華の頃には鉢の蓮の華が咲き誇り見事であるという。

  • 要法寺本堂。

    要法寺本堂。

  • 要法寺本堂に掛かる「要法寺」の扁額。

    要法寺本堂に掛かる「要法寺」の扁額。

  • 寺務所。

    寺務所。

  • 客殿。

    客殿。

  • 客殿屋根に上がる橘の飾り瓦。

    客殿屋根に上がる橘の飾り瓦。

  • 客殿屋根に上がる橘の飾り瓦。

    客殿屋根に上がる橘の飾り瓦。

  • 「七百大明神」。

    「七百大明神」。

  • 宝篋印塔。

    宝篋印塔。

  • 「久遠慈愛」観音。

    「久遠慈愛」観音。

  • 水子地蔵。

    水子地蔵。

  • 平塚左衛門尉秦知入道松雲の墓。「妙法蓮華経」と刻まれた五輪塔と「当山初祖平塚左ヱ門入道秦知之墓」の標石。

    平塚左衛門尉秦知入道松雲の墓。「妙法蓮華経」と刻まれた五輪塔と「当山初祖平塚左ヱ門入道秦知之墓」の標石。

  • 「無縁之塔」。

    「無縁之塔」。

  • 十三重石塔。

    十三重石塔。

  • 子育地蔵尊。

    子育地蔵尊。

  • 要法寺会館の門。

    要法寺会館の門。

  • 要法寺会館と楠。

    要法寺会館と楠。

  • 要法寺会館。玄関上に龍の彫刻がある。

    要法寺会館。玄関上に龍の彫刻がある。

  • 要法寺会館のフェンス脇には白の彼岸花。

    要法寺会館のフェンス脇には白の彼岸花。

  • お初の墓。

    お初の墓。

  • 「鏡山お初の墓」看板。

    「鏡山お初の墓」看板。

  • 三界萬霊。

    三界萬霊。

  • 三界萬霊。

    三界萬霊。

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