2014/08/26 - 2014/08/26
509位(同エリア1149件中)
滝山氏照さん
JR山形駅西側に隣接する霞城公園(かじょうこうえん)には戦国時代から江戸時代にかけて活躍した武将である最上義光(もがみ・よしあき、1546~1614)居城の山形城(やまがたじょう、山形県山形市霞城町)があります。
南北朝時代の延文元年(1356)、南朝勢力の強い奥州地域の対策として足利尊氏命により斯波兼頼(しば・かねより、1315~1379)が羽州探題の立場として入部して築城したと伝えられ、現在の城郭は11代城主である最上義光が築いたものが原型とされています。
元亀元年(1570)実父義守(よしもり、1521~1590)との争いに決着をつけ家督を継いだ義光は伊達氏や上杉氏など有力な大名に囲まれる中、村山・最上両郡を平定した後庄内に進出し大宝寺氏を抑え庄内を手中にするも越後上杉氏に奪取され秀吉もこの事実を追認、奪った庄内は上杉氏のものとなりますが村山・最上両郡は安堵され24万石の山形城主となります。
城郭形態は本丸、二の丸、三の丸の三重の堀と土塁を持つ輪郭式の全国有数規模の平城で現在の山形駅更に市街地の七日町までを含む約40haを有する城域となっています。
慶長4年(1600)関ヶ原戦いに連動した「長谷堂合戦」ではかねてより密にしていた家康の東軍に属し上杉軍と戦い、戦功により57万石の大大名となり置賜郡(上杉米沢藩)を除く山形県一帯を所領とします。
その後最上氏は義光死亡後お家騒動によって改易となり、その領地は4分割され、その内山形には鳥居氏が22万石で入封、以降保科氏(20万石)を皮切りに越前松平氏(15万石)、奥平氏(15万石から9万石に減)、堀田氏(10万石)、秋元氏(6万石)そして水野氏と譜代大名が入れ替わり、石高も次第に減じて最後の水野藩に至っては僅か5万石でした。
明治29年(1896)に二の丸に歩兵32連隊が配置されその時本丸の石垣や堀が埋め立てられ、昭和23年(1948)山形市が国から払い下げを受けてスポーツ・文化施設を整備して霞城公園として現在に至っています。
2022年6月12日追記
現場案内板には下記の通り説明がなされています・
『 国指定史跡
山 形 城 跡
山形城は、山形へ入部した斯波兼頼が延文2年(1357)に築城したもの、と伝えられています。これを最も大きい規模に増築したのが山形城主最上義光で57万石と言われる領地を獲得した慶長6年(1601)以降のことと考えれています。
城は本丸・二の丸・三の丸を有する平城で、その規模は東西1480m、南北1881mに及んだと言われています。まさしく平城としては全国有数の大きさでした。
ここ歌懸稲荷神社の境内の西側に残る土塁は、三の丸東南方の十日町口に南接する部分にあたります。昔を忍ばせる樹木が繁茂しており、東側には堀跡が窪みとなって残っています。
現在は、二の丸の区域内(霞城公園)とともに、山形城跡として国の史跡に指定されています。
平成13年3月
山形市教育委員会 』
さらに最上義光像には下記の通り説明があります。
『 最 上 義 光 公 勇 戦 の 像
慶長5年(西暦1600年)の秋9月、怒涛の如く攻め寄せた上杉方の謀将直江山城守のひきいる2万3千余の大軍をむかえ、自ら陣頭に立って指揮奮戦し敵を撃退してよく山形を死守した山形城主最上義光が決戦場富神山にむかって進撃せんとする英姿であり、鎧兜は時代考証にとらわれず表現したものであります。
右手にかざして持っているのは鉄の指揮棒で、清和天皇末葉山形出羽守有髪僧義光と刻んであります。
銅像をとりまく緑石は山形城三の丸をかたどったものであります。
最上義光公顕彰会 』
- 旅行の満足度
- 4.5
- 交通手段
- JRローカル
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山形駅周辺地図
山形駅西口から霞城セントラルを経て霞城公園南口に入ろうとします。 -
南大手門石標
南大手門前広場の傍らに立つ南大手門の石標が見えます。 -
山形城跡南大手門
南大手門から入城します。 -
山形城跡二の丸堀
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山形城跡二の丸堀
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二の丸南大手門跡
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二の丸南大手門跡
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霞城公園案内図
案内図を見れば大規模城郭敷地には体育館、野球場等が占められて城郭部分は相当削られています。 -
桜の園
手入れの行き届いた芝生の中央部に「あずまや」があり、ここで暫く休憩することにします。 -
本丸石垣
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本丸石垣の崩落跡
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本丸石垣の崩落跡説明
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本丸石垣崩落跡詳細
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霞城本丸・義公桜花の図
説明によると最上義光時代の山形城のイメージ絵図が描かれています。 -
山形城本丸堀
武道館建物から本丸堀を眺めます。当時の堀はもっと広かったとして本来の堀ラインが示されています。 -
山形城本丸堀ライン
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山形城歴代藩主一覧
最上氏改易後は鳥居氏・保科氏の有力譜代がそれぞれ22万石、20万石で藩主を勤めますが次第に禄高が減じ最後の水野氏の代になりますと5万石にまでとなり、とうとう三の丸が畑地として使われる程になります。 -
山形城の堀・土塁説明板
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山形城堀詳細説明板
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山形城の堀・土塁位置図
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大手橋
平成17年に復元した大手橋は幅が約5.5m、長さが約21.8mあり見応えがあります。 -
大手橋
南東角から再度大手橋と高麗門を捉えます。 -
本丸一文字門絵図
説明では高麗門をくぐり枡形を右折して櫓門に至るまでを本丸一文字門と言っており、櫓門の石垣に左右に造られた櫓が「一」の姿であるため一文字門と称しています。 -
本丸一文字門復元完成想像図
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本丸一文字門想像絵
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本丸一文字門復元工事絵図
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イチオシ
本丸一文字門
山形城本丸の玄関ともいう大手橋と高麗門は見事です。 -
イチオシ
大手橋と高麗門
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一文字門大手橋案内
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大手橋風景
大手橋中途から右側を眺めます。 -
大手橋風景
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イチオシ
高麗門
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高麗門
内側から高麗門を眺めます。 -
枡形虎口
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枡形虎口
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枡形虎口
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本丸一文字櫓門跡
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「一文字櫓門石垣復元事業」説明
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「発掘された本丸御殿の井戸」説明
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本丸御殿井戸跡
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本丸御殿井戸跡
本丸御殿跡の向こうには野球場が見えます。 -
本丸御殿跡
平成20年から23年の発掘調査では礎石建物跡や掘立柱建物跡が発見されるも16世紀末期から17世紀初頭の最上氏が城主だった時代のでありました。 -
「本丸御殿発掘成果」説明
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本丸御殿土塁・南側
左側の本丸御殿跡と右側の本丸土塁に挟まれた通路から東方向を眺めます。 -
本丸御殿土塁・東側
次に左側の本丸御殿跡と東側の本丸土塁に挟まれた通路から北方向を眺めます。 -
本丸土塁・東側
本丸東側土塁に沿った通路途中を振り返って南方向を眺めます。 -
本丸土塁・東側
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石垣用の石
発掘調査の際に埋め立てられた土中にあった石垣の石でしょうか。 -
石垣用の石
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本丸御殿北側
復元されたと思われる土塁と空堀が現れています。 -
本丸御殿北側
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山形城の石垣説明
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現存の石垣説明
詳細を見れば東西南北の二の丸には現存の石垣が残されている他、本丸一文字門は発掘により現れた石垣、そして絵図等で存在が推定できる石垣として本丸北不明門があります。 -
現在残っている石垣写真
二の丸東大手門、二の丸南大手門、二の丸北不明門そして二の丸西不明門が現在残っている石垣として紹介されています。 -
石垣石目印
石垣石には目印が施され、刻印・朱書・墨書などで刻印はのみで石に刻され、朱書きは染料を筆書きされ、墨書は墨で筆書きされたものです。これらの意味は不明ですが、運搬などの際の目印なのか石工の区別のための目印と考えられています。 -
石垣石目印説明
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石垣石刻印
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石垣石刻印
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石垣石刻印
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安政2年石垣石説明
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本丸一文字門の石垣説明
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隅石説明
隅石は石垣の角に使われる長方形の切石で、いずれの石垣に見られる算木積み(隅石の交互積み)にして重さに耐える構造が求められます。 -
東大手門方向
東大手門を背景に有名な最上義光像が見えます。 -
最上義光騎馬像
正面(南側)から捉えた義光像はどうもピンときません。 -
イチオシ
最上義光騎馬像
義光が自ら陣頭となって戦場に向かう雄姿は見事です。右横(東側)から捉えた像は躍動感があります。 -
義光勇戦の像説明
直江兼続が率いる2万3千の上杉軍を撃退し山形城を死守した義光の姿で、鎧兜は時代考証に捉われず表現したものだそうです。 -
最上義光の顕彰詞
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二の丸東大手門
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イチオシ
最上義光像
東大手門方向から再度義光像を捉えますが、この角度の像がすっかり気に入ってます。 -
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イチオシ
二の丸東大手門櫓
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東大手門櫓公開
たまたま訪問時は幸いにも東大手門櫓の公開をしているとの事で早速入城します。 -
二の丸東大手門
櫓見学の後は東大手門をくぐります。 -
二の丸東大手門
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二の丸東大手門
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二の丸堀
東大手門橋の途中から南方の堀を眺めます。JR奥羽線敷設の関係で堀幅が狭く改修されていますが、往時の堀幅は相当幅があったことでしょう。 -
二の丸堀
同様に北方を捉えます。 -
イチオシ
二の丸東大手門
山形城の玄関にふさわしく堂々とした風景です。櫓門・多聞櫓・高麗門・土塁を備えた山形城二の丸正門を、史実に従って平成3年(1991)に復元されています。 -
二の丸東大手門説明
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山形城跡絵図
山形駅やそれに続く市街のため城域が狭められていますが、往時の状況を考慮すれば大規模な平城であったことは容易に理解できます。 -
霞城公園説明
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二の丸東大手門前通り
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最上義光歴史館
館内ではボランティアの男性から説明を受けました。特に改易後の最上家動向、秀次自刃に巻込まれた駒姫については印象的です。
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