2011/06/20 - 2011/06/20
989位(同エリア1150件中)
倫清堂さん
教え子たちのための夏合宿、平成23年の研修場所である山寺を訪れる前に、下見に行きました。
自宅から東北道・山形道と高速道路を利用し、1時間強で到着。
午後には仕事があるため帰らなければなりません。
目標は昼食までに下山することです。
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まずは山寺駅へ足を向けます。
実は途中で一か所だけ、神社に参拝しました。
山形北インターから山寺へ向かう道の途中に鎮座する北畠神社です。
南朝に属した北畠一族の誰かを祀っていることは想像できますが、案内板もなく神職の姿も見えないので、詳しくは分かりませんでした。
さて、山寺駅。
仙山線の駅で、合宿ではここが山形でのスタート地点となります。
近くの食堂の駐車場に車を停め、子供たちを連れて歩くことになろう道のりをそのまま行くことにしました。 -
宝珠橋を渡り、車も通る道を危ないなと思いながらも進むと、門前町らしい賑わいが感じられる通りに出ました。
お土産に気を取られると車に轢かれてしまうかも知れないので、ここは最も注意すべきポイントだと思いました。
そこに鳥居が見えたので、これが山寺への入り口かと思い、その先の階段を昇ることにしました。
神社は日枝神社なので、比叡山と同じ神様をお祀りしています。
山寺の開基は慈覚大師円仁ですが、彼は天台宗の僧なので、比叡山との関わりはあって当然のことです。山寺日枝神社 寺・神社・教会
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鳥居をくぐらなければ、先に根本中堂に着くはずでした。
子供たちを来る時は、鳥居ではなく登山道から入山することにしようと決めます。
根本中堂は国の重要文化財に指定され、伝教大師が比叡山に灯した火が、慈覚大師によって分けられて、今も燃えています。
比叡山は織田信長公によって焼き討ちされてしまったため、再建に際してはここ山寺の火が分けられたそうです。立石寺中堂(根本中堂) 寺・神社・教会
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根本中堂から再び日枝神社を通って進むと、芭蕉と曽良の像があります。
松尾芭蕉は「おくのほそ道」の旅において、人々に勧めに応じて尾花沢から7里ほどの道を引き返し、山寺に詣でました。
険しい崖やうっそうと茂る木々、苔が敷き詰まった地面などを見ながら山道を登った様子が、彼独特の削ぎ落しの文体で残されています。
そして、今ではよく知られる
閑さや岩にしみ入る蝉の声
という一句を残しました。
教え子たちは国語の授業で古文暗誦もしているそうなので、合宿のしおりには「おくのほそ道」の山寺の部分を全文載せておこうと決めました。立石寺 芭蕉と曽良の像 名所・史跡
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山門で拝観料を支払い、いざ山道を登ります。
初夏の日差しが気持ちよく、緑が目にまぶしく映ります。
この道は、自分も小学生の時に、地域の行事で友達らと来ているはずですが、全く記憶に残っていません。
友達と話したりふざけたりすることに一生懸命だったようです。
自分が連れて来る教え子たちも、大人になるまで覚えていないのかも知れないと思うと少し寂しい気もしますが、何年も経って再び訪れた時に思い出してもらえれば充分です。 -
極楽と地獄を分けるという場所に、石の奪衣婆が祀られる姥堂があります。
ここに古い服を奉納することで、心身が清められて罪が消滅すると信じられて来ました。
奪衣婆の表情は見るからに恐ろしげで、直視できませんでした。
慈覚大師がこの場所で雨宿りしたとも伝えられています。 -
イチオシ
まだしばらく石段が続きますが、羽黒山に比べればこのくらいは平気です。
ですが、元気な子供たちには置き去りにされそうな予感もします。
そうして見えて来たのが仁王門。
嘉永元年の再建で、運慶の弟子たちによる阿吽一対の仁王門が、聖域を守護しています。仁王門 名所・史跡
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更に登り、慈覚大師による木彫りの尊像が安置される開山堂へとたどり着くことができました。
その左側、断崖になっている岩の上には納経堂があります。
なんとこの真下には、慈覚大師が眠る入定窟があるとのこと。
東北に数々の寺を開いた慈覚大師は貞観6年に入寂しますが、その遺体は紫雲に乗って出羽国に飛来したという伝説が残されています。
更に登ると五大堂があり、ここからの眺めは山寺随一ですが、五大堂の建物には入山者による落書きが目立ちます。
日本人はいつからこのような不道徳な民族になってしまったのでしょうか。
ここからの眺めは子供たちに見せたいですが、これら薄汚い落書きは見せたくないものだと思いました。
慈覚大師も嘆いておられることでしょう。 -
五大堂とはまた別な方へと登ってみると、最上義光公の御霊屋や多数の支院があり、最も奥には大仏殿がありました。
それなりに長い参道でもあり、見応えのある場所もないので、合宿の時はここまでは来ないことになりそうです。 -
次に来るのはいつになるかも分かりません。
まだ少し時間はあるので辺りを散策すると、華蔵院という支院の境内に重要文化財を発見しました。
岩の洞窟に戸が設けられており、中には三重塔が納められています。 -
こうして参拝を終え、無事に下山することができましたが、まだやり残したことがあります。
芭蕉・曽良像の近くにある念仏堂。
入山の前に確認していましたが、ここで写経をすることができるとのこと。
ご自由にお入り下さいとの案内が出ていたので、中に入ってみると、筆ペンや半紙などの道具一式が何人分も置かれていました。
般若心経は中学生の頃に諳んじていましたが、写経は初めての体験です。
漢字の勉強にもなると思いつつ、最後に国家泰平の祈願と住所氏名まで書き終えると、およそ20分が経過していました。
子供の能力ではその2倍かかるとして、40分。
合宿の日程に組み込むのは可能です。
山寺という祈りの場所で、蝉の鳴き声を聞きながら写経をするという体験は、子供たちにとって別世界を味わうような素晴らしい体験になると考えました。 -
問題は、低予算の合宿なので、写経とともに納めるお金が足りないということです。
ひとまず今回の自分の分を納め、お寺の職員の方に相談に行くことにしました。
そして向かったのは立石寺の本坊。
手に持った鉢から水が噴き出ている羅漢さんの像があり、これも教え子たちに見せたいななどと思っているうちに到着。
少し緊張しながら呼び鈴を押すと、女性の方が奥から現れました。
小中学生の小集団で写経を希望する旨をお話しし、金銭的な事情も説明すると、お金は代表で納めればよいとのお言葉。
鄭重にお礼を述べて、その場を後にしました。 -
残る問題は昼食場所。
やはり金銭的な事情で、レストランは利用せず、昼食は弁当持参となります。
その弁当を食べられそうな場所は、当然ですが山寺の境内にはありませんでした。
立谷川の河川敷で青空を見ながらの食事もよさそうですが、もし雨が降ってしまうと食べられなくなってしまいます。
やはり屋根がある所がよいと思って調べたところ、山寺芭蕉記念館に茶室などが備わっていることが分かり、問い合わせたところ食事をしてもよいとのこと。
山寺から徒歩で20分ほどかかりましたが、記念館にはたくさんの展示物もあり、近くには遊べそうな施設もあったので、ここを利用することに決めました。山寺芭蕉記念館 美術館・博物館
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駐車場に戻ると、ちょうど昼飯時。
駐車場を管理するレストランで山形そばを食べながら、頭の中では合宿の計画がほとんど完成していました。
後日。
夏期合宿は天候にも恵まれ、写経をしてから山寺へ参拝し、芭蕉記念館で昼食をとって館内を見学。
ほぼ計画通りに山形での日程をこなすことができ、子供たちも様々な体験ができたことを喜んでいました。
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