2013/05/25 - 2013/05/25
551位(同エリア1151件中)
倫清堂さん
山寺で50年に1度の御開帳。
ぜひ行かねばと思いながらも、他の予定が入ったり天気が悪かったりと延び延びになってしまい、ついに期間中最後の週末を迎えてしまいました。
拝観受付は午前8時からとのことなので、7時前には自宅を出て車で山寺を目指しました。
途中でトラブルもなく、山寺に到着したのは8時過ぎ。
周辺の駐車場はほとんど満車で、少し離れた駐車場に車を停めることに。
そして赤い橋を渡って根本中堂へ向かおうとすると、途中から行列になっているではありませんか。
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自宅からここまで休憩も入れず、なんとなく尿意もあったのですが、トイレに行っている間にも行列は長くなりそうなので、ままよと思って最後尾に並んでしまいました。
しかし1歩1歩進むのがまさに亀の歩みのごとし。
参道に「あと2分」と書かれたお坊さんの絵の標識が置かれているのを、5分も10分も眺めていなければなりません。
天気がよく、参道沿いの商店が日陰を作ってくれているのがありがたいです。
20分ほどのろのろと進むと、同じお坊さんの絵に「あと1分」
40分ほどでようやく石段の下まで進み、あとは根本中堂に入るだけと思ったところが、なんとお堂の中でも銀行のATMのようにジグザグに列を作らされていました。
およそ1時間で、待ちに待った御本尊の前に到りました。
御賽銭を入れて拝み、一瞬で参拝は終了。
御本尊を拝めたことよりも、トイレに行ける解放感の方が強かったというのが正直な心境です。宝珠山立石寺 寺・神社・教会
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山寺は何度も登っているので、今回は近くの奇岩を見に行くことにしました。
実は御開帳よりもこちらの方が主の目的に近いのかも知れません。
初めての場所で勝手が分からないため、渋滞や駐車場の満車などの事態を避けるために、歩いて向かうことにしました。
根本中堂下の石段から、駐車場のある方向とは逆の面白山方面に向かって歩きます。
JRの高架橋をくぐり、だらだら坂をしばらく上ると、線路脇に「観世音」と書かれた額のかかる鳥居が見えて来ました。
鳥居から続く参道を線路が横切っていますが、踏切はありません。
その先の短い石段を登ると、千手院のお堂がひっそりとたたずんでいます。
荘厳な景観を持つこの地を東北の霊場にすると決めた慈覚大師円仁は、弟子たちとともに立谷川沿いに8つの院を建立しました。
それは本院・南院・中院・千手院・山王院・馬形院・芦沢院・安養院の8つで、もともとこれら8院を総称して立石寺と呼んでいたのです。
しかし時代が過ぎるとそれぞれの院は姿を消し、現在は地名として残るのみとなってしまいました。
千手院で手を合わせ、裏にある山道を登り始めました。 -
しかし行く手には、丸々として熊蜂が羽音を立てて飛びまわっていたり、倒木があったりと、平坦な道ではありませんでした。
全く人の気配はなく、熊でも出ようものならおしまいです。
あまり長い時間いたくないという気持ちから足早に上り続け、目の前に奇岩が見えて来た時には息も絶え絶えになっていました。 -
イチオシ
見上げると、山の岩肌が蜂の巣状になっており、異様な姿をしています。
そこに鳥居が立てられ、今にももののけが飛び出して来そうな幻想的な風景となっています。
慈覚大師円仁は、山寺を開山する際にこの場所で修行したのだと言い伝えられています。
この先に垂水不動尊や城岩七岩、また本院跡などがあるらしいのですが、これ以上進んではならないような気がしたため、もとの道を引き返すことにしました。 -
御開帳目当ての行列は、自分が並んだ時より長くはなっているものの、思ったほどではありませんでした。
山形市内を少しだけ散策し、午後の予定に間に合うように帰宅するとしましょう。
向かった先は鳥海月山両所宮。
天明3年に建てられた立派な随神門をくぐり境内へ。 -
御祭神として鳥海山の神霊大物忌神と月山神を合わせ祀ります。
前九年の役の際、勅命によって平定の軍を率いてこの地を訪れた源頼義公・義家公父子は、はるか鳥海山と月山を拝して戦勝を祈願しました。
その後、神の加護によって乱を鎮めることが出来たため、康平6年に神に誓った通りに神廟を建てて両神の御霊を勧請したのでした。 -
境内にある弁天池の中島に、弁財天が祀られています。
前九年の役で頼義公の家臣の鎌倉権五郎景政が目に矢を受けて負傷し、この池に辿り着いた時にようやくその矢を抜いて池の水で目を洗ったところ、それ以来この池に住む魚は片目になってしまったそうです。
『奥州後三年記』には、鎌倉景政は後三年の役で右目を負傷して「目吹」という地で療養したとあるのですが、2度の戦いで両目を失ってしまったということではなく、言い伝えられるうちに事実が変化して残ってしまったのでしょう。 -
高速道路の入り口に向かって川沿いの道を進むと、以前にも来たことがあるような気がして来ました。
そして右手に山形県護国神社を見つけ、その記憶は正しかったことが明らかになりました。
明治2年に戊辰戦争で戦死した薩摩藩士10名を祀ったのがその御創祀で、同8年に山形招魂社となり、山形県出身の殉国者を合祀。
2度の遷座を経て現在地に鎮まりました。
拝殿は平成6年の改築で、初めて訪れた時もその新しさが印象に残りましたが、今もその美しさは変わっていませんでした。
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