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上山温泉街に接する高台に栗川稲荷神社(くりかわいなりじんじや、山形県上山市松山)は上山藩松平氏を祀る神社として多くの稲荷信仰の人々が参拝に訪れています。<br /><br />神社入口に設置の神社由緒によれば、元禄10年(1697)備中国庭瀬藩主である松平信通(まつだいら・のぶみち、1676~1722)は出羽国上山へ転封の幕命が発せられます。<br /><br />松平氏には庭瀬在藩中より古くから信仰されてきた稲荷大神の御神体を奉持して上山に向かう途中、行列は利根川右岸の武蔵国北葛飾郡栗橋にかかり本陣にて宿泊することとなります。<br /><br />一行が寝静まった頃に白髪老人が信通の夢枕に現われ、「夜明けまでに利根川を渡らなければ後悔する」とのお告げがあり夢から覚めた信通は直ちに家臣らを起こし予定を早め夜が明けぬうちに利根川を渡る事にします。<br /><br />信通一行が利根川を渡った後、辺りは豪雨となり利根川が氾濫し堤を崩し大惨事となりましたが、信通の行列はお告げによって大惨事を回避することができました。<br /><br />当時は着任期日順守は厳命となっており、期日通りに着任することができなければ幕府から大変な咎を受ける時代でありましたので、御霊験に感銘した信通は城内に社殿を設け「栗橋」の「栗」と「利根川」の「川」を採って「栗川稲荷大明神」としてますます崇敬を高めます。<br /><br />維新を迎えますと松平氏は上山を離れ東京に移り、そのため城内の稲荷神社が荒廃に帰し、これを嘆いた中村利蔵翁が松平氏に願出てこの地(松山台)に御神体を移し奉祠して今日に至っています。<br /><br /><br />2023年9月20日追記<br /><br />現地に立っている案内板には当該神社の由来が詳細にわたって記載されています。<br /><br />『 栗川稲荷神社の由来について<br /><br />栗川稲荷神社は、備中国庭瀬の城主松平信通公が城中守護の神として奉祀され、厚く信仰されてきたお社であります。<br /><br />ところが、元禄10年9月15日信通公は出羽国上山に御国替を命ぜられました。その時古くから信仰されていた稲荷大神の御神体を捧持して上山に下向することとなり、行列は利根川の右岸、武蔵国北葛飾郡栗橋にかかり本陣に留まることとなった。一行が寝静まった夜中、白髪の老翁が信通公の夢枕に現れ、                             「吾は汝の家に祭をれし稲荷神なり、この利根川を必ず夜明け前に渡をざれば悔ゆることあるべし」と告げると共に夢より醒めた。信仰の厚い信通公は、直ちに家臣を起して、急に予定を替えて、夜の明けぬうちに行列を整い、利根川を渡った。ところが間もなく、沛然たる豪雨となり、忽ちにして利根川の河水は氾濫し包みを崩し、大惨事となった。然し信通公の一行は稲荷大神の御告げによって、この大難を避けることが出来、新領地上山に無事着任することが出来た。当時期日通りに着任することが出来ないと大変な咎めを受けた時代であったのである。<br /><br />このあらたかな御霊験に感銘した信通公は、上山城内に社殿を作り、栗橋の栗と、利根川の川をとって、栗川稲荷大明神とあがめ、いよいよ固い信仰を捧げたのである。<br /><br />ところが、明治になって松平家は東京に移り、城内の稲荷神社は顧みる者もなく大変荒廃したのを嘆き、十日町の清水屋中村利蔵翁が松平家に願出て、松山台のこの地に社殿を設け、御神体をお移しして奉祀することにしたのである。<br /><br />その後年を重ねる毎に稲荷大神の御神徳を蒙る人々が益々多く、今では県内はもちろん、東北や東京・北海道更には、海外からの参拝者を迎える様になった。<br /><br />稲荷大神はあらゆるものを生み成し、生活の安寧と幸福を与え給う御神徳から、古来この大神を衣食住の大祖神(おおおやがみ)と尊崇して来ました。<br /><br />又万民豊楽の神霊と仰ぎ、これが信仰を語り伝える奇瑞や御霊験は、古今にわたって光彩を放っております。<br />                 栗川稲荷神社 社務所 』

羽前上山 上山城主松平氏が赴任地に移動の際夢枕のお告げで河川の氾濫を避けたとして城内に祀った『栗川稲荷神社』散歩

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2014/08/26 - 2014/08/26

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滝山氏照

滝山氏照さん

上山温泉街に接する高台に栗川稲荷神社(くりかわいなりじんじや、山形県上山市松山)は上山藩松平氏を祀る神社として多くの稲荷信仰の人々が参拝に訪れています。

神社入口に設置の神社由緒によれば、元禄10年(1697)備中国庭瀬藩主である松平信通(まつだいら・のぶみち、1676~1722)は出羽国上山へ転封の幕命が発せられます。

松平氏には庭瀬在藩中より古くから信仰されてきた稲荷大神の御神体を奉持して上山に向かう途中、行列は利根川右岸の武蔵国北葛飾郡栗橋にかかり本陣にて宿泊することとなります。

一行が寝静まった頃に白髪老人が信通の夢枕に現われ、「夜明けまでに利根川を渡らなければ後悔する」とのお告げがあり夢から覚めた信通は直ちに家臣らを起こし予定を早め夜が明けぬうちに利根川を渡る事にします。

信通一行が利根川を渡った後、辺りは豪雨となり利根川が氾濫し堤を崩し大惨事となりましたが、信通の行列はお告げによって大惨事を回避することができました。

当時は着任期日順守は厳命となっており、期日通りに着任することができなければ幕府から大変な咎を受ける時代でありましたので、御霊験に感銘した信通は城内に社殿を設け「栗橋」の「栗」と「利根川」の「川」を採って「栗川稲荷大明神」としてますます崇敬を高めます。

維新を迎えますと松平氏は上山を離れ東京に移り、そのため城内の稲荷神社が荒廃に帰し、これを嘆いた中村利蔵翁が松平氏に願出てこの地(松山台)に御神体を移し奉祠して今日に至っています。


2023年9月20日追記

現地に立っている案内板には当該神社の由来が詳細にわたって記載されています。

『 栗川稲荷神社の由来について

栗川稲荷神社は、備中国庭瀬の城主松平信通公が城中守護の神として奉祀され、厚く信仰されてきたお社であります。

ところが、元禄10年9月15日信通公は出羽国上山に御国替を命ぜられました。その時古くから信仰されていた稲荷大神の御神体を捧持して上山に下向することとなり、行列は利根川の右岸、武蔵国北葛飾郡栗橋にかかり本陣に留まることとなった。一行が寝静まった夜中、白髪の老翁が信通公の夢枕に現れ、                             「吾は汝の家に祭をれし稲荷神なり、この利根川を必ず夜明け前に渡をざれば悔ゆることあるべし」と告げると共に夢より醒めた。信仰の厚い信通公は、直ちに家臣を起して、急に予定を替えて、夜の明けぬうちに行列を整い、利根川を渡った。ところが間もなく、沛然たる豪雨となり、忽ちにして利根川の河水は氾濫し包みを崩し、大惨事となった。然し信通公の一行は稲荷大神の御告げによって、この大難を避けることが出来、新領地上山に無事着任することが出来た。当時期日通りに着任することが出来ないと大変な咎めを受けた時代であったのである。

このあらたかな御霊験に感銘した信通公は、上山城内に社殿を作り、栗橋の栗と、利根川の川をとって、栗川稲荷大明神とあがめ、いよいよ固い信仰を捧げたのである。

ところが、明治になって松平家は東京に移り、城内の稲荷神社は顧みる者もなく大変荒廃したのを嘆き、十日町の清水屋中村利蔵翁が松平家に願出て、松山台のこの地に社殿を設け、御神体をお移しして奉祀することにしたのである。

その後年を重ねる毎に稲荷大神の御神徳を蒙る人々が益々多く、今では県内はもちろん、東北や東京・北海道更には、海外からの参拝者を迎える様になった。

稲荷大神はあらゆるものを生み成し、生活の安寧と幸福を与え給う御神徳から、古来この大神を衣食住の大祖神(おおおやがみ)と尊崇して来ました。

又万民豊楽の神霊と仰ぎ、これが信仰を語り伝える奇瑞や御霊験は、古今にわたって光彩を放っております。
                 栗川稲荷神社 社務所 』

旅行の満足度
3.5
交通手段
JRローカル 徒歩
  • 栗川稲荷神社入口

    栗川稲荷神社入口

  • 栗川稲荷神社社標

    栗川稲荷神社社標

  • 栗川稲荷神社由緒

    栗川稲荷神社由緒

  • 栗川稲荷神社参道

    栗川稲荷神社参道

  • 栗川稲荷神社鳥居

    栗川稲荷神社鳥居

  • 神社鳥居

    神社鳥居

  • 栗川稲荷神社石標

    栗川稲荷神社石標

  • 栗川神社拝殿

    イチオシ

    栗川神社拝殿

  • 神社社額

    神社社額

  • 神社風景<br /><br />拝殿から参道方向を眺めます。

    神社風景

    拝殿から参道方向を眺めます。

  • 稲荷像

    稲荷像

  • 神社参道

    神社参道

  • 神社鳥居

    神社鳥居

  • かみのやま温泉駅前広場

    かみのやま温泉駅前広場

  • かみのやま温泉駅舎

    かみのやま温泉駅舎

  • 新幹線車輌<br /><br />新幹線を通すため従来の狭軌(1067mm)を標準軌(1435mm)にゲージ変更しています。在来線を走る新幹線の姿は珍しいので思わず撮りました。

    新幹線車輌

    新幹線を通すため従来の狭軌(1067mm)を標準軌(1435mm)にゲージ変更しています。在来線を走る新幹線の姿は珍しいので思わず撮りました。

  • 新幹線車両<br /><br />東京ー福島間は東北新幹線との直通運転をしていますが、福島駅から在来線に入り新庄までいわゆる山形新幹線として運転されています。

    新幹線車両

    東京ー福島間は東北新幹線との直通運転をしていますが、福島駅から在来線に入り新庄までいわゆる山形新幹線として運転されています。

  • 新幹線車両風景<br /><br />新幹線と案内されますが実際は福島ー新庄は在来線である奥羽本線の一部で、高架軌道でないので当然ながら踏切は存在します。

    新幹線車両風景

    新幹線と案内されますが実際は福島ー新庄は在来線である奥羽本線の一部で、高架軌道でないので当然ながら踏切は存在します。

  • 新幹線車両<br /><br />上山駅に停車する「つばさ」車輌の姿は高架ホームに停車するイメージと異なりおもしろい風景でもあります。

    新幹線車両

    上山駅に停車する「つばさ」車輌の姿は高架ホームに停車するイメージと異なりおもしろい風景でもあります。

  • 新幹線レ?ル<br /><br />奥羽線には標準ゲージ(1435mm)の線路が一部あり、その区間は福島ー新庄に限定されていますが、現場に立つと妙な気分です。<br /><br />

    新幹線レ?ル

    奥羽線には標準ゲージ(1435mm)の線路が一部あり、その区間は福島ー新庄に限定されていますが、現場に立つと妙な気分です。

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