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前回の「薄田隼人の墓を探して」は羽曳野市内誉田の戦跡にある、子孫が建てた墓でした。今回は、友人の偐家持氏が紹介してくれた、天王寺区増福寺内の墓なるもに参ってきた次第を紹介します。<br /> 伝えられるところによると、どちらも無くなった場所と云うことだが自棄に離れている。薄田隼人の墓は山門を入った右手にあり、大きな五輪塔で目立つ位置にあった。この墓は隼人の6代目の孫に当たる薄田兼実が1814年(文化11年)200年忌の追善供養に建立したと云うことだが、その200年後に我々が「騒いで」いることになる。俄に、200年周期説が出来上がる。<br /> 400年事業を遂行するに当たり、「500年」の関係者に笑われない事業をする必要が・・・と関係者に説いているが、これだと500年は無く600年に記念事業が行われるかもしれません。そんなことを考えながら、上町台地を走っていると、脳天がクラクラしてくる。<br /> 携帯電話で天気予報を見ると、既に30度を超えている。このクラクラは熱中症の前兆かも知れません。と、云うことで坂を下り河内を目指して急ぐこととしました。予定では、不動ノ湯に入るつもりだったがかけらも覚えていなかった。<br />

薄田隼人の墓を探して その2上町台地編

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2014/07/15 - 2014/07/15

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旅行記グループ 大坂の陣四百年

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河内温泉大学名誉教授

河内温泉大学名誉教授さん

前回の「薄田隼人の墓を探して」は羽曳野市内誉田の戦跡にある、子孫が建てた墓でした。今回は、友人の偐家持氏が紹介してくれた、天王寺区増福寺内の墓なるもに参ってきた次第を紹介します。
 伝えられるところによると、どちらも無くなった場所と云うことだが自棄に離れている。薄田隼人の墓は山門を入った右手にあり、大きな五輪塔で目立つ位置にあった。この墓は隼人の6代目の孫に当たる薄田兼実が1814年(文化11年)200年忌の追善供養に建立したと云うことだが、その200年後に我々が「騒いで」いることになる。俄に、200年周期説が出来上がる。
 400年事業を遂行するに当たり、「500年」の関係者に笑われない事業をする必要が・・・と関係者に説いているが、これだと500年は無く600年に記念事業が行われるかもしれません。そんなことを考えながら、上町台地を走っていると、脳天がクラクラしてくる。
 携帯電話で天気予報を見ると、既に30度を超えている。このクラクラは熱中症の前兆かも知れません。と、云うことで坂を下り河内を目指して急ぐこととしました。予定では、不動ノ湯に入るつもりだったがかけらも覚えていなかった。

旅行の満足度
5.0
同行者
一人旅
交通手段
バイク
旅行の手配内容
個別手配

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  • 増福寺山門(天王寺区生玉神社前を南へ300M左)

    増福寺山門(天王寺区生玉神社前を南へ300M左)

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