2014/04/28 - 2014/04/28
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たびたびさん
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姥湯温泉は、米沢八湯の中でもたぶん、人気はナンバーワン。秘境の温泉としても知られています。ゴールデンウィークにレンタカーで訪ねようとしたら、何んと通行止め。宿の電話して様子を聞くと、この冬の豪雪の影響で道路事情が悪いのだとか。しかし、宿の送迎車でならこれますよということで、それを利用することに。峠駅で待っていると、車がやって来ました。で、向かったのですが、道は私の想像していた以上に細く険しい道。交通止めになっていなかったとしても自分で運転していくのは無理だったのではないかと思いました。
さて、露天の温泉は、テレビ等でも見ていた通り。硫黄分のせいでしょうが、青く輝くお湯と周囲の切り立った崖の組み合わせは、とってもワイルド。是非一度訪れたいという憧れの温泉であることは間違いないのですが、温泉の湧出量などを考えれば、蔵王温泉の大露天風呂の方がインパクトがあるような気がしないでもないような。。まあ、それが確認できただけでも収穫は十分あったでしょう。
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米沢は、米沢駅の周辺にビジネスホテルがないので仕方ないのですが、夜遅く米沢駅に到着して、今夜の宿であるホテルセレクトイン米沢まで暗い夜道を20分以上歩きました。米沢が初めての人にはちょっときついかもしれませんね。
部屋の空調がまだ冬仕様になっているせいで、部屋が蒸風呂状態。頼めば扇風機を貸しますとのことでしたが、そんなことでは間に合わない。窓を全開にして寝ましたが、ちょっとひどい目に合いました。 -
今日はレンタカーで回るのですが、開くまでの時間を利用して朝の散策をしてみます。
米沢の神社やお寺には、上杉氏に従って越後国からこちらに移ってきたところがいくつもあって、この皇大神社もその一つ。
元は伊勢神宮の神官で、直江兼続配下の与板衆にも属していた一志太夫という人物が伊勢から皇大神宮を勧請して創建したのが始まりだそうです。 -
続いて、ふとその雰囲気のある建物に目が止まったのは、日本キリスト教団米沢教会。米沢市景観賞を受賞しているようです。一見して、キリスト教会と分かるのですが、鼠色の外壁といい、木製の塔といい、米沢の街並みに静かに溶け込んでいます。
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上杉博物館のところまで出てきました。
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それに続く松が岬公園は、米沢城址を整備して作られた公園です。
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「なせば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」で知られた上杉藩の中興の祖、上杉鷹山公の像は、松岬神社の横の公園と上杉神社の参道脇の二か所にあります。まあ、それだけ敬愛されている人物ということでしょう。
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松岬神社は、「まつがさきじんじゃ」と読みます。上杉神社の摂社なのですが、経緯は、明治に入ってから、上杉神社に上杉謙信とともに祀られていた上杉鷹山が分祀されたもの。上杉神社が別格官幣社に列せられるに際してのものだそうです。
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境内には「伝国の辞」の石碑もあります。
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それにしても、ちょうど濠を囲む約200本の老桜が満開で、お濠も桜の花びらで一面桜色。こんなにきれいな景色になるんですね。ちょっと驚くような美しさでした。夜のライトアップもあったようでしたが、知っていてもそこまでの元気はなかったでしょう。
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舞鶴橋は、米沢城跡の正面。上杉神社への参道を通す、堀に架かる石造りのアーチ橋です。周囲の景観と馴染んでいますが、米沢城の遺構ではなく、明治19年に造られたもの。国の登録文化財に指定されています。
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イチオシ
舞鶴橋からの眺めはこんな具合。桜の花びらがお濠を覆い尽くしています。
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謙信公祠堂跡の方へ
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登って行きます。
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正面に立っているのは招魂碑。松岬公園の東南隅の高台に建っている大きな石碑です。
建てられたのは明治11年。戊辰戦争での犠牲者280余名及び西南戦争の犠牲者52名を弔うためのもの。米沢藩は、戊辰戦争では会津藩と新政府との仲介にも動いたりしますが、揺れ動いたのが実際のところ。長岡藩の救済では長岡藩の味方となって新政府軍と戦い、会津戦争では新政府軍とともに戦うという行動となりました。 -
そしてこれが謙信公祠堂跡。明治までは、ここに上杉謙信の遺骸が安置されていました。米沢城に入城した上杉景勝が直江兼続に命じて建てさせたものです。ちなみに、上杉謙信の遺骸は、現在は上杉家御廟所に安置されています。
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これが二つ目の鷹山公像ですね。
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天地人像は、これ。上杉景勝と景勝に仕えた上杉家の家老、直江兼続が並んで建っています。ただ、天地人は、直江兼続を主人公とする小説なので、直江兼続が主なんでしょうね。御館の乱、織田信長の侵攻、米沢への移封の後の関ヶ原の戦い。どの辺りが一番苦しかったのか。いろんな見方ができると思います。
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上杉謙信公像もすぐそばです。等身大のブロンズ像で昭和49年に建立さたもの。右手に采配を持ち、春日山城の方角を見つめて鎮座しているということです。
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では、上杉神社をチェックして、ここから引き返します。
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伊達政宗は、米沢の生まれ。米沢城址には、伊達政宗公生誕之地の碑があります。24歳で豊臣秀吉の奥州仕置きにより、仙台岩出山城に移封されるまでの青年期過ごします。佐竹氏との人取橋の戦い、最上義光の参戦による大崎合戦といった窮地にも陥りながら、最後は、会津の蘆名義広を摺上原で破るなど、奥州の覇者としての地位を固めて行った時代でした。
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イチオシ
もう時間が迫っているのですが、桜をお濠の外側からも眺めて、
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上杉伯爵邸にも寄ってみました。
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ただ、こちらは、桜はなし。やっぱり、ここは春の白いつつじの頃が最高。真っ白なつつじがこの庭にはよく合っているんです。
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ここからレンタカーのお店に向かいます。
途中の西宮戎神社は、交差点に面して大きなえびす様の石像が立っていて、目に止まりました。
この神社は、粡町町内の地元有志が戦後に建立したもののよう。町内会や商店街の行事などで、ここの境内はよく使われているよう。地域に根付いた神社です。 -
それから、これは北山原殉教遺跡。米沢市街の外れにあって、キリシタン処刑の刑場跡だそうです。
米沢藩主上杉景勝はキリシタンに寛容な政策をとっていたのですが、子の定勝の時代になって、幕府の圧力に逆らうことが難しい状況になると、重臣だった甘粕右衛門以下、キリシタン57名が処刑されることになりました。処刑は敬意を持って扱われ、罪人としての過酷な責め等はなかったと言われます。
以上で、朝の散策は終了。ここからは、レンタカーの旅となります。 -
まず向かったのは、姥湯温泉。どんどん山道に入ってきますが、何んとかこれなら行けるでしょう。と思ったら、途中から残雪の影響で通行止め。急きょ、宿に連絡を取って峠の駅で送迎バスに拾ってもらうことにしました。
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峠の駅です。ここに車を止めてバスを待ちます。
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しかし、ちょっと時間の余裕があったので、その辺りをぶらぶら。と、朝早いのに、こんなところでもう開いている茶店があるではありませんか。
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それが実は有名な峠の力餅の本店だったんですね。
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イチオシ
峠の力餅は、駅でも食べれるだろうし、さっそくならといただいたのは、納豆餅。突きたてのつるんとしたお餅に、うまそうな納豆がたっぷり乗って、これはたまりませんね。それなりに量もあるし、温泉に向かうのにいい腹ごしらえが出来ました。
なお、店内には、ご主人が趣味で書いた絵も飾ってあったりして、これも含めて手作り感がいっぱいの雰囲気です。 -
送迎バスがやって来ました。助かりました。これがなければ、危うく今日一日を棒に振るところでした。
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途中に見えているのは滑川温泉。福島屋という一軒宿の秘湯です。ここも峠駅から送迎バスがあります。
ちなみに、姥湯では、この福島屋に泊まっていて、姥湯に来ましたと言うお客さんが何人かいました。滑川温泉から送迎バスで峠駅に送ってもらい、それから改めて、姥湯の送迎バスで姥湯に来た人に。学生さんでしたが、滑川温泉から歩いて姥湯に来た人もいましたが、1時間以上かかったようです。ただ、姥湯から滑川温泉より、滑川温泉から峠駅の方が圧倒的に近いので、姥湯から峠駅に送ってもらう際に、滑川温泉近くでおろしてもらい、滑川温泉から峠駅まで歩いて帰るというのが両方の温泉を攻略するには一番いい方法ではないかと思います。 -
さて、バスはどんどん山奥に向かって進みます。
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さっき通ってきた山道とは比べ物にならない。細くて、険しくて、これはこの道が分かった人じゃないととても無理でしょう。
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いや、道に慣れている人でも、何かあればすぐに事故になってしまいそう。
景色を眺めていても、実は、正直、気が気ではありませんでした。 -
最後に宿の近くではこんな雪崩。もしこれにあったら、ひとたまりもないですよね。もう、五月なのに、こんな具合ですから、ここは確かに秘境の湯と言われる所以でしょう。
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ここから先は、歩いて宿に向かいます。
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しばらくは、
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登り道をひたすら歩きます。
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そして、これが湯場ですね。
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露天は簡単な囲いがあるだけですが、
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イチオシ
その奥には、美しいブルーの温泉。ほー、これが姥湯なんですね。透き通って、硫黄分の匂いもしています。これって、蔵王温泉と似てますよ〜
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辺りは、そこかしこから湯がわき出ていて、いわゆる地獄谷の景色です。
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山肌を削った景色は、氷河が流れてえぐったようなカールの地形にも似ています。
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周囲の荒々しい地形に、美しいブルーの温泉の組み合わせ。
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イチオシ
これに、秋だと真っ赤な紅葉が加わって、錦絵のような景色になる。
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イチオシ
それが姥湯の真骨頂なんですが、こうやって残雪が残る時期だと、逆に、遮る木々がなくて岩肌が全部丸見えになる。これはこれでまたいい感じ。
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帰りのバスの時間まで2時間以上あったと思いますが、入ったり出たり。出たり入ったり。のんびり時間を使って、姥湯の雰囲気を楽しみました。もう、手の指とかしわしわですよ〜。
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さて、時間も近づいて、
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宿の玄関で、最後の時間を調整します。
さて、これで今日のメインイベントは無事終了です。 -
峠駅に戻って、せっかくなので今度は五色温泉に向かいます。
道は大型ダンプも通るくらいのいい道なのですが、けっこう遠いですね〜。 -
始まりは役小角が見つけたとも伝えられ、
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周囲の山を見晴らせる眺望は
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こちらもとても素晴らしい。
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風呂場は、宿から一段高い場所にあって、ここが入口。奥に進んだところが風呂場です。
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泉質は基本的には無色透明ですが、微かに油分が混じっているような感じもありました。
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天井は、ちょっと緑色。苔でも生えているのかもしれません。
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風呂からの景色はこんな具合。ただ、硝子越しに見るので、写真は、外に回って撮ってみました。
姥湯もいいけど、五色温泉も風情あり。米沢八湯。よくできてます。 -
イチオシ
五色温泉から直江堤公園に向かったのですが、突然現れたのは人造湖に松の木がポツンと建っている光景。なんとも幻想的で、メルヘンチックな風景ですよ〜。
実は、これは、水窪ダムの上流。このダムは最上川水系刈安川に建設された、かんがい用ダムなんです。 -
さらに下って、これがダム本体。
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高さ62メートルのロックフィルダムで、
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イチオシ
大きな人造湖が出来ています。
私にとっては、思いがけずいい休憩場所になりました。 -
で、やっと直江堤公園に到着。
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これは、当時暴れ川と言われた最上川の水害を防ぐため、直江兼続が築いた長さ約10kmにおよぶ石堤を利用した河川敷の公園。
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石堤は、現在では1kmほどしか残っていませんが、
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石を積んだ様子は、それなりに見ることができます。
それにしても、視界が開けて、美しい公園です。 -
今度は、堂森善光寺へ。
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こちらは、傾奇(かぶき)の伝説を持つ前田慶次が余生を過ごしたと言われるところ。
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境内には、
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前田慶次供養塔があるほか、
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知られているのは見返り阿弥陀像。
「長田庄司忠次が源頼朝との一戦に敗れ、妹の益王姫が家に伝わる阿弥陀像を背負って逃れた。出羽国にたどり着いたが、追っ手に発見されてしまう。すると背中の阿弥陀像が突然振り返り追っ手をにらんで倒した。助かった益王姫は堂森に庵をつくり、振り返った姿となった阿弥陀像を祀った」との伝説が伝えられています。
京都の永観堂の見返り阿弥陀と違って、自然な姿は優美です。 -
こちらが隣りにある本堂。黒い屋根が特徴的です。
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イチオシ
続いて、亀岡文殊。
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山門のこま犬が阿吽の姿。
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近所の人がぜひ撮って行きなさいとしきりに勧めてくれました。
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寺の始まりは、大同2年(807年)、
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勅命により文殊菩薩を安置したことから。
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そして、
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この寺の文殊菩薩は、
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奈良の安倍文殊院、
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天橋立の切戸文殊と並んで
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日本三文殊のひとつだそうです。
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イチオシ
本堂の拝観は4時まで、閉まっているではありませんか。
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遠いところを来たのでなんとかならないでしょうか。
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いったんは断られたのですが、やっぱりかわいそうに思ったんでしょうか。じゃあこっちに来なさいと、そっと本堂に入れてくれました。
ただ、文殊菩薩の開帳は12年に1度なのだそうで。厨子から想像するしかありませんでした。 -
それでも、境内は霊気がむんむんしているような。来た価値は十分あったと思います。
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もうかなりヘトヘトなのですが、最後の力を振り絞ります。
これは浜田広介記念館。 -
童話作家で「日本のアンデルセン」とも呼ばれる浜田広介の足跡をたどる記念館です。代表作品「泣いた赤おに」は、知らない人はいないでしょう。芝生と池の庭にたたずむ白い建物もメルヘンチック。思う存分、氏の世界に浸れる、これ以上ない施設です。
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なお、泣いた赤おにの最後の青鬼の手紙は、いくつかバージョンがあることは今回初めて知りました。まあ、枝葉の話ではありますが。
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山形とワインなんかちょっと結びつかなかったのですが、山形県の高畠町は葡萄の適産地なんだそうです。訪ねた高畠ワイナリーは、想像以上に規模も大きいし本格的な施設です。
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赤ワイン・白ワイン・スパークリングワインなど、
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試飲も積極的に行っていて、皆さん楽しそう。
ただ、横目で見るしかないドライバーにとっては酷なところかもしれません。
これで、米沢市内に戻ります。 -
戻って、林泉寺へ。上杉氏の本拠があった春日山城の山麓に建てられた林泉寺が元になります。上杉景勝は関ヶ原の戦いで敗れた西軍に味方したので、米沢に転封されましたが、これにともない謙信の遺骸、上杉氏関係の文書の大半が米沢に移され、林泉寺もこれに従いました。正確には、上杉景勝の母仙洞院(謙信の妹)が米沢に移った後、春日山から住職を招聘して建立したようです。なお、ここは上杉の菩提寺でもあり、直江兼続の菩提寺でもあります。なお、墓のエリアは有料です。無人ですので、料金は箱の中へ。
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最初は、武田信清の墓。
ちなみに、信清は、武田信玄の六男で、上杉景勝の正室菊姫の弟にもあたります。長篠の合戦で敗れ、その後武田家は滅びますが、姉の嫁ぐ景勝を頼り越後に来て、上杉家の家臣として仕えた人物です。なお、武田勝頼は、信玄の四男です。 -
直江山城守兼続夫妻の墓は、夫婦の墓が同じ大きさで、戦国時代には珍しいとされますが、直江兼続の幼名は、樋口与六。養子さんなんですよね。
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妻の方は、お船。兼続の前には、直江信綱を婿養子としていて、兼続は主君上杉景勝の命による再婚です。
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こちらは、甲州夫人菊姫の墓。菊姫は、武田信玄の四女で、上杉景勝の妻です。伏見邸において、47才にて逝去。賢夫人の誉れが高く、浄瑠璃や歌舞伎の演目で有名な「八重垣姫」のモデルともされています。
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上杉家が会津、その後、米沢に移封となるのに従い、越後から多くの寺が移ってきます。照陽寺もその一つ。
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そして、上杉憲政の墓は、この境内。
ちなみに、上杉憲政は関東管領。しかし、河越夜戦で北条氏康に敗れると落ち目となり、上杉謙信を頼って落ち延びるとともに、謙信を養子にして関東管領職も譲ります。
こうして隠居の身となったのですが、景勝と景虎との家督争いに巻き込まれ、最期は景勝側に討たれるという生涯でした。
憲政の墓も、越後から米沢へ移されたものです。
これで、レンタカーはおしまい。今夜の宿は、郡山なんですが、待ち合わせの時間を利用して米沢駅周辺をウロウロ。 -
ここにある峠の力餅の方がむしろ有名店なんでしょう。峠駅のそばにある峠の茶屋の支店です。
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本店では、納豆餅をいただいて、力餅の方を食べていなかったので、こちらでそれを買いました。小さめのお餅ですが、表面には一つ一つ丁寧に手で丸めた片栗粉のきれいな跡が付いていて、これだけでもさすが有名なだけのことはあります。予想外に垢抜けた餡子の味わいにもちょっと驚きました。正真正銘、うまいです。
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まるぶんは、米沢駅からほど近い郷土料理のお店。芋煮と米沢牛の焼肉定食のどちらにし用か迷ったのですが、焼肉定食をチョイス。
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で、なんと、この焼肉はソース味だったんです。せっかくの米沢牛をソース味にしてしまうなんて、もったいないように思うのですが、それがここのウリだそう。それだけ地元の人は米沢牛に慣れている証なのかもしれませんが、うーん、ちょっと微妙なウリじゃないでしょうか。
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米沢駅前すぐにあるホテル音羽屋は、明治30年の創業。本館の建物は、国の登録有形文化財に指定されています。木造3階建の入母屋造は、道に面した正面がとても印象的。千鳥破風の屋根の下、2階に出窓、3階に花頭窓風の窓が付けられ、一度見ると忘れられない意匠でしょう。
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そして、この常信庵も隠れた名所。ここは、源義経に従った佐藤継信、忠信兄弟ゆかりの寺。福島の飯坂の医王寺が有名なのですが、こちらもなかりの真実味があるようです。
境内から即身仏が発掘され、それが佐藤兄弟の母である梅唇尼と伝わるのだそうです。 -
佐藤兄弟の生まれたのが米沢であり、義経一行が平泉に逃れる途中、戦死した佐藤兄弟の供養のため、立ち寄ったのもここだったとしたら、それはすごいこと。もっと知られていい場所ではないかと思います。
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松川弁当店は、駅弁のお店なので駅の構内で買えるようですが、米沢駅の駅前通りを少し行ったところに独立したお店があって、米沢でお泊りの方は、こちらが便利です。夜の8時くらいまでやっていて、暗い街の中にここの灯りが漏れているととても安心します。
ちなみに、米沢駅前には、同じく米沢牛の駅弁を作っている新杵屋というお店もあります。こちらも駅前にお店があるのですが、こちらは閉まるのが早い。ただし、駅中の売店で取り扱っていて、まあスタイルの違いというのがそれぞれあるようです。 -
こちらが新杵屋です。
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さて、これで米沢は終了。米沢は今回で何度目だったかなあ。5回か6回めだったと思いますが、やっぱり今回も新しい発見がたくさんありました。歴史が詰まった場所は、少しくらい行ったからと言って、もう分かったつもりになってはいけませんね。
今夜は、郡山で泊まって、早朝、いわきに入ります。
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