2014/05/06 - 2014/05/10
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旅人のくまさんさん
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タロコ溪谷の緑川地区にある、緑川博物館のタロコ溪谷の道路や橋の建設当時の写真展示の紹介です。
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太魯閣(タロコ)国家公園の文字が入った『天祥』のタイトルがあった絵です。『天祥』の名前は、南宋末期時代の軍人で政治家だった、文天祥(1236〜1283年)に因みます。張世傑、陸秀夫と並ぶ南宋の三忠臣です。元に捕われた後、初代皇帝のクビライにその才を惜しまれながらも、節を曲げずに刑死しました。
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『天祥』の地図のアップ光景です。タロコ渓谷の中で、宿泊、飲食の施設が集中している区域です。文天祥に因む名で呼ばれるようになったのは、国民党政府になってからです。
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写り込みが大きく、見難い写真になりましたが、2万5千分の1の縮尺の『太魯閣(タロコ)国家公園』の立体地図です。
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立体地図の上に形や色を使い分けた札がいくつも表示されていました。その札に文字が記されていましたが、滲んで読み取れませんでした。地図のポイントになる施設などが記されているようです。
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『タッキリ渓索道』のタイトルがあった写真パネルです。日本語の解説を拾い読みしますと、台湾に移転した退役軍人の失業対策的な林業事業で造られた索道のようです。
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『Liwu River Cableway』のタイトルがあった英文の説明文です。Liwu川に架かる吊橋の説明です。
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『立霧渓索道』のタイトルがあった、漢文の説明文です。日本語説明文で『タッキリ』と表現してあったのが、『立霧』のことでした。ヒノキ材の搬出のための索道の説明です。『Liwu』=『立霧』=『タッキリ』でした。
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『タロコ地域材木の伐採(Logging in the Taroko area)』のタイトルがあった、日本語文と英文の説明文です。日本統治時代、ベニヒ(紅檜)と檜が台湾東部で伐採され、戦後も1986年まで続けられたことが紹介されていました。
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『太魯閣(タロコ)地区的伐木』のタイトルがあった漢文の説明文です。写真は異なりますが、和文の『タロコ地域材木の伐採』と同じ内容でした。
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『発電道路と産金道路』のタイトルの日本語説明文です。タッキリ(立霧)渓の砂金採取と水力発電の開発目的の道路建設の説明文です。発電道路が5キロ、砂金道路が12キロの規模です。
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『Power Generation Road and Gold Production Road』のタイトルの説明文です。写真は異なりますが、『発電道路と産金道路』のタイトルの日本語説明文と同文です。
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『発電道路興産金道路』のタイトルがあった、漢文の説明文です。写真は異なりますが、これも『発電道路と産金道路』のタイトルの日本語説明文と同文です。
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『観光道路』のタイトルがあった日本語説明文です。1935年(昭和10年)、台湾総督府は花蓮港と霧社を繋ぐ『合歓越道路』を完成、ハイキングコースとして人気を集めたことが紹介されていました。
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『Scenic road』のタイトルがあった、英文の説明文です。『観光道路』のタイトルの日本語説明文と同内容です。
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『攬勝道路』のタイトルがあった、漢文の説明文です。『観光道路』のタイトルの日本語説明文と同内容です。
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『タロコ戦役遂行のためにつくられた軍用道路』のタイトルがあった説明文です。1914年(大正3年)、日本軍によるタロコ平定作戦が始まり、当時の軍用道路が敷設され、警察の駐在所が設置されたことなどが説明されていました。日本では、乙未戦争(いつびせんそう)と呼ばれています。下関条約によって日本への台湾割譲が決まり、上陸した日本軍と清国の残兵や一部の台湾住民との間の戦争です。
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『Military roads during the Battle of Taroko』のタイトルの英文説明文です。『タロコ戦役遂行のためにつくられた軍用道路』の和文説明文と同内容です。日清戦争を終結させる、下関条約(正式名は日清講和条約)は、1895年4月17日に春帆楼で締結されました。中国では馬関条約と呼ばれています。
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『太魯閣(タロコ)戦役的軍用道路』のタイトルの漢文説明文です。『タロコ戦役遂行のためにつくられた軍用道路』の和文説明文と同内容です。
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イチオシ
目も眩むような崖の上での光景のようです。命がけで簡易な造りの木橋を渡る人達です。
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『中横公路』のタイトルがあった写真と日本語説明文です。1955年に台湾の東西を結ぶ中横道路の説明文です。中横公路は太魯閣を起点とし、中央山脈を越え、梨山を通り、台中県東勢へと続く、全長185キロの道路です。後の総統の蒋経国が、困難なプロジェクトを率いたとされます。
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『中横公路』のタイトルの漢文の説明文です。『中横公路』の日本語説明文と同内容です。
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和文と英文と同じ説明文があったパネルです。日本語タイトルは、『測量と討伐』です。日本政府が台湾を統治下に置いた後、『理蕃政策』を進めるために『蕃路』の測量を行ったと、簡単に説明されていました。『理蕃政策』は、台湾先住民に対する占領政策ですが、その過程では幾多の事件が発生しています。最大にして最後の先住民族蜂起である霧社事件は、1930年(昭和5年)10月27日に起きました。
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『測量興討伐』のタイトルがあった漢文説明パネルです。『測量と討伐』の和文説明文と同じく、簡単な説明文でした。
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『タロコ族』のタイトルの和文説明パネルです。約300年前、南投県静観から太魯閣地域に移住し、立霧渓に沿って97個の部落を建立したことなどが説明されていました。山間には、村落間に網の目のような道路が造られたようです。
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『The Taroko Tribe』のタイトルがあった英文説明パネルです。『タロコ族』の和文説明パネルと同内容です。
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イチオシ
『太魯閣族』のタイトルがあった、漢文説明パネルです。『タロコ族』の和文説明パネルと同内容です。写真は、顔に入れ墨をした太魯閣族の女性です。
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『合歓(ネム)越え』のタイトルがあった渓谷写真です。背後に控える合歓山は、標高3000メートルを超える山岳地帯です。この写真は、現地で貰ったパンフレットの表紙にも使われていました。
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これまでに写真を紹介した、展示室の光景です。中央付近に立体地図がありました。
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同じく展示室内の光景です。コ−ヒーやお茶などが提供される休憩室は、この階下にありました。
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イチオシ
展示室の全体光景です。この日のこの時間帯では、私達のツアーグループだけの観覧でした。
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