2013/06/30 - 2013/06/30
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たびたびさん
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新潟市の発展の歴史は、実はけっこう理解しにくい。城下町でもなければ、特別地理的な優位性があったわけでもない。それでいて、日本海側では一番の発展を遂げた街であることに不思議な気持ちがするのです。
とはいえ、北前船の寄港地として賑わった時代があって、それは長岡藩領の時代。この時期、新発田藩の沼垂町からより港の条件が良かった新潟町に賑わいの中心は移って行きます。
江戸時代の末期には、長岡藩領から幕府の直轄領となり、その流れの中で幕末に開港された5港の一つとされます。しかし、結局は、港が浅く大型船が入りにくいことから敬遠され、実際の賑わいはイマイチだったようです。同じ北前船で栄えた酒田など、明治に入ってからも相応の賑わいがあったことを思えば、絶対的な有利性はなかったのではないかとも思います。
それに、北前船の寄港地は日本海側にはたくさんあって、最上川の水運とつながっていた酒田とか、城下町と近い金沢の金石とか、寄港地にはプラスアルファがなければ、特別の発展はしていないはずです。信濃川は水運のメリットとはなっていないし、新潟にこれといった大きな城下町があったわけでもない。
むしろ、幕府の直轄領や開港された5港となって以降、中央での位置づけが定まって、整備されてきた。かつ、北前船の全体的な衰退の中でこうした官制の動きでも比較優位があったというのが実際のところではないかと思います。
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もう季節は夏に入ったよう。ザクロの花がきれいです。さあ、今日もどこまで歩けるか。体力の続くまで、とにかく歩きますよ〜
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まず向かったのは、ピアバンダイ 万代島鮮魚センター。トキメッセと運河を挟んだ向かい側です。
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生鮮市場で食堂もあるようなので、朝飯でも食おうと思って訪ねたのですが、市場も始まりは9時からとのこと。
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食堂はもっと遅い始まりのようで、そんなのありですか。拍子抜けしてしまいました。私と同じように当ての外れた人もいて、これはちょっといただけません。
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では、気を取り直して、Befcoばかうけ展望室へ。これは、トキメッセの展望台です。朝8時からやっているし、勝手にエレベーターで上がれます。
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眼下は、萬代橋や柳都大橋の掛かった信濃川。
こちらが川上方面で -
こちらが河口の方角です。
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そして、市街地の向こうは、もう青い日本海。ここにくると新潟がデルタの町であることが実感できると思います。
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展望室を降りて、ここから川沿いの道へ出ます。
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川沿いの道を上流へ向かうとすぐに柳都大橋です。
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柳都大橋に上ってみました。これも大きな橋なんですね。一般の道路より立派な感じです。
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そこから、万代橋を眺めます。川とは思えない雄大な景色です。
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川沿いの道を再び歩きます。万代橋が近づいてきました。
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これは、メディアシップ。新潟日報社の本社ビルで、高さ105メートル、地上20階の高層ビルです。
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入ると、一階は大きな吹き抜けホール。ちょっとしたレストランや商業施設に、カルチャースクールなどの文化施設が入っています。
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ここから、万代橋を渡ります。
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そのまえに、やすらぎ堤についても、ひとこと。この堤は、萬代橋の上流の信濃川両岸に整備された堤防あのですが、ただ、その傾斜がとても緩やかで、信濃川の川面につながっているので、あまり堤防という感じがしません。川の氾濫に備えるならもっといかつい構造になるのでしょうが、もしかしたら、これが新潟市民の信濃川に対する気持ちの表れなのかもしれません。
なお、写真は万代橋からトキメッセを見たものです。 -
向こう岸に渡ったところにあったのが、新潟ブルースの碑。ホテルオークラの向かい側です。新潟ブルースは、思い出の夜は霧が深かった〜 美川憲一の昭和42年のヒット曲。「柳ヶ瀬ブルース」や「釧路の夜」と並ぶご当地ソングですね。
なお、碑は新潟市市政百年を記念して建てられたものです。 -
近くで見つけた洋菓子店は、ガトウ専科。大通り沿いにあって、明るく立派な店構えです。
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一番人気という、キャラメル ル・レクチエをいただきました。洋ナシが入っていますとのことでしたが、言われてみれば、カスタードクリームにかすかに混じっているような。どっちにしても、濃厚なクリームが特徴です。
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大通りから商店街に入って行きます。
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で、この田中屋本店は、新潟の名物、笹だんごのお店。
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店頭に山のように盛られた笹団子が圧巻で、たまらず一ついただくことにしました。
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笹の葉っぱを剥ぐと、これは濃い緑色なんでしょうか、ほとんど黒い色のだんごが出てきました。すごいですねえ。そしてお味の方は、もっちりしているし、餡子と合わさって、なるほどこれは名物です。始めのインパクトとその後の素直なおいしさの組み合わせがすばらしいです。
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竹徳かまぼこは、新潟駅でも見かけましたが、ここは本町店。ここも商店街の中にあって、いかにも地元密着のお店です。
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選んだのは、一番スタンダードの「とく天」。お店の前に腰かけていただきましたが、ぷりぷりした歯ごたえがとっても美味。きれいな白身の味がたまりませんでした。
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新潟市マンガの家は、古町の一角。新潟にゆかりの漫画家がその作品とともに紹介されています。無料の施設ですし、最近はまんがで町興しといったことがはやりのような気がしていたので、あまり期待していなかったのですが、展示の仕方がいいからでしょうか、とてもたのしい。
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「ハイスクール!奇面組」なんか、何年ぶりに見たでしょうか。懐かしいし、今見ても斬新ですね。
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再び商店街。
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弘願寺は、新潟三越にもほど近い、新潟市の中心。周囲をビルに囲まれたお寺は、その背後に、身の丈30尺というとんでもない大きさの大師像が立っています。
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電線が走っている間からお顔が見えるのですが、本当にとんでもない光景です。
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笹川餅屋で、しょうゆだんごをいただきました。二度突いたという説明書があって、ご主人に話を聞くと、うるち米の米粉を熱い湯と混ぜて蒸す。それを突いてお餅にする。それが冷えたところで、もう一度突くのだそうです。
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ニコニコしながら教えてくれましたが、これまで食べたことのないような、滑らかなもちもち感。創業120年はだてではない。すごいお店です。
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瑞光寺は、新潟市内の中心部。ここに、新潟市名誉市民で東洋美術研究者、歌人や書家でもある会津八一の墓と歌碑があるというので、訪ねました。奥の方に墓地があったのでそっちかと思ったのですが、なかなかわからない。
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仕方がないので、お寺の方を呼び出して教えてもらうと、入口入ってすぐ、本堂の手前にありました。会津八一は、晩年までの10年を生まれ故郷の新潟で過ごしました。今も、新潟の地で安らかに眠っています。
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白山公園は、新潟市内にあって、白山神社東側に整備された公園です。
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新潟市は城下町ではないので、なんとなく、この公園が城下町のお城に代わるような存在になっているようにも感じました。
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はすの池や棚や噴水のある
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日本庭園の傍らには、
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いろんな顕彰碑があって、新潟の歴史も勉強できます。
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新潟県政記念館は、白山公園の端っこ。かつての新潟県旧県会議事堂で、屋上中央に八角塔屋を構えた左右対称の擬洋風建築。
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明治16年に完成したものです。保存状態がとても良くて、県議会が開かれていた議事堂は今でも使えるような感じ。国の重要文化財です。
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白山公園から上古町通りを通って中心部に帰ります。
これは野澤屋。 -
椿餅というのをいただきました。
米粉のお菓子かと思ったのですが、米粉に小麦粉も入れて、外郎のような味わい。素朴なお菓子です。 -
さらに歩いていると、古町糀製造所。甘酒の飲み物の専門店だそうで、人が集まっていて、けっこうな人気店のようです。試飲させてもらったら、すっきりした味わい。
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おいしかったので、一ついただきまして、新感覚の冷たい甘酒を楽しみました。
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こちらも同じ通り。上古町の商店街の一角にあったふるまち良寛てまり庵です。良寛の出身は、越後出雲崎で、正確には新潟市ではないのですが、まあそれはそれとして、いずれにしても新潟県が生んだ有名人です。
この施設は、街のボランティアが運営している施設なんでしょうか、近所の人が憩う集会所のような雰囲気もあります。 -
入ると、「どうぞ、どうぞ」とお茶とお菓子をいただきまして、ここの名物、良寛さんの紙芝居を見せていただきました。欲得を捨て、無心に子供たちと遊び戯れる良寛さんに思いを馳せて、とても心が癒されました。会長さんの語り口最高ですね。
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これが上古町の商店街の様子です。
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さて、もう一軒は、古町 伊勢屋。こちらは、新潟ではおなじみのしょうゆ団子の人気店。直前に、笹川餅のしょうゆ団子があまりにもうまかったので、ここのも食べ比べてみようと思って、寄ってみました。
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バラ売りがなくて、5本入りのパックを買いましたが、ここのしょうゆ団子は焦げた香りがとってもいい。一人で一気に5本を食べちゃいました。新潟のレベルの高さには脱帽です。
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そして、最後が金巻屋。良寛さんに関係あるお菓子があると聞いて訪ねたのですが、目についたのは「カミフルぽっぽ」。「カミフルぽっぽ きなこ」、「カミフルぽっぽ さつまいも」、「カミフルぽっぽ ルレクチェ」の三種類があって、
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私は「カミフルぽっぽ さつまいも」をいただきました。蒸しカステラのような生地でクリームを巻いたお菓子。クリームがさつまいもの香りがして、素材を活かした風味が印象に残りました。
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マンガストリートまで帰ってきました。
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そうそう、この豆八はチェックしていたお店です。古町通り商店街の中にある小さなお店です。店の前に、ベンチがあって、近所のお年寄りがアイス最中を食べていました。これはうまそうです。
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つられて私も一ついただきました。サクサクっとした固さが気持ちいいのと、ちょっとフルーティな香りがするのがさらにいい。暑い季節には最高ですね。
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と、ここでは新酒の販売イベントをやっていました。新潟でもよさこいですかあ。
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若者のチームですが、何か経験豊富といった落ち着きもある。
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切れもいいし、かなりい線行ってますねえ。しばし、見とれてしまいました。
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お昼は、とんかつ太郎です。
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お菓子ばっかり食べていたので、ここではミニカツ丼にしてみました。いつもながら、さくさくした歯切れの良さもあるし、うまいで〜す。
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ここからは、新潟市の北の方を歩きます。
途中にあった里仙は、和菓子の街、新潟にあって、老舗の和菓子屋さん。けっこう有名なんですよね。会津八一記念館でも、八一とこのお店の関わりに触れられていました。 -
看板商品は、最中。白餡と赤餡がありますけど、どっちにしますか?といわれてえっと思いましたが、赤餡とは普通の小豆餡のこと。これをいただきましたが、艶々、磨きこまれたような餡子のうまさが光っていました。さすがに質が高い最中です。
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こちらにも和菓子屋さん。百花園です。店内は、季節の生菓子がずらり。
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お勧めを聞くと、水無月です。土台のういろうの素直な甘さがとてもいい。店内では冷たいお茶も出していただきまして、改めて街歩きの疲れを癒しました。
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日本海タワーにやってきました。ここは、回転式の展望台を有する施設として知られますが、高台にあるのは、実は、配水施設であるためなんですね。建物の大部分は配水のための貯水槽です。
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エレベーターで展望台に上がって、ベンチに腰かけて周囲を眺めましたが、回転はゆっくりでもちょっと目が回るような。少し慣れが必要かもしれません。
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続いて、會津八一記念館。會津八一といえば、奈良ではビッグネーム。八一は新潟の出身で、晩年までの10年間を新潟で過ごします。新潟では、どちらかというと研究者というより、歌人や書家としての活動が多かったようで、新潟市會津八一記念館でも、書の展示が中心です。しかし、その書は、奈良の古代史の研究から生まれたもの。その関係が理解できないと會津八一の偉大さは分からないでしょう。その点で、ちょっと、物足りなさを感じてしましました。
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これも近所の砂丘館。どっぺり坂を登ったところにあります。
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昭和8年に建てられた旧日本銀行新潟支店長役宅は、
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和洋折衷の広々した建物です。
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地元出身の洋画家、峰村リツ子の絵画を
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床の間や洋間の壁などあちこちに展示する企画展が行われていました。裸体の絵が中心でしたが、ちょっとレトロな建物とマッチしていい雰囲気。企画展の着想の良さも感じられました。
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こちらは、庭の方から建物を見た景色です。
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これが「ドッペリ坂」。名前は変わっていて、一度聞くと耳に残ってしまいます。坂の上に旧制新潟高等学校があって、ここの寮に住む学生が夜な夜な坂を下りて繁華街の古町に
遊びに出かける。そんなことをしていると落第するぞ。学年が「ダブル」をドイツ語で「Doppeln」(ドッペルン)。そこから名付けたと言われています。 -
坂の上からはこんな風。市内を見晴らせるロケーションです。
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安吾 風の館も、ほとんどこの並び。
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旧市長公舎です。
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応接が広くて、クーラーも効いてます。気持ちいい。
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そして、坂口安吾の作品を紹介する展示室では、代表作の一つ、「桜の森の満開の下」に因む雑誌やポスター写真などがたくさんありました。
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映画にもなったというこの作品ですが、若山富三郎と岩下志麻が演じる作品は、幻想的で甘美な美しさがちょっと衝撃的。思わず見入ってしまいました。
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新潟カトリック教会も寄ってみます。昭和2年の竣工。ロマン式とルネッサンス式との折衷の木造建てという建物です。
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内部にも入らせてもらいましたが、ステンドグラスがとてもきれい。
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しばらくぼーっと眺めてしまいました。
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こちらは、旧齋藤家別邸。
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建物は、幕末から続いた豪商の家系で、
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新潟三大財閥といわれる齋藤家の四代齋藤喜十郎が、
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大正7年に別荘として建てたもの。
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開放感いっぱいのしゃれた広間の
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正面に配された日本庭園は砂丘地形を利用した回遊式の庭園。
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欄間の意匠は、「月」を崩したものだとか。
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網を引く漁師。木目を上手に生かしています。
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離れの座敷は、正面が竹林の庭。
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座敷の欄間もこれに合わせて竹の図柄です。
ボランティアの方がこうして説明をしてくれるのですが、結局のところは、細かい意匠よりも全体のバランス。夏向きの数寄屋作りの軽快な構造が、とても爽快感がある。四代齋藤喜十郎はただものではありません。 -
なお、屋敷は二階からも庭が見下ろせる構造になっていて、
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建物と庭の一体感もすばらしいです。
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あと二つ回る予定。だんだん焦ってきます。
こちらの北方文化博物館新潟分館は、油田の掘削によって財を成した清水常作が明治28年に別宅として建てたもの。 -
その後、北方文化博物館の伊藤家の分家が取得します。
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続きの庭はちょっと小さめでしょうか。
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で、驚いたのは、曾津八一がここで10年間暮らしたということ。母屋に続く洋館があって、今は、八一の作品等が展示されていましたが、ここで暮らしたのだそうです。そういう意味ではちょっと歴史的な場所かもしれません。
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最後は旧小澤家住宅。北方文化博物館新潟分館からはちょっと遠い。15分はかかったかも。ぎりぎりで滑り込みました。
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ここは、江戸時代後期から新潟町で活躍していた商家・小澤家の店舗兼住宅。
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小沢家は、北前船の寄港地でもあった新潟で、
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米、回船で隆盛を誇った商家です。
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屋敷は、増築を繰り返して、家財蔵、新座敷、離れ座敷など付け足されていますが、
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全体として過度に華美な印象はなく、質実な建物だと思いました。
旧齋藤家別邸と比べると、正直、普通の域は出ていませんね。改めて、旧齋藤家別邸の凄さを感じます。 -
さて、帰りの新幹線にぎりぎり間に合って、最後はお土産選びです。
このCoCoLo新潟は、JR新潟駅ビルにある、お菓子などのお土産物を中心とした売り場です。ただ、お土産物を置いているのは駅ビル二階のCoCoLo新潟の本館。CoCoLo新潟はあちこちに分散しているので、CoCoLo新潟はどこですかといってもそれだけでは通じない。けっこう厄介。焦りました。 -
新潟は、金沢・松江と並ぶ和菓子どころ。いくつか有名な老舗の和菓子屋さんがあるのですが、この大阪屋もその一つ。いただいたのは、会津八一の書がデザインになったお菓子、求肥入やわらか小倉羊かんの「喫茶去」。それにしても、この金地の文字はすごいですね。ずっと飾っておきたいような気持になりました。
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そして、最後に大御所の「越乃雪本舗大和屋」。新潟伊勢丹の地階にもあったのですが、新潟駅ビルCOCOLOにもあると聞いて、帰る間際にこちらを利用することにしたものです。ここの看板商品は、とにかく「越の雪」。晒したもち米の粉と和三盆を合わせて固めたお菓子で、日本の三大和菓子の一つとされているもの。評判倒れの心配もしたのですが、これは文句なくうまい。うまい、うまい、うまい。溶けてなくなるような淡さとすっきりした和三盆の甘さの後にざらっとした米粉の余韻が残って、すばらしい。癖になってしまいそうです。
以上で、新潟二日の旅は終了。どこにポイントがあるか分からず、しらみつぶしに回りました。新潟を観光する目線は絞りにくいということが改めて実感されたような旅でした。
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