2013/03/23 - 2013/03/23
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ドクターキムルさん
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青蓮寺門前横には旧江ノ島街道の尾根道に上る道が開かれ、それは切通になっている。この切通の名前は内海家(分家)のお婆さんから聞くのを忘れてしまったが、お婆さんは切通とはっきりいっていた。どうやら、女坂切通というようだ。切通に入ると崖にやぐらのような横穴の中に和田家の墓がある。この横穴がやぐらなら鎌倉時代から南北朝時代に造られたものであり、切通はそれ以前の掘削となろう。青蓮寺は弘法大師空海が弘仁10年(819年)に開いたという高野山真言宗の準別格本山の寺格を有する古刹である。青蓮寺は谷戸に創建され、東側の谷戸には内海家(本家)や成瀬家などがある村になっていた。この村の東側にある山の尾根には旧江ノ島街道が通っている。弘法大師空海が修行したとされる江ノ島からここ青蓮寺を参拝する際にはこの切通を下って来たのであろう。創建当初は山道であったであろうが、数100年も経つと切通が掘削されたのであろう。手広界隈にはやぐらが残っているから、この和田家の墓地となっている横穴もやぐらである可能性はあるであろうか。
この後、江戸時代になると谷戸坂の切通(男坂切通)が掘削されたのであろうか。この切通は生活道路ではなく、参道として開かれたのであろう。
さらに、明治から大正あたりにこの谷戸坂の切通(鎖大師の切通)の2m左に「鎖大師参道」として隧道(トンネル)が掘られた。2つ掘られた隧道(トンネル)のうち、寺脇のものは今も利用されている。
戦後(昭和32年(1957年))になって、青蓮寺のある谷戸から山を切り開いて西鎌倉小へと県道304号線が開設された。
すなわち、尾根に旧江ノ島街道が通り、手広の青蓮寺切通(女坂切通)が掘削され、その後、谷戸坂の切通(男坂切通)が掘削される。さらに、鎖大師参道として隧道(トンネル)が掘削され、戦後になって、県道304号線が開通した。そんな順であろうか。
(表紙写真は手広の青蓮寺切通(女坂切通))
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