2013/02/23 - 2013/02/23
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鎌倉市長谷4にある高徳院は浄土宗のお寺で大異山高徳院清浄泉寺(しょうじょうせんじ)という。入場券には鎌倉大佛殿高徳院とあるが、露座の大仏であり、大仏殿は600年余り前に失われてしまっている。いわゆる鎌倉大仏のある寺であり、国宝銅造阿弥陀如来坐像(仏身高約11.3m、重量約121t)は建長4年(1252年)から10年前後の歳月をかけて造立されたとみられている。浄土宗に改宗したのは、東横線の駅名で知られる祐天寺(享保3年(1718年)創建)に祭られる祐天上人(寛永14年(1637年)〜享保3年(1718年))が正徳年間(1711年〜1716年)に高徳院の中興開山として再興したことによる。
客殿で高徳院の住職の佐藤孝雄氏の講演を70分ほど聴講した。佐藤氏は慶應大学文学部人文社会学科の教授である。略歴を見ると、文学研究科博士課程を単位取得退学とあり、学位(博士)はないようだ。慶應大学では私より10年も学年が下の世代でも博士がなくても教授になれているのにはさすがに驚いた。40年前でも理工系では博士でないと教授にはなれなかった。文系ではいつまで経っても資格が緩いようだ。また、今催しを主催した神奈川県考古学会会長の岡本孝之氏は昨年(2012年)3月に慶應大学SFC研究所を准教授で退職している。学位(博士号)はなかったのであろう。ちなみに、SFCとは湘南藤沢キャンパスの略のようだ。
大仏殿の礎石は江戸時代には60個、現在は50個あり、加工されたものを含めると53個(Webでは56個)あるという。相当数が動かされたようで、大仏前の下の段や客殿横の庭石にも転用されている。
この大仏殿の位置から伽藍をCGで復元してあったが、瓦屋根にしてしまい、失敗したという。何故なら瓦は発掘されないという。桧皮葺きか柿葺きであったのではと話していた。後で、「建長寺も円覚寺も萱葺きだったので大仏殿も萱葺きだったと考えるべきでしょう。」と住職に話しておいた。覚園寺の薬師堂の大きなものを思い浮かべるべきであろう。
また、境内をボーリングして津波の跡がないか調べたが、専門家の間でも、「これは津波の跡でしょう。」という人と「津波の形跡がない。」という人がいるとも話していた。この件についても住職に、「長谷寺が伽藍を高台に移していることは重いことでしょう。」と話しておいた。かつては境内が避難場所に指定されていたという。しかし、記憶ではハザードマップでは海抜8m余りしかない高徳院境内は水没する地区になっていたと思う。大津波が襲ってきたらここでは危ないのである。
(表紙写真は鎌倉大仏のお顔)
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仁王門。修理中だ。
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枝が垂れた樹。桜ではないそうだ。
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中門。両側には狛犬。
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中門。
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「境内一円 たき火 たばこ 禁止 鎌倉市消防本部 高徳院」の看板。
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「境内一円 たき火 たばこ 禁止 鎌倉市消防本部 高徳院」の看板。
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手水舎。
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「南無阿弥陀仏」碑。
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十三重石塔。
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銅プレート。
昭和6年(1931年)4月9日にシャム国プラチャティポック国王陛下(ラーマ7世)ご夫妻が来院された際に国王が御手ずから植えられたマツ。 -
ワシラウッド皇太子殿下(のちのラーマ6世)が明治35年(1902年)12月27日に来院された際のお手植松とプレート。
旧シャムおよび現タイ王国王族がご来院時に植えられた三本のクロマツ(Pinus thunbergii)が並び立っている。 -
飯室謙斉(1883〜1928年)句碑「春の雨かまくらの名も和らぎて」(建立は1933年)。
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礎石。大仏殿の礎石を移したもの。
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石垣。
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鎌倉大仏(国宝)。高徳院のご本尊だ。長谷大仏とも言われ、鎌倉時代に造立された。
左端に見える「国寶鎌倉大佛」の標石は大正10年(1921年)銘で関東大震災前のものだ。 -
鎌倉大仏。
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鎌倉大仏。
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鎌倉大仏。
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鎌倉大仏のお顔。頬あたりに渡金の跡が見られるというが‥。
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鎌倉大仏。
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鎌倉大仏。
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境内の大銀杏の木。
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藁草履。
Webには、「大仏像に向かって右側の回廊内壁には、常陸太田市中野町郡戸地区に活動拠点を置く松栄(まつざか)子供会によって奉納された、長さ1.8m、幅0.9m、重量45kgにも及ぶ大きな藁草履がかけられています。こうした草履の制作・奉納は、戦後間もない1951年、「大仏様に日本中を行脚し、万民を幸せにしていただきたい」と願う、茨城県久慈郡の子供達によって始められました。松栄会はその事績も後世に伝えつつ、1956年以降、数年に一度巨大な藁草履の制作を試み、当院への寄進を続けておられます。」とある。
地方のお寺の仁王門には大きな藁草履が1足(右と左で2つ)吊るされていることがある。それが、坐像の大仏にも藁草履をとなったのであろう。大きさは仁王さまは履く程度の大きさである。
南谷の大わらじ(横浜市戸塚区下倉田町)は大正時代になって、鎌倉にあるお寺のわらじを真似て始められたとあり、ここ鎌倉大仏を真似たものと思っていた。
おそらくは、関東大震災以前には大仏用のもっと大きな藁草履が吊るされていたのでは?
なお、鎌倉寺社では藁草履が吊るされているのはここ高徳院だけになっている。 -
客殿玄関の蘇鉄。明治以降には鎌倉の別荘地の庭木として多く植えられ、古写真には大仏の脇にも写っている。その名残であると住職が話していた。
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客殿の屋根には路盤が上がる。飾り瓦が上がっていないのは芝・増上寺の山門と同じか。
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回廊裏には客殿までの参道が。
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回廊裏の多宝石塔。
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回廊裏の客殿までの参道。
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客殿の雛飾り。
客殿にはこれよりも大きな雛飾りが2組飾られていたが、住職の講義に使うプロジェクタのスクリーンにお顔が隠れていた。ご夫婦連れで来ていた幼稚園児くらいの娘さんがこれを眺めていたが、大きな雛飾りを隠すスクリーンを外すのは大変なために、最後までお顔を見れなかった。 -
「お願い」看板。大仏入口の料金所前にある。入場料が20円と安価である。
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大仏内部。今回が2度目だ。
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大仏内部。
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「胎内の説明」パネル。パネルの前だけは明るい。
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穴は大仏の頭。
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大仏内部。袈裟の襞も内部にまである。
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大仏内部の背中にある扉窓。デッキの梯子は外されていた。
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大仏内部の銅プレート。
ここから階段を下って出るのだが、押し寄せた入場者で通るのがやっとであった。
20円を払えば、国宝仏に触れるだけでなく、内部に入れるのであるから誰もが入場料を払っているようだ。 -
大仏後ろの「南無阿弥陀佛」のお題目が彫られた石碑。
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回廊裏の石燈籠。
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与謝野晶子(1878〜1942年)の歌碑とプレート。
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与謝野晶子歌碑「かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼は美男におわす夏木立かな」(建立は昭和27年(1952年))。
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与謝野晶子歌碑プレート。
「かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼は
美男におわす夏木立かな 晶子」。 -
観月堂の石燈籠。
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観月堂。
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観月堂に掛けられた「観月堂と観音像」看板。
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観月堂の石燈籠。
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石塔。
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石塔上の大黒天像。
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「大仏道」道標。
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竹株。高徳院の境内には四方竹が植えられていないのは驚きだ。
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回廊から覗く大仏さまの螺髪(らほつ)。
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「当山中興祐天大僧正二百年御遠忌報恩記念」碑。
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「当山中興祐天大僧正二百年御遠忌報恩記念」碑。
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ここにも竹株。
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「ジャヤワルデネ前スリランカ大統領」顕彰碑。
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「J・R・ジャヤワルデネ前スリランカ大統領顕彰碑誌」(1991年(平成3年)銘)。
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「サンフランシスコ対日講和会議10周年記念 ジャヤワルデネ前スリランカ大統領顕彰碑 建立プロジェクト賛同‥‥団体篤志者名録」プレート。
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「松倉‥‥先生記念石碑」(大正8年(1919年)銘)。
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