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さて天龍寺から宝厳院、弘源寺、法輪寺へと巡ります。<br /><br />まずは「獅子吼の庭」で有名な宝厳院へ向かいます。<br />天竜寺の前庭を南に抜けて、嵐山方面へ向かう参道沿いになります。<br /><br />宝厳院は天龍寺の塔頭となります。<br />寛正二年(1461)に室町幕府管領である細川頼之により、聖仲永光禅師を迎えて開山されました。<br />山号は「大亀山」を号します。<br /><br /><br />創建は京都市内上京区付近にあったとされます。<br />広大な寺域のお寺であったそうですが、応仁の乱によって焼失し天正年間に豊臣秀吉の寄進によって再興されました。<br /><br />明治期には嵐山河川の整備などで寺領を国へ払い下げ、同じく天龍寺塔頭の弘源寺の境内へ場所を移しています。<br /><br />現在の宝厳院は平成14年に今の場所へ再興したものとなります。<br />この場所は元々は天龍寺塔頭・妙智院があり、近代以降は個人の別荘となっていた場所です。<br /><br /><br />

よっしゃ、京都へ行くどす(ぇ)!2012。 宝厳院~弘源寺~法輪寺。

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2012/10/16 - 2012/10/16

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フロッガー

フロッガーさん

さて天龍寺から宝厳院、弘源寺、法輪寺へと巡ります。

まずは「獅子吼の庭」で有名な宝厳院へ向かいます。
天竜寺の前庭を南に抜けて、嵐山方面へ向かう参道沿いになります。

宝厳院は天龍寺の塔頭となります。
寛正二年(1461)に室町幕府管領である細川頼之により、聖仲永光禅師を迎えて開山されました。
山号は「大亀山」を号します。


創建は京都市内上京区付近にあったとされます。
広大な寺域のお寺であったそうですが、応仁の乱によって焼失し天正年間に豊臣秀吉の寄進によって再興されました。

明治期には嵐山河川の整備などで寺領を国へ払い下げ、同じく天龍寺塔頭の弘源寺の境内へ場所を移しています。

現在の宝厳院は平成14年に今の場所へ再興したものとなります。
この場所は元々は天龍寺塔頭・妙智院があり、近代以降は個人の別荘となっていた場所です。


同行者
一人旅
交通手段
高速・路線バス 徒歩

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  • 参道を宝厳院へ。<br />宝厳院内は、春と秋に特別公開されています。<br /><br />紅葉スポットでも有名で、秋の特別公開期間の最後の方になる12月には夜間ライトアップも行われます。

    参道を宝厳院へ。
    宝厳院内は、春と秋に特別公開されています。

    紅葉スポットでも有名で、秋の特別公開期間の最後の方になる12月には夜間ライトアップも行われます。

  • 参道には羅漢様たちがおられます。<br />「嵐山羅漢」様です。

    参道には羅漢様たちがおられます。
    「嵐山羅漢」様です。

  • 宝厳院入り口。<br />

    宝厳院入り口。

  • 受付で、拝観料金を払います。<br /><br />茶室で抹茶をいただく際もこちらで受付。<br />また本堂や弘源寺との参拝セットも申し込めます。

    受付で、拝観料金を払います。

    茶室で抹茶をいただく際もこちらで受付。
    また本堂や弘源寺との参拝セットも申し込めます。

  • それではお庭へ。

    それではお庭へ。

  • 回遊式庭園「獅子吼の庭」です。<br />獅子吼(ししく)とは仏が説法する場所を指します。<br /><br />奥に置かれているのが雲上三尊石で、釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩を表します。<br />手前の大きな石が船石、人はこれにの乗って対岸へ向かいます。<br />悟りの世界へ渡る様子を描きます。

    回遊式庭園「獅子吼の庭」です。
    獅子吼(ししく)とは仏が説法する場所を指します。

    奥に置かれているのが雲上三尊石で、釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩を表します。
    手前の大きな石が船石、人はこれにの乗って対岸へ向かいます。
    悟りの世界へ渡る様子を描きます。

  • 嵐山を借景とし、丸い石で(苦海)を表現しています。<br />苦海(くがい)とは苦しみの絶えないこの世を海に例えるものです。

    嵐山を借景とし、丸い石で(苦海)を表現しています。
    苦海(くがい)とは苦しみの絶えないこの世を海に例えるものです。

  • 茶室となる青嶂軒(せいしょうけん)。<br /><br />大正時代に建てられた茶室を修復したものです。<br />今は特別公開期に、抹茶をいただくことができます。

    茶室となる青嶂軒(せいしょうけん)。

    大正時代に建てられた茶室を修復したものです。
    今は特別公開期に、抹茶をいただくことができます。

  • 無礙光堂(むげこうどう)。<br />永代供養堂です。

    無礙光堂(むげこうどう)。
    永代供養堂です。

  • 本堂へ。<br /><br />宝厳院本堂は平成20年に完成したものです。<br />間口十一間・奥行き六間の方丈様式となる建物で、本尊には十一面観世音菩薩を祀ります。<br />脇侍として33体の観世音菩薩様がおられ、西国三十三か所を巡ったのと同じ功徳があるとされます。<br />そして足利尊氏が信仰していた地蔵菩薩様もおられます。<br /><br />本堂内部は特別公開とされていて、入ると左手に上間・室中・下間となっています。<br />襖には洋画家・壁画家である田村能里子氏によって描かれた「風河燦燦 三三自在」と題された襖絵が58面にわたって描かれています。<br />「観音経」の中には観音菩薩が33身の老若男女に姿を変えて苦の世界を救われたとあります。<br />この仏の世界を表現した襖絵です。<br />赤を基調とするその絵は「タムラレッド」と呼ばれるそうです。

    本堂へ。

    宝厳院本堂は平成20年に完成したものです。
    間口十一間・奥行き六間の方丈様式となる建物で、本尊には十一面観世音菩薩を祀ります。
    脇侍として33体の観世音菩薩様がおられ、西国三十三か所を巡ったのと同じ功徳があるとされます。
    そして足利尊氏が信仰していた地蔵菩薩様もおられます。

    本堂内部は特別公開とされていて、入ると左手に上間・室中・下間となっています。
    襖には洋画家・壁画家である田村能里子氏によって描かれた「風河燦燦 三三自在」と題された襖絵が58面にわたって描かれています。
    「観音経」の中には観音菩薩が33身の老若男女に姿を変えて苦の世界を救われたとあります。
    この仏の世界を表現した襖絵です。
    赤を基調とするその絵は「タムラレッド」と呼ばれるそうです。

  • 本堂の隣が書院となります。<br />数寄屋建築、大正八年に建てられたものです。<br /><br />

    本堂の隣が書院となります。
    数寄屋建築、大正八年に建てられたものです。

  • 本堂側から。

    本堂側から。

  • 豊丸垣。<br />竹を使用した生垣です。

    豊丸垣。
    竹を使用した生垣です。

  • お庭から書院。<br />書院は宝厳院がこの場所へ移る以前からあった別荘建築の建物で、現在の本堂ができるまでの間は仮本堂となっていました。

    お庭から書院。
    書院は宝厳院がこの場所へ移る以前からあった別荘建築の建物で、現在の本堂ができるまでの間は仮本堂となっていました。

  • う〜ん、綺麗なお庭。<br />大堰川から小川が引きこまれているようです。<br /><br /><br />それでは弘源寺へ戻ります。

    う〜ん、綺麗なお庭。
    大堰川から小川が引きこまれているようです。


    それでは弘源寺へ戻ります。

  • 弘源寺山門。<br />天龍寺の前庭の参道にあるお寺です。<br />弘源寺も天龍寺塔頭寺院となります。<br /><br />室町幕府管領であった細川家九代目、細川[右京大夫]持之が永享元年(1429)に創建したお寺です。<br /><br />細川家は清和源氏の流れを汲むとされ、細川家は足利家の分家の家柄として四管領家の1つを勤めています。<br />宝厳院を開いた管領、細川頼之は持之の祖にあたります。<br /><br />かつては小倉山の麓にあり、北に二尊院。<br />広大な敷地を有する寺とされましたが、度重なる火災で堂内伽藍建築物は焼失しています。<br /><br />明治十五年に末庵の「維北庵」と合寺となっています。

    弘源寺山門。
    天龍寺の前庭の参道にあるお寺です。
    弘源寺も天龍寺塔頭寺院となります。

    室町幕府管領であった細川家九代目、細川[右京大夫]持之が永享元年(1429)に創建したお寺です。

    細川家は清和源氏の流れを汲むとされ、細川家は足利家の分家の家柄として四管領家の1つを勤めています。
    宝厳院を開いた管領、細川頼之は持之の祖にあたります。

    かつては小倉山の麓にあり、北に二尊院。
    広大な敷地を有する寺とされましたが、度重なる火災で堂内伽藍建築物は焼失しています。

    明治十五年に末庵の「維北庵」と合寺となっています。

  • 参道から。<br />左手が毘沙門堂、右奥が本堂です。

    参道から。
    左手が毘沙門堂、右奥が本堂です。

  • 毘沙門堂。<br />勅額は弘法大師の直筆と伝わります。

    毘沙門堂。
    勅額は弘法大師の直筆と伝わります。

  • 本堂内から枯山水庭園の「虎嘯(こしょう)の庭」です。<br />奥が嵐山。<br /><br />本堂内部の柱には各所に長州藩士の付けた刀傷が残ります。

    本堂内から枯山水庭園の「虎嘯(こしょう)の庭」です。
    奥が嵐山。

    本堂内部の柱には各所に長州藩士の付けた刀傷が残ります。

  • お水取りの松明ね。<br /><br />それでは次は、法輪寺へ向かいます。

    お水取りの松明ね。

    それでは次は、法輪寺へ向かいます。

  • 嵐山駅前。

    嵐山駅前。

  • 渡月橋を渡ると隅に見えるのがこの参道。<br />行っていいのかわからなかったのですが、登る人がいたのでこちらから参ります(・へ・)

    渡月橋を渡ると隅に見えるのがこの参道。
    行っていいのかわからなかったのですが、登る人がいたのでこちらから参ります(・へ・)

  • 裏門。

    裏門。

  • さらに石段を登ります。

    さらに石段を登ります。

  • そして境内へ到着。<br /><br />左手に回ると多宝塔が見えます。

    そして境内へ到着。

    左手に回ると多宝塔が見えます。

  • 多宝塔は昭和十七年に建立されました。

    多宝塔は昭和十七年に建立されました。

  • 鐘楼堂。

    鐘楼堂。

  • 法輪寺は真言宗五教団の京都本山とされます。<br />和銅六年(713)、言明天皇の勅願によって行基が創建しました。<br />初期は「葛井寺」と名乗りました。<br /><br />天長六年(829)、弘法大師・空海の弟子であった道昌が中興し虚空蔵菩薩像を安置します。<br /><br />貞観十六年(874)頃には伽藍が整えられ「法輪寺」となります。<br />清少納言の「枕草子」にて代表的な寺院としてあげられるなど、平安時代には隆盛を極めたお寺だったそうです。<br /><br />針供養でも有名なお寺です。<br />

    法輪寺は真言宗五教団の京都本山とされます。
    和銅六年(713)、言明天皇の勅願によって行基が創建しました。
    初期は「葛井寺」と名乗りました。

    天長六年(829)、弘法大師・空海の弟子であった道昌が中興し虚空蔵菩薩像を安置します。

    貞観十六年(874)頃には伽藍が整えられ「法輪寺」となります。
    清少納言の「枕草子」にて代表的な寺院としてあげられるなど、平安時代には隆盛を極めたお寺だったそうです。

    針供養でも有名なお寺です。

  • 古くから京都には、数え年で十三歳に成長した男女は成人の儀礼として法輪寺に参拝する風習があります。<br />昔は十三歳というのは成人として扱う年齢です。<br /><br />こちらのお寺で十三歳の厄難を払い、本尊(秘仏)である虚空蔵菩薩様に智恵を授けてもらうためのお参りです。<br />参拝した者は、自分に縁のある漢字一文字を半紙に書き奉納します。<br />これを「十三参り」と呼び、平安時代から今に続く風習となっています。<br /><br />お参りをしたあとは渡月橋で振り返ってはいけない、これは有名ですね( ̄д ̄)<br />振り返ってしまうと、頂いた知恵などを落としてしまうそうです。

    古くから京都には、数え年で十三歳に成長した男女は成人の儀礼として法輪寺に参拝する風習があります。
    昔は十三歳というのは成人として扱う年齢です。

    こちらのお寺で十三歳の厄難を払い、本尊(秘仏)である虚空蔵菩薩様に智恵を授けてもらうためのお参りです。
    参拝した者は、自分に縁のある漢字一文字を半紙に書き奉納します。
    これを「十三参り」と呼び、平安時代から今に続く風習となっています。

    お参りをしたあとは渡月橋で振り返ってはいけない、これは有名ですね( ̄д ̄)
    振り返ってしまうと、頂いた知恵などを落としてしまうそうです。

  • それでは帰りは正面参道から帰ります。<br /><br />境内には電電宮(電気電波の神様)もあり、名だたる放送局や放送・電力関係の会社の会員名が記載されていました。

    それでは帰りは正面参道から帰ります。

    境内には電電宮(電気電波の神様)もあり、名だたる放送局や放送・電力関係の会社の会員名が記載されていました。

  • こちらが山門。

    こちらが山門。

  • 法輪寺展望台から。<br />この日は展望台への渡り面や駐車場が工事されていて、私が着いた頃にちょうど終わりの片付けをしているところでした。<br />東方向は塞がれていたのですが、いや〜、絶景。<br /><br />ということで、嵯峨嵐山拝観の日程も終わりを向かえました。<br />このあとはちょいと休憩です( ´∀`)

    法輪寺展望台から。
    この日は展望台への渡り面や駐車場が工事されていて、私が着いた頃にちょうど終わりの片付けをしているところでした。
    東方向は塞がれていたのですが、いや〜、絶景。

    ということで、嵯峨嵐山拝観の日程も終わりを向かえました。
    このあとはちょいと休憩です( ´∀`)

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