2012/10/16 - 2012/10/16
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祇王寺・滝口寺を拝観して、奥嵯峨巡りもとりあえず無事終了。
やはり朝の光がある日を選んでよかった、よかった。
次に向かったのは清凉寺です。
清凉寺は浄土宗のお寺で、山号を「五台山」と号します。
清凉寺は棲霞(せいか)寺と釈迦堂が合わさり現在の清凉寺の形になったものです。
この地には光源氏のモデルとしても有名な、源融(みなもとのとおる)の別荘・棲霞観がありました。
源融が亡くなったあとに源融が造立を願っていた阿弥陀三尊像を子どもたちが造り、寛平七年(895)に阿弥陀堂を建立して安置します。
この阿弥陀堂を棲霞寺と呼びました。
この棲霞寺が造られてから数十年経ったのちに、宋の五台山を巡礼していた奝然(ちょうねん)という東大寺の僧が現地で模刻させた三国伝来の釈迦如来像を持ち帰ります。
五台山は宋の仏教の三大霊場の一つとされていた場所です。
奝然は嵯峨の愛宕山を五台山に見立て、愛宕山の麓となるこの地へ清凉寺を建立しようとしました。
これはこの釈迦像を本尊とすることで、比叡山延暦寺と対抗する大寺院を育てようという考えでした。
奝然上人の存命中にこの願いは果たせなかったのですが、弟子である盛算(じょうさん)が棲霞寺の境内に意思を継いで建立させたのが五台山・清凉寺となります。
母体ともなっていた棲霞寺は現在では衰退し、阿弥陀堂と阿弥陀三尊像に往時の面影を忍ばせます。
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祇王寺方面から街道沿いを歩くと二尊院の前にでますが、そのまま進みます。
そうすると清凉寺の西門に到着。 -
西門。
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西門をくぐると左手にすぐ薬師寺・三地蔵です。
この薬師寺は清涼寺境内に南面するお寺ですが、清凉寺とは別の存在です。
弘仁九年(818)都に疫病が流行った際に、嵯峨天皇の勅命(病魔退散)によって弘法大師が彫った薬師如来像(心経秘鍵薬師如来像)を祀る寺として創建されたお寺です。
その後は焼失を繰り返し再建も繰り返しすこととなりますが、現在の本堂は寛永年間に大覚寺門跡である尊性親王によって再建されたものです。
明治期に入るまで大覚寺が管理していて、現在は浄土宗・知恩院派に属すお寺になります。
毎年8/24の地蔵盆法要の際に1日だけ公開とされていて、御本尊もこの日だけ拝観できます。 -
境内を通ってまずは仁王門へ。
「五臺山(五台山)」と書かれた額が掲げられています。
仁王門は安永六年(1776)に再建されているもので、楼上内には十六羅漢が安置されます。 -
仁王像。金剛力士像は室町後期のものです。
あーさま。 -
うんさま。
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多宝塔。
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本堂(釈迦堂)。
三国伝来の木造釈迦如来立像が祀られます。
シンメトリーな衣をまとった仏様は各地で彫られる仏様に影響を与え、「清凉寺式」と呼ばれる様式となっています。
現在の本堂は元禄十四年(1701)、江戸幕府・五代将軍綱吉とその母である桂昌院らの発起により再建されたものです。 -
本尊である釈迦如来像は、お釈迦様が37歳の時の姿を刻んだ生身の釈迦如来様と伝わり、インド・中国・日本と伝えられる(三国伝来)の仏様です。
昭和二十八年に胎内に納められていた絹で作られた五臓六腑があることが確認されています。(霊宝館に展示)
これらの納入品は、インドで彫られた仏像を宋で模刻した時に宋の五人の尼僧が胎内に入れたものとされます。
この仏像はレントゲン撮影によって脳部分には鏡、口中には歯、鼻と耳は貫通していて人体模型ともいわれる造りになっています。
清涼寺の如来様は生きているということになるのです。 -
阿弥陀堂。
源融は晩年に写経や造仏建立を始めましたが、志半ばで他界しています。
このため遺族らが意思を引き継ぎ完成しています。
現在の阿弥陀堂は文久三年(1863)に再建されたものです。
源氏物語の第十七帖・絵合巻末においては造立が記載され、松風の巻にて光源氏が造営した「嵯峨の御堂」が登場します。
このお堂は大覚寺の南に所在したと記され、現在の場所と一致するものとなっています。 -
阿弥陀堂には棲霞寺の本尊とされた阿弥陀三尊像(嵯峨光仏)が祀られていました。
今は霊宝館に移動されて安置されています。
阿弥陀如来像は光源氏の面影を残す像として伝えられます。 -
阿弥陀堂の横から霊宝館へ向かいます。
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こちらに行くと庫裏の方へ行ってしまうので間違いです(*´ω`*)
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間違えて庫裏の方まで行ってしまったので、ちょっと色づいたモミジを撮って退散します(*´Д`)
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霊宝館。ススキが綺麗ねヽ(´ー`)ノ
毎年、春季(4/1〜5/31)と秋季(10/1〜11/30)に特別公開されています。
清凉寺の主たる仏様はこちらに安置されています。
一階には、
・棲霞寺本尊阿弥陀三尊像
・本堂釈迦如来両脇侍文殊菩薩・普賢菩薩騎獅像
・清涼寺式釈迦如来模刻像
・釈迦十大弟子像
・四天王立像
・兜跋毘沙門天像
二階には
・釈迦如来立像の胎内納入品
・十六羅漢図模写
・狩野探幽作 花鳥図
などなど。
みなすぐ近くで拝観できます。 -
手水舎の裏は境内にある湯豆腐のお店、「京料理ゆどうふ 竹仙」です。
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一切経蔵。江戸時代中期に建立された建物です。
中央に傅大士像。
傅大士は笑いの仏様とも呼ばれます。
ピースしてるわけではないです(爆)
いわゆる輪蔵(回転式の書棚)を考えた方です。 -
お堂の正面すぐに傅大士父子像が安置され、経蔵の四隅に四天王像が守る形になっています。
堂内は明版・一切経(5408巻)を納めた輪蔵となっています。 -
鐘楼。
江戸時代に建立と伝えられます。
梵鐘には、「文明十六年(1484)11月吉日」(室町時代中期)と記され、寄進者名の中には足利義政・日野富子・征夷大将軍義尚の名もあります。
嵯峨十景の中の「清凉晩鐘」・「五台晨鐘」がこの鐘となります。 -
本尊、釈迦如来立像は地方へ出開帳も多かった仏様です。
江戸時代には全国各地、60ヶ所以上を出向いたと言われます。
行く先々で人々はこの仏様に殺到し、賽銭を投げました。
清凉寺の釈迦如来様の像に傷が多いのはこのためで、民衆の信仰心を全身で受け止めた姿なのです。
圧巻の仏様たちです。
それでは清涼寺から宝筐院ヘ・・・と思ったら宝筐院に行ってない!?(゚д゚lll)
なんと、行くのを忘れて引き返していました。
しかも完全に忘れていたのか、帰って写真を見て気づく(爆)
どうりで、こののち時間が余るわけだ・・・いや、行かないように仕向けられたのかもしれんね( ̄д ̄)
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