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それでは法輪寺から嵐山駅方面へ戻ります。<br /><br />ちょうどお腹もすいてきてしまったので、去年も行ったお蕎麦屋さん「嵐山よしむら」で休憩することにしました。<br />このお店は夕方まで営業しているので、時間を外して入ればおひとりさまでも気兼ねなく助かります( ´∀`)<br /><br />ということで休憩がてら、どういうふうに帰るかを思案中に北野天満宮へ行く事を思い立つ。<br />参拝は時間が遅くても大丈夫だろうと思って、嵐山をあとにします。<br /><br /><br /><br /><br />北野天満宮は菅原道真公を祭神として祀る神社です。<br />菅原道真は平安時代に活躍した学者出身の政治家で、学者としては当時の最高位となる「文章博士」になります。<br /><br />そして朝廷の最高機関である右大臣を務めるまでになり、左大臣・藤原時平と国家の政務を取り仕切ります。<br /><br />道真の出世を妬むものは多く、家系を重視する貴族には嫉妬の対象にもなっていきました。<br />特に道真が掲げた中央集権制には反発が多かったとされます。<br /><br />そして左大臣・藤原時平を中心とする謀略によって道真は無実の罪を着せられることになり昌泰四年(901)、九州の大宰府に左遷されます。<br />道真はその2年後、無実の罪を着せられたまま59年の生涯を閉じました。<br /><br />道真の死後、京の都は疫病や地震・雷や火災・水害の災難が相次ぎます。<br />そして醍醐天皇や時平を筆頭にその周囲の人間にも不幸が続くことになります。<br /><br />これを道真公の祟りと都の人々は噂するようになり朝廷は20年後に道真の罪を許し左遷を撤回、右大臣の職を再び与えて名誉の回復をはかります。<br /><br />そして都の平安を願うとともに道真を弔うため、北野天満宮が創建されることになります。<br />道真が亡くなってから44年後となる天暦元年(947)のことでした。

よっしゃ、京都へ行くどす(ぇ)!2012。 北野の天神さんへ。

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2012/10/16 - 2012/10/16

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フロッガー

フロッガーさん

それでは法輪寺から嵐山駅方面へ戻ります。

ちょうどお腹もすいてきてしまったので、去年も行ったお蕎麦屋さん「嵐山よしむら」で休憩することにしました。
このお店は夕方まで営業しているので、時間を外して入ればおひとりさまでも気兼ねなく助かります( ´∀`)

ということで休憩がてら、どういうふうに帰るかを思案中に北野天満宮へ行く事を思い立つ。
参拝は時間が遅くても大丈夫だろうと思って、嵐山をあとにします。




北野天満宮は菅原道真公を祭神として祀る神社です。
菅原道真は平安時代に活躍した学者出身の政治家で、学者としては当時の最高位となる「文章博士」になります。

そして朝廷の最高機関である右大臣を務めるまでになり、左大臣・藤原時平と国家の政務を取り仕切ります。

道真の出世を妬むものは多く、家系を重視する貴族には嫉妬の対象にもなっていきました。
特に道真が掲げた中央集権制には反発が多かったとされます。

そして左大臣・藤原時平を中心とする謀略によって道真は無実の罪を着せられることになり昌泰四年(901)、九州の大宰府に左遷されます。
道真はその2年後、無実の罪を着せられたまま59年の生涯を閉じました。

道真の死後、京の都は疫病や地震・雷や火災・水害の災難が相次ぎます。
そして醍醐天皇や時平を筆頭にその周囲の人間にも不幸が続くことになります。

これを道真公の祟りと都の人々は噂するようになり朝廷は20年後に道真の罪を許し左遷を撤回、右大臣の職を再び与えて名誉の回復をはかります。

そして都の平安を願うとともに道真を弔うため、北野天満宮が創建されることになります。
道真が亡くなってから44年後となる天暦元年(947)のことでした。

同行者
一人旅
交通手段
高速・路線バス 徒歩
  • 渡月橋を渡ります。<br /><br />この渡月橋、元々は法輪寺橋と呼ばれていたそうです。<br />この橋は嵯峨天皇が法輪寺へお参りするために桂川へ架けられた橋です。<br /><br />「渡月橋」の名は亀山上皇がこの橋を見て「くまなき月の渡るに似たり」と言ったそうで、渡月橋と命名されたと云われます。<br /><br /><br />当時を描いた掛け軸が法輪寺に残っていて(法輪寺参詣曼荼羅)、それにはこの橋のほとりで通行料金を納める場所が描かれています。

    渡月橋を渡ります。

    この渡月橋、元々は法輪寺橋と呼ばれていたそうです。
    この橋は嵯峨天皇が法輪寺へお参りするために桂川へ架けられた橋です。

    「渡月橋」の名は亀山上皇がこの橋を見て「くまなき月の渡るに似たり」と言ったそうで、渡月橋と命名されたと云われます。


    当時を描いた掛け軸が法輪寺に残っていて(法輪寺参詣曼荼羅)、それにはこの橋のほとりで通行料金を納める場所が描かれています。

  • 小倉山。

    小倉山。

  • 渡月橋を渡って、嵐山よしむらさんへ。

    渡月橋を渡って、嵐山よしむらさんへ。

  • 良かった!カウンターも空いてたヽ(´ー`)ノ<br />ということで、海老天ぷらそばの冷たい方とビール(爆)<br /><br />この時点で午後4時を過ぎた頃。<br />どうしたもんかと考えながら休憩・・・。<br />ふと思いつき北野天満宮へ行く事にします。

    良かった!カウンターも空いてたヽ(´ー`)ノ
    ということで、海老天ぷらそばの冷たい方とビール(爆)

    この時点で午後4時を過ぎた頃。
    どうしたもんかと考えながら休憩・・・。
    ふと思いつき北野天満宮へ行く事にします。

  • お蕎麦屋さんを出ての渡月橋。<br />右奥に見える多宝塔が先ほどの法輪寺の多宝塔です。

    お蕎麦屋さんを出ての渡月橋。
    右奥に見える多宝塔が先ほどの法輪寺の多宝塔です。

  • 嵐山駅から嵐電で移動します。<br /><br />

    嵐山駅から嵐電で移動します。

  • 北野白梅町駅で降りて、徒歩で北野天満宮へ。<br />一の鳥居。

    北野白梅町駅で降りて、徒歩で北野天満宮へ。
    一の鳥居。

  • 楼門。<br /><br />楼門を入ると左手に参道は曲がります。<br />一直線上に並ばない配置は「筋違いの本殿」と呼ばれるそうです。

    楼門。

    楼門を入ると左手に参道は曲がります。
    一直線上に並ばない配置は「筋違いの本殿」と呼ばれるそうです。

  • 休憩所となっている絵馬所。<br /><br />かなり古い年代を記載された絵馬が掲げられています。<br />

    休憩所となっている絵馬所。

    かなり古い年代を記載された絵馬が掲げられています。

  • 三光門(中門)が見えてきます。

    三光門(中門)が見えてきます。

  • 四脚唐門です。<br />彫刻の中に日・月・星があり、これを三光として三光門とも呼ばれます。<br /><br />「天満宮」の勅額は後西天皇の御宸筆とされます。

    四脚唐門です。
    彫刻の中に日・月・星があり、これを三光として三光門とも呼ばれます。

    「天満宮」の勅額は後西天皇の御宸筆とされます。

  • 木鼻。

    木鼻。

  • 西回廊から。<br />回廊も豊臣秀頼によって造られました。

    西回廊から。
    回廊も豊臣秀頼によって造られました。

  • 拝殿。<br />慶長十二年(1607)、豊臣秀頼の寄進によって造営されたものとなります。<br />今ある権現造の基礎となった形式です。<br />権現造は霊廟建築の手本となる建築様式となります。<br /><br />現在では学問の神様、芸能の神様として信仰されています。

    拝殿。
    慶長十二年(1607)、豊臣秀頼の寄進によって造営されたものとなります。
    今ある権現造の基礎となった形式です。
    権現造は霊廟建築の手本となる建築様式となります。

    現在では学問の神様、芸能の神様として信仰されています。

  • これにて参拝終了。<br />拝殿の前でモデルのような女の子二人組に写真を頼まれますが、札所が終い支度をしていてアワワワ(*´ω`*)<br /><br />そして何やら胸騒ぎでツイッターを見たら、そのままツイートされてました(爆)<br />斜めに撮ってるわ、足が見切れてるわ、ホントごめんなさい( ̄д ̄)<br /><br /><br />そんなこんなで北野天満宮前のバス停からバスに乗って帰りました。

    これにて参拝終了。
    拝殿の前でモデルのような女の子二人組に写真を頼まれますが、札所が終い支度をしていてアワワワ(*´ω`*)

    そして何やら胸騒ぎでツイッターを見たら、そのままツイートされてました(爆)
    斜めに撮ってるわ、足が見切れてるわ、ホントごめんなさい( ̄д ̄)


    そんなこんなで北野天満宮前のバス停からバスに乗って帰りました。

  • ホテルに帰る前に錦市場やらを通っていたので、錦の天神さん。<br />錦天満宮にも参拝。<br />雰囲気華やか。

    ホテルに帰る前に錦市場やらを通っていたので、錦の天神さん。
    錦天満宮にも参拝。
    雰囲気華やか。

  • 錦天満宮はもともと「歓喜寺」、「歓喜光寺」に改名されたお寺の鎮守社として創建されたのが始まりだそうです。<br /><br />当時は六条河原院の場所にありましたが、天正十五年(1587)に豊臣秀吉の打ち出した都市計画により現在の錦小路の場所に移転されました。<br /><br />そしてこの所在地名をとって「錦天満宮」と呼ばれています。<br />神仏分離令によって錦天満宮はこの地へ残りましたが、歓喜光寺は東山五条(その後に山科)へ移されました。<br />

    錦天満宮はもともと「歓喜寺」、「歓喜光寺」に改名されたお寺の鎮守社として創建されたのが始まりだそうです。

    当時は六条河原院の場所にありましたが、天正十五年(1587)に豊臣秀吉の打ち出した都市計画により現在の錦小路の場所に移転されました。

    そしてこの所在地名をとって「錦天満宮」と呼ばれています。
    神仏分離令によって錦天満宮はこの地へ残りましたが、歓喜光寺は東山五条(その後に山科)へ移されました。

  • お稲荷さん。<br />源融を祀る塩竈神社もあります。<br />

    お稲荷さん。
    源融を祀る塩竈神社もあります。

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