2012/06/28 - 2012/06/28
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YAMAJIさん
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日本刀は、平安時代に誕生し、武士や合戦の歴史とともに、発展を遂げてきました。一千年余の歴史のうち、武器として、また武家の家宝や贈り物として受け継がれ現在に至っています。この日本刀を、正しく理解し、後世に伝えることを目的として、塚本美術館は、設立されました。
塚本美術館は、佐倉市出身の実業家、故塚本素山(つかもとそざん)の、長年に渡る日本刀のコレクションを基に設立された美術館です。昭和40年(1965)に「日本刀美術館」の名称で東京銀座に開設され、その後千葉市に移設「塚本美術館」と名称を変更、更に昭和58年(1983)財団法人化に伴い佐倉市に移設されました。
常設展として、現代作家故酒井繁政刀匠の手になる、日本刀製作工程(原材料から完成品までの実物見本を使う)が、判りやすく展示されています。平常展として、刀身400点、鞘250点の所蔵品の中から、3ケ月ごとに約20点ずつ展示しています。年度末には、テーマを絞って特別展が行われます。
開館時間;10:00〜16:00。休館日;土曜・日曜・月曜・祝日・年末年始・年度末(ただし、毎月第三土曜は開館します)。入館料;無料。問い合わせ;〒285-0024 佐倉市裏新町1−4 塚本美術館。電話;043−486−7097。
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塚本美術館です。
佐倉市の裏新町にあります。2階が展示スペースになっています。 -
2階に上がる途中に、塚本素山の色紙がありました。
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展示風景です。
展示スペースは広くないですが、展示内容は充実しています。 -
日本刀の製作工程が、故酒井繁政刀匠の手による実物見本で、判りやすく展示されています。
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「積わたし」です。
玉鋼(たまはがね)を薄く潰したものを小割にして、古地金(ふるじがね)と混ぜて積み重ね、藁をまぶして和紙で包み、泥をかけて加熱して鍛える。 -
日本刀の原料です。
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「折返し鍛錬」です。
積み沸かした玉鋼を棒状に延ばして折り返し、また打延ばして折返えす作業を繰り返して、何万という薄い層の皮金(かわがね)を作り、別に柔らかい包丁鉄(ほうちょうてつ)にわずかな玉鋼を混ぜて同様な方法で心金(しんがね)を作る。この過程で夾雑物(きょうざつぶつ)もたたきだされる。 -
「積わたし」をした玉鋼と、「折りし鍛錬」をした皮金です。
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「造り込」です。
柔らかい心金を硬い皮金で包み込む。包込みの方法には、真甲伏(しんのこうぶせ)、本三枚(ほんさんまい)、四方詰(しほうづめ)の三種類がある。 -
「素延」です。
心金を皮金で包んだものを加熱して、平角の棒状に打ち延ばしていく。この時、中の心金が外に飛び出さないように均等に打ち延ばす。 -
「素延」をした刀です。
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「火造」です。
素延べしたものを加熱しながら、小槌で刀の形に叩いてゆき荒返りをつける。 -
「荒仕上」です。
火造りされたものに、セキ鋤(せきすき)ヤスリをかけ形を整えていく。 -
「荒仕上」をした刀です。
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「土取」です。
水分を除去し、刃文(はもん)を決め、焼刃土(やきばつち)を刀身に塗り、乾燥させる。焼刃土は、砥石の粉・炭の粉・粘土を混ぜたもの。 -
「土取」をした刀です。
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「焼入」です。
約800度くらいに熱して、頃合いを見て急冷する。 -
「反直し」です。
銅の台を加熱したものを、刀身の棟に当てて、反りを修正し形を整える。 -
「焼入」、「反直し」をした刀です。
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「鍛冶押し」です。
刀工自身の手で荒研ぎをする。 -
「銘切」です。
最後に銘を入れる。 -
「鍛冶押し」、「銘切」をした刀です。
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日本刀の色々を解説しています。
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日本の刀の変遷を解説しています。
大刀(たち・直刀)、太刀(たち)、刀(かたな)が並びます。 -
大刀(たち・直刀)です。
いつの頃からか大陸から我が国に伝来した大刀は、数種の形があるものの、いずれも反りのない直刀(ちょくとう)でした。この作品は切刃造(きりはづくり)の直刀で、この形のものがやがて平地(ひらじ)の刃方(はがた)の近い稜線(鎬)が棟の方に寄り全体に反りのついた太刀が作られるようになりました。 -
昭和48年の、月山貞一(がっさんさだいち)の作品で、大刀(直刀)を模したものです。
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太刀(たち)です。
初期の日本刀が作られ始めた平安時代後期から南北朝時代の頃の戦いは、重い鎧(大鎧)を着て馬に乗り、刃を下に向けた太刀を左腰に紐で水平に吊るして使用しました。太刀は長くて反りが深く当時の戦いに適するように作られていました。太刀は、室町時代になると次第に作られなくなり、桃山時代以降になると、多くが長さを短く詰めて刀に直されて使用されました。 -
鎌倉時代(14世紀)の、有正(ありまさ)の太刀です。
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太刀拵の部分名称です。
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刀(かたな)です。
室町時代になると、戦いは大鎧を着て馬に乗り戦う方法より、軽量の鎧(胴丸や腹巻)を着て徒歩での戦いが多くなりました。徒歩での戦いに有利な、刃を上に向け左腰に指して使用する「打刀(うちがたな)」が作られるようになり、室町時代中頃からは太刀に代わって主流となり、明治の廃刀令まで作られました。打刀は、普通は刀と呼び、多くが太刀より短く、反りも浅いものです。 -
江戸時代(17世紀)の、津田助直(つだすけなお)の刀です。
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打刀拵の部分名称です。
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脇指(わきざし)、薙刀(なぎなた)、槍(やり)が並びます。
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脇指(わきざし)です。
桃山時代になると、武士は長い打刀(大刀・だいとう)と短い打刀(小刀・しょうとう)の二本を指すようになり、やがて江戸時代にはこれが武士の正式な帯刀(たいとう)の決まりとなりました。小刀は、刃長(刃のついている部分の長さ)が60cm未満の、現在は脇指と分類されるものです。武士以外の商人や農民でも冠婚葬祭や旅行に祭し、脇指一本だけは指すことが許されていました。 -
江戸時代(17世紀)の、津田助直(つだすけなお)の脇指です。
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薙刀(なぎなた)です。
薙刀は、文字どおり薙ぎ払う武器で、多くが脇指程度の長さのものに木製の長い柄を付けて使用します。古くは鎌倉時代中期から作品が見られます。槍がほとんど消耗品であったのに対し、薙刀は名作が残されており、各時代の名工も手がけています。桃山時代以降はあまり作られず、薙刀を仕立て直して脇指にしたものがまま見られます。 -
室町時代(16世紀)の、飛騨守氏房(ひだかみうじふさ)の薙刀です。
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槍(やり)です。
太刀や刀は片側に刃が付き、主に切ることを目的にしていますが、突くことを目的に作られたのが槍です。左右対称に刃をつけ、この作品のように枝状十文字形のものも見られます。長い木製の柄を付けて使用しました。槍は、鎌倉時代末期から作品が見られますが、この作品が作られた室町時代末期から桃山時代に最も大量に作られ、弓や鉄砲と共に戦いの重要な武器として使用されました。 -
室町時代(16世紀)の、金房政貞(きんぼうまささだ)の槍です。
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平常展の作品が並びます。
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刀身の部分名称です。
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当麻国行(たいまくにゆき)の作品展示です。
大和鍛冶(やまとかじ)は最も初期の頃から作刀していたと思われますが、多くが寺に属していたため銘を切る者が少なく、銘のあるものが出てくるのが鎌倉時代後期からです。当麻派は主に当麻寺の僧達に作刀していた鍛冶集団で、国行が代表工です。この作品は金で鑑定銘(かんていめい)が入っていますが、鎬(しのぎ)が高く、柾(まさ)がかった地金に直刀調の二重刃・ほつれ・喰違い刃・小乱(こみだれ)を交え沸(にえ)の目立つ刃文など、大和及び当麻派の特徴が顕著です。 -
鎌倉時代(13世紀)の、当麻国行(たいまくにゆき)の刀です。
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貞宗(さだむね)の作品展示です。
相州鍛冶(そうしゅうかじ)は鎌倉時代中期に興り、正宗(まさむね)の活躍した鎌倉時代末期から南北朝時代に最も栄えた。貞宗は、正宗の子とも弟子ともいわれるが銘のあるものは伝わっていない。この作品は金で鑑定銘が入れられており、幅が広く、切先(きっさき)が延びた南北朝時代の特徴あるスタイルに、湾れ(のたれ)を主調とした刃文に地刃共に沸(にえ)の強い作風はまさに相州伝(そうしゅうでん)と呼ばれるものである。相州伝はこの時期の多くの刀工に影響を与えた。 -
南北朝時代(14世紀)の、貞宗(さだむね)の刀です。
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同田貫上野介・正国(どうたぬきこうづけのすけ・まさくに)の作品展示です。
同田貫上野介は初め信賀(のぶよし)と名乗っていたが、肥後藩主加藤清正(かとうきよまさ)より「正」の名を賜り同田貫上野介正国と改めた。同田貫派(どうたぬきは)は室町時代後期の実用刀の代表で切味の優秀さで知られる。この作品は、身幅がやや広く切先が延び、すすどしさを感ずる鋭い姿勢に、やや肌立った地金に匂勝(においがち)の直刀調の地味な刃文を焼き、いかにも丈夫そうな明治時代の兜割の逸話を想起させる。 -
室町時代(16世紀)の、同田貫上野介(どうたぬきこうずけのすけ)の刀です。
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長曽祢乕徹(ながそねこてつ)の作品展示です。
コテツは、越前(福井)の甲冑師の出身で、50歳を過ぎてから江戸で刀工に転じました。天才的な才能を持っていたと見え、短期間に江戸時代を代表する刀工となりました。隙のない姿形に精美な地金、白く浮き立つ刃文は今日でも最も人気の高い刀工のひとりです。切味にも優れ銘字(めいじ)の巧みさも素晴らしいものです。コテツの銘字は古鉄→虎徹→乕徹と変わっていきます。 -
江戸時代(17世紀)の、長曽祢乕徹(ながそねこてつ)の刀です。
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江沢利宗(えざわとしむね)の作品展示です。
江沢利宗は、千葉県勝浦市の出身で本県の数少ない刀工のひとりです。石川県の隅谷正峰(すみたにまさみね)(人間国宝)に学んだ後、現在は南房総市で作刀しています。作風は、師と同じく丁子(ちょうじ)の刃文を得意としていましが、近年は直刃(すぐは)にも取組んでいます。この作品は、大振りの姿(形)に、これも大振りでやや角ばった丁子の刃文を焼き迫力ある作風に仕上がっています。 -
平成10年の、江沢利宗(えざわとしむね)の作品です。
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刃文(はもん)の土置きの解説です。
日本刀の刃文は、日本刀を作る過程の「焼入」によって現れます。日本刀を作る過程で刀身の切る部分(刃)の硬度を高めるため、高温で熱し水で急冷する「焼入」を行います。刀身全体を高温で熱した場合、もろくて折れやすくなるため、刀身に焼刃土(やきばつち)を塗ります(土置といいます)。焼刃土は耐火性で、厚く塗った部分は火が通りにくく比較的低温となり、刃になる部分は土を薄く塗るため火がよく通り高温になります。焼入によって高い硬度の刃の部分が形成され、焼刃土を厚く塗った部分と薄く塗った部分と境目に直線や波形の刃文が現れます。刃文の形は、直線(直刃・すぐは)や簡単な波形の刃文の場合は、塗った土置のとおり刃文が現れますが、丁子(ちょうじ)の刃文などは、幾何学的で複雑な土置でないとそうした刃文が現れません。これは、成形された刀身に丁子の刃文を焼くための焼刃土を塗ったものです。不規則に見えますが、ある種のリズムが見てとれます。 -
鐔(つば)の解説です。
鐔は、柄(つか)と鞘(さや)の間に装置して敵の刃から自分の手を防ぐ為のものです。もともと刀工自身が刀身と共に作っていたものと思われますが、後に専門の職人(鐔工・金工)に分業されていきました。材料としては、鉄のほかに金・銀・銅及びこれらの合金も見られ、その技法や意匠も時代と共にさまざまなものがあります。
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