2017/07/04 - 2017/07/04
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YAMAJIさん
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佐倉市にある文学碑(歌碑・句碑)を紹介します。歌や句が詠まれた当時の情景を思い描きながら散策を楽しみました。
1、団十郎寄進道標
「天はちち地はかか様の清水かな」、所在地;佐倉市井野国道296号
線沿いです。
2、古帳庵夫婦句碑
「春駒やここも小金の原つづく 古張女」、「立止まりたちとまる野や
舞雲雀 古帳庵」、所在地;佐倉市井野国道296号線沿いです。
3、大江千里歌碑1
「鶯の谷より出る声なくば 春くることを誰かしらまし」、所在地;佐
倉市先崎鷲神社境内です。
4、大江千里歌碑2
「下つさの伊波乃浦なみた津らしも 舟人さわぎから櫓おなすな李」、
所在地;佐倉市飯野野鳥の森内です。
5、万葉歌碑「防人の歌」
「潮船の舳越そ白波にはしくも 負うせ賜ほか思はへなくに」、佐倉市
臼井田干拓地先印旛沼サイクリングロード沿いです。
6、吉川英治歌碑
「萱崖は母のむねにも似たるかな たかきをわすれただぬくもれり」、
所在地;佐倉市鹿島干拓地先飯野竜神橋付近です。
7、森鴎外漢詩碑
「荒園幾畝接寒沙 処々村人養縁芽 芳烈基香淡基色 菊花凋後見茶
花」、「雨気圧車人語湿 車中有客暗愁催 阿爺昔日嘗辛苦 此地単身
負笈来」、所在地;佐倉市飯野サンセットヒルズ内です。
8、正岡子規句碑1
「月寒し宿とり外す独り旅」、所在地;佐倉市馬渡下総まわたし宿百観
音公園内です。
9、正岡子規句碑2
「霜枯の佐倉見上ぐる野道かな」、所在地;佐倉市鏑木小沼公園内で
す。
10、正岡子規句碑3
「常盤木や冬されまさる城の跡」、所在地;佐倉市城内佐倉城址公園
内です。
11、黒沼槐山歌碑
「たずねても聞かまほしきを道のべの 小笹かくれに鶯の鳴く」、所
在地;佐倉市鏑木重願寺境内です。
12、香取秀真歌碑
「たけ高きますらおふりのちゝのみの ちゝをし思ほゆふるさとは遠
し」、所在地;佐倉市鏑木麻賀多神社境内です。
13、田村柚実歌碑
「日にいく度かとへにいてゝあふきつゝいよゝしたしき冬の青空」、
所在地;佐倉市宮前東福寺(宗吾観音)境内です。
14、伝承 桔梗塚
「花もなく茂れる草の桔梗こそ いつのとき世に花のさくらむ」、所
在地;佐倉市将門桔梗塚古墳内です。
15、西行法師歌碑
「みずなしと聞きてふりにし勝間田の 池あらたむるさみだれのこ
ろ」、所在地;佐倉市下勝田勝間田の池内です。
16、寂蓮法師歌碑
「勝間田の池のこころは空にして こほりもみずも名のみなりけ
り」、所在地;佐倉市下勝田勝間田の池内です。
17、為相郷歌碑
「尋来てかつみるままに勝間田の はなの陰にぞ淋しかりけり」、所
在地;佐倉市下勝田勝間田の池内です。
18、下勝田村の有志による歌碑
「勝間田の池の桜はさくらにて くもとおもえる水だにもなし」、所
在地;佐倉市下勝田勝間田の池内です。
2014/03/01 第1版
2017/07/04 第2版
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成田道道標と常夜灯です。
手前右側が、市川団十郎が寄進した「成田山道標」です。手前中央が、岩田長兵衛が建てた「成田山信集講道標」です。手前左側が、「古帳庵古帳女句碑道標」です。後ろが、「成田山常夜灯」で一晩中明かりを灯していました。 -
7代目市川団十郎が寄進した「成田山道標」です。
天保2年(1831年)に建立されています。 -
道標の右面に、7代目市川団十郎が詠んだ句が刻まれてます。
碑文には、「天はちち地はかか様の清水かな」と刻まれています。 -
古張庵夫婦の句碑です。
夫婦の句碑は、関東一円に沢山建てられています。碑文には、「春駒やここも小金の原つづく 古張女」、「立止まりたちとまる野や舞雲雀 古帳庵」と刻まれています。 -
鷲神社です。
承平7年(937年)に創建されています。鷲神社の本殿、鳥居、ケヤキの大樹は、佐倉市指定文化財です。 -
鷲神社境内の大江千里の歌碑です。
大江千里は、平安時代前期の歌人です。我が国初の勅選和歌集である「古今和歌集」や「小倉百人一首」に、作品が収められています。碑文には、「鶯の谷より出る声なくば 春くることを誰かしらまし」と刻まれています。 -
野鳥の森からの西印旛沼です。
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野鳥の森の大江千里の歌碑です。
碑文には、「下つさの伊波乃浦なみた津らしも 舟人さわぎから櫓おなすな李」と刻まれています。 -
「万葉歌碑」前からの西印旛沼です。
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万葉歌碑、丈部直大麻呂の歌碑です。
防人として出立するときに作った歌です。碑文には、「潮船の舳越そ白波にはしくも 負うせ賜ほか思はへなくに」と刻まれています。 -
飯野竜神橋と屋形船です。
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飯野竜神橋袂の吉川英治の歌碑です。
吉川英治の母 いく は、印旛郡江原(現在の佐倉市江原台)の生まれで、彼は墓参などで2度ほど佐倉市を訪れています。この歌は昭和9年(1934年)に箱根で詠まれたものですが、昭和18年(1943年)に、佐倉に招かれ「母の生地佐倉」という講演をした際に、短冊にしたためたものです。碑文には、「萱崖は母のむねにも似たるかな たかきをわすれただぬくもれり」と刻まれています。 -
サンセットヒルズからの西印旛沼です。
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サンセットヒルズ内に、森鴎外の漢詩2編が刻まれた碑があります。
陸軍軍医として、明治15年(1887年)に印旛郡へ演習に来たとき、宿泊した旅館泉屋(佐倉市新町)で書いた漢詩2編です。鴎外の父森静男は、長男林太郎(鴎外)誕生の翌年文久3年(1863年)に佐倉順天堂で外科学を学んでいます。碑文には、「荒園幾畝接寒沙 処々村人養縁芽 芳烈基香淡基色 菊花凋後見茶花」、「雨気圧車人語湿 車中有客暗愁催 阿爺昔日嘗辛苦 此地単身負笈来」と刻まれています。 -
下総まわたし宿百観音です。
江戸時代、百か所の観音霊場を参拝することは庶民の夢でした。観音霊場に参拝してきた人々が、石像を納め、現地にいけない人がこの百観音をお参りして全国の観音霊場への参拝の替わりとしました。坂東三十三観音・秩父三十四観音・西国三十三観音に由来する観音像があったことから、百観音と言われています。 -
下総まわたし宿百観音公園内の正岡子規の句碑です。
正岡子規が東大在学中の、明治24年(1891年)に成田詣でのあと、佐倉の馬渡宿で詠んだ句です。すでに結核を患っていました。碑文には、「月寒し宿とり外す独り旅」と刻まれています。 -
小沼公園前の高崎川です。
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佐倉市鏑木小沼公園内の正岡子規の句碑です。
明治27年(1894年)に、総武鉄道の本所ー佐倉間が開通、初乗りで子規は佐倉を訪れています。正岡子規は総武鉄道の佐倉駅で下車し、霜枯の野道を歩いて、武家屋敷を右に折れ町通りにでます。東京を出立し、一時間余しか経過していない目に、「何もかも淋しき心地す」と日本新聞に書いています。碑文には、「霜枯の佐倉見上ぐる野道かな」と刻まれています。 -
佐倉城の本丸跡です。
江戸城の東の守りを、固めるために造られたのが佐倉城です。江戸時代を通して最も多くの老中を出したのが佐倉藩で、老中格の城でもありました。 -
佐倉城址公園の正岡子規の句碑です。
海隣寺で「清国捕虜廠舎」を眺め、坂の上から印旛沼を眺望し、堀の内が昔は城だったが、今は陸軍の営所に用いられていると聞き詠んだ句です。この旅で正岡子規は、紀行文「総武鉄道」を書き、俳句20句を作っています。このうち佐倉では、6つの句を詠んでいます。碑文には、「常盤木や冬されまさる城の跡」と刻まれています。 -
重願寺です。
元和元年(1615年)に建立された、浄土真宗大谷派のお寺です。黒沼槐山や浅井家の墓があります。 -
重願寺境内の黒沼槐山の歌碑です。
黒沼槐山は、日本西洋画会の草分けとなる、浅井忠に花鳥画を教えたという、佐倉藩主堀田正睦に仕えた佐倉藩の御用絵師です。碑文には、「たずねても聞かまほしきを道のべの 小笹かくれに鶯の鳴く」と刻まれています。 -
麻賀多神社です。
佐倉藩の総鎮守だった神社で、今でも佐倉市の中心的神社として信仰を集めています。 -
麻賀多神社境内の香取秀真の歌碑です。
文化勲章を受賞している鋳金家の香取秀真は、明治11年(1878年)に麻賀多神社の宮司の養子になり、明治24年(1891年)に上京するまでの少年期をここで過ごしています。碑文には、「たけ高きますらおふりのちゝのみの ちゝをし思ほゆふるさとは遠し」と刻まれています。 -
東福寺(宗吾観音)です。
誰も住んでおらず、管理もされていない、廃寺となっています。 -
東福寺境内の田村柚実の歌碑です。
碑文には、「日にいく度かとへにいてゝあふきつゝいよゝしたしき冬の青空」と刻まれています。 -
桔梗塚古墳です。
直径24mの円墳で、将門1号墳(桔梗塚古墳)といいます。古墳はほとんど原型を留めていません。 -
桔梗塚古墳の桔梗塚の歌碑です。
平将門の愛妾、桔梗の前の墓だといわれています。桔梗の裏切りでトキの羽根の矢で撃たれ将門は命を落としています。この恨みで将門山には紫色の桔梗は咲かず、トキもこの地には降りなかったと言い伝えからています。碑文には、「花もなく茂れる草の桔梗こそ いつのとき世に花のさくらむ」と刻まれています。 -
勝間田の池です。
下勝田村の灌漑用水として利用されており、景勝地としても知られていました。 -
勝間田の池の中央に厳島神社があり、そのお堂の前に歌碑2基があります。
左の歌碑には、西行法師、寂蓮法師、為相卿の歌が刻まれています。右の歌碑は、下勝田村の有志により建立されたものです。 -
正面の西行法師の歌碑です。
碑文には、「みずなしと聞きてふりにし勝間田の 池あらたむるさみだれのころ」と刻まれています。 -
右面の寂連法師の歌碑です。
碑文には、「勝間田の池のこころは空にして こほりもみずも名のみなりけり」と刻まれています。 -
左面の為相卿の歌碑です。
碑文には、「尋来てかつみるままに勝間田の はなの陰にぞ淋しかりけり」と刻まれています。 -
天保8年(1837年)に、下勝田村の有志により建立された歌碑です。
碑文には、「勝間田の池の桜はさくらにて くもとおもえる水だにもなし」と刻まれています。
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