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2011年は、仕事が忙しく思うように旅に出られなかった。それを象徴するかのような旅が、9月17日からの三連休で行った東北への旅である。直前まで、休日出勤を見越して計画を立てていなかったのだが、何とか仕事の目途がついたため、心労の発散も兼ねて出かけることにしたのだ。しかし、何も考えていなかったため、15日の夜になって計画を立て始め、大雑把に組み上げ、宿と切符の手配をしたのは、16日の昼休みであった。ところが、午後に急な仕事が入り終電まで残業する羽目になった。<br />計画では、朝一番の列車で出ることにしていたのだが、前日の残業が響き、思い切り寝坊してしまい、急遽計画を変更。宿を取消し、計画を練り直しているうちに時間が経ってしまい、結局家を出たのは15時過ぎ。おかげで、初日は移動日となってしまった。<br /><br />(2021.09.29 投稿)

秋雨を縫ってみちのくへ【1】~由利高原鉄道と城下町矢島~

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2011/09/17 - 2011/09/18

4位(同エリア129件中)

旅行記グループ 【出羽国】羽後

6

34

旅猫

旅猫さん

2011年は、仕事が忙しく思うように旅に出られなかった。それを象徴するかのような旅が、9月17日からの三連休で行った東北への旅である。直前まで、休日出勤を見越して計画を立てていなかったのだが、何とか仕事の目途がついたため、心労の発散も兼ねて出かけることにしたのだ。しかし、何も考えていなかったため、15日の夜になって計画を立て始め、大雑把に組み上げ、宿と切符の手配をしたのは、16日の昼休みであった。ところが、午後に急な仕事が入り終電まで残業する羽目になった。
計画では、朝一番の列車で出ることにしていたのだが、前日の残業が響き、思い切り寝坊してしまい、急遽計画を変更。宿を取消し、計画を練り直しているうちに時間が経ってしまい、結局家を出たのは15時過ぎ。おかげで、初日は移動日となってしまった。

(2021.09.29 投稿)

旅行の満足度
3.5
観光
3.5
ホテル
4.0
グルメ
3.5
交通
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
新幹線 JR特急 JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 大宮駅を15時38分に出る『Maxとき329号』に乗車。初めの計画では、6時34分発の『とき301号』に乗る予定だったので、9時間遅れの出発である。乗り遅れなので、自由席に陣取った。そして、終着の新潟駅からは、17時29分発の羽越本線の特急『いなほ9号』に乗り換え、今宵の宿がある酒田駅を目指した。

    大宮駅を15時38分に出る『Maxとき329号』に乗車。初めの計画では、6時34分発の『とき301号』に乗る予定だったので、9時間遅れの出発である。乗り遅れなので、自由席に陣取った。そして、終着の新潟駅からは、17時29分発の羽越本線の特急『いなほ9号』に乗り換え、今宵の宿がある酒田駅を目指した。

  • 酒田駅には、19時44分に到着。とりあえず、駅のすぐ近くにある『ホテルアルファーワン酒田』に向かい、荷物を置いてから街へ出た。時間も遅いので、宿近くの居酒屋『庄内藩』で夕食とする。店内は、地元の人たちで賑わっていた。

    酒田駅には、19時44分に到着。とりあえず、駅のすぐ近くにある『ホテルアルファーワン酒田』に向かい、荷物を置いてから街へ出た。時間も遅いので、宿近くの居酒屋『庄内藩』で夕食とする。店内は、地元の人たちで賑わっていた。

    庄内藩 グルメ・レストラン

  • 翌朝、6時41分発の秋田行の普通列車に乗車。当初の予定では象潟に寄ることにしていたのだが、前日の影響で今回は断念し、そのまま羽後本荘駅を目指すことにした。途中、吹浦駅と女鹿駅の間で、雄大な日本海が車窓に広がった。羽越本線は日本海沿いに走るので、海を眺められる区間がいくつかあり、車窓の旅も楽しめる。

    翌朝、6時41分発の秋田行の普通列車に乗車。当初の予定では象潟に寄ることにしていたのだが、前日の影響で今回は断念し、そのまま羽後本荘駅を目指すことにした。途中、吹浦駅と女鹿駅の間で、雄大な日本海が車窓に広がった。羽越本線は日本海沿いに走るので、海を眺められる区間がいくつかあり、車窓の旅も楽しめる。

  • 7時43分に羽後本荘駅に到着した。ここで由利高原鉄道鳥海山ろく線に乗り換える。由利高原鉄道は、廃止された国鉄矢島線を引き継いだ路線で、羽後本荘駅から矢島駅までを結んでいる。

    7時43分に羽後本荘駅に到着した。ここで由利高原鉄道鳥海山ろく線に乗り換える。由利高原鉄道は、廃止された国鉄矢島線を引き継いだ路線で、羽後本荘駅から矢島駅までを結んでいる。

    由利高原鉄道 乗り物

    矢島藩の城下町へ誘うローカル線 by 旅猫さん
  • 7時51分に羽後本荘駅を出た列車は、収穫の季節を迎えた田圃が広がる景色の中をのんびりと走って行く。遠くの山の裾野に雲が掛かり、美しい。

    7時51分に羽後本荘駅を出た列車は、収穫の季節を迎えた田圃が広がる景色の中をのんびりと走って行く。遠くの山の裾野に雲が掛かり、美しい。

  • そして、4つ目の黒沢駅で途中下車。今回は、土日祝日限定の『楽楽遊遊鳥海山ろく線乗車券』を利用したので、乗り降りは自由なのだ。黒沢駅は、ホームからの風景が綺麗な駅。何かの雑誌で見かけて訪れてみたかった駅である。駅舎自体は新しいものだったが、単線に片側だけのホームがローカル線の雰囲気を強く感じさせてくれた。花の咲くホームと秋色の田園風景に心が和む。

    そして、4つ目の黒沢駅で途中下車。今回は、土日祝日限定の『楽楽遊遊鳥海山ろく線乗車券』を利用したので、乗り降りは自由なのだ。黒沢駅は、ホームからの風景が綺麗な駅。何かの雑誌で見かけて訪れてみたかった駅である。駅舎自体は新しいものだったが、単線に片側だけのホームがローカル線の雰囲気を強く感じさせてくれた。花の咲くホームと秋色の田園風景に心が和む。

    黒沢駅 (由利本荘市)

  • 駅の近くで時間を潰し、8時17分発の列車で二駅戻り、子吉駅で下車。子吉駅の駅舎は、羽後交通の前身である横荘鉄道が、大正11年(1922)に横荘西線を開通させた当時に建てたもので、秋田県内でも最も古い駅舎の一つだそうだ。 現在は無人駅で、昔の出札窓口が、玉ノ池簡易郵便局として営業している。駅周辺の集落は玉の池なのだが、何故か駅名は子吉となっている。<br />※現在、駅舎は建て替えられています。

    駅の近くで時間を潰し、8時17分発の列車で二駅戻り、子吉駅で下車。子吉駅の駅舎は、羽後交通の前身である横荘鉄道が、大正11年(1922)に横荘西線を開通させた当時に建てたもので、秋田県内でも最も古い駅舎の一つだそうだ。 現在は無人駅で、昔の出札窓口が、玉ノ池簡易郵便局として営業している。駅周辺の集落は玉の池なのだが、何故か駅名は子吉となっている。
    ※現在、駅舎は建て替えられています。

    子吉駅

  • 次の列車まで時間があるので、玉の池集落を歩いてみることにする。途中、収穫を迎えた稲穂が重そうに首を垂れていた。まさに、日本の秋と言った風景だ。その先にあった集落は、落ち着いた佇まいを見せていた。

    次の列車まで時間があるので、玉の池集落を歩いてみることにする。途中、収穫を迎えた稲穂が重そうに首を垂れていた。まさに、日本の秋と言った風景だ。その先にあった集落は、落ち着いた佇まいを見せていた。

  • 列車の時間が来たので駅へと戻る。駅の周りは田圃ばかりで、長閑な時が流れている。トンボが舞い、小さな秋の花が足元を彩っている。しばらくすると、列車がやって来た。その9時07分発の列車に乗り、終点の矢島駅を目指す。

    列車の時間が来たので駅へと戻る。駅の周りは田圃ばかりで、長閑な時が流れている。トンボが舞い、小さな秋の花が足元を彩っている。しばらくすると、列車がやって来た。その9時07分発の列車に乗り、終点の矢島駅を目指す。

  • 先ほど訪れた黒沢駅を過ぎると、子吉川を渡る。子吉川は、鳥海山を源とする河川で、これから向かう旧矢島町を経て、由利本荘市で日本海へと注いでいる。その水面には、空が映り込み綺麗だった。

    先ほど訪れた黒沢駅を過ぎると、子吉川を渡る。子吉川は、鳥海山を源とする河川で、これから向かう旧矢島町を経て、由利本荘市で日本海へと注いでいる。その水面には、空が映り込み綺麗だった。

  • そのすぐ先に、鳥海山を望める沿線随一の見どころがあると聞いていたので待ち構えていたのだが、残念ながら鳥海山は雲の中だった。

    そのすぐ先に、鳥海山を望める沿線随一の見どころがあると聞いていたので待ち構えていたのだが、残念ながら鳥海山は雲の中だった。

  • 矢島駅には9時40分に到着。駅舎を出て、早速散策を開始する。駅の近くでは、秋桜の花が、秋らしくなってきた風に揺れていた。

    矢島駅には9時40分に到着。駅舎を出て、早速散策を開始する。駅の近くでは、秋桜の花が、秋らしくなってきた風に揺れていた。

  • まずは八森城址に鎮座する矢島神社へと向かう。天寿酒造の向かいにあった階段を登って行くと、矢島神社に辿り着いた。矢島神社は、初代高松藩主・生駒親正と矢島藩第13代藩主・生駒親敬を祀っているそうで、明治になってから、旧藩士や旧領民の出願によって建立されたそうだ。隣には、招魂社も建っていた。

    まずは八森城址に鎮座する矢島神社へと向かう。天寿酒造の向かいにあった階段を登って行くと、矢島神社に辿り着いた。矢島神社は、初代高松藩主・生駒親正と矢島藩第13代藩主・生駒親敬を祀っているそうで、明治になってから、旧藩士や旧領民の出願によって建立されたそうだ。隣には、招魂社も建っていた。

  • 八森城は、応仁元年(1467)に信州大井庄から下向した大井義久が居城とした城で、その後領主が幾度も変わった後、寛永17年(1640)に、讃岐高松城主生駒高俊が家禄没収の上、堪忍料として矢島1万石として入り、明治の廃藩置県まで続いたそうだ。現在は、矢島小学校の敷地となっていて、大手門のあった水掘りだけが残っている。なお、江戸時代には矢島陣屋と呼ばれていたらしい。

    八森城は、応仁元年(1467)に信州大井庄から下向した大井義久が居城とした城で、その後領主が幾度も変わった後、寛永17年(1640)に、讃岐高松城主生駒高俊が家禄没収の上、堪忍料として矢島1万石として入り、明治の廃藩置県まで続いたそうだ。現在は、矢島小学校の敷地となっていて、大手門のあった水掘りだけが残っている。なお、江戸時代には矢島陣屋と呼ばれていたらしい。

    八森城址 名所・史跡

    矢島藩の陣屋跡である八森城跡 by 旅猫さん
  • 大手門跡の前に広がる空き地は矢島高校の跡地で、藩政時代は、藩学日新堂があった場所だそうだ。その奥には、由利本荘市矢島総合支所の白い建物が見えている。その支所へ向かう道が、旧城内大路である。

    大手門跡の前に広がる空き地は矢島高校の跡地で、藩政時代は、藩学日新堂があった場所だそうだ。その奥には、由利本荘市矢島総合支所の白い建物が見えている。その支所へ向かう道が、旧城内大路である。

  • その城内大路の北側に並行する櫻小路を辿り、途中で北へと別れる橘小路へと入ってみる。その辺りは、家臣の屋敷が建ち並んでいた場所だそうだが、往時の面影は全く無い。道の先に、城内に建っていた金刀比羅神社があったのだが、この時は気付かず通り過ぎてしまった。

    その城内大路の北側に並行する櫻小路を辿り、途中で北へと別れる橘小路へと入ってみる。その辺りは、家臣の屋敷が建ち並んでいた場所だそうだが、往時の面影は全く無い。道の先に、城内に建っていた金刀比羅神社があったのだが、この時は気付かず通り過ぎてしまった。

  • 橘小路から桃小路へ入ると、突き当たりに寺が見えたので行ってみることにした。龍源寺という寺で、中世由利十二頭のひとつ打越氏の菩提寺として打越光隆によって江戸初期に開基され、後に生駒家の菩提寺となったそうだ。明治13年に再建された茅葺屋根の本堂は国の登録有形文化財だが、ちょうど修繕中で観ることができなかった。その裏手には、生駒家の霊屋と墓所があるそうだ。

    橘小路から桃小路へ入ると、突き当たりに寺が見えたので行ってみることにした。龍源寺という寺で、中世由利十二頭のひとつ打越氏の菩提寺として打越光隆によって江戸初期に開基され、後に生駒家の菩提寺となったそうだ。明治13年に再建された茅葺屋根の本堂は国の登録有形文化財だが、ちょうど修繕中で観ることができなかった。その裏手には、生駒家の霊屋と墓所があるそうだ。

    龍源寺 (由利本荘市) 寺・神社・教会

    矢島散策では外せないお寺 by 旅猫さん
  • 平成9年に再建されたと言う山門を出ると、旧矢島町のマンホールがあった。そこには、鳥海山を背景にした、町の鳥であるキジバトと町の花である山桜が描かれていた。

    平成9年に再建されたと言う山門を出ると、旧矢島町のマンホールがあった。そこには、鳥海山を背景にした、町の鳥であるキジバトと町の花である山桜が描かれていた。

  • 龍源寺を後にして、鶴小路、亀小路という縁起の良い道を歩いて行く。古地図では鶴小路と亀小路が丁字路となっていたが、現在は曲がり角になっていた。そして、亀小路の先に、藩政時代からある祥雲寺が見えて来た。この寺には、戊辰戦争で戦死した矢島藩士と庄内藩士の墓があるそうだ。

    龍源寺を後にして、鶴小路、亀小路という縁起の良い道を歩いて行く。古地図では鶴小路と亀小路が丁字路となっていたが、現在は曲がり角になっていた。そして、亀小路の先に、藩政時代からある祥雲寺が見えて来た。この寺には、戊辰戦争で戦死した矢島藩士と庄内藩士の墓があるそうだ。

  • 祥雲寺の前の坂を下りて行くと、城址の麓を通る道に出た。その近くで伊豆温泉という看板を見つけたので探してみたのだが、迷った挙句に辿り着いた伊豆温泉は、残念ながら休みだった。<br />※現在、廃業となっています。

    祥雲寺の前の坂を下りて行くと、城址の麓を通る道に出た。その近くで伊豆温泉という看板を見つけたので探してみたのだが、迷った挙句に辿り着いた伊豆温泉は、残念ながら休みだった。
    ※現在、廃業となっています。

  • その伊豆温泉の近くに、青色の朝顔が咲いていた。青い花は好きなのだが、特に紫陽花と朝顔はお気に入りである。

    その伊豆温泉の近くに、青色の朝顔が咲いていた。青い花は好きなのだが、特に紫陽花と朝顔はお気に入りである。

  • その近くでは、鬼灯も実を付けていた。小さい頃は、この実で遊んだことを思い出した。久しぶりに出会えて嬉しい。

    その近くでは、鬼灯も実を付けていた。小さい頃は、この実で遊んだことを思い出した。久しぶりに出会えて嬉しい。

  • 麓の道を歩いて行くと、城跡へと戻る道が現れた。民部坂と呼ばれる道で、藩政時代に坂の登り口に櫻庭民部の屋敷があったことから付けられたそうだ。領民が年貢米を城内へ運び入れるためにも利用されていたことから、年貢坂とも呼ばれていたようだ。

    麓の道を歩いて行くと、城跡へと戻る道が現れた。民部坂と呼ばれる道で、藩政時代に坂の登り口に櫻庭民部の屋敷があったことから付けられたそうだ。領民が年貢米を城内へ運び入れるためにも利用されていたことから、年貢坂とも呼ばれていたようだ。

  • その坂の途中には、不動明王碑があった。安政6年(1859)、矢島藩士の櫻庭佐左エ門英友が願主となって建立されたもので、脇を流れ落ちる滝は、通称お不動さんの滝と呼ばれているそうだ。

    その坂の途中には、不動明王碑があった。安政6年(1859)、矢島藩士の櫻庭佐左エ門英友が願主となって建立されたもので、脇を流れ落ちる滝は、通称お不動さんの滝と呼ばれているそうだ。

  • 民部坂を登り、再び橘小路から桃小路と辿り、再び龍源寺の前へ出る。今度は、その前で左折し、山本大路跡へと入る。山本大路の途中には、戊辰戦争時に焼失した重臣佐藤氏の住居跡がある。現在そこには、明治初期及び大正末期に、その子孫が江戸時代の様式で建てた住居があり、矢島町歴史交流館『八森苑』となっていた。庭は、佐藤氏の祖である佐藤道益が創設した讃岐の栗林公園を模したものだそうだ。

    民部坂を登り、再び橘小路から桃小路と辿り、再び龍源寺の前へ出る。今度は、その前で左折し、山本大路跡へと入る。山本大路の途中には、戊辰戦争時に焼失した重臣佐藤氏の住居跡がある。現在そこには、明治初期及び大正末期に、その子孫が江戸時代の様式で建てた住居があり、矢島町歴史交流館『八森苑』となっていた。庭は、佐藤氏の祖である佐藤道益が創設した讃岐の栗林公園を模したものだそうだ。

  • 山本大路跡から松小路へと至る道沿いには、旧佐藤政忠家住宅と言う建物があった。その建物は、戊辰戦争で焼失後、明治2年に元江戸家老だった加川退蔵の住宅として建てられたものを、後に佐藤政忠が買い取って移築したものだそうだ。中が見学できるそうなので、立ち寄ることにした。

    山本大路跡から松小路へと至る道沿いには、旧佐藤政忠家住宅と言う建物があった。その建物は、戊辰戦争で焼失後、明治2年に元江戸家老だった加川退蔵の住宅として建てられたものを、後に佐藤政忠が買い取って移築したものだそうだ。中が見学できるそうなので、立ち寄ることにした。

    旧佐藤政忠家住宅 名所・史跡

    矢島藩士の住宅跡 by 旅猫さん
  • 建物は、江戸大工の手によるもので、とても洗練された意匠でまとまっている。茶の間には囲炉裏が切ってあり、仏壇も拵えてあった。玄関には式台まで設けてあり、さすが元家老の住宅だけのことはあった。

    建物は、江戸大工の手によるもので、とても洗練された意匠でまとまっている。茶の間には囲炉裏が切ってあり、仏壇も拵えてあった。玄関には式台まで設けてあり、さすが元家老の住宅だけのことはあった。

  • 城内大路を横切って武家町を出ると、石垣が積まれた旧表門跡があった。矢島陣屋の貴重な遺構のようだ。

    城内大路を横切って武家町を出ると、石垣が積まれた旧表門跡があった。矢島陣屋の貴重な遺構のようだ。

  • 駅へと戻る道沿いに、羽後交通の矢島案内所があった。元は営業所だったのだが、ほとんどの路線が廃止になってしまい、現在は僅か2路線しか発着しない。広い構内からは、バスが住民の足であった頃の活気が伝わってくるようだ。<br />※現在、矢島案内所は廃止されています。

    駅へと戻る道沿いに、羽後交通の矢島案内所があった。元は営業所だったのだが、ほとんどの路線が廃止になってしまい、現在は僅か2路線しか発着しない。広い構内からは、バスが住民の足であった頃の活気が伝わってくるようだ。
    ※現在、矢島案内所は廃止されています。

  • さらに歩いていると、立派な邸宅が現れた。大井家住宅という国の登録有形文化財に指定されている建物で、大正5年(1916)に建てられた商家建築とのことだ。表側には冠木門まであった。

    さらに歩いていると、立派な邸宅が現れた。大井家住宅という国の登録有形文化財に指定されている建物で、大正5年(1916)に建てられた商家建築とのことだ。表側には冠木門まであった。

  • 大井家住宅の先には、趣のある真坂糀味噌店があった。矢島の街には、僅かだが、古い商家建築や民家が点在していた。<br />※現在は、建て替えられています。

    大井家住宅の先には、趣のある真坂糀味噌店があった。矢島の街には、僅かだが、古い商家建築や民家が点在していた。
    ※現在は、建て替えられています。

  • 駅前に戻ってきたが、まだ時間があるので、城址と反対側へ行ってみる。そこには、明治40年創業の『出羽の富士』を醸す佐藤酒造店があったが残念ながら休みであった。矢島には酒蔵が二つあり、城址の麓にある明治7年(1874年)創業の天寿酒造にも立ち寄ったが、こちらも休みであった。<br />

    駅前に戻ってきたが、まだ時間があるので、城址と反対側へ行ってみる。そこには、明治40年創業の『出羽の富士』を醸す佐藤酒造店があったが残念ながら休みであった。矢島には酒蔵が二つあり、城址の麓にある明治7年(1874年)創業の天寿酒造にも立ち寄ったが、こちらも休みであった。

  • ちょうど昼時になったので、列車の待ち時間を利用し、駅前にあった多賀部食堂で、ラーメンを食べた。そのラーメンは、いかにも駅前食堂のラーメンと言う味わいだったが、チャーシューの代わりに鶏肉が載っていた。<br />

    ちょうど昼時になったので、列車の待ち時間を利用し、駅前にあった多賀部食堂で、ラーメンを食べた。そのラーメンは、いかにも駅前食堂のラーメンと言う味わいだったが、チャーシューの代わりに鶏肉が載っていた。

    多賀部食堂 グルメ・レストラン

  • 改札を入ると、ホームの向こうに宇宙戦艦ヤマトの絵を纏ったヤマト号が停まっていた。その車両がホームに入り、11時52分発の羽後本荘行となって出発。車内にも、ヤマトに因んだ飾り付けがされていた。地方の私鉄は、苦しい台所事情を抱えながらも、手作りの企画で頑張っているのが微笑ましい。終点の羽後本荘駅には12時33分に到着。この後は、羽越本線に乗り換え、今宵の宿がある横手駅へと向かう。

    改札を入ると、ホームの向こうに宇宙戦艦ヤマトの絵を纏ったヤマト号が停まっていた。その車両がホームに入り、11時52分発の羽後本荘行となって出発。車内にも、ヤマトに因んだ飾り付けがされていた。地方の私鉄は、苦しい台所事情を抱えながらも、手作りの企画で頑張っているのが微笑ましい。終点の羽後本荘駅には12時33分に到着。この後は、羽越本線に乗り換え、今宵の宿がある横手駅へと向かう。

    矢島駅

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この旅行記へのコメント (6)

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  • momotaさん 2012/01/23 00:31:47
    ローカル線の旅
    旅猫さん、こんばんは〜

    旅する猫さんも普段はお仕事に追われてるんですね。
    猫みたいに自由気ままにいられたらいいのにそうはいかないですね。

    由利高原鉄道郷愁誘う田園風景ですねぇ〜
    私の母の実家へ向かう陸羽東線に雰囲気が似てるなぁ。
    秋田と宮城だからこんな田んぼのなか走る感じ似ていて当たり前ですかね。

    収穫を迎えて黄金色になった田んぼが菜の花畑にも見えて一両電車が
    ちょこんと走る姿が画になりますね。

    矢島も小さいながら味のある城下町。
    こんな街歩くの私も好きです。
    鶏肉のチャーシューそういえばうちの母の実家の方もそうですよ。
    このあたりの定番なんですかね。あっさり目でこの手のラーメン好き♪
    秋田はお酒もおいしいし旅猫さんにはたまらないですね!


    旅猫

    旅猫さん からの返信 2012/01/26 22:45:31
    RE: ローカル線の旅
    momotaさん、こんばんは〜
    書き込みありがとうございます!

    ここ2,3年、ずっと忙しくて。。。
    今年度は特に最悪な状態です。
    ほんと、猫のように自由気ままに旅をしたいものですね。

    由利高原鉄道は、とても情緒があって良かったです。
    黄金色の稲穂が良く似合ってました。
    とっても長閑で眠くなってしまいます(笑)

    陸羽東線沿線にお母様のご実家があるのですね!
    一昨年の冬に、鳴子温泉に行った時に乗りましたよ。
    雪景色でばかりで、景色の印象はほとんどないのですが。
    でも、温泉はいいですよね。

    矢島は、結構楽しめました。
    何もないけど、それだからさりげなくて。

    鶏肉の入ったラーメンって、他にもあるのですね!
    東北地方では、普通なのかな?
    私も、あっさりめのラーメンが好きです。
    美味しいですよね。

    旅猫
  • hot chocolateさん 2012/01/15 19:20:12
    のどかな鉄道の旅♪
    旅猫様、こんばんは〜

    由利高原鉄道・鳥海山ろく線、のどかな鉄道の旅ですね。
    最近は、車の旅が多くなって、こういうのどかな旅にはご無沙汰です。
    たまにはこういう旅もいいなぁ♪

    あ、でもお正月は新幹線を使わず、熱海まで快速アクティーのグリーンでしたよ。
    普通車両だと雰囲気が「通勤」になってしまうし・・・(笑)
    海を見ながらのゆったり旅でした。

    「矢島」という地名は、全く知りませんでしたが、なかなか趣あるお不動さんやら、
    昔のお屋敷があるのですね。
    最後の、スープが澄んだ、さっぱり味のラーメンは私の好み。(苦笑)
    チャーシューの代わりに鳥肉でも構わないけれど、最近ではこういうさっぱり味の
    ラーメンが少なくなって残念です。(笑)

    hot choco

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2012/01/16 22:31:31
    RE: のどかな鉄道の旅♪
    hot chocolateさん、こんばんは!
    秋田の旅を読んでいただきありがとうございます。

    由利高原鉄道は長閑でとても良かったですよ。
    私は、のんびり鉄道&路線バスの旅が大好きなのです。
    友人と一緒のとき以外は、まったく車は使いません。

    東京近郊の電車には、グリーン車が付いているのでいいですよね。
    いつもとちょっと違った感じになれて。
    特に東海道線は車窓に海が見えるので楽しいですね。

    hot chocolateさんもあっさりスープが好きでしたか!
    以前はこってり系も食べていたのですが、最近はあっさり味とか塩味が好みです。
    旅先の駅前食堂だと、昔ながらの中華そばがあるので嬉しいです。
    これがまた結構美味しいんですよ♪

    旅猫
  • ガブリエラさん 2012/01/09 23:11:03
    この駅舎、いいですねヽ(^o^)丿
    旅猫さん☆

    こんばんは♪

    子吉駅の駅舎、こういう雰囲気、古さ、大好きですヽ(^o^)丿
    そして、可愛い色合いの、いろんな電車、最近ちょっと「鉄子」になりつつある私には、たまりません♪
    きっと、私が鉄子化した最初の影響は、旅猫さんのお写真だと思います(^_^)v

    こういう旅、本当に憧れます♪

    ガブ

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2012/01/11 00:31:10
    RE: この駅舎、いいですねヽ(^o^)丿
    ガブリエラさん、こんばんは〜
    いつもありがとうございます!

    子吉駅はいい感じでしょ。
    何かの雑誌で見かけてずっと気になっていたのです。
    でも、残念ながらすでに解体されてしまいました。。。
    暖か味のある駅舎だったのですが。

    おっと、ガブリエラさんも「鉄子」化が始まりましたか(^^)
    地方へ行くと、色々な車両が見られて楽しいですよ。
    私は自称「旅鉄」です(笑)
    鉄道を利用して旅をするのが大好きなわけです。
    路線バスも好きなんですけどね。

    今年も、色々な土地へ訪れたいものです。
    旅猫

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