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国府宮神社紹介の続きです。

2011梅雨、尾張の古刹・名刹、国府宮神社(2/2):本殿、渡殿、鳥居、雀の砂浴び

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2011/06/12 - 2011/06/12

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旅行記グループ 2011年、古刹巡り、その他

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

国府宮神社紹介の続きです。

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  • 国府宮に境内の光景です。国府宮の建築様式は、尾張式と呼ばれています。本殿、渡殿、祭文殿、廻廊、拝殿と楼門が中心施設となります。

    国府宮に境内の光景です。国府宮の建築様式は、尾張式と呼ばれています。本殿、渡殿、祭文殿、廻廊、拝殿と楼門が中心施設となります。

  • 境内の大木です。クスノキでしょうか。大きな幹から、可愛らしい新芽が吹き出ていました。

    境内の大木です。クスノキでしょうか。大きな幹から、可愛らしい新芽が吹き出ていました。

  • 楠らしい大木の上部の光景です。宿り木が育ち、風格が出ていました。昨年の北欧旅行の際、宿り木は、極めて貴重にされていることおW知りました。

    楠らしい大木の上部の光景です。宿り木が育ち、風格が出ていました。昨年の北欧旅行の際、宿り木は、極めて貴重にされていることおW知りました。

  • 本殿に向かって左手の渡殿の建物光景です。

    本殿に向かって左手の渡殿の建物光景です。

  • 祈祷者控室の入口光景です。

    祈祷者控室の入口光景です。

  • 祈祷者受付がある社務所の光景です。

    祈祷者受付がある社務所の光景です。

  • 本殿の隅らしい場所に、大太鼓が置いてありました。神事の時には、合図として鳴らされます。

    本殿の隅らしい場所に、大太鼓が置いてありました。神事の時には、合図として鳴らされます。

  • 横から眺めた拝殿の光景です。

    横から眺めた拝殿の光景です。

  • 右が拝殿、その奥が本殿と渡殿です

    右が拝殿、その奥が本殿と渡殿です

  • 儺追神事の時に、裸男達から貰う儺追布(なおいぎれ)が結んでありました。出来るだけ細かく裂いて渡すと縁起が良いとされます。

    儺追神事の時に、裸男達から貰う儺追布(なおいぎれ)が結んでありました。出来るだけ細かく裂いて渡すと縁起が良いとされます。

  • 境内の駐車場脇にあった古木の一つです。

    境内の駐車場脇にあった古木の一つです。

  • 拝殿の正面上部の光景です。

    拝殿の正面上部の光景です。

  • 境内光景です。

    境内光景です。

  • 同じく、境内光景です。拝殿が右手、楼門が左手になります。

    同じく、境内光景です。拝殿が右手、楼門が左手になります。

  • 境内光景が続きます。絵馬が吊り下げられた、衝立風の建物光景です。

    境内光景が続きます。絵馬が吊り下げられた、衝立風の建物光景です。

  • 楼門の扉のアップ光景です。

    楼門の扉のアップ光景です。

  • 吹き抜けになった建物越しに眺めた境内の光景です。

    吹き抜けになった建物越しに眺めた境内の光景です。

  • 本殿の右側にあった銅葺屋根の建物です。ボーイスカウトの人達が、社殿前で行事を行っていました。

    本殿の右側にあった銅葺屋根の建物です。ボーイスカウトの人達が、社殿前で行事を行っていました。

  • 衝立のような建物と、その上に見える拝殿の檜皮葺屋根の光景です。

    衝立のような建物と、その上に見える拝殿の檜皮葺屋根の光景です。

  • 楼門を退出した場所からの撮影です。参道の南側方面の光景です。

    楼門を退出した場所からの撮影です。参道の南側方面の光景です。

  • 参道脇にあった小さな祠です。小さいながらも、由緒がありそうでした。

    参道脇にあった小さな祠です。小さいながらも、由緒がありそうでした。

  • 小さいながらも、立派な造りの石垣の上にあった祠の光景です。

    小さいながらも、立派な造りの石垣の上にあった祠の光景です。

  • 参道の真ん中で、悠々と砂浴びをしていた雀さんです。他の雀さん達は参道をあけてくれましたが、この雀さんには私の方が避けて通りました。

    参道の真ん中で、悠々と砂浴びをしていた雀さんです。他の雀さん達は参道をあけてくれましたが、この雀さんには私の方が避けて通りました。

  • 参道の中央にあった石造りの太鼓橋です。以前は川が流れていた場所ですが、今は暗渠になっています。

    参道の中央にあった石造りの太鼓橋です。以前は川が流れていた場所ですが、今は暗渠になっています。

  • 撫でられて、つるつるになっていた青銅製のギボウシ(擬宝珠)です。

    撫でられて、つるつるになっていた青銅製のギボウシ(擬宝珠)です。

  • 年代物の石灯篭です。側面に『講中』や『寛政三亥』らしい文字がありました。寛政3年は、1791年のことになります。この時代は第119代の光格天皇、江戸幕府将軍は第11代の徳川家斉公の時代です。

    年代物の石灯篭です。側面に『講中』や『寛政三亥』らしい文字がありました。寛政3年は、1791年のことになります。この時代は第119代の光格天皇、江戸幕府将軍は第11代の徳川家斉公の時代です。

  • 『尾張総社・国府宮』の文字が入った青銅製の大額です。鳥居の中央に懸かっていました。

    『尾張総社・国府宮』の文字が入った青銅製の大額です。鳥居の中央に懸かっていました。

  • 国府宮神社の正式名称、『尾張大国霊神社』の文字が刻まれた大きな石碑です。側面に『大正5年5月6日建之』と刻まれていました。大正5年は西暦1916年になります。

    国府宮神社の正式名称、『尾張大国霊神社』の文字が刻まれた大きな石碑です。側面に『大正5年5月6日建之』と刻まれていました。大正5年は西暦1916年になります。

  • これで、国府宮神社の見学はお終いです。振り返って眺めた鳥居の光景です。その先には次の鳥居が見えていました。

    これで、国府宮神社の見学はお終いです。振り返って眺めた鳥居の光景です。その先には次の鳥居が見えていました。

  • 名鉄の国府宮駅に向かって歩いていた途中での撮影です。最初の採り今出来ますと、絵樹よりは南側まで歩いたことになります。国府宮の赤い文字が記された粗油天街の門です。

    名鉄の国府宮駅に向かって歩いていた途中での撮影です。最初の採り今出来ますと、絵樹よりは南側まで歩いたことになります。国府宮の赤い文字が記された粗油天街の門です。

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