2010/02 - 2010/02
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ドクターキムルさん
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由比ガ浜の交番で篠田邸を尋ねたら、交差点を右折したところにある和田塚も「不思議な霊気を感じる場所だ」と言って勧められた。机の引き出しに鎌倉ガイドブック、鎌倉観光案内、鎌倉の歴史書などを入れて勉強している婦警さんである。夕陽がどの辺に沈むのかも知らない材木座の交番のお巡りさんとは大違いだ。
3代将軍実朝の頃、侍所別当の和田義盛は政所別当の北条義時と対立し、合戦に及んだ(和田合戦)が敗北し、その一族の首塚が由比ガ浜の岸辺にあると史書は伝えている。しかし、現在の和田塚は古代の古墳に地にある。
和田塚には、「戦没者慰霊塔」(昭和26年)、「地先祖」(明治41年2月)、「和田一族之碑」(大正5年)、「和田一族戦没地」(明治42年9月)、「和田義盛一族墓」(明治34年3月)、「大震災殉死者供養碑」(昭和10年9月)、「南無妙法漣蓮華経」の大小の石碑がL字に並び、沢山の五輪塔や仏像、馬頭観音なども並んでいる。和田塚には和田一族以外にもその時代、その時代の慰霊塔、供養碑が建てられて来たのだ。社やお堂はないが、神社かお寺の境内のようだ。地震で石碑が折れたのか、「地先祖」の言葉は見つけ出せなかったが、古墳と認識されて建てられた碑であるような気もしてくる。
鎌倉には他に、稲村ガ崎に十一人塚もあるが、勝者側よりも敗者側の方が慕われているようだ。それでいて鎌倉では良く見る史跡の由来を示す石碑が建っていない。和田塚は江ノ電の駅名に名を残すだけで、歴史からも忘れ去られたような不思議なスポットなのである。
(表紙写真は和田塚の様子)
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