2010/01 - 2010/01
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ドクターキムルさん
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鎌倉鶴岡八幡宮から随分と遠い所に朝夷奈切通がある。鎌倉のはずれ、境界という感じがしてくる。塩嘗地蔵がある光触寺でトイレを借りて用を足し、十二所神社から入った。舗装が途切れたが、民家は未だある。川沿いの道を登って行くと向こうの崖に大きなやぐらが見える。その横にも小さ目のやぐらが並ぶ。いかにも鎌倉の切通らしい。左側には川に沿って崖が続きやぐらが並ぶ。ふと右側の斜面を見ると竹林が続いている。む、四方竹の竹林だ。2cm角はある。竹林を過ぎると滝が見える。その傍には石碑が建つ。直進すると十二所果樹園で、左折すると目指す朝夷奈切通だ。崖の上に竹林が続く。ここは丸竹だ。
幅が広いが、鎌倉天園から下りた二階堂の切通に似た感じだ。崖と道路の間に小川が流れている。崖にはやぐらが見える。切通は鎌倉の境界であり、死者を弔う場でもあったのだ。途中には石仏もある。南無阿弥陀佛と書かれた石碑も立っている。また、鎌倉市の市章が彫られた小さな石柱が切通の岩を削って立ててあった。横濱市の石柱は切通の岩の傍に立てられていた。どちらもここでは目障りだ。
岩肌を削って開いた山道は、峠を越えた熊野神社への分かれ道辺りから一変し、杉林の中の道に変る。峠を越えるまでは2人にしか出会わなかったが、ここでは20人余りのグループに出くわした。神奈川ウォーキングクラブの一行だ。ここから鎌倉七口の切通を1日で踏破するそうだ。行程は26kmになるそうだ。私なら20kmを越えて歩くハイキングは無理だと思う。参加することはないであろう。杉林の中の山道は土嚢が敷き詰められていて整備が行き届いている。横浜のハイキングコースはそうだ。分かれ道には道標も立っている。足が進むが次第に騒がしくなる。車の騒音だ。朝比奈インターも近い。岩を削った古道の上に新道の陸橋が覆いかぶさっている。横浜横須賀道路だ。古道と新道が交差しているが、決して交わることがない。道祖神と石仏が並んでいる。ここが朝夷奈切通の終点だ。バス通りに出る手前に電話の看板が目に付いた。はからずも、私たちがケータイ時代の幕を開き、公衆電話ボックスも減ってしまったが、これはそれ以前の遺物であろう。
朝比奈町のバス停から鎌倉行きのバスに乗った。10分余りの待ち時間だった。来たバスは満員だった。1時間に1本しかない時間帯に乗り合わせたのだ。途中、明石橋の手前で、さっきの神奈川ウォーキングクラブの一行を追い越した。彼等は、大仏坂切通は見ることができなかっただろう。後で知ったのだが、崖崩れで閉鎖されているからだ。幹事も地図のコピーだけで、下調べはしなかったのだろう。26kmも歩いても、鎌倉七口の切通を踏破できないのだから、「出来る日を選んで欲しかった。」と苦情の一つも言いたくなるものだ。杉本観音を過ぎ、歌の橋辺りからは渋滞でバスはのろのろになる。バスに1時間弱も揺られてやっと鎌倉駅に着いた。実は、大仏坂切通と巨福呂坂は未だなのですが、鎌倉七口ではおそらく朝夷奈切通が一番のお勧めです。
(表紙写真は滝の石碑から見た朝夷奈切通。アスファルトのように見える落ち葉がない路面は岩肌そのもの)
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光触寺山門。ご本尊の頬焼阿弥陀は重要文化財で昨年春に修理が済み、秋から本堂に安置されているはずだ。
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光触寺山門脇の紅葉。
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光触寺墓地の石仏。古くからの墓石が立ち並び、石仏、石塔、五輪塔などの各種の墓石が見られる。
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光触寺墓地の墓石。
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塩嘗地蔵。
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道中の小さな窪みにも注連縄が。
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小さなやぐらには石仏を祀る。
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崖の上の大きなやぐらと小さなやぐら群。
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崖下の小川のせせらぎ。
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小川の上の崖にはやぐらが続く。
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梶原太刀洗水(鎌倉五名水)。石が切られ、竹の先から水がしたたり落ちる。梶原景時が、謀反の疑いで上総介広常の首を切り、その刀を洗った場所とされる。
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梶原太刀洗水(鎌倉五名水)。
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三郎の滝。朝夷奈切通を一夜で切り開いたという伝説の剛力武士、朝夷奈三郎に因んで名付けられた。
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三郎の滝と石碑。
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朝夷奈切通の説明看板。
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道標。
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崖と小川。反対側には四方竹の竹林。
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朝夷奈切通。
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朝夷奈切通。
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朝夷奈切通側溝の流れ。
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朝夷奈切通側溝の流れ。
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水が道の真ん中まで削り込んでいる。
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道の真ん中まで川になっている。
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左手の崖にはやぐらが見える。
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やぐらが続く。
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やぐらが続く。
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登り坂の山道は続く。
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やぐらが見える。
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坂道の途中には石積みもある。
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この上では切通が狭まっているようだ。
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コンクリートの崩落対策。
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山道は続く。
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山道は続く。
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木に架かる鳥の巣。
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山道は続く。
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岩の舗装路。
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岩の舗装路。
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岩の舗装路。
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岩の舗装路。
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道の傍らに佇む石地蔵。延宝3年(1675年)に峠坂で道普請をしていた僧が亡くなったのを供養するために建てられたとされる。鎌倉時代に開かれた朝夷奈切通も、実際には江戸時代になってから今のように整備されたのであろう。
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濡れて滑りそうな岩肌。
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濡れた岩の階段。
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鎌倉市の石柱。切通の岩を削って建てている。場違いな違和感のある石柱だ。
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ここにも石積みが。
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やぐら。
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岩の舗装路。
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濡れた山道。
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南無阿弥陀佛の石碑。
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傍らには小さな穴(やぐら)が点在する。
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山道。
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光も届かない谷が。
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峠が近い?
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光も届かない谷に。峠が近い。
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やぐら?石切場跡?
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峠を越えて。
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横濱市の石柱。これも場違いな違和感のある石柱だ。
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崖の上の方にもらぐらが。
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なだらかな下り坂。
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やぐら。
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やぐら。
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高い崖。こうした高い崖となったのは江戸時代に掘削されたからであろう。
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落石注意の看板。
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やぐら。
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やぐら群。このようにやぐら群が路面からはるか高い場所にあることが、中世には路面がやぐら群の直ぐ直下にあったものが、江戸時代に朝夷奈切通が整備され、路面が掘削されたことを示している。
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向こうに杉林が見えてくる。
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山道。
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杉林の中に山道が続く。
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杉林の中に山道が続く。
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熊野神社への道。
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熊野神社の石碑。
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熊野神社の説明板。
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熊野神社への道。
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石柱には左熊野神社、右かまくら道とある。かつてはこの朝夷奈切通が街道であったことが理解される。
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神奈川ウォーキングクラブの最後の一人が朝夷奈切通に向かう。
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土嚢が敷き詰められた横浜側の道。ぬかるみなどはない。
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土嚢が敷き詰められた横浜側の道。
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やぐら。
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横浜側は杉林の小道に。
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路肩には土嚢が。
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杉林の中の山道。
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山に入る道。
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2段にやぐらが。
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やぐら。
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やぐら。
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杉木立の中の道。
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杉木立の中の道が続く。
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杉木立の中の道が続く。
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やぐら群。
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やぐら群。
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杉木立の中に土嚢が置かれた山道が続く。
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切り立った崖にもやぐらが。
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両脇が崖の小道。
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やぐら。
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両脇が崖の小道。
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削られた岩。
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木立の中の山道が続く。
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木立の中の山道。
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山道が続く。
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山道。
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山道横の杉林の木立。
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高速道路の橋脚が見えている。
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古道に覆いかぶさる新道(高速道路)。
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横浜横須賀道路の橋脚。
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橋脚。
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橋脚の下の古道。
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橋の間から空が見える。
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横浜横須賀道路の橋脚。
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古道と新道。
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橋脚。
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古道に覆いかぶさる新道(高速道路)。
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古道に覆いかぶさる新道(横浜横須賀道路)。
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高架の上に開ける空。
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出口(入り口)の森。
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出口(入り口)の道祖神。
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山道の出口(入り口)。
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道祖神と石仏。
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道祖神と石仏を過ぎると山道の終点。
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熊野神社へはここを左折しても行けそうだ。
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終点は古道と新道のツーショット。
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朝夷奈切通の説明板。
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注連縄が張られた大木。熊野神社の関連か?
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でんわの看板。鎌倉市内に残る赤い郵便ポストのような懐かしさが。
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ここは朝比奈町町内会館。
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