2009/11/27 - 2009/11/29
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korotamaさん
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日本三大水城の一つと言われる高松城。
現在は玉藻公園として整備され、のんびり散策することができます。
※日本三大水城…高松城、今治城(愛媛)、中津城(大分)
今治城:http://4travel.jp/traveler/korotama/album/10393871/
中津城:http://4travel.jp/traveler/korotama/album/10316582/
- 交通手段
- 自転車 ANAグループ 徒歩
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江戸時代の様子。(下方が北)
北が瀬戸内海に面し、残る三方は海水を引き込んだ堀を巡らしていました。
廉櫓と月見櫓の手前は、海だったんですね。
今は埋め立てられて、道路が走り、港が造られています。 -
平成の様子。
今も残る内堀には、やはり海水が引き込まれています。 -
玉藻公園、西側の入口。
公園ではありますが、入園料200円を支払います。 -
西門を入ると、そこは二の丸跡。
二の丸の北西角には廉櫓(れんやぐら)が、 -
二の丸の南西角には文櫓(ふみやぐら)がありました。
この櫓の向こうには、琴電 高松築港駅があります。高松築港駅 駅
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二の丸北側の城壁沿いには、細長く、枯山水のような庭。
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内堀に海水を引き込む「海水導入門」
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城壁の向こう側はこのようになっています。
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内堀。
向こう側のクレーン車は、 -
天守台石垣修理工事の車両。
眺めがね、ちょっと残念。
老朽化のため、2006年から解体修理工事を行っているそうで、この解体で、石垣内部の構造も確認できたそうです。
解体した石垣の石の数は約9,000個!
2011年度末には積み直し完成の予定だそうです。
また来なくっちゃ…(^_^;) -
石垣解体前には、松平家初代藩主松平頼重(よりしげ)を祀った「玉藻廟」があったそうな。
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高松城は別名を玉藻城ともいい、豊臣秀吉から讃岐に封ぜられた生駒親正(いこま ちかまさ)が1588年に築城を開始し、1590年に完成した平城(水城)です。
生駒家が4代54年続いたのち、1642年に松平頼重(水戸光圀の兄)が封ぜられ、松平家が11代228年、居城としました。 -
公園内「陳列館」という資料館に興味深い系図がありました。
頼重が藩主となったのち、讃岐高松候と水戸徳川侯が入りくり入りくり藩主をしていたんですね。
そして、最後の将軍徳川慶喜は讃岐高松候の流れときたもんだ!
さらに、11代藩主松平頼聡(よりとし)には、近江彦根藩主 井伊直弼の次女・千代姫が輿入れするという縁組も為されていて、なんだか幕末は大変だっただろうなぁ、と、系図を眺めながら思いを馳せるのでありましたー。 -
話は天守に戻りまして…。
長い年月お役目を務めた天守は、生駒氏の時代に作られたものを松平家初代の藩主 頼重が改築し、1670年に完成した三重四階、地下一階、高さ26.6m、石垣の高さも含めると40mは超える、四国最大の規模を誇ったものだそうです。
老朽化のため、残念ながら1884年(明治17)に取り壊されてしまいました。 -
二の丸から天守台へと続く鞘橋(さやばし)。
堀を橋で渡って天守で行く、という構造、珍しいですね。鞘橋 名所・史跡
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で、海水が引き込まれている内堀ですが、なんと、鯛が飼われています!
のぼりには「鯛願城就」なる文字が…(^_^;) -
面白い構造です。
この枡から入れた餌は、竹筒の中をカラカラと流れ下り、堀へとパ〜ラパ〜ラ落ち込みます。 -
よくある鯉の餌やりだったら買わないんですがね。
珍しいですから! 鯛の餌やりなんて!
入口のチケット売り場まで戻って、買ってきました、鯛の餌(^^ゞ
1カップ50円です。 -
さぁ、行くぞ〜〜〜!
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と、鯛たち、大変です!
まるでピラニアの如く? 餌の奪い合いです。 -
なんとも楽しいイベントでありました(^.^)
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鯛の餌やりを無事終え、お城見物に戻ります。
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往時は瀬戸内海に面していた、北之丸の渡櫓、水手御門、続櫓、月見櫓。
(わたりやぐら、みずてごもん、つづきやぐら、つきみやぐら。
水手御門は引っ込んでいて写真には映っていません。)
いずれも重要文化財に指定されているとのこと。
一連は松平の頃に造られましたが、渡櫓は生駒氏築城の際の「海手門」を改修したものだとかで、 -
継ぎ足しした様子が石垣にはっきりと表れています。
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継ぎ足した部分の石に、島津家の家紋。
松平家が改修した際には、近隣の大名が手伝いを行ったのでしょう…か。 -
海面を埋め立てて造られたという「月見櫓」は、出入りする船を監視するとともに、藩主が江戸から船で帰らるのを望み見る役割を持っていたため、「着見櫓」とも言われたそうです。
1950年代に解体復元工事が行われました。 -
外から見た、北の丸月見櫓、続櫓、水手御門、渡櫓。
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外から見た、北の丸月見櫓。
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三の丸に「披雲閣」(ひうんかく)と呼ばれる建物があります。
松平時代には現在の2倍の大きさはあったという、藩の政庁及び藩主の住居だった建物でしたが、1872年(明治5)、老朽化を理由に取り壊されたのだそうです。
現在の建物は1917年(大正6)に再建されたもので、貸し会場として利用されているとか。
訪れた時は結婚披露宴が行われていました。 -
ソテツの庭
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披雲閣の周りに広がる内苑御庭は藩政時代の庭を元に、1916年(大正5)頃に枯山水の庭として造園されたそうで、大きな飛び石やきれいに手入れされた松などが植えられています。
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この松、大きな石の中に根を下ろしています!
樹齢は15年ほどだとか。
「大岩成樹 ど根性松」と命名されていました(^^) -
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内苑御庭を通り抜け、「桜御門跡」です。
どっしりとした石垣ですね。 -
桜御門の外に広がる「桜の馬場」。
馬の教練場で、かつては今の2倍ほどの広さがあったとか。
桜の木が植えられていて、春は花見で賑わうそうです。 -
「旧太鼓櫓跡」に建つ「艮櫓」(うしとらやぐら)
ややこしいですね(^^ゞ
艮櫓は、もともとは東之丸の北東の隅に月見櫓と同時期に造られました(1677年完成)。
1960年代後半に、解体修理、移築復元を行ったそうです。
大きな千鳥破風が印象的です。 -
その大きな千鳥破風に、松平家の家紋。
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旧太鼓門櫓跡から「旭門」の枡形を眺めました。
三の丸に藩主の住居「披雲閣」を建てた際に、城への出入りのために造られたそうです。 -
桝形の石垣に「埋門」(うずみもん)と呼ばれる門が埋め込まれていました。
珍しい造りです。
明確な用途は不明ですが、桝形に入った敵を背後から攻撃したり、藩主の脱出経路としての役割などもあったのでは、と推測されるそうです。 -
旭門の向こうには旭橋
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中堀にかかる旭橋から旭門を眺めます。
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「旧太鼓櫓跡」に建つ「艮櫓」(うしとらやぐら)
移築の際、石落としの位置を合わせるために、建物を右に90度回転させたのだそうです。 -
艮櫓 と 琴電
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「旧太鼓櫓跡」に建つ「艮櫓」を琴電線路越しに眺めます。
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内堀に、コサギかな。
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公園の外側に出ました。
松平家初代の藩主 頼重は城を北方及び東方に拡張したそうで、その際に造られた東の丸の石垣を見ることができます。 -
korotamaを興奮させたのが、北の丸月見櫓前にいたカワセミさん!
こんな所で出くわすなんて〜〜〜(^O^)/ -
初めて見た成田山新勝寺では、目の前をほんの一瞬通り過ぎただけでしたが、ここでは違います!
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背中がキラキラ〜\(^o^)/
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うひょっ!
ってね。
ひょうきんなポーズも見せてくれましたヽ(^o^)丿
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