2009/03/07 - 2009/03/08
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korotamaさん
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大河ドラマでインパクトが強かった黒田官兵衛。
その黒田官兵衛が造った「中津城」を見てみたくて、降り立った空港は山口だけれど、中津まで足を伸ばしました。
落ち着いた雰囲気の、のんびり和める風情の場所でした。
- 交通手段
- レンタカー ANAグループ
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本日のお供はマツダのデミオ。
山口宇部空港を出発し、
山陽自動車道 → 中国自動車道 → 関門橋 → 九州自動車道 → 東九州自動車道 → 一般道
をひた走り、中津城を目指します。 -
関門海峡に架かる関門橋。
1973年に開通した吊橋で、全長1,068m。
関門自動車道と呼ばれる高速自動車道のみが通っています。
橋の袂にはパーキングエリアがあり、関門海峡を展望することができます。 -
関門橋の主ケーブル
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関門海峡にはたくさんの漁船が出ていました。
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大きな船も行き交います。
よくぶつからないもんだなぁ、と感心しながら見物。
汽笛を鳴らして漁船たちに注意を呼び掛けていました。 -
門司側に白灯台が見えました。
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関門橋を渡ります。
片側3車線でスイスイスイスイ。 -
関門橋袂のパーキングエリアでは、ブランチも取り、なんだかんだと50分ほどを費やしてしまい、トータル2時間半かかって中津城到着です。
時刻はすでに12時半。
予定通り周れるかなぁ・・・。
駐車場は内堀沿いにありました。
未加工の自然石を積み上げた、石垣建築では最も高度な技法らしい石垣が復元されています。 -
戦国武将、築城の名手である黒田孝高(官兵衛、如水)が豊臣秀吉の命に従い九州を平定し、中津16万石を拝領。
1588年(天正16年)、中津川河口にこの平城を築きました。
左:奥平神社
中央:天守閣
右:大鞁櫓(城主の馬具等をしまうところ) -
当時の地図です。
この形状から、別名「扇城」とも呼ばれています。
北側は中津川(当時は高瀬川)に面しており、水門から海水が入って、塩の干満で堀の水が増減する水城で、今治城、高松城と並ぶ日本三大水城の一つなのだそうです。 -
官兵衛の息子 黒田長政の後に領主となった細川忠興が城内の用水不足を補うために引いた水道の水をたたえた「三斎池」と天守閣。
三斎とは細川忠興の号だそうです。 -
中津藩士 福沢諭吉が唱えた「独立自尊」の碑。
「心身の独立を全うし、自らその身を尊重して、人たるの品位を辱めざるもの、之を独立自尊の人と云ふ」 -
城内に猫。
結構目付きのお悪い猫でした。
飛びかかられないように、離れたところから、ず〜む。 -
場内に犬。
こちらは日向ぼっこでいい気分。 -
お堀にアヒル。
上に人が来るたびにガァガァけたたましく鳴いていました。 -
もともと天守閣があったかどうかは不明らしく、現在建っているものは1964年(昭和39年)に萩城天主を模して造られた「模擬天守」です。
地下1階5層5階の鉄筋コンクリート製です。 -
中では戦国時代以来の宝物や資料が展示されています。
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天守閣から見る「大鞁櫓」
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天守閣から眺める中津川、そして、周防灘。
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梅の香りが心地よかったですー。
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当時二の丸があった辺りから天守を眺めます。
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さらに回り込みました。
大鞁櫓と模擬天守のバランスが美しいと思われました。 -
石垣からはみ出た感じも気に入りました。
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中津川から天守を眺めます。
今は枯れ色ですが、壁の向こうに植わっているのは桜の木。
花の頃はさぞかし美しい写真になることでしょうね。 -
中津川。
水辺に点々とサギが佇んでいます。
一か所にたくさんのサギが集まっているのを見たのは初めてでした。 -
なんとなくキリリとしたサギさん
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城を離れ、少しだけ町歩きを始めました。
海のそばだからでしょうか。猫をよく見かけました。
この水を飲んだ後、眠そうにじーっとしていました。 -
お城から東へ行ったところに、福沢諭吉の旧宅が復元されています。
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見学は有料だったので、入口からちょっとだけ覗いて、ここは終わりとしました。
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城下防備を目的に作られた寺町。
黒田如水が来る前から、この通り沿いには複数の寺があり、その後も増え続け、現在12件の寺が点在しています。 -
寺町のはずれに真紅の壁の寺があります。
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1587年(天正15年)、黒田孝高が建立した「合元寺」。
孝高の前藩主 宇都宮鎮房の家臣全員がこの寺で討ち死にして以降、門前の白壁は、何度塗り替えても染み付いた血痕が浮き出て来てしまうため、ついには壁を赤色に塗った、のだそうです。 -
合元寺
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1600年(慶長5年)、細川忠興が中津城に入封の際に開基させた宝蓮坊(開基当時は中津浄喜寺)の楼門。
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町なか(?)に向かうと、ビルの谷間に商店街を発見。
その名は、寿通り商店街。 -
開いているお店は数軒。
土曜日だからかなー、とも思いましたが、どうもそうではないような雰囲気のシャッターの降り方でした。 -
あ、でも、別のアーケードと交差していました。
こちらは、ちょっとは賑やか。 -
商店街を出たところの 諸町。
細川藩主時代、この町の西側には武家屋敷がありましたが、大半は諸々(数々)の職業人が居住していたためにこの名が付きました。 -
「城下町 中津の ひなまつり」という催しが行われていました。
この通りだけではありませんが、いろいろな所にひな人形が飾られています。
このように、一般のお宅の玄関先でも飾られていて、びっくり。 -
サクラソウがきれいに咲いていました。
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1716年創業のむろや醤油さん。
中津藩主 奥平公の御用商人として醤油を献上していたそうです。
korotamaも1本お土産に買ってみました。 -
むろや醤油さんの蔵。
ものすごく古く、歴史を感じましたー。
こちらでも雛人形が飾られていましたが、korotamaはこちらを見る方が楽しかったなー。 -
伝統工芸「さげもん」
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中津名物 外郎本舗「栗山堂」さんの「石垣もち」
外郎饅頭の粉を利用したイモ餅です。
この日は朝ごはんを食べた時間が遅く、昼ご飯を食べるタイミングを逸したので、おやつとして購入。
5個入り367円。
下関に戻る途中の車中でもぐもぐ。
甘味はイモによるものだけだそうで、いやはや美味。そして、食べ応えがありました! -
こちらも中津名物。「からあげ」
下関に戻る途中の道の駅「豊前おこしかけ」でいただきました。
ニンニクがたっぷりきいていました!
中津市は鶏肉の消費量が日本一なのだそうです。 -
この日、本当は小倉城にも行く予定だったのですが、いやはやまったく無理っ!
中津を出てからは再び高速を走り、下関へ戻ります。
門司側のパーキングエリアから眺める関門橋です。
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