2009/10 - 2009/10
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ドクターキムルさん
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三方を山で囲まれた鎌倉には切通のほかにも随道・トンネルが多くある。
最も鎌倉らしさを感じる切通は釈迦堂口切通である。切通とはいっても「七口」には含まれず、実際には短い随道である。残念ながら通行禁止になっており通れないが、柵などしている訳ではなく、鎌倉の武士(もののふ)の頃の昔を感じることができる。
鶴岡二十五坊奥にある個人所有の手堀りの随道である。2m足らずの高さであり、車の轍跡が見られるがトラックが通れるはずもない。スポーツカーなどの車高の低い車でないと通れない。行きすがらジャガーのスポーツクーペに出会ったが、もしかしてこの随道から出てきたのかも知れない。
鎌倉市の放置自転車置き場がある東勝寺跡へ向かう途中に右に折れると90m余りのコンクリート製のトンネルに突き当たる。小町と大町を繋ぐ人しか通れない小さなトンネルである(、車も通れる)。夏は涼しい風が吹き抜けて気持ちがいい。この上は祇園山ハイキングコースである。東勝寺跡地の腹切りやぐらから登るハイキングコースで八雲神社の横に出る。あるいは、妙本寺にも下りられる。腹切りやぐらから登ると左方面は通行止めになっている。岐れ路方面は道にアパートが建って昇り降りできない。右に折れれば大蔵稲荷に出られる。
次に、建長寺と八幡宮との間にある巨福呂坂洞門の横には巨福呂坂送水管路ずい道があるが、この管理は横須賀市水道局だ。鎌倉の真ん中に横須賀市の管理するトンネルがあることには驚いた。
さらに、大船駅西口近くの戸部会館横のトンネルにも名前がない。こうしたトンネル口上にはトンネル名が書かれたプレートが付いているのが当たり前であるがこれが付いていない。入り口の民家の方に聞いても「トンネルには名前が付いてない。」と言う。駅から近いのでこれはくぐりに行ける。
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釈迦堂口切通。今ではこうした姿は見られない。2010年4月28日の豪雨で大きな落石に見舞われ、隧道の両側に柵が設けられた。しかし、ようやく落石が取り除かれた2011年4月11日の東日本大震災により浄明寺側の道の崖が崩落し、手前にも柵が付け加えられた。さらに、2011年9月21日に浜松に上陸した台風第15号による倒木で浄明寺側入口付近の柵内が埋まっている。2ヶ月半経っても取り除かれていないことから、もう今年度の復旧予算がないのだろう。
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千歳トンネル。鶴岡二十五坊奥の手堀りの随道(個人所有)。入り口には表札が掛かり、「関係者以外立ち入り禁止」の看板がある。
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千歳トンネル。西御門奥の石段を登った民家の庭にトンネルの出口が見える。車での外出はトンネルを抜けて御谷(二十五坊)に出るそうだ。右に見える建物の前の梅の古木が満開に花開いていた。その下には9体ほどの石仏が佇み、かつては二十五坊の1つであったのだろう。
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小町と大町を繋ぐトンネル。人道トンネルと思っていたが、何度か通るうちに軽自動車が入っていくのを見た。「宝戒寺トンネル」と呼ばれているようだ。地図で見ると妙本寺の方がずっと近い。おそらくは寺跡がある東勝寺の名を貰って「東勝寺トンネル」の方がピッタリするが、鎌倉時代に掘られたトンネルではあるまいし、悩ましいところだ。
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大町と小町を繋ぐトンネル。車のタイヤ痕が残る。
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建長寺から鶴岡八幡宮へ下りる途中にある巨福呂坂洞門。鎌倉七切通しの1つである史跡「巨福呂坂」近くにあることにちなんで名付けられた。平成5年(1993年)6月竣工。
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巨福呂坂洞門。
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巨福呂坂洞門の横には巨福呂坂送水管路ずい道がある。
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巨福呂坂送水管路ずい道は鎌倉市の真ん中にあるのだが横須賀市水道局(現在は横須賀市上下水道局)が管理している。元々は旧海軍施設であった。中には非常用食料・飲料が保管されているとか。
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出口。下に、昔海軍が施設した人が通れるほどの太い水道管が横須賀まで通っているそうだ。
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建長寺檀家駐車場の奥にあるトンネル。やぐらではなく、水道道だ。横須賀市上下水道局の管理になっている。横須賀水道道路は明治45年?大正10年に海軍により敷設され、中津川の半原水源地から横須賀の逸見浄水場までの総延長53kmにわたる。その一部が北鎌倉と巨福呂坂切通の下に残っている。
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大船駅西口戸部会館横のトンネル。名前がない。原付バイクが入っていった。タイヤ痕があり、車がやっと通れる幅だ。
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乗用車が出てきた直ぐあとには幼稚園児たちが出てきた。トンネル口の傍らに「昭和61年度急傾斜地崩壊対策工事」のプレートが見える。この工事で出来たトンネル?
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招鶴洞(しょうかくどう)。鎌倉文学館。
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高木家のトンネル(鎌倉山)入り口。やぐらかと思いきや違う。防空壕の後にしては戦中ではこんな山の中にまで人は住んではいなかったろう。入ってみると2、3mのL字トンネルだ。中に高木と書かれた看板があった。このトンネルの横にはやはりやぐらがあった。一興の2こまです。
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高木家のトンネル(鎌倉山)出口。しっかりと積まれた石積みが立派だ。
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北鎌倉下りホーム沿いの道路が途中でこの手掘りのトンネルに変わる(北鎌倉駅側)。いつか、鎌倉方面に行く商用車(バン)とすれ違った。車も通るのだ。
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トンネルの出口(大船側)。
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「好好洞」(北鎌倉好々亭門)。「御会席、成吉恩汗料理」と書かれている。
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「好好洞」(北鎌倉好々亭門)(出口)。以外と長く、電灯が点いている。また、中間あたりに横穴があったようだ。
「この横穴はやぐらではなく、戦時中に海軍が掘った穴で、弾薬庫として使われたものだ」という地元の古老の話が寄せられました。
近所に住む還暦を過ぎたくらいの方は、子供の頃に中で遊んだと話してくだされた。北西側は短いが、南東側は長く雲頂庵の下まであるという。 -
北鎌倉小袋谷の隋道(入り口)。防空壕跡が並ぶなかに隋道がある。かまくら景観百選の34。明治時代に掘られたとある。
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北鎌倉小袋谷の隋道(出口山ノ内側)。左にはお墓がある。
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海蔵寺十六井入り口のトンネル(寺側)。実は天井は抜けたらしく、コンクリート製だ。
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海蔵寺十六井入り口のトンネル(十六井側)。やぐらと繋がっている。
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海蔵寺横のトンネル(底脱井側)。入り口壁まで建物に連なるコンクリートが打たれている。
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海蔵寺横のトンネル(裏側)。やぐら群の中にある。やぐらの中には五輪塔が並び花が添えられていた。
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銭洗い弁天のトンネル(化粧坂側)。鳥居をくぐってトンネルに入る。
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銭洗い弁天のトンネル(弁天側)。トンネルを出てから鳥居が続く。
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佐助随道手前のトンネル。直彫りだ。
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佐助随道(佐助稲荷側)。鉄板の打ちっぱなしのトンネルだ。
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佐助随道(駅側)。
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扇ガ谷1のトンネル(赤尾邸側)。素彫りのトンネルで鉄骨にネットをめぐらしている。ネットに落石が引っかかっていた。赤尾邸にもやぐらが見える。元々は、お寺の坊を繋ぐ隧道だろう。
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扇ガ谷1のトンネル(小さな谷戸側)。この崖に10基ほどのやぐらが並んでいるがネットが掛けられている。元々は、お寺の坊を繋ぐ隧道だろう。
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扇ガ谷1のトンネル(谷側)。やぐらのある崖を曲がるとある。入り口と出口が鉄筋コンクリートだが、中は素彫りだ。
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扇ガ谷1のトンネル(山側)。こちら側は行き止まりだ。
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大船熊野神社横のトンネル。「大船の切通」の下を貫いている。蛍光灯が付いて舗装しているが中は素堀のトンネルだ。中には板で塞がれた横穴ヶあるようだが、防空壕跡であろうか。横の階段は熊野神社舞殿に続く。
隧道(トンネル)の上に切通が通っているのは釈迦堂口切通(隧道(トンネル))と同様だ。 -
大船熊野神社横のトンネル。天ヶ谷戸遊水池側から。
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大船の切通内入口近くの三叉路にある隧道。隧道(トンネル)が掘られた後、切通から隧道(トンネル)を潜って多門院や別の隧道(トンネル)を潜って岩瀬、今泉に出るのに使われたのだろう。
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大船の切通の三叉路にある隧道の出口。大船熊野神社横の手掘りのトンネルを潜った(天ヶ谷戸遊水池側)の左側の奥に通じている。
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大船?岩瀬トンネル(大船側(遊水池側))。岩瀬中学の横にある。出入口はコンクリート、レンガ積ではあるが、中央部は素彫りのトンネルだ。歩道が造られ、車は片側交互通行になっており、トンネルの出入口に信号がある。
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大船?岩瀬トンネル(岩瀬中学側)。
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北鎌倉雲頂庵の随道(2011年春)。石段途中にある。
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北鎌倉雲頂庵の随道(2011年春)。八雲神社が見える。
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北鎌倉雲頂庵の随道(2011年冬)。この随道の向こうに家が建てられ、門扉と4戸の郵便受けが設置されていた。1棟続きに見える白い住宅も良く見ると3戸のように見えるのだが、4戸あるのか。お墓の随道を、日常生活のためのトンネルとして利用しているのは初めて見た。いや、海蔵寺の十六ノ井の隧道の向こうにも住宅があったかなかったか?
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明月院北の明月院通にある隧道の出口。中にはやぐらもある。
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明月院北の明月院通にある隧道の入口。
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北鎌倉浄智寺境内の隧道。
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北鎌倉浄智寺裏の随道(横須賀線側)。故小倉遊亀(文化勲章受賞、女流画家)のお住まいと小津安二郎(映画監督)の住んでいた家ともう一軒あるという。ここに住んでいる90歳くらいのご老人(小倉遊亀の甥ごさん)にお会いした。
地主の話では明治10年頃に一族で掘った隧道(トンネル)だという。 -
入口だけコンクリートだ。浄智寺側入口付近は水滴が落ちているが、随道内部は乾燥している。もし、湿っていたら坂が急であるから滑って歩けないだろう。これほど斜度があるトンネルは初めて歩いた。
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北鎌倉浄智寺裏の随道。鎌倉二十五坊にある随道と同じで個人宅になっているが、かつての、浄智寺の坊への随道であろうか。
実際には、尾藤谷前の踏切横にある友野家の一族が明治になって掘ったもので、故小倉遊亀邸(現在は甥の90歳くらいのご老人が住んでいる)を所有しており、道を確保するために掘った随道である。 -
扇ノ井のある(本田家がある)扇ガ谷奥のやぐらの横に向こうも抜けたやぐらがあった。これはもう随道だろう。
「とほとほ道中記」(http://tohotoho.shiinomi.jp/kamakura_yagura.htm#otou)に、
「先日鎌倉ガイド協会主催の浄光明寺庭園拝観に参加してまいりました。庭園の撮影はいっさい禁止されていたため写真はないのですが、相馬次郎師常のやぐらと関わりのあるお話を伺うことができたので追記いたします。
本堂裏の切岸には大きなやぐらが4つあり、そのうちの一番左にあるやぐらは相馬次郎師常のやぐら群の一つに通じているということでした。現在本堂側は資材により塞がれ、反対側も入れないように塞がれているとのことです。(2010/11/27)」
とあるが、この隧道ではないが、こんな感じか、もっと長いものであろうか。 -
扇ガ谷3の亀ヶ谷坂へ上る道路からの道があり、コンクリート壁に隠れた裏の崖にトンネルがあり、扇ノ井のある本田家の家の通りの奥と通じている。大きなやぐらが並ぶうちの一つがこのトンネルだ。
天井が丸いことからやぐらとして掘られたものではないだろう。横穴古墳(横穴墓)か随道として掘られたものであろう。 -
通称「宝戒寺トンネル」を抜けた大町側に近いところにあるトンネル跡。「五岳荘」と読める。随道というよりはアパートの名のようだ。このトンネルには横に何部屋があったそうだ。
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「五岳荘」。山側も封鎖されている。隣に新しくトンネルができたからだ。
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大町のトンネル。谷側。かなりの坂道になったトンネルだ。この山の上を宅地造成中だ。
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大町のトンネル。山側。
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深沢ずい道(藤沢側)。
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深沢ずい道(長谷側)。
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建長寺半僧坊参道の随道。
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極楽寺4と笛田6を繋ぐトンネル(極楽寺側)。こうしたトンネルは小町3?大町3、佐助トンネル(佐助2?扇ガ谷1)、岡本2などにある。
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笛田6と極楽寺4を繋ぐトンネル(笛田側)。
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鎌倉長谷寺弁天窟入口。さしずめ料金300円のトンネルか。
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鎌倉長谷寺弁天窟出口。
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まんだら堂跡のやぐら参道の随道(逗子市小坪7)。
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鎌倉カントリークラブのトンネル(谷側)。
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鎌倉カントリークラブのトンネル(山側)。
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鎌倉カントリークラブのトンネル。出入口はコンクリートだが、中は素掘りのトンネルだ。
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光明寺裏のトンネル(第一中学側)。
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光明寺裏のトンネル(小坪トンネル側)。洞門だ。
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光明寺裏のトンネル・洞門(小坪トンネル側)。
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明月院通り入口にある随道。
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コンクリートブロックの中には曲がった随道がある。天井が丸く掘ってある。人が一人やっと通れるくらいのトンネルだ。
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わずか3、4mで出口だ。
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隣にも随道の入口が見える。何処に通じているのかは不明である。
やぐらのように天井が平らに掘ってある。 -
この2つの随道がある明月院通り入口は最近、更地になったが、明月院から延びる舌状の山を貫通して随道が掘られている。この舌状の山もご覧のように切り取られコンクリートブロックの崖となっている。そのために、随道は曲がって残り、3、4mしかなくなっている。また、この随道の出口付近にももう一つの随道がある。この随道は何処に通じているのかは不明である。
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壽福寺墓地の源氏山ハイキングコース入口の随道。塔頭への道であろうか。
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壽福寺南側の随道(壽福寺側)。大きなやぐらの片隅を数mほど掘り進んで随道にしている。
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壽福寺南側の随道(壽福寺南側から)。
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壽福寺南側の墓地参道角にある随道(壽福寺側)。中に扉があり、インターホーンも付いている。この墓地参道にはわずか50m余りの間に3つの随道と随道跡があるのだ。
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壽福寺南側の墓地参道角にある随道(壽福寺側)。やぐらの奥面を40、50cmほど削って随道にしている。扉の向こうに道があり、裏門(勝手口)が見える。随道には柱穴が残り、天井も平らになっていることからやぐらであることは間違いないだろう。
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「鎖大師参道」隧道跡。谷戸坂の切通(鎖大師の切通)左にある。
青蓮寺の山を切通にして県道304号が開通して廃止されて埋められたのであろう。
青蓮寺に鎖大師像が移されたのは明治維新後であり、文字が右書きであることから、戦前までの開設であろう。 -
「鎖大師参道」隧道はこのあたりに通じていたのであろう。
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「鎖大師参道」隧道と青蓮寺を結ぶ鎖大師参道跡の隧道。
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「鎖大師参道」隧道と青蓮寺を結ぶ鎖大師参道跡の隧道。県道304号側。
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浄光明寺のかつての慈光院の入口の隧道(階段側)。
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浄光明寺のかつての慈光院の入口の隧道(慈光院側)。
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浄光明寺の地蔵堂路からかつてあった地蔵院への入口。ブラタモリ放送後は踏み固められて道ができた。
他に客殿裏庭の2つの大型やぐらは中で繋がっており、出入口がホールのような隧道ともいえるし、客殿裏庭の一番左端の背の高い大型やぐらにも隧道がある。これは相馬師常墓やぐら群の一つと繋がっているという。浄光明寺と武家屋敷とを繋いでいた隧道であろう。 -
栄勝寺の隧道。階段を下りる。階段がある隧道は珍しい。隧道内は暗がりとなるため、階段があると見えないので踏み外す。しかし、境内にある隧道としては長過ようか。
しかし、浄智寺境内にある隧道も階段になっているが、トンネルが極端に短いので暗くはない。 -
栄勝寺の隧道。
おそらくは鎌倉時代か室町時代に掘られた隧道で、壽福寺東側の崖に連なる舌状の岩盤があり、そこを長い隧道で繋いだのだろうか。それは江戸時代始めには岩盤が削られて現在のような形になったのか?
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