2009/04/04 - 2009/04/04
2293位(同エリア4665件中)
みにくまさん
嵐山観光
天龍寺⇒常寂光寺⇒二尊院⇒妙祐久遠寺⇒清涼寺⇒
清涼寺から大覚寺までは少し距離があって、雨の降る中をしばらく歩きました。
天龍寺と並ぶ、本日の最大の目的地を前にして、雨はけっこう激しく降ってくるは、デジカメのバッテリーが切れるはで、少しテンションが落ち気味でした(+_+)
◎ 大覚寺(旧嵯峨御所)
嵯峨山と号する真言宗大覚寺派の大本山です。
嵯峨天皇の離宮嵯峨院の一部で、天皇崩御の後の876年に寺に改められ、大覚寺と名付けられました。
その後一時荒廃しましたが、1307年に後宇多天皇が入寺し、寺を復興するとともに大覚寺統を形成しました。
以後、持明院統と皇位継承について争い、1392年、当寺で南北両朝の講和が成立しました。
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史蹟大覚寺御所阯
◎ 史蹟とは
史蹟は旧字で、史跡と書くのが一般的、旧跡ともいいます。
歴史上の事件に関係のある場所、古い建物やその遺構のこと。
日本における文化財の種類のひとつで、歴史上または学術上価値が高いと認められる遺跡について、日本国および地方公共団体が指定を行ったもの。特に、文化財保護法第109条第1項において規定された、国指定の文化財の種類のひとつ。 -
築地塀
二尊院で見た築地塀とよく似ています。
白の5本線は、皇室との深い関係を表し、この寺院の格式の高さを物語っています。 -
表門
江戸時代初期の建物。
木造切妻造本瓦葺。門全体を素木造りとし、屋根は切妻造りの四脚門。
屋根には鬼瓦を配しています。 -
大玄関(式台玄関)
写真の駕籠には菊の御紋が描かれています。
この駕籠は、無条件で御所に入れるようです。
背後の襖絵は、狩野永徳筆とされ、桃山金碧画のなかで重要な位置を占めるものです。
(ただし、現在置かれているものは、レプリカで、本物は収蔵庫に保管されています) -
中庭
諸堂が複雑に建ち並び、その間を回廊が縦横に走っています。
その間にはしっかりと手入れされた中庭がありました。 -
宸殿 重要文化財
江戸時代初め、延宝年間(1673〜1681)に後水尾天皇より皇后東福門院和子(二代将軍秀忠の娘)が使用していた女御御所の宸殿を賜ったものです。
入口の格子戸は蔀(しとみ)といい、その留金部分には蝉の装飾があります。 -
牛車(ぎっしゃ)
舞楽台という一段高くなった所に展示してありました。
皇室の方が利用したのでしょう、以前京都御所で見かけた牛車とよく似ていました。
◎ 京都御所の牛車↓
http://4travel.jp/traveler/minikuma/pict/14913067/ -
勅使門
嘉永年間(1848〜1854年)の再建。
門は四脚門とし、屋根は切妻造り、正面および背面に軒唐破風を附け、全体は素木造りだが唐破風の部分のみ漆を塗り、金鍍金の飾り装飾を施しています。
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勅使門
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御影堂(心経前殿)
大正14年(1925年)建造。
大正天皇即位式場に建てられた饗宴殿を、式後賜り移築したもの。心経殿の前殿であり、内陣正面は心経殿を拝するため開けてある。
内陣左右に嵯峨天皇、秘鍵大師(弘法大師)、後宇多法皇、恒寂入道親王など大覚寺の歴史に大きな役割を果たされた方々の尊像を安置する。外陣は70畳ある 。 -
御影堂(心経前殿)
御影堂へ向かう回廊と、その手前の大きな松の木。 -
中庭
さりげなく整えられた苔の庭がとても素敵でした。 -
勅使門と牛車と灯篭
御影堂から撮影しました。 -
牛車と宸殿
御霊殿付近から撮影しました。 -
勅使門と枝垂れ桜
枝垂れ桜は残念ながら枯れていました。
勅使門は、雨に濡れた瓦がキラキラ光って綺麗です。 -
記念撮影
みにくま君とちびくま君を家に忘れてしまったので、今回の旅行ではみるく丸君がモデルをしています。 -
大沢池
五大堂観月台より大沢池を眺める。
◎ 五大堂(本堂)
江戸時代中期(天明年間)創建。
現在の大覚寺の本堂。不動明王を中心とする五大明王を安置しています(重要文化財のため、収蔵庫に保管)。
大沢池のほとりに位置し、正面5間、側面5間。正面には吹き抜けの広縁がある。 -
回廊
左が御影堂、右は収蔵庫。 -
村雨の廊下
あまりにも美しいこの回廊には「村雨の廊下」という名前がありました。
低い天井は、刀を振り上げられなくする工夫で、廊下は鴬張りです。 -
勅封心経殿(心経殿) 登録文化財
大正14年(1925)、後宇多法皇600年、後亀山天皇500年の御遠忌記念事業として、法隆寺の夢殿を模して建立されました。
正面昇り階段と段上まわりには卍崩しの組子を施した高欄を備え、内部造作材には、大正天皇即位式用二条離宮(現二条城)の第1車寄せの用材が用いられています。 -
中庭
右手に少し見えている赤い建物が、霊明殿です。 -
霊明殿
総理大臣を務めた斎藤実が昭和3年(1928年)、東京の沼袋(現・中野区沼袋)に建てた日仏寺の本堂だったものを、昭和33年(1958年)、当時大覚寺門跡であった草繋全宜(くさなぎぜんぎ)が移築しました。
縁板まで含め総朱塗りとした建物で、本尊は阿弥陀如来です。 -
庭湖館(左)と宮御殿(右)
庭湖館は江戸時代中期、大沢池畔に建てられた休憩所を明治元年(1868年)に移築したものです。
いずれも非公開。 -
中庭
こちらの庭には池があります。 -
中庭
霊明殿より、左手の建物は御影堂です。 -
正寝殿 重要文化財
桃山時代建立の書院造り。
重要文化財指定名称は「客殿」。
内部は大小12の部屋に分かれる。「上段の間」(御冠の間)には玉座があり、後宇多院が院政を行った部屋を再現しました。 -
正寝殿
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正寝殿
障壁画は狩野山楽および渡辺始興の筆。
安土桃山時代に織田信長は・豊臣秀吉は、自己の権勢と富を誇示するため、障壁画の御用絵師を狩野派に命じました。
その当時の手法は、金碧濃彩画と水墨淡彩画の2つに大別できます。 -
びっくり松の木
松の木ってのは、本当に凄いです。
育て方によって、無限の可能性を秘めた木ですね〜。
でもここまで育つのに、数百年の年月と、それに携わった庭師さんの努力あってのことだと思うと、感慨深いものがあります。 -
勅使門
伽藍の拝観を終え、大沢池を見に行きます。
この勅使門は外側から見たところです。 -
大沢池へ
道沿いに桜が咲き誇っていて、ちょっとしたトンネルのようになっています。
この先に池への入口が見えます。 -
大沢池
大覚寺の東に位置し、周囲約1kmの日本最古の人工の林泉(林や泉水などのある庭園)。
嵯峨天皇が離宮嵯峨院の造営にあたって、中国の洞庭湖を模して造られたところから、庭湖とも呼ばれています。
池中には天神島・菊ケ島と庭湖石があり、この二島一石の配置が、華道嵯峨御流の基本型に通じています。
池のほとりには、茶室望雲亭、心経宝塔、石仏、名古曽の滝址があり、国指定の名勝地となっています。 -
鐘楼
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心経宝塔
昭和42年(1967)、嵯峨天皇心経写経1150年を記念して建立されました。
宝塔の基壇内部に如意宝珠を納めた真珠の小塔を安置。宝塔内部には秘鍵大師(弘法大師)の尊像を安置してあります。
大沢池のほとりに位置し、嵯峨野の四季の風景にとけあった朱塗りの端正な姿が美しい。
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護摩堂?と桜
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天神島にあった巨木
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大沢池と菊島
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鴨?
たくさんの鴨が目の前をちょこちょこと横切って、大沢池に入って行きました。 -
大沢池
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大沢池
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大沢池
ちょうど池の反対側まで来ました。
正面に見える建物がかなり小さく見えます。 -
大沢池
雨が降っていたので、池への映り込みが無かったのが少し残念。 -
大沢池
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大沢池
この旅行記のトップ写真。
やっぱり大沢池と伽藍、それに桜を入れたかったので、この写真になりました。 -
大沢池
どういう角度から撮影したら、いい感じで撮れるかな〜と思って、いろいろ試してはみるものの・・・。
なかなか上手くいきませんな〜(-。-)y-゜゜゜ -
大沢池
この旅行記の写真は全部チビデジで撮りました。
久しぶりに使ったので、使い方を忘れていたりして、うまく使いこなせませんでした(^_^;)
やっぱり普段から使いなれたカメラの方がいいですな〜・・・。
★ おしまい ★
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