2008/07/19 - 2008/07/19
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SUR SHANGHAIさん
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この日の前半戦では、寧夏回族自治区の固原に来た第一目的の須弥山石窟の見学を終えたSUR SHANGHAI。
お次は黄鐸堡古城、戦国秦長城、固原博物館に向かうべく、この日雇ったタクシーの運転手さんに車を進めてもらいます。
固原から、須弥山石窟、黄鐸堡古城、戦国秦長城、固原博物館を一日回ってもらったお値段は駐車料金などを含めて200元。
安全運転してくれるだけでなく、いろいろとこのあたりの事まで教えてくれる女性運転手さんでよかった〜。
紹介してくれた永祥賓館のマネージャーにも感謝!
さあ、この日の後半戦はどういう展開に?
表紙の画像は、戦国秦長城のそばに咲いていた薄紫色のアザミの花。
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前編で須弥山(しゅみせん)石窟を見終わったSUR SHANGHAIは、お次の黄鐸堡古城、戦国秦長城、固原博物館へと向かってもらいます。
このルートを一日回ってもらったタクシー料金は200元(駐車料金など込み)。固原での宿になった永祥賓館で紹介してもらったタクシーでした。
この朝、須弥山石窟へ向かう途中でも見かけたモスクでちょっと停まってもらったSUR SHANGHAI。
一見すると仏教寺院のようですが、ドームがついているのでモスクだと分かります。
こんな民家も無い道の脇になぜポツリとモスクがあるんだろうと思ったら、画像左側の高台に回族の集落がありました。 -
須弥山(しゅみせん)石窟がある方向の乾いた山を望む川のほとり。
干上がり始めてひび割れた赤い土。
乾いた風土のどこから流れて来る水なんだろうと不思議に思う。 -
前編で須弥山(しゅみせん)石窟へ向かう途中、運転手さんが「あれは万里の長城の一部。」と教えてくれた場所をまた通る。
運転手さんによると、近年になってからその歴史的価値が知られるようになったんだそうです。
フロントガラスの反射で見苦しくなってますがお許しを。
数百mくらいしか残っていないし、遠目に見ると崩れかけた岩山と同じ色なので、万里の長城とは思えない。
それでもよく見ると、人工的に造られたように見える部分もあった。
これから行く戦国秦長城から枝分かれして造られた長城だったのかも。 -
車道に麦を敷き詰める作業をしている回族の女性たち。
その上を車が通ると脱穀されるんだそう。
米作をしている地方では、稲もこうして車道に敷き詰める光景をよく見かけます。 -
須弥山石窟からお次の戦国秦長城へと向かう途中の道筋にあるのは、黄鐸堡という村にある黄鐸堡古城。
須弥山石窟からほんの数km、固原寄りに戻った道の脇にありました。
観光客を連れて回っているタクシーの運転手さんは、若い女性ながらいろいろと知っているようで、黄鐸堡古城も秦の時代に造られた町だったと教えてくれました。
注: 中国語の「古城」は、「古い町」の意味。日本語で言う意味の「古いお城」があるとは限りません。
この黄鐸堡古城は、町を取り囲んでいた城壁だけが残っている所でした。
これはその城壁の外側部分に造られた穴。
寧夏回族自治区南部にも数多い洞窟住居の窰洞(ヤオトン)の廃墟かと思って覗き込んでみたら、これは窯跡のようでした。 -
黄鐸堡古城の城壁を外側から見る。
この城壁も、今ではほとんど崩れかけているし、土をほじくり返した工事現場のようにしか見えない。
周りがヒマワリ畑になっているのもなぜか物悲しい眺め。
SUR SHANGHAIはちょっと中に行ってみます。 -
周りがヒマワリ畑になってしまっている黄鐸堡古城。
その中でも一際高く背を伸ばして、日の光を浴びていたヒマワリの花。 -
城壁だけが残る黄鐸堡古城に入る前に、周辺に広がる景色を振り返る。
遠くに見える乾いた山並み。
その麓に集落らしい赤い屋根が並ぶ景色。
ヒマワリ栽培がこの辺の農家の収入源? -
黄鐸堡古城の城壁内側に立ったSUR SHANGHAI。
聞こえてくるのは、すぐそばの車道や遠くの道を走り過ぎる車の音。
こういう遺跡に立つと、以前の栄華のイメージと現在のこの衰退のありさまが、栄枯盛衰という言葉を思い出させてくれる。 -
黄鐸堡古城の城壁内側。
今では風除けの塀のようになった城壁に囲まれた部分は耕作地。
ヒマワリ畑のほか、ここに写っているのはゴマ畑。
ぐるりと巡らされたその城壁の長さは目測1kmちょっと位、かな。
昔はここにも家々が立ち並んで、人々が賑やかに暮らしていたのが幻のように目に浮かぶ。 -
黄鐸堡古城の城壁の破れ目から外側を見る。
ここに町が造られた時代には、固原と須弥山石窟とを結ぶ道筋の要衝だったかも知れないのに、今はただヒマワリ畑が延々と続く栄華の跡。 -
遠目に見ると工事のために土を寄せたように見える黄鐸堡古城の城壁。
近くに寄って見ると、明らかに人工的に造られたというのがはっきり分かる部分もありました。 -
黄鐸堡古城の内側に造られた農道を歩いてみたSUR SHANGHAI。
ここにはこれからもヒマワリが植えられるんだろうな…。 -
黄鐸堡古城の城壁の外側も全部ヒマワリ畑。
ちょっと農作業も一休み?の人々がトラクターの荷台近くに集まってきた。
近くの町に出た人が頼まれ物を買ってきて、それを分配していると言った雰囲気。
この画像ではちょっと見えにくいんですが、女の人たちは皆ショールをかぶっています。
やはり寧夏回族自治区と名が付く土地だけあって、この周辺の住民は回族が多いようです。 -
この朝、固原から須弥山石窟に向かった時にも通った楊郎の料金所をまた通って、今度は戦国秦長城へ。
楊郎は、省道クラスの101号線上の町。 -
上記の楊郎料金所から戦国秦長城へと向かう道筋。
道の脇にまたヒマワリ畑があったので、またまた寄り道してもらったSUR SHANGHAI。 -
ヒマワリの花って、本当にお日様の色だね。
ミツバチも来て止まる花の上。
同じ色だから、ちょっとどこにいるのか分からなくなっちゃった。 -
さて、戦国秦長城の上に到着して、SUR SHANGHAIはその上に立っておりますと言っても、土手の上にいるとしか思えないその長城の佇まい。
SUR SHANGHAIはこれまでにも土手のような姿の万里の長城を見ていたのでこれはこれでよかったんですが、北京近郊の八達嶺の長城を想像して行く人はガッカリするかも。
万里の長城と一口に言っても、場所によってその姿はさまざま。
八達嶺の旅行記は未アップですが、司馬台長城、万里の長城の最西端の様子と比べてみたい方は下記も併せてご覧ください。
★北京小旅行(1) −司馬台長城の初雪
http://4travel.jp/traveler/casa/album/10213709/
★初夏の記憶(4) −甘粛省 万里の長城の最西端へhttp://4travel.jp/traveler/casa/album/10078052/ -
戦国秦長城があるのは、今はなだらかな起伏を持つ畑の真っ只中。
戦国時代に秦の恵文王によって造られたというこの長城は長さ200km、高さは約4m。
土を付き固めただけの長城で、土手のようにしか見えないのですが、これでも北方異民族の侵入に役立ったのだそう。
今では車道を通すために、途中はこんな風に分断されて切り通しになっていたりします。
道端に停まっている赤い車は、この日SUR SHANGHAIが雇ったタクシー。
これと同じように長城を切り崩して鉄道や車道を通してある所は、ここ以外にも多数あります。 -
途切れ途切れになった戦国秦長城のすぐ足元にも作られた耕地。
このままだと長城がどんどん削られて無くなってしまいそう。
あとで畑にも下りてみたところ、ジャガイモ、ゴマ、トウモロコシなどが植えられているのに気付きました。 -
戦国秦長城を下りて畑の中の道を歩く。
ゴマ畑の向こうにいるのは、SUR SHANGHAIが雇ったタクシーの女性運転手さん。
生まれ育ったのは、寧夏回族自治区の首府銀川寄りの回族が多い土地だそうですが、自分は漢族だと言っていました。
ずいぶん若い女性でしたが、前編の須弥山行きの旅行記でも書いたように、色々と教えてもらえて勉強になりました。ありがとうございます〜。m(_)m
このゴマ畑のゴマも、彼女によると、加熱せずに和え物に使える質のいい油を絞るためのゴマなんだそうです。
その運転手さんの後にあるのが戦国秦長城の一部。
こうして見ると、この長城の高さがよく分かると思います。
上に立って見ると、長城の傾斜はずいぶん緩いように見えましたが、こうして下から見ると、武装して馬で一気に駆け上るのはどうかなと言った感じ。
北方異民族侵入に役立ったというのも分かる気がします。
もちろんこれだけでは侵入を目論む異民族撃退にはならないので…、 -
…ところどころに烽火台の設置してある戦国秦長城。
この画像だと、延々と続く長城右手にぽっこりと盛り上がっている場所がそう。
遠く左手の方にもうっすらと二つ見えています。
異民族が押し寄せて来る気配があれば、ここからのろしを上げて援軍を頼んだに違いない。 -
戦国秦長城の烽火台は一定の距離を置いて造られているようでした。
これは、長城からちょっと離れた所にある烽火台。
電信柱の右に盛り上がって見える場所がそう。
このほかにもいくつか確認できました。 -
戦国秦長城のそばには墳墓も並んでいた。
草が生え墓碑も無い墓は、土に帰るという言葉がふさわしい。
ただの土の盛り上がりにしか見えないこの場所も、清明節(中国のお墓参りの日、現在は新暦の4月5日)には誰かがお参りに来るらしい。
風雨に晒されて赤い色が落ちたお札のような紙が何枚も小石の下に置かれていました。 -
戦国秦長城そばには、こんな紫色のアザミの花が多かった。ちょっと蛍光色っぽいその色。
アザミと言うと、もっと赤っぽい色だとばかり思っていたSUR SHANGHAIには珍しい。
ふと覗き込んだ花の上では、縞々の模様を持った虫たちがコミュニケーション中。 -
朝出発した固原の街へ戻る道。
途中にはちょっと工事中の場所もあったけど、最近の中国の道はずいぶん立派になった。
固原まであと5km。
運転手さん、次の固原博物館が今日のお仕事の最後だから、おしまいまで安全運転してね。 -
戻ってきた固原の街にある固原博物館。
固原は長安(現在の西安)から出たシルクロードの北道が通っていた道なので、この博物館にはシルクロード関連の展示があります。
所在地は西城路133号。
お、立派な外観! と思ったら、実際に展示が置いてあるのは一部の部屋だけでした。これから展示品が増えていくのを期待します。
見学は8:30〜12:00、昼休みを挟んで午後は14:30〜18:00。
無料でしたが、入場には身分証が必要でした。
入り口で提示して来客簿に記入するのでパスポートをお忘れなく。
SUR SHANGHAIはたまたまパスポートを持ち歩いていたので、ホテルに戻らずに済んでラッキー。 -
固原博物館の展示品の撮影は不可だったので、説明書きに出ていた画像でご紹介。
このポスターの左上に出ている金属製の壺は、固原市原州区の郷深溝村で発掘された李賢夫婦の合葬墓の副葬品で、ペルシャ渡来のお宝。
右手の方に出ているガラス碗は、日本の正倉院のガラス碗を思い出させる…。
今は寧夏回族自治区の片田舎になっている固原も、昔はシルクロードの中継点として栄えていたのがよく分かる物品。
固原博物館にはそのほかにも…、 -
…シルクロード北道の中継点だった過去を示すかのような文物の展示品がありました。
08年7月現在だと、固原博物館の展示品の数はそれほどでもありませんでしたが、お時間があればちょっと寄ってみては?
上の方でも書いたように、パスポートはお忘れなく。 -
固原博物館にあった、地名がすべて中国語で出ているシルクロード図。
シルクロードは、中国語だと絲綢之路と言います。
画像をクリックして元画像で見ても地名がはっきりしない部分があるかと思いますが、その時には一旦コピーで保存して、さらに拡大すると見えるようになると思います。 -
今日一日、固原周辺を回ってくれたタクシーの運転手さんともお別れ。
安全運転+気さくな人柄、それにこちらが聞かなくてもいろいろと教えてくれる女性運転手さんで感謝、感謝。
宿になった永祥賓館がある文化街は、バス・ターミナルもある広い通り。
その一画には、回族のおじさんが野菜を売っている所もありました。
手前に見えているのは、辛い種類のピーマン、かな。
炒め物によく入ってきますが、普通のピーマンだと思って食べると、その辛さに驚きます。 -
固原のバス・ターミナルや、SUR SHANGHAIが泊まった永祥賓館がある文化街。
この通りには、ご覧のように宿も大小並んでいました。
右手の白いホテルの1階部分に≪清真小吃城≫という看板が見えていますが、これはイスラム教の教理にのっとって作られたスナックや食事を出す場所のこと。
中には小さい食堂やお持ち帰り用お惣菜を売るお店が入っていました。 -
これも同じく固原の文化街界隈。
SUR SHANGHAIが泊まった永祥賓館は画像奥に見えている背の高いビルで、文化街20号。
08年夏前に出来たばかりの宿で、新しい設備でした。
その手前に見えている低い白いビルに固原のバス・ターミナルのチケット売り場が入っています。
表からは小さく見えますが、裏手がその乗り場になっていましたよ。
さ、これで固原周辺を見終わったSUR SHANGHAIは、翌日は次の目的地の甘粛省慶陽の西峰へとバス移動します。
過酷なバス旅になったその様子は次編へと続きます。
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この旅行記へのコメント (2)
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- houjun2さん 2008/12/18 16:47:08
- ★脱穀ですか
- SURさん
ご無沙汰しています。
中国ってめちゃめちゃ広いんですねぇ。
遠い昔のことならなんでもあるような感じ。
この画像は、現代とその昔が混ぜ合わさったような。
脱穀の後、かき集めるのも一苦労だし、ロスも多い。
よほど沢山の麦(米)を並べないと・・・
houjun2
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2008/12/20 10:44:39
- RE: ★脱穀ですか
- おひさしぶりです。(*^^*)
大きな幹線道路ではこれと同じように麦や米を敷き詰めるのは禁止になったと聞いたような気がしますが、地方道ではご覧の通り。
ここだけではなく、中国各地、それにアジアの他の国でも見た記憶があります。
茎から籾殻の付いた実を外す脱穀と言う作業に、ものすごい手間をかけるものだと思いますが、見たのはここだけではない事を思えば案外効率のよい方法なのかも知れません。
日本の千歯扱きのような農機具は無いんでしょうかね。
実が車の重みでつぶされてしまうんじゃないの?と思っても、それも無いようで、箒で掃き集めている光景も見られました。
それを今度は籾殻を外す作業に持って行くのかと考えると、本当に農作業は重労働。
お百姓さんたちに感謝しなくてはいけませんね。
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