2005/04/30 - 2005/05/04
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旅人のくまさんさん
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4月30日(土)の旅行写真の続きです。世界遺産の宗廟(チョンミョ)と、その北側にある昌慶宮(チャンギョングン)の見学です。
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秀吉軍に大部分を破壊されたと伝えられますから、この広い空間には、復興されていない建物もあったかも知れません。正門が右手(東)です。
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長い塀が続き、その一角に楓がありました。この季節、紅葉ではありません。新緑ですが、赤芽がひときわ目立ちます。
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かえでの位置から通路側を写した一枚です。木漏れ日がやさしい芝生の上で、弁当を拡げる家族の姿もありました。
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ひときわ目立つ老木は柏でしょうか?この王宮の歴史を物語るような枝振りです。幹の上部は無くなり、枝別れした部分は、枯れ木を思わせます。
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八重咲きの山吹でしょう。一重より遅い開花になります。山吹の季語は面影草、かがみ草、八重山吹、濃山吹、白山吹など色々あります。
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先程紹介した楓のアップです。まだ芽吹いていない冬木立と、緑の新緑の中にありました。
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天井の緑と、柱の朱色を基調とした渡り廊下です。1592年の破壊から約400年を経ての復興ですから、建物建築に関する文献調査などが大変だったことと思われます。
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賓陽門の掲額は新しく、近年再建されたことを窺わせます。明政殿に向かう途中での写真ですから、西側にあったような記憶です。
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明政殿の石段の上からの眺めです。正面の門は弘化門ではなく、その手前の門です。石が敷き詰められた広場に、衣冠が勢揃いしたのでしょう。
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中国とそれをモデルにした韓国の王宮に共通の石段です。通行禁止の縄が張ってあるところが、皇帝だけが通行を許された場所です。
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堂々としたこの建物には、明政殿の文字があります。東に面した正殿です。おそらく、後世に残っていたのは、この石垣と石段だけでしょう。
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東側の門で、弘化門と呼ばれています。西側の昌徳宮など、全て王宮は南側に正門があるのに、東側です。その理由はまだ定説が無いようです。
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修復工事中の写真は、興醒めな面があります。しかし、修復なった後で眺める時に、特別の感慨が涌くこともあります。
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明政殿に近い方から、正一位、従一位、正二位と続いていました。新しい石標と、文字も読み取りにくい古い石標が混じっていました。
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出入口をカンバスにして眺めた正面の建物です。正門とは違う方角から見学を始めましたので、この建物が正殿です。
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軒先の垂木と柱の列です。再建する際に、国内だけでは木材が集まらなかったのではないでしょうか?日本でも、既に奈良時代に良材が不足していたことを、ある本で読んだことがあります。
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中央に日月の衝立が置かれた間です。昌徳宮にあった説明書きから類推しますと、ここに皇帝が座していたのでしょう。
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左手に崇文堂の額があります。学問に縁がありそうな命名です。その下で、説明員の方に話を聞かれているのは、地元、韓国の方々です。
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屋根が四方から大きく重なり合っていた場所です。遠くには新緑の林が続いていました。原生林へと続くようです。
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慶福宮、昌徳宮が余りに有名なので、こちらの昌慶宮まで脚を伸ばす人は少ないようです。日本人観光客とは、ほとんど出会いませんでした。
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芝生の間に菫が満開でした。推敲は後にすることとして、『菫咲く国の近さを亦思う』とメモ代わりの俳句を詠んでおきました。
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いかにも重そうな甍を乗せた涵仁亭です。地震の多い日本だったら、真っ先に被害を受けてしまいそうな造りです。
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全体に黒ずんだ感じの建屋に、歓慶殿の古い額がかかっていました。ひょっとしたら秀吉軍の被害を受けずに残った建物かも知れません。
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落ち着いた朱色の壁と、大きく伸びた赤松の対比が面白い場面でした。赤松も下の方には葉が無く、幹の赤さを競っているようでした。
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余り大きく無い長屋風の建物です。昌徳宮などと比較してみますと、下級官吏か、女官たちの住居だったかも知れません。
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少し離れたところからズームでの撮影です。養和堂の文字が読めました。余り大きい建物ではありませんが、洒落た色合いと、欄干の造りです。
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羽根のところに白い模様があるカササギです。人が近くにいても、平気な顔をしていました。余り人見知りをしない個体のようでした。
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同じ方向に傾斜した松の木の間から眺めた廟の建物の1つです。養和堂の文字が微かに読み取れる掲額がありました。
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