基隆旅行記(ブログ) 一覧に戻る
<2004年3月27日(土)><br /><br /> 昨晩、ホテルに戻ったのは0時を少し回っていました。テレビだけは点けてみましたが、その時点では強制排除の報道はありませんでした。おつまみ無しでオールドパーの水割を一杯だけ飲んで、その日は就寝しました。<br /><br /><朝のテレビ報道><br /> 今朝一番にテレビを点けましたら、座り込みの不意を狙って強制排除が行われたことを繰り返し報道していました。昨晩見た大型のクレーン車は、予想通りバリケードの横に設置された演台を吊り上げて撤去するためのものでした。その場面のビデオも報道されていました。<br /> 総統府前の広場では、概ね平穏に退去が進んでいましたが、女性の方は、かなりの抵抗を見せていました。大の字に仰向けに寝て強制排除に抵抗したり、仲間同士で手を繋ぎあって、ごぼう抜きに対抗していました。テレビでも眼に涙を浮かべた女性達を繰り返し放映していました。<br /> ご年配の男の人は、若い機動隊員に説得するように話しかけ、聞き入っていた若い機動隊員と握手をして退去する場面も報道されていました。若い機動隊員は、上官の命令に従って職務を遂行する義務に従ったものであり、出来れば強制排除はしたくないといった雰囲気も一部に窺えました。少なくとも、棍棒を振り回すような機動隊員は報道されませんでした。<br /> 総統府前広場を退去させられた民衆は、近くの中正紀念堂に集結を始めているとの報道もされていました。上空からの取材もされていて、昨晩のことが鮮明に思い出され、感慨深いものがありました。<br /><br /><雨の基隆へ><br /> 総統選疑惑を巡る状況は、一旦は収束の方向に向かったことを見届け、午前中は「雨の基隆見学」に出掛けることにしました。台湾北東部の港町です。<br /> 昨日、台北駅で基隆往きの電車の時刻を調べてみましたが、普通電車を含めると、15分から20分おきに出ていることが判りましたので、あえて時刻などはメモを取りませんでした。ただし、どこの売り場で切符が手に入るのかは判断が付きかねていました。<br /> それで、適当に見当を付けた窓口でキールン往きの切符を買おうとしましたら、反対側の売り場に回ってくださいと指差しで教えてくれました。ところで「基隆」はキールンとばかり覚えていましたが、台湾では「チーロン」あるいは「ジーロン」と発音しているようでした。ただし、基隆駅前で見掛けた観光案内版には、英語表示で「キールン」と併記してありました。こちらの呼び方でも通じるようです。念のために「台北〜基隆 1枚」と書いたメモを用意しておきました。<br /> 台湾の国鉄は、前回、台北から台中に小旅行をした時に使ったことがあり、乗り方には大体の見当が付いていました。しかし、今回はどうしても理解できないことが、1つありました。目的の電車は時刻通りやってきましたので、それに乗車しましたら、途中の松山が終点駅だったことです。松山は新しい中正国際空港が出来る前は国際空港があった場所です。<br /> 仕方なくこの松山駅で降りて次の電車を待っていましたら、ほかに列車待ちの人がいて、駅員さんが「このホームで待っても次の電車はこない」と言うように別のホームを指差していました。台湾語が聞き取れたたわけではないですが、それと無く理解できたので、私も渡り階段を上って基隆往きのホームを探しました。<br /> その咄嗟の判断が合っていたようで、キールン往きのホームが見つかり、程なく列車に乗ることが出来ました。しかし、これだけでは、問題が解決しませんでした。<br /> 車内には空き席がありましたので、適当に空いた席に座りました。しかし、座席指定の電車のように思えましたので、改札に来た車掌さんに、座席指定券を買おうと「キールン」と言って乗車券を見せました。しかし、車掌さんはしばらく考えた後で、「この電車は特急電車で基隆駅には止まりません。基隆に行くには、その手前の七猪で普通電車に乗り換えなさい」と英語で教えてくれました。七猪駅がわかったのは、「七」の発音が「チー」で見当を付けました。私の持っていた地図でも確認できました。<br /> 車掌さんは「3つ目の駅です」とも教えてくれました。特急料金は50元ほどでした。台北から基隆までの乗車券が43元でしたから、倍の料金になってしまいました。と言っても併瀬手3百円ほどです。<br /> これで安心して、車窓の景色を楽しんでいましたら、最後にもう一つハプニングがありました。2つ目の駅だと思って座席に座っていましたら、斜め向かいの席の女学生さんが「此処が車掌さんの言っていた七猪ですよ」と英語で教えてくれました。<br /> あわてて通路のドアを開けようとしましたら、それが開きませんでした。席を立って赤いボタンを押して開けてくれたのは、その女学生さんでした。車掌さんと私の会話を聞いてくれていたようです。思わず「サンキュウ」と挨拶をして、あわてて列車を降りました。その女学生さんは、向かいの席で美味しそうに弁当を食べていましたので、つい、そちらに目が行っていた人でした。それは、中華風の手造り弁当でした。<br /> 発車までに時間があるらしく、先ほどの車掌さんと、あわてて降りたホームで出会いました。それとなく、乗換えを心配してくれていたのかも知れません。その電車を見送った後、同じホームにやってきた普通電車で、無事、基隆に到着することが出来ました。旅の楽しさは、こんな親切に出会ったときが一番です。<br /><br /><基隆到着><br /> 途中、2回乗換えで基隆にやってきましたが、特急にも乗りましたので、時間的には台北を発って1時間少しか経っていませんでした。初めての基隆は、希望通りの小雨が降り続いていました。それは霧雨に近いものでした。改札口を通る前に、ホームから何枚かの写真を撮りました。<br /> 階段の上り下りも無く、改札口を出ました。地図で確認しますと、特急電車を乗り換えた八猪の駅の東で、本線と別れた引込み線になっているようでした。一旦、駅前広場に出てみましたら、観光客目当ての黄色いタクシーが構内一杯に並んでいました。早速2、3人の運転手さんに声を掛けられましたが、「ノー サンキュウ」で済みました。<br /> 駅前の様子が分かりましたので、もう一度駅構内に戻って、参考になる場所などの写真を撮りました。列車ダイヤや、構内平面図などです。そのついでに、駅前の観光案内看板なども写真に収めました。先ほどのタクシー運転手さんは、もう寄っては来ませんでした。<br /><br /><基隆の駅前、港><br /> 基隆の街で最初に目に付いたのが屋根付きの横断歩道です。かまぼこ型のこのトンネルは、傘が無くても広い通りを横断でき、目的の方向へ進むことが出来ました。この横断報道の一角では傘を売る人が店を出していました。<br /> 歩道橋の隙間から町の様子が観察でき、駅前広場はそのまま埠頭に続いていることも分かりました。港には大型のフェリーや、近くの島巡りの観光を目的にした小型船も、所狭しと係留されていました。港に面したビルへも横断歩道橋は続いていましたので、ここからの港風景を楽しむことが出来ました。国内旅行と思われる若い人達も、この場所からの眺望を楽しんでいました。<br /> ガイドブックで確認しますと、大型のフェリーは台湾南部の高雄や日本の沖縄までの国際航路の出発点になっていました。高雄、台中、花蓮と並ぶ4大国際港の一つに数えられています。<br /> 今回の基隆小旅行は、次回の旅に備えての様子見程度と考えています。次に立ち寄った時は、屋台で海鮮料理を楽しみたいと思っています。ガイドブックにも「常設の屋台が並び、夜市が開かれている」と記されていました。<br /><br /><基隆のお寺><br /> 横断歩道橋を降りたところからは、アーケードに続いていました。その先は地下道を潜って向かい側の商店街に行くことが出来ました。傘無しで簡単な市内散策が出来ました。<br /> アーケードから地下道を潜る手前に小さな寺院があり、そこに立ち寄りました。観光ガイドにも載っていない道教のお寺でした。地図で確認しますと、忠一路と呼ばれる港に面した通りでした。お寺の中の写真を撮るのは憚れましたので、外から正面の写真を撮った後、カメラを仕舞って中に入りました。日本で言えば村社(むらやしろ)や氏神様(うじがみさま)といった、地元の人が守るお寺でしょう。<br /> 暗いお寺の中では、数人のお年寄りが詰めており、地元の参拝客らしい人も数人いました。造りは、決して立派とは言い難いですが、大切にされていることが見て取れました。壁に面して三国志の英雄みたいな像が何体も安置してありました。<br /> もう1つのお寺は、この忠一路から直角に入った孝二路に面した場所にありました。こちらはかなり規模が大きく、ガイドブックにも「慶安宮」と記されていました。ビルに囲まれたお寺の境内は、周りの商店と境が明確に区分されていなく、駐車場に自由に使われていました。屋根飾りなどが大掛かりで、軒に吊るされた行灯にも、細かい細工が施されていました。<br /><br /><基隆の街角で><br /> 基隆の街の散策で一番目に付いたのは、豊富な海と山の幸に恵まれた街であると言うことでした。ガイドブックで一番の繁華街と紹介されている仁三路、愛三路付近を散策しましたが、常設のお店と併せて、道一杯に行商の店が並んでいました。<br /> その店で扱われていたのが、近海物と思われる魚介類と、南国を思わせるフルーツの山でした。魚は日本でもおなじみの秋刀魚、鯖、鰯、烏賊などのほか、この海域に棲むと思われる、見たことの無い魚も並んでいました。干物などの加工品は少なく、氷詰めにされた鮮魚が主に並べられていました。<br /> 豊富なフルーツや野菜類では、パイナップル、スイカ、西洋梨、イチゴ等の他、日本国内ではお目にかかれない独特の品々がありました。その1つが「現吃」と言う凹凸がある濃い緑の果物でした。大きさはメロンほどで、先が細くなっていました。切り身が展示してなかったので、推測するほかはありませんが、毎朝ホテルで出される少し歯ごたえのあるさっぱり味の果物ではないかと思いました。<br /> トマトによく似た「黒柿」も山盛りにされていました。華西街観光夜市のお店で、サービスとしてデザートに出してもらったので、こちらは試食済でした。見た目は熟していないトマトのようですが、食べてみると歯ごたえがあってフルーツ感覚でした。甘みは少ないものの、飲んだ後のデザートには好適でした。「黒柿」がトマトの品種の1つなのか、別の種類に属する植物(果物か野菜かの区別が付かないのでこう呼んでおきます)であるかは、今でも判然としません。<br /><br /><バスの待合室で><br /> 基隆から台北までの帰りは、高速バスを利用しました。基隆駅に到着した時、駅に隣接してバスターミナルがあることを知り、その時点で往きとは別の交通機関を利用しようと決めていました。<br />台北市内は料金が一緒だろうと判断し、窓口では「台北」とだけ告げて切符を入手しました。この窓口には列は出来ていませんでしたが、バス乗り場には50人以上の列が出来ていました。指定席ではなく、すべて自由席でした。待合用の座席は無く、その列の一番後ろに並びました。10分間隔くらいで、台北行きが発車していました。<br /> ほとんど同時に、早足で列に進んだ学生さんが、私より前に並んだ時、一緒のグループの学生さんたちが、その学生さんに対し、私の方が前だと言うようなしぐさをして、自分たちと一緒に並ぶように促した。私もその意味がわかったので、後ろに回った人とその友達に対し、「謝謝」とお礼を言って、その前に並ばせてもらいました。男子高校生といった年頃のグループでした。<br /> 1台目のバスは列の直前で満車になり、次のバスを待ちました。そのバスもまもなくやって来て、らくらく座ることが出来ました。往きとは違う景色を眺めながら、1時間余りのバスの旅を楽しみました。急行列車に間違えずに乗れば、その方が早いかもしれませんが、各駅停車の普通電車であれば、ほとんど時間は違わないようでした。<br /><br /><台北駅南での昼食><br /> 台北駅が終点のバスでした。基隆から乗った人達も、大勢が終点の台北駅や、その他の台北市内まで乗っていました。終点の台北駅で降りた後、地下道を潜って南側に向かいました。以前泊まったことがあるヒルトン・タイペイの方角です。まだ昼食を済ましていませんでしたから、まずは腹ごしらえです。<br /> 台北駅から大きい道路を挟んだ南側の一帯には、予備校や進学塾が沢山あり、学生さん達の街になっています。平日の昼間から賑わっていて、大衆食堂も多くあります。セルフサービスの店もあり、どの店も安い値段です。そんな一軒の店に入りました。その店の名前は「妻籠拉麺(ラーメン)」でした。日本からの出店ではなく、日本に住んでいた人が経営している店のように思えました。<br /> 昼の時間を少し回っていましたが、店の中は学生さん達で結構賑わっていました。それでも隅の方に席が取れましたので、この店の150元の特製ラーメンと50元の麒麟麦酒の缶を頼みました。特製ラーメンの名前は「翡翠海鮮麺」でした。残念ながらスーパードライは置いてありませんでした。学生さんたちは、もっぱらコーラなどを飲んでいました。こちらはサービス品です。<br /> ラーメンの味は申し分なく、スープも飲めるよう、木製の大きな蓮華(レンゲ)も付いていました。蓮華というより柄杓(ひしゃく)です。この一帯は、学生さん達の街だけあって、店の周りだけでなく、道路沿いには隙間無くバイクが停めてありました。 その向かいには、お馴染みの看板のセブンイレブンの店がありました。1年半前よりは大分、店の数が増したようです。今回の旅行では、探すまでも無く、あちこちで見かけました。<br /><br /><台北駅の地下街で><br /> 昼食を済ませた後、今度は台北駅の南側から地下街に潜りました。台北駅からMRTに乗って士林か剣譚まで行き、そこからタクシーで故宮博物院へ行くためでした。その途中で、故宮博物院の展示案内「古道」が開かれていましたので、一通り見学をしました。<br /> 展示してあったのは陶磁器類、青銅製品のほか書画も少しだけありました。地下街での展示なので、貴重な本物が置いてあるわけはありません。しかし、いずれもよく出来たレプリカです。その旨「複製品」と表示がしてありました。<br /> レプリカが作成されるのは、すべて際立った展示品に限られますので、一通り撮影をしておきました。本物とレプリカの相違と言った点での比較は、今後の楽しみです。<br /> 1年半前の旅行の時に、地下商店街のシャッターに描かれていた絵が面白くかなりの数の写真を撮りました。今回は、更にその数が増えていました。増えたのは、通行人からの評判が好評だったためでしょう。京劇のマスクのような絵を何点か収録しておきました。残念ながら、一気に増えたためか、雑で見映えのしない絵も多くありました。<br /><br /><故宮博物院><br /> 「古道」の見学を終えた後、MRTで士林駅まで行きました。ひっきりなしに電車が出ていて、10分ほどで到着しました。以前、現地ガイドさんから「駅に停まっているタクシーは、ぼったくりが多いので、使わないがよい」と教えてもらっていましたので、流しのタクシーを捜しました。そのタクシーもすぐに見つかりました。地図を見せて「故宮博物院」を指差したら、すぐに了解してくれました。見覚えのあるいつもの道を、博物院まで向かいました。<br /> 社内で運転手さんに聞いたところによりますと、「私はいつもは中正国際空港付近で仕事をしています。英語ガイドの資格も持っています」と英語で話してくれました。ひげを生やした、がっしりした40代半ばと見える運転手さんでした。博物院の玄関近くで降ろしてもらい、小銭をチップで渡しましたら、「サンキュウ」と大きな声と笑顔で応えてくれました。<br /> 故宮博物院は、台北旅行の目玉になっていますので、何組もの日本人団体客を見かけました。それぞれにガイドさんが付いて、主要な作品を解説したり、ガイドさんと別れた後は、三々五々に展示物に見入っていました。<br /> いつもの事ながら、初めて見る主要な作品では、解説の後ろで聞いたり、気に入った作品では時間をたっぷり使って見学しました。今回の展示の目玉の1つが、玉製品と篆刻でした。また、書も豊富に展示されていました。<br /> 今回もフラッシュを使わない撮影なら、OKのコーナーがありましたので、篆刻や玉製品などを撮影しました。残念ながら、今回は陶磁器の展示は少なかった。戦国早期の生贄ワイン器は、先ほど台北駅地下街で本物そっくりのレプリカを見たばかりでした。<br /><br /><台湾の烏龍茶><br /> 3時間くらい掛けてゆっくりと見学した後、今回の故宮博物院見学を終えました。展示物もかなり入れ替えされていて、定期的な見学の楽しみが実感できました。ただし、名品中の名品は、繰り返し見たい思いも残りました。<br /> 外に出ると小雨が続いていましたが、傘をさすかどうか迷う程度の霧雨になっていました。タクシーを探そうと玄関近くで待っていましたが、今回も剣譚駅近くのお茶屋さんが来ていて、声を掛けられました。<br /> 『お茶を届けた帰り道なので、100元で駅まで送ります』<br /> のせりふも一緒でした。しかし、いつもの人とは違う人でした。予想したとおり、日本語で<br /> 『MRT駅の近くでお茶屋をやっていますので、お店に立ち寄りませんか?』<br /> と、声を掛けられました。最初はMRT駅までと約束して乗せてもらいましたが、こちらも予定の内なので<br /> 『お店に立ち寄ってもいいですよ』<br /> と、返事をしました。こちらでも白タクは規制されているでしょうから、前の席に座ってシートベルトをしました。これもいつも通りのことです。そのお店も予想した通りの場所でした。車を降りる時に<br /> 『前に何度か来たことがありますよ』<br /> と、話しましたら、少し吃驚されていました。お店の中も変わっていませんでしたが、お茶を淹れてくれる人は交代されていました。手前の席が中年の女性の方、奥の席では少し若い男性の方が準備をしていました。手前の席に座って、<br /> 『烏龍茶だけでいいので、一番美味しいのを出してください』<br /> と、注文しました。淹れてくれたのは鉄観音と高山烏龍茶でした。香りと味を確認した後、「高山烏龍茶」の方の値段を確認しました。明らかに香りが違っていました。<br /> 『アリサンの1500m以上の海抜で採れるお茶は不作で、最上級品は少しか残っていません。500グラム入りで1万2千円です』<br /> と言って、その棚を示してくれました。残っていたのは真空パックの6袋だけでした。前回の時には大きな茶缶から掬ってくれたお茶です。先ほどの試飲も、同じパックからのものでした。<br />結局、4パックを購入することとし、そのうちの半分はその場で 100グラムに小分けして、真空パックに詰め替えてもらいました。帰りに空港の免税店で別の高山烏龍茶を買い増しましたが、この店では予定の買い物でした。その場で試飲したうえでパックしてもらわないと「春一番の手摘み、手もみ」の本物の味は楽しめないようです。<br /> 半分ほどをお土産にプレゼントしても、1年分は美味しい烏龍茶を楽しむことが出来ます。たっぷり茶葉を使って淹れた時の香り、少し薄い黄金色と、出し終えた後に開いた柔らかい枝先、葉先を見ますと、間違いなく本物であることが実感できます。<br /><br /><夜はいつものお店で><br /> 烏龍茶のお店での買い物の後は、車で最寄のMRT駅、剣譚まで送ってもらいました。故宮博物院からの約束事です。MRTでは台北駅で乗り換えて、泊まったホテルの最寄駅である忠孝復興で降りました。ホテルに戻って、テレビで抗議行動の状況を確認しました。総統府前広場での強制排除が執行された後、抗議行動は下火に向かっていました。<br /> 晩酌はいつもの華西街観光夜市の「伝統」の店です。暗くなってからMRTで出掛けました。昼の間にいろいろと飛び回りましたので、今日の予定はこれで最後です。店には、常連客の人達が集まっていましたが、私がいつも座っている壁際の二人掛けの席は空いていました。<br /> 通りに面したガラスのネタケースの品を指差して3品ほどを頼みました。昨日と同じ、蜆のような小さな貝のピリカラ煮、剥き蝦と野菜炒め、魚のあんかけソース煮などです。イサキを黒くしたような感じの魚でした。細かい料理の注文は出来ないので、味付けはすべてお任せです。瓶ビール1本の後に、常温の紹興酒1本もお決まりです。お店のママに覚えられてしまいました。<br /> 晩酌を終える少し前を見計らって、この日も小皿に果物のデザートをプレゼントしてくれました。これだけ飲んで、食べても2千円はかかりませんから、随分とお値打ちです。日本であれば、紹興酒1本だけで3、4千円はかかりそうです。帰りは、通り道なので龍山寺に立ち寄りました。煌煌と明かりが灯って、今日も不夜城のような賑わいでした。<br /> さすがに紹興酒を1本空けた後では、名古屋空港で買って来たオールドパーが、なかなか減りません。この日も、就寝前にテレビを見ながら1杯の水割りだけでした。760ミリリットルや1リットルでなく、500ミリリットル程のボトルにしたのは正解でした。

2004春、台湾旅行記3(7):3月27日(1)基隆・雨のキールン

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

<2004年3月27日(土)>

 昨晩、ホテルに戻ったのは0時を少し回っていました。テレビだけは点けてみましたが、その時点では強制排除の報道はありませんでした。おつまみ無しでオールドパーの水割を一杯だけ飲んで、その日は就寝しました。

<朝のテレビ報道>
 今朝一番にテレビを点けましたら、座り込みの不意を狙って強制排除が行われたことを繰り返し報道していました。昨晩見た大型のクレーン車は、予想通りバリケードの横に設置された演台を吊り上げて撤去するためのものでした。その場面のビデオも報道されていました。
 総統府前の広場では、概ね平穏に退去が進んでいましたが、女性の方は、かなりの抵抗を見せていました。大の字に仰向けに寝て強制排除に抵抗したり、仲間同士で手を繋ぎあって、ごぼう抜きに対抗していました。テレビでも眼に涙を浮かべた女性達を繰り返し放映していました。
 ご年配の男の人は、若い機動隊員に説得するように話しかけ、聞き入っていた若い機動隊員と握手をして退去する場面も報道されていました。若い機動隊員は、上官の命令に従って職務を遂行する義務に従ったものであり、出来れば強制排除はしたくないといった雰囲気も一部に窺えました。少なくとも、棍棒を振り回すような機動隊員は報道されませんでした。
 総統府前広場を退去させられた民衆は、近くの中正紀念堂に集結を始めているとの報道もされていました。上空からの取材もされていて、昨晩のことが鮮明に思い出され、感慨深いものがありました。

<雨の基隆へ>
 総統選疑惑を巡る状況は、一旦は収束の方向に向かったことを見届け、午前中は「雨の基隆見学」に出掛けることにしました。台湾北東部の港町です。
 昨日、台北駅で基隆往きの電車の時刻を調べてみましたが、普通電車を含めると、15分から20分おきに出ていることが判りましたので、あえて時刻などはメモを取りませんでした。ただし、どこの売り場で切符が手に入るのかは判断が付きかねていました。
 それで、適当に見当を付けた窓口でキールン往きの切符を買おうとしましたら、反対側の売り場に回ってくださいと指差しで教えてくれました。ところで「基隆」はキールンとばかり覚えていましたが、台湾では「チーロン」あるいは「ジーロン」と発音しているようでした。ただし、基隆駅前で見掛けた観光案内版には、英語表示で「キールン」と併記してありました。こちらの呼び方でも通じるようです。念のために「台北〜基隆 1枚」と書いたメモを用意しておきました。
 台湾の国鉄は、前回、台北から台中に小旅行をした時に使ったことがあり、乗り方には大体の見当が付いていました。しかし、今回はどうしても理解できないことが、1つありました。目的の電車は時刻通りやってきましたので、それに乗車しましたら、途中の松山が終点駅だったことです。松山は新しい中正国際空港が出来る前は国際空港があった場所です。
 仕方なくこの松山駅で降りて次の電車を待っていましたら、ほかに列車待ちの人がいて、駅員さんが「このホームで待っても次の電車はこない」と言うように別のホームを指差していました。台湾語が聞き取れたたわけではないですが、それと無く理解できたので、私も渡り階段を上って基隆往きのホームを探しました。
 その咄嗟の判断が合っていたようで、キールン往きのホームが見つかり、程なく列車に乗ることが出来ました。しかし、これだけでは、問題が解決しませんでした。
 車内には空き席がありましたので、適当に空いた席に座りました。しかし、座席指定の電車のように思えましたので、改札に来た車掌さんに、座席指定券を買おうと「キールン」と言って乗車券を見せました。しかし、車掌さんはしばらく考えた後で、「この電車は特急電車で基隆駅には止まりません。基隆に行くには、その手前の七猪で普通電車に乗り換えなさい」と英語で教えてくれました。七猪駅がわかったのは、「七」の発音が「チー」で見当を付けました。私の持っていた地図でも確認できました。
 車掌さんは「3つ目の駅です」とも教えてくれました。特急料金は50元ほどでした。台北から基隆までの乗車券が43元でしたから、倍の料金になってしまいました。と言っても併瀬手3百円ほどです。
 これで安心して、車窓の景色を楽しんでいましたら、最後にもう一つハプニングがありました。2つ目の駅だと思って座席に座っていましたら、斜め向かいの席の女学生さんが「此処が車掌さんの言っていた七猪ですよ」と英語で教えてくれました。
 あわてて通路のドアを開けようとしましたら、それが開きませんでした。席を立って赤いボタンを押して開けてくれたのは、その女学生さんでした。車掌さんと私の会話を聞いてくれていたようです。思わず「サンキュウ」と挨拶をして、あわてて列車を降りました。その女学生さんは、向かいの席で美味しそうに弁当を食べていましたので、つい、そちらに目が行っていた人でした。それは、中華風の手造り弁当でした。
 発車までに時間があるらしく、先ほどの車掌さんと、あわてて降りたホームで出会いました。それとなく、乗換えを心配してくれていたのかも知れません。その電車を見送った後、同じホームにやってきた普通電車で、無事、基隆に到着することが出来ました。旅の楽しさは、こんな親切に出会ったときが一番です。

<基隆到着>
 途中、2回乗換えで基隆にやってきましたが、特急にも乗りましたので、時間的には台北を発って1時間少しか経っていませんでした。初めての基隆は、希望通りの小雨が降り続いていました。それは霧雨に近いものでした。改札口を通る前に、ホームから何枚かの写真を撮りました。
 階段の上り下りも無く、改札口を出ました。地図で確認しますと、特急電車を乗り換えた八猪の駅の東で、本線と別れた引込み線になっているようでした。一旦、駅前広場に出てみましたら、観光客目当ての黄色いタクシーが構内一杯に並んでいました。早速2、3人の運転手さんに声を掛けられましたが、「ノー サンキュウ」で済みました。
 駅前の様子が分かりましたので、もう一度駅構内に戻って、参考になる場所などの写真を撮りました。列車ダイヤや、構内平面図などです。そのついでに、駅前の観光案内看板なども写真に収めました。先ほどのタクシー運転手さんは、もう寄っては来ませんでした。

<基隆の駅前、港>
 基隆の街で最初に目に付いたのが屋根付きの横断歩道です。かまぼこ型のこのトンネルは、傘が無くても広い通りを横断でき、目的の方向へ進むことが出来ました。この横断報道の一角では傘を売る人が店を出していました。
 歩道橋の隙間から町の様子が観察でき、駅前広場はそのまま埠頭に続いていることも分かりました。港には大型のフェリーや、近くの島巡りの観光を目的にした小型船も、所狭しと係留されていました。港に面したビルへも横断歩道橋は続いていましたので、ここからの港風景を楽しむことが出来ました。国内旅行と思われる若い人達も、この場所からの眺望を楽しんでいました。
 ガイドブックで確認しますと、大型のフェリーは台湾南部の高雄や日本の沖縄までの国際航路の出発点になっていました。高雄、台中、花蓮と並ぶ4大国際港の一つに数えられています。
 今回の基隆小旅行は、次回の旅に備えての様子見程度と考えています。次に立ち寄った時は、屋台で海鮮料理を楽しみたいと思っています。ガイドブックにも「常設の屋台が並び、夜市が開かれている」と記されていました。

<基隆のお寺>
 横断歩道橋を降りたところからは、アーケードに続いていました。その先は地下道を潜って向かい側の商店街に行くことが出来ました。傘無しで簡単な市内散策が出来ました。
 アーケードから地下道を潜る手前に小さな寺院があり、そこに立ち寄りました。観光ガイドにも載っていない道教のお寺でした。地図で確認しますと、忠一路と呼ばれる港に面した通りでした。お寺の中の写真を撮るのは憚れましたので、外から正面の写真を撮った後、カメラを仕舞って中に入りました。日本で言えば村社(むらやしろ)や氏神様(うじがみさま)といった、地元の人が守るお寺でしょう。
 暗いお寺の中では、数人のお年寄りが詰めており、地元の参拝客らしい人も数人いました。造りは、決して立派とは言い難いですが、大切にされていることが見て取れました。壁に面して三国志の英雄みたいな像が何体も安置してありました。
 もう1つのお寺は、この忠一路から直角に入った孝二路に面した場所にありました。こちらはかなり規模が大きく、ガイドブックにも「慶安宮」と記されていました。ビルに囲まれたお寺の境内は、周りの商店と境が明確に区分されていなく、駐車場に自由に使われていました。屋根飾りなどが大掛かりで、軒に吊るされた行灯にも、細かい細工が施されていました。

<基隆の街角で>
 基隆の街の散策で一番目に付いたのは、豊富な海と山の幸に恵まれた街であると言うことでした。ガイドブックで一番の繁華街と紹介されている仁三路、愛三路付近を散策しましたが、常設のお店と併せて、道一杯に行商の店が並んでいました。
 その店で扱われていたのが、近海物と思われる魚介類と、南国を思わせるフルーツの山でした。魚は日本でもおなじみの秋刀魚、鯖、鰯、烏賊などのほか、この海域に棲むと思われる、見たことの無い魚も並んでいました。干物などの加工品は少なく、氷詰めにされた鮮魚が主に並べられていました。
 豊富なフルーツや野菜類では、パイナップル、スイカ、西洋梨、イチゴ等の他、日本国内ではお目にかかれない独特の品々がありました。その1つが「現吃」と言う凹凸がある濃い緑の果物でした。大きさはメロンほどで、先が細くなっていました。切り身が展示してなかったので、推測するほかはありませんが、毎朝ホテルで出される少し歯ごたえのあるさっぱり味の果物ではないかと思いました。
 トマトによく似た「黒柿」も山盛りにされていました。華西街観光夜市のお店で、サービスとしてデザートに出してもらったので、こちらは試食済でした。見た目は熟していないトマトのようですが、食べてみると歯ごたえがあってフルーツ感覚でした。甘みは少ないものの、飲んだ後のデザートには好適でした。「黒柿」がトマトの品種の1つなのか、別の種類に属する植物(果物か野菜かの区別が付かないのでこう呼んでおきます)であるかは、今でも判然としません。

<バスの待合室で>
 基隆から台北までの帰りは、高速バスを利用しました。基隆駅に到着した時、駅に隣接してバスターミナルがあることを知り、その時点で往きとは別の交通機関を利用しようと決めていました。
台北市内は料金が一緒だろうと判断し、窓口では「台北」とだけ告げて切符を入手しました。この窓口には列は出来ていませんでしたが、バス乗り場には50人以上の列が出来ていました。指定席ではなく、すべて自由席でした。待合用の座席は無く、その列の一番後ろに並びました。10分間隔くらいで、台北行きが発車していました。
 ほとんど同時に、早足で列に進んだ学生さんが、私より前に並んだ時、一緒のグループの学生さんたちが、その学生さんに対し、私の方が前だと言うようなしぐさをして、自分たちと一緒に並ぶように促した。私もその意味がわかったので、後ろに回った人とその友達に対し、「謝謝」とお礼を言って、その前に並ばせてもらいました。男子高校生といった年頃のグループでした。
 1台目のバスは列の直前で満車になり、次のバスを待ちました。そのバスもまもなくやって来て、らくらく座ることが出来ました。往きとは違う景色を眺めながら、1時間余りのバスの旅を楽しみました。急行列車に間違えずに乗れば、その方が早いかもしれませんが、各駅停車の普通電車であれば、ほとんど時間は違わないようでした。

<台北駅南での昼食>
 台北駅が終点のバスでした。基隆から乗った人達も、大勢が終点の台北駅や、その他の台北市内まで乗っていました。終点の台北駅で降りた後、地下道を潜って南側に向かいました。以前泊まったことがあるヒルトン・タイペイの方角です。まだ昼食を済ましていませんでしたから、まずは腹ごしらえです。
 台北駅から大きい道路を挟んだ南側の一帯には、予備校や進学塾が沢山あり、学生さん達の街になっています。平日の昼間から賑わっていて、大衆食堂も多くあります。セルフサービスの店もあり、どの店も安い値段です。そんな一軒の店に入りました。その店の名前は「妻籠拉麺(ラーメン)」でした。日本からの出店ではなく、日本に住んでいた人が経営している店のように思えました。
 昼の時間を少し回っていましたが、店の中は学生さん達で結構賑わっていました。それでも隅の方に席が取れましたので、この店の150元の特製ラーメンと50元の麒麟麦酒の缶を頼みました。特製ラーメンの名前は「翡翠海鮮麺」でした。残念ながらスーパードライは置いてありませんでした。学生さんたちは、もっぱらコーラなどを飲んでいました。こちらはサービス品です。
 ラーメンの味は申し分なく、スープも飲めるよう、木製の大きな蓮華(レンゲ)も付いていました。蓮華というより柄杓(ひしゃく)です。この一帯は、学生さん達の街だけあって、店の周りだけでなく、道路沿いには隙間無くバイクが停めてありました。 その向かいには、お馴染みの看板のセブンイレブンの店がありました。1年半前よりは大分、店の数が増したようです。今回の旅行では、探すまでも無く、あちこちで見かけました。

<台北駅の地下街で>
 昼食を済ませた後、今度は台北駅の南側から地下街に潜りました。台北駅からMRTに乗って士林か剣譚まで行き、そこからタクシーで故宮博物院へ行くためでした。その途中で、故宮博物院の展示案内「古道」が開かれていましたので、一通り見学をしました。
 展示してあったのは陶磁器類、青銅製品のほか書画も少しだけありました。地下街での展示なので、貴重な本物が置いてあるわけはありません。しかし、いずれもよく出来たレプリカです。その旨「複製品」と表示がしてありました。
 レプリカが作成されるのは、すべて際立った展示品に限られますので、一通り撮影をしておきました。本物とレプリカの相違と言った点での比較は、今後の楽しみです。
 1年半前の旅行の時に、地下商店街のシャッターに描かれていた絵が面白くかなりの数の写真を撮りました。今回は、更にその数が増えていました。増えたのは、通行人からの評判が好評だったためでしょう。京劇のマスクのような絵を何点か収録しておきました。残念ながら、一気に増えたためか、雑で見映えのしない絵も多くありました。

<故宮博物院>
 「古道」の見学を終えた後、MRTで士林駅まで行きました。ひっきりなしに電車が出ていて、10分ほどで到着しました。以前、現地ガイドさんから「駅に停まっているタクシーは、ぼったくりが多いので、使わないがよい」と教えてもらっていましたので、流しのタクシーを捜しました。そのタクシーもすぐに見つかりました。地図を見せて「故宮博物院」を指差したら、すぐに了解してくれました。見覚えのあるいつもの道を、博物院まで向かいました。
 社内で運転手さんに聞いたところによりますと、「私はいつもは中正国際空港付近で仕事をしています。英語ガイドの資格も持っています」と英語で話してくれました。ひげを生やした、がっしりした40代半ばと見える運転手さんでした。博物院の玄関近くで降ろしてもらい、小銭をチップで渡しましたら、「サンキュウ」と大きな声と笑顔で応えてくれました。
 故宮博物院は、台北旅行の目玉になっていますので、何組もの日本人団体客を見かけました。それぞれにガイドさんが付いて、主要な作品を解説したり、ガイドさんと別れた後は、三々五々に展示物に見入っていました。
 いつもの事ながら、初めて見る主要な作品では、解説の後ろで聞いたり、気に入った作品では時間をたっぷり使って見学しました。今回の展示の目玉の1つが、玉製品と篆刻でした。また、書も豊富に展示されていました。
 今回もフラッシュを使わない撮影なら、OKのコーナーがありましたので、篆刻や玉製品などを撮影しました。残念ながら、今回は陶磁器の展示は少なかった。戦国早期の生贄ワイン器は、先ほど台北駅地下街で本物そっくりのレプリカを見たばかりでした。

<台湾の烏龍茶>
 3時間くらい掛けてゆっくりと見学した後、今回の故宮博物院見学を終えました。展示物もかなり入れ替えされていて、定期的な見学の楽しみが実感できました。ただし、名品中の名品は、繰り返し見たい思いも残りました。
 外に出ると小雨が続いていましたが、傘をさすかどうか迷う程度の霧雨になっていました。タクシーを探そうと玄関近くで待っていましたが、今回も剣譚駅近くのお茶屋さんが来ていて、声を掛けられました。
 『お茶を届けた帰り道なので、100元で駅まで送ります』
 のせりふも一緒でした。しかし、いつもの人とは違う人でした。予想したとおり、日本語で
 『MRT駅の近くでお茶屋をやっていますので、お店に立ち寄りませんか?』
 と、声を掛けられました。最初はMRT駅までと約束して乗せてもらいましたが、こちらも予定の内なので
 『お店に立ち寄ってもいいですよ』
 と、返事をしました。こちらでも白タクは規制されているでしょうから、前の席に座ってシートベルトをしました。これもいつも通りのことです。そのお店も予想した通りの場所でした。車を降りる時に
 『前に何度か来たことがありますよ』
 と、話しましたら、少し吃驚されていました。お店の中も変わっていませんでしたが、お茶を淹れてくれる人は交代されていました。手前の席が中年の女性の方、奥の席では少し若い男性の方が準備をしていました。手前の席に座って、
 『烏龍茶だけでいいので、一番美味しいのを出してください』
 と、注文しました。淹れてくれたのは鉄観音と高山烏龍茶でした。香りと味を確認した後、「高山烏龍茶」の方の値段を確認しました。明らかに香りが違っていました。
 『アリサンの1500m以上の海抜で採れるお茶は不作で、最上級品は少しか残っていません。500グラム入りで1万2千円です』
 と言って、その棚を示してくれました。残っていたのは真空パックの6袋だけでした。前回の時には大きな茶缶から掬ってくれたお茶です。先ほどの試飲も、同じパックからのものでした。
結局、4パックを購入することとし、そのうちの半分はその場で 100グラムに小分けして、真空パックに詰め替えてもらいました。帰りに空港の免税店で別の高山烏龍茶を買い増しましたが、この店では予定の買い物でした。その場で試飲したうえでパックしてもらわないと「春一番の手摘み、手もみ」の本物の味は楽しめないようです。
 半分ほどをお土産にプレゼントしても、1年分は美味しい烏龍茶を楽しむことが出来ます。たっぷり茶葉を使って淹れた時の香り、少し薄い黄金色と、出し終えた後に開いた柔らかい枝先、葉先を見ますと、間違いなく本物であることが実感できます。

<夜はいつものお店で>
 烏龍茶のお店での買い物の後は、車で最寄のMRT駅、剣譚まで送ってもらいました。故宮博物院からの約束事です。MRTでは台北駅で乗り換えて、泊まったホテルの最寄駅である忠孝復興で降りました。ホテルに戻って、テレビで抗議行動の状況を確認しました。総統府前広場での強制排除が執行された後、抗議行動は下火に向かっていました。
 晩酌はいつもの華西街観光夜市の「伝統」の店です。暗くなってからMRTで出掛けました。昼の間にいろいろと飛び回りましたので、今日の予定はこれで最後です。店には、常連客の人達が集まっていましたが、私がいつも座っている壁際の二人掛けの席は空いていました。
 通りに面したガラスのネタケースの品を指差して3品ほどを頼みました。昨日と同じ、蜆のような小さな貝のピリカラ煮、剥き蝦と野菜炒め、魚のあんかけソース煮などです。イサキを黒くしたような感じの魚でした。細かい料理の注文は出来ないので、味付けはすべてお任せです。瓶ビール1本の後に、常温の紹興酒1本もお決まりです。お店のママに覚えられてしまいました。
 晩酌を終える少し前を見計らって、この日も小皿に果物のデザートをプレゼントしてくれました。これだけ飲んで、食べても2千円はかかりませんから、随分とお値打ちです。日本であれば、紹興酒1本だけで3、4千円はかかりそうです。帰りは、通り道なので龍山寺に立ち寄りました。煌煌と明かりが灯って、今日も不夜城のような賑わいでした。
 さすがに紹興酒を1本空けた後では、名古屋空港で買って来たオールドパーが、なかなか減りません。この日も、就寝前にテレビを見ながら1杯の水割りだけでした。760ミリリットルや1リットルでなく、500ミリリットル程のボトルにしたのは正解でした。

同行者
一人旅
交通手段
鉄道

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  • 今回の旅行のテーマの一つが、雨の基隆見学でした。往きは台北駅から電車で、帰りは高速バスを利用しました。

    今回の旅行のテーマの一つが、雨の基隆見学でした。往きは台北駅から電車で、帰りは高速バスを利用しました。

  • 1年半前の旅行では、台湾の国鉄を利用したのは台中見学の時でした。空いているとタカをくくったら、帰りに3時間近く立ち放しでした。

    1年半前の旅行では、台湾の国鉄を利用したのは台中見学の時でした。空いているとタカをくくったら、帰りに3時間近く立ち放しでした。

  • 改札口を潜った待合室の様子です。台北の中心部にあるのに、何となくローカル風でした。今回も往きは閑散としていました。

    改札口を潜った待合室の様子です。台北の中心部にあるのに、何となくローカル風でした。今回も往きは閑散としていました。

  • ガイドブックに拠れば、基隆は「チールン」とか「ジーロン」とか記されています。この小冊子では「チールン」にします。別名「雨港」です。

    ガイドブックに拠れば、基隆は「チールン」とか「ジーロン」とか記されています。この小冊子では「チールン」にします。別名「雨港」です。

  • 第三月台は三番プラットホームのことです。何となく暗く感じるのは、線路やプラットホームが地下深くに設けられているためです。

    第三月台は三番プラットホームのことです。何となく暗く感じるのは、線路やプラットホームが地下深くに設けられているためです。

  • 1年半前も工事の途中でしたが、まだその工事は完了していませんでした。この階段部分にも、立ち入り禁止の表示がされていました。

    1年半前も工事の途中でしたが、まだその工事は完了していませんでした。この階段部分にも、立ち入り禁止の表示がされていました。

  • 車内も1車両に数名と、がらがらでした。広軌を採用しているのでしょうか?室内はゆったりとしていました。

    車内も1車両に数名と、がらがらでした。広軌を採用しているのでしょうか?室内はゆったりとしていました。

  • 目に見えるところに電気のブレーカーや電気室がありました。日本国内ではこんな仕様の車両にはお目にかかったことがありません。

    目に見えるところに電気のブレーカーや電気室がありました。日本国内ではこんな仕様の車両にはお目にかかったことがありません。

  • 珍しい窓ガラスの形でした。車体強度を上げるためか、まばらに窓が設置してありました。車窓の景色を楽しむには、かなり不便です。

    珍しい窓ガラスの形でした。車体強度を上げるためか、まばらに窓が設置してありました。車窓の景色を楽しむには、かなり不便です。

  • 台北駅で発車の時刻を確認し、基隆往きの電車に乗ったはずですが、どう言う訳か、松山駅止まりでした。今でも不思議です。

    台北駅で発車の時刻を確認し、基隆往きの電車に乗ったはずですが、どう言う訳か、松山駅止まりでした。今でも不思議です。

  • 私だけでなく、ほかの客も何人かこの駅で降りました。ベンチで次の電車を待っていた人が、駅員さんに教えられて移動を始めました。

    私だけでなく、ほかの客も何人かこの駅で降りました。ベンチで次の電車を待っていた人が、駅員さんに教えられて移動を始めました。

  • 会話の雰囲気で、降りたホームには次のチーロン往きの電車は来ないことが察しられました。案内看板を頼りにホームを移動しました。

    会話の雰囲気で、降りたホームには次のチーロン往きの電車は来ないことが察しられました。案内看板を頼りにホームを移動しました。

  • 何とか無事に到着できたチーロンの駅です。急ぐ旅ではないですで、乗客の一番後ろを歩いて、構内からの写真を何枚か撮りました。

    何とか無事に到着できたチーロンの駅です。急ぐ旅ではないですで、乗客の一番後ろを歩いて、構内からの写真を何枚か撮りました。

  • 港に近いチーロン駅です。構内に沢山の観光客目当てのタクシーが停まっていて、予想通り何人かの運転手さんに声を掛けられました。

    港に近いチーロン駅です。構内に沢山の観光客目当てのタクシーが停まっていて、予想通り何人かの運転手さんに声を掛けられました。

  • 駅前の風景だけで、観光都市であることが読み取れました。「雨の基隆」をテーマにした小旅行に相応しく、小雨が降り続いていました。

    駅前の風景だけで、観光都市であることが読み取れました。「雨の基隆」をテーマにした小旅行に相応しく、小雨が降り続いていました。

  • 一旦、駅構外に出たものの、次に訪れる時のために、戻って一通り写真に収めました。この時期、日本人観光客は見掛けませんでした。

    一旦、駅構外に出たものの、次に訪れる時のために、戻って一通り写真に収めました。この時期、日本人観光客は見掛けませんでした。

  • こちらは駅構内の配置図です。漢字表記なので、憲兵隊、駅長室、トイレ等、大体の見当が付きます。「中心」はセンターです。

    こちらは駅構内の配置図です。漢字表記なので、憲兵隊、駅長室、トイレ等、大体の見当が付きます。「中心」はセンターです。

  • 時刻表は時々変更になりますので、当てになりませんが、時間帯ごとの列車本数や、行き先などは参考になります。

    時刻表は時々変更になりますので、当てになりませんが、時間帯ごとの列車本数や、行き先などは参考になります。

  • セブンイレブンの店が駅構内にありました。駅構外でも何軒か見かけました。看板に記された「蒸菓子」などが売れ筋のようです。

    セブンイレブンの店が駅構内にありました。駅構外でも何軒か見かけました。看板に記された「蒸菓子」などが売れ筋のようです。

  • ガイドブックを見るまでは、基隆を「キールン」と覚えていました。この市内観光案内看板の英語表示では、キールン・シティです。

    ガイドブックを見るまでは、基隆を「キールン」と覚えていました。この市内観光案内看板の英語表示では、キールン・シティです。

  • 台湾有数の港町とあって、大型客船や島巡りの観光船等が、所狭しと係留されていました。日本からの国際航路も運行されています。

    台湾有数の港町とあって、大型客船や島巡りの観光船等が、所狭しと係留されていました。日本からの国際航路も運行されています。

  • さすがに「雨港」の別名を持つチーロンの街です。横断歩道橋には、すべて屋根があり、トンネル内のような景観でした。

    さすがに「雨港」の別名を持つチーロンの街です。横断歩道橋には、すべて屋根があり、トンネル内のような景観でした。

  • 前方やや右手がチーロン駅、歩道橋の上からの眺めです。後でわかったことですが、傘がなくても、街中を散策できました。

    前方やや右手がチーロン駅、歩道橋の上からの眺めです。後でわかったことですが、傘がなくても、街中を散策できました。

  • 横からの横断歩道橋の眺めです。地上に這い出したモグラの巣のようです。この街の蒋介石総統像は、レインコートを羽織っています。

    横からの横断歩道橋の眺めです。地上に這い出したモグラの巣のようです。この街の蒋介石総統像は、レインコートを羽織っています。

  • 横を通り過ぎる時に見たら、かなり若い人が傘を売っていました。少し離れたところから、振り向きながら写真を撮りました。

    横を通り過ぎる時に見たら、かなり若い人が傘を売っていました。少し離れたところから、振り向きながら写真を撮りました。

  • 歩道橋を降りたところで、小さなお寺を見つけました。道教のお寺です。仏陀ではなく、三国志の英雄みたいな像が沢山並んでいました。

    歩道橋を降りたところで、小さなお寺を見つけました。道教のお寺です。仏陀ではなく、三国志の英雄みたいな像が沢山並んでいました。

  • 比較的新しく作られた石造レリーフが壁の部分にありました。寄贈の印のような「許銀福」のサインが左手にありました。

    比較的新しく作られた石造レリーフが壁の部分にありました。寄贈の印のような「許銀福」のサインが左手にありました。

  • このお寺の前のアーケード部分です。アーケードの特別仕様で、お寺の存在をアピールしていました。

    このお寺の前のアーケード部分です。アーケードの特別仕様で、お寺の存在をアピールしていました。

  • ビルに囲まれた一角で、別のお寺を見つけました。地図で確認すると港に面した忠一路と直角に交差する孝二路に面していました。

    ビルに囲まれた一角で、別のお寺を見つけました。地図で確認すると港に面した忠一路と直角に交差する孝二路に面していました。

  • 背景が写らないような角度からの写真ですと、なかなかの貫禄を見せるお寺でした。あいにくの天候のせいで、電灯が点っていました。

    背景が写らないような角度からの写真ですと、なかなかの貫禄を見せるお寺でした。あいにくの天候のせいで、電灯が点っていました。

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2004春、台湾旅行記3

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