2006/11/18 - 2007/11/23
343位(同エリア457件中)
瑞樹さん
日本軍慰霊塔から徒歩で直ぐ。クワイ川鉄橋へ着きました。
-
映画「戦場にかける橋」でその名を知られるようになったこの橋は、1943年2月の完成当時は木造でした。町の中心からは北へ3kmほど離れているそうでうが、多くの観光客で賑っています。
-
第二次世界大戦時、日本軍はビルマへ軍需物資を輸送する為に連合軍捕虜と中国人労働者を強制労働に就かせ、鉄道を敷設しました。
-
鉄橋そのものはさほど大きくないものの、戦略上非常に重要で、1945年連合軍によって爆破され、現在は架け替えられた姿です。建設時には多くの人が亡くなり、死の橋と呼ばれたそうです。
-
しかし現在はそんなことを露ほども感じさせないほど。周囲は緑豊かな公園となり、土産物屋や水上レストランなどがあり明るい印象。
-
一日に三本の列車が走るだけで、橋は歩いても渡れます。当たり前ですが線路中央部分はそんなに広くなく木製なので、高所恐怖症の方はご注意を。
-
私たちが訪れた直ぐ後に1945年の橋の爆破を祝った一週間のお祭りが有るそうで、その準備も進んでいました。花火が上がりなかなかの人気だそうです。土産物屋には、バナナやドリアンなどのフルーツからTシャツや小物まで色々売られています。ちょっと覗こうかと思っていたら、もう列車の時間。
-
橋を渡っていた人たちや線路を歩いていた人たちが、乗車位置へ集まって来ました。私たちは席が予約されているので、急いでその場所付近へ行くことに。
-
ホームに居た人たちは、あっという間に列車に乗り込んで行きました。私は写真を撮っていた為、完全に席取りに出遅れました(笑)。私たちは、外国人観光客御用達の”VIP席”で予約済みですが、ひとりひとりに決まった席がある訳ではないので、進行方向向かって右側か左側か、ボックス席のどちらに座るかは早い者勝ち。
-
でも今回は同行のやんさんが席をキープしてくれました(進行方向から向かって左側の、進行方向側後ろ向き)。ありがとうございます。こちらの席は陽が入り暑いですが、景色は良し。
-
11時頃、再び走り出した列車は、目の前のクワイ川鉄橋を渡って行きます。 鉄橋に残っていた人たちは、数少ない逃げ場へ移動。手を振り合う私たち。
-
泰緬鉄道は、バンコクのバーンコークノーイ駅(トンブリー駅)を始発駅として西へ向かい、ナコーンパトム県、ラーチャブリー県、カーンチャナブリー県を通り、ミャンマーの旧首都ヤンゴン(ラングーン)へ至ります。
-
現在では泰緬(タイ・ミャンマー)両国の国境付近の鉄道は取り払われて、タイ側では一日2回トンブリー駅からナムトク駅までこの列車が通っています。
-
日本軍の公式名称は「泰緬連接鉄道」、英語名称は「 Thai-Burma Railway 」ですが、英語圏では「Death Railway (死の鉄道)」の名で知られています。私の記憶では泰緬鉄道の事は学校で習わなかった気がしますが、特に連合軍だった国ではこの鉄道の事は授業に組み入れられているので、認知度に圧倒的な差があるようです。
-
かくいう私も余り泰緬鉄道の事は知らずに居て、詳しく知ったのは第15回FNSドキュメンタリー大賞にノミネートされた『運命の旅路〜元通訳兵の戦後〜』(岡山放送)という作品でした。
-
2006年の8月20日(日)、昨日チュニジア旅行から帰ってきたばかりで、次の日(っていうかもう当日)から出社なのに、深夜2時55分〜3時50分の放送をじっと見入ってしまったことを思い出しました。この作品で、元陸軍通訳の永瀬隆さんが連合軍捕虜の遺体発掘調査をし、ジュネーブ国際協定で禁じられた捕虜に対する虐待行為を知り、日本軍に対する失望を抱えたこと、その後私財を投じてタイにお寺を建立したこと、タイ政府に泰緬鉄道の”負の世界遺産”登録を訴え、120回以上も渡泰したことなどを知りました。当時88歳という永瀬さんが、カンチャナブリー市と広島市の懸け橋となり、カンチャナブリー市長が原爆ドームという負の世界遺産を持つ同市の平和式典に出席するなど、その揺るぎない信念によって歩んできた氏の行動は、確実に実を結んでいます。
-
恐らく数日後に控えたお祭り用の電飾をつけている模様。
この鉄道の建設は、20世紀初頭の英領ミャンマー時代に当初イギリスが検討していたそうですが、地形が複雑だった為建設を断念した過去を持ちます。1942年、ビルマ戦線の軍需物資輸送ルートを確保する為、日本軍はその建設に着手。 -
完工まで五年は掛かると試算されたにも係わらず、迅速さを要求しミャンマー側タンビュザヤ・タイ側ノーンプラードック両方から着工。建設には、連合国の捕虜6万2000人、募集で集まったタイ人数万・ミャンマー人18万人・マレーシア人(華人・印僑含む)8万人、インドネシア人(華僑含む)4万5000人、そして日本軍1万2000人が使われました。
-
建設現場は劣悪極まりなく、特に工事の後半は雨季にも拘らず更なる急速さが求められ、食料不足からくる栄養失調とコレラやマラリアに因る死者は莫大な数に膨れ上がりました。特に、ヘルファイアー・パスと呼ばれる断崖絶壁地帯では、工作機械不足と突貫工事による人海戦術の為の死者が多かったそうです。その大きな犠牲の末、415kmの鉄道は僅か1年4ヶ月で完成に至りました。
-
写真は、クワイ川鉄橋を半分以上渡った所から見た水上レストラン。ガダンゴトン、と音を立てて列車は進んでいきます。
-
動き出した列車の窓からは、強い陽射しと爽やかな風が流れ込み、長閑な風景が映し出されます。森の中に野生の象?!と一瞬思いましたが、そんな訳ないですね。仔象と、木の枝に隠れてしまっていますが背に籠を乗せた象が居ました。
-
この鉄道は現在、タイ国鉄がノンプラドックから滝のあるナムトックまで約170kmを運行しています。映画「戦場に架ける橋」で有名になったところですが、映画はあくまでフィクションなので、もし関係者の方と話す機会があれば気をつけた方が良いですね。
-
実際に建設に従事した日本軍の方にすれば「クワイ川鉄橋」という名も俗称で、本当は「メクロン鉄橋」というのだとか、実際の橋梁はインドネシアから調達されたもので、200mの川幅に11mの長さのトラス橋が11組あったとか。
更に戦時中は、この橋に平行して下流側に工事用の木橋が架けられていたそうです。もっと云えば、「クワイ」と発音すると、タイでは悪い意味ということも聞きました。なので「クウエイ」と発音したほうが良いとか。ということは、川の名前も然り。でもこの旅行記は日本語だし、慣れてしまったのでクワイで通します。 -
列車は、そのクワイ川に沿って上流へ進んで行きます。ガタゴトと列車の音がなかなかに大きいので、前の席の人と喋るのもちょっと大き目の声になってしまいます。
-
なんとも心静まる豊かな風景ですが、連合軍共同墓地などに埋葬された捕虜たち以外の、強制労働者の方たちは、今もこの風景の奥、密林の中で彷徨っているかも知れません。
-
そんなことを考えていると、悲しくて悔しくて、虚しくて何だか泣けてきます。
しかし!そんな感傷的な私の心をぶち壊すかの如く、向かいの席の同じツアーのオバサマ方が喋りかけてきます。
まぁ、確かに私が感傷的になったところでこの歴史を変えられる訳じゃないんだけれどね。オバサマ方からは、なんとも現実的な話が飛び出してきます。我々を一人身と訊くや、その手の話が次々と。
人生の先輩として心配してくれているのでしょうが、何もここでしなくても良いです…。 -
後で判りましたが、ボックス席の間にあるテーブルは組み立て式で、終点に近付くと、手際良くぱっぱと片付けられる仕組み。
乗車して数分。そのテーブルに置かれたのは、緑の紙箱に泰緬鉄道建設の様子が描かれたもの。「THE TRANS-RIVER KWAI DEATH RAILWAY」という表記が見えます。
ひとりひとりに配られたそれ、開けてみると、 -
機内で配られるようなカップの水に、手作りっぽいクッキー4枚、ケーキ、ホット用の紙コップ、砂糖、ミルクが入れられていました。冷たいおしぼりのサービスも。
私は早速ケーキを頂きました。美味しい〜。で、水も飲み終わった頃、10分ほど経ってからティーパックの紅茶サービス。 -
更に15分経った頃。今度は、氷入りのコーラのサービス。。
この短い間に、凄い水分補給なんですけれど。ま、暑いからこれくらい摂った方がいいとは思いますが。これで終わりと思いきや、更に6分後、今度は冷たいペットボトルのミネラルウォーターが配られました。 -
ん〜そんなに水分摂らせて、私たちをどうしたいのよ(笑)。
その後はまた冷たいおしぼりが配られました。ちゃんとお兄さんが袋を開けてくれる親切さ。
そこまでしなくても…ってなくらいの、サービスっぷり。
タイの人って、肌理細やかだねぇ。
その他車内販売では、帽子などのグッズ販売のお姉さんが廻ってきたりします。 -
バーカウンターの設置された車両、アルコールの車内販売もありますので、この歴史的な鉄道を旅しながら、アルコールも楽しめます。向かいのオバサマ方はここぞとばかりに召し上がっていらっしゃいました。
私は飲みませんでしたよ。 -
列車は相変わらず畑や森、草むら、川沿いの緑の中を進んで行きます。
-
え〜、あれだけ水分を摂ったので、然るべき自然現象を覚えました。はい、お手洗いに参りたいと思います。
この旧泰緬鉄道には、ちゃんと備え付けてあります。私たちの車両の隣かもうひとつ隣だったかな。この緑のドアを抜けて行きます。壁と床は板張り、天井はクリーム色。その天井には、金属製の黒くレトロな扇風機が何機も付いています。が、私たちが乗ったときは全く回っていませんでした。
開け放された窓から結構風が入るので、今の時期はいらないですね。 -
辿り着きました。個室の中は狭いので、こんな写真しか撮れません。しかも揺れるのでブレブレです。
この便器、和式+洋式+イスラム式みたいな、不思議な形状です。イスラム式というのは、チラッと写真にも写っていますが壁にホースが付いているんですよ。 -
便座に座る形ではないのですが、洋式の様に便器が高くなっています。高速バスぐらいに個室が狭ければ大丈夫かも知れませんが、そこまで狭くないので、落っこちないように気を付けましょう。
何度も云いますが、揺れています。つかまるところは、特に設けられていなかった気がします。 -
帰りは、デッキからも外を眺めてみました。先客の男性が居ましたが、私が近付くと快く場所を譲ってくれました。ありがとう〜。
ご覧の通り、扉もありません。勿論、柵もありません。これぐらいでなくっちゃね。日本なんかは、もし落ちたら列車の所為、なんて阿呆なことを言い出す人が多いから、色々過保護になってしまい困りますね。 -
ついでに、進行方向右側の窓からの眺め。眼前に迫り来る岩山を堪能できます。ほんと、手を出せばぶつかってしまうくらい近いのです。これを見ても、この鉄道建設に掛かった労苦が、想像出来ようというものです。
でも、こちらの窓はちょっと土埃が入って来るようで、ハンカチで口元を押さえている乗客も居ました。
んー、やはり左側の席の方が良いかも。 -
対して左側の席からは、相変わらず畑や草むら、森などの緑の中に、時折集落が見えます。
水田があるからか、なんとなく日本の田舎のようなホッとする風景が続きます。
右と左でこんなにも窓の外が違うなんて、面白いです。 -
さてお手洗いから戻ると、旅の道連れ・やんさんからこんなものが手渡されました。
乗車証明書でした。ちゃんとスタンプまで押してあって、なかなか凝ってます。しかも丸めてあり、輪ゴムで止められていました。 -
乗車から一時間ほど経って、多くの英国人・オーストラリア人と見られる観光客の方々が待つホームを通り過ぎ、列車はそろそろ難所へ差し掛かって来ました。
-
この辺りは直ぐ下をクワイ川が流れていて、絶壁の上に線路が敷かれています。ここを建設する際、日本軍はトンネルを掘らずに、絶壁の下部をダイナマイトで爆破して、線路の土台を作ったそうです。その危険性から、多くの死者を出したところです。
-
列車の重みに絶えられるよう、1mごとに枕木を敷いている箇所。列車も、大きな軋みをあげながら人が歩くよりも遅いスピードで進みます。
-
駅に到着。これで私たちの1時間半弱の、大きな歴史を感じた旧泰緬鉄道の旅も終わりです。
-
12:20、サイヨークへ到着。
-
ここから少し歩いて、お昼です。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
瑞樹さんの関連旅行記
カンチャナブリ(タイ) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
44